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狼の裔~念真流血風譚~  作者: 筑前助広
最終章 天暗の仔
132/146

間隙 傍流

 城下は寝静まっていた。

 黒河城下、畳屋小路たわらやこうじ。家屋が入り組んだ通りを、平山六郎ひらやま ろくろうは一人歩いていた。

 月は無く、灯りは提灯だけ。しかしそれは、怪しまれない為だけに用意しただけの代物で、夜目が利く六郎には無用の長物だった。

 お役目である。相手は、幕府の隠密。黒河藩の何を探っているのか判らないが、黒脛巾組くろはばきぐみが炙り出したので、斬れと命じられた。

 六郎が、お役目の意味を伝えられる事は無い。父である平山幻舟と共に黒河藩に召し抱えられて以降、全てのお役目でそうだった。斬れと命ぜられるままに、斬る。その他には、何もない。それが、六郎を虚しくさせた。


(何の為に、浮羽うきはから此処まで来たのか)


 脳裏に、故郷の山野を思い浮かべた。

 六郎は、九州は浮羽の耳納みのうという山奥で生まれ育った。明けても暮れても、修行の日々。兄弟子である平山孫一と剣を競い、時にはその技を銭で売った。

 それで良かった。他に望みは無かった。そのうち山人やまうどの娘でも嫁に取り、剣の技を子に引き継ぐ。それだけで、良かったのだ。

 しかし。ある日、男が現れた。その男は黒河藩の役人で、宗家に取って代わらないか? と、誘った。

 その日から、全てが変わった。父はその日の夜に自分と孫一を呼び、宗家を倒す事が一族の悲願と語った。宗家の存在は知っていたが、六郎にとっては、どうでもいい事であった。父に耳納に残りたいと言おうとしたが、孫一は乗り気であったし、何より燃え上がった父の目を見て、何も言えなかった。

 それが二年前。藩から広い屋敷と〔召出めしだし〕という家格を与えられたが、人斬り包丁以上のお役目は与えられていない。

 つらつらと畳屋小路を抜けると、宮町みやまちの大通りに出た。

 神君家康を祀る黒河東照宮へ続く、門前通りだ。此処には黒河藩の大店が軒を連ね、日中は参詣客と買い物客で賑わうが、この時分には人通りは無い。

 野犬の遠吠えが一つ。だが、それは遠い。六郎は、スッと家々の間に身を隠した。

 もうすぐ、幕府の隠密が駆けてくる。そう黒脛巾組が算段しているので、そこを斬るだけでいい。


(孫一殿に代わるよう言うべきだったか……)


 黒河藩に召し抱えられた時、孫一は側用人の片倉藤四郎から、夜須藩の犬山兵部に仕えるよう命じられた。それ以降は一切の私信は控えているが、兵部が利重となって夜須藩主となり、今は片腕としてそれなりの身分を与えられていると、藤四郎が言っていた。

 夜須へ行っていれば、意義あるお役目を仰せつけられたであろう。それに、一剣を以て成り上がる事も出来たはずだ。

 父は更なる栄達を望んでいるが、今の黒河では到底無理だ。黒河は伊達家を中心に、門閥が堅固な秩序を形成している。そこに剣だけで割り込むのは到底無理な話で、かと言って智謀で太刀打ちする事も出来ない。成り上がれるとすれば、この日本が再び戦乱の坩堝になる他に術はないが、それも無理な話しだ。

 宝暦から続く勤王運動は、一時全国的に高まり乱世の到来を予感させたが、橘民部の叛乱が未遂に終わると、田沼意安の手腕によって一気に終息を迎えた。諸藩に結成された勤王党は次々に粛清され、勤王に傾いた大名も隠居する事で許されている。それは黒河藩でも同じで、勤王党を率いた家老の鬼庭右京が閉門となり、その下で働いた上級藩士数名が、腹を切っていた。藩主・伊達蝦夷守継村の罪を肩代わりしたのである。

 その黒河藩が乱れる事は、当分ない。だが、風雲急を告げた夜須藩は違う。利景が死に、思いもよらぬ代替わりがあって、藩内は麻のごとく乱れ、叛乱が起きた。それによって宗家当主であった平山清記が死に、孫一がその跡目を継ぐ事が出来た。


(或いは、孫一殿に頼んで、父上と夜須へ行くべきか)


 それが良いかもしれない。父もそれなら納得するはずだ。

 妙案にほくそ笑んだ時、人の気配を感じた。

 おそらく、今夜の獲物だろう。六郎は鯉口を切って、大通りに出た。

 黒装束の男達が駆けて来ていた。五人。手には抜き身。六郎もスッと抜いた。

 殺気が、全身を打った。お役目は虚しいが、この時ばかりは愉しいと思える。


「来い」


 冷笑を浮かべ、八相の構えを取った。

 敵。顔が見える近さに迫る。八相から、続けざまに三人を無言で斬り倒した。一人だけ脇をすり抜けたが、懐の苦無を投じて始末をした。こうした術は、耳納の山野で覚えたものである。


「見事な腕前だねぇ」


 一人だけ残った。顔は頭巾で隠しているが、目を見る限りは若い。それに声も高い。恐らく、二十歳の自分よりは下だろう。


「流石は、念真流という所か。なぁ、平山六郎」

「俺の名を知るお前は?」

「ふふふ、言えるかよ」

「さては、公儀の犬だな」

「そう言うお前さんは、伊達の犬だよ。平山の傍流には似合いの商売だぜ」


 六郎は血が沸くのを感じ、必死で抑えた。平山家の傍流。念真流の分派。そう言われても、平山家の誇りも宗家への憎しみも無い自分は気にならないと思っていた。が、いざ言われると、腹が立つものだ。やはり、平山幻舟の子。先祖代々受け継がれた宗家への嫉妬と憎悪は、この身体を流れる血潮をなっている。


「何が可笑しい?」

「いいや。ただ、お前に本当の念真流を見せようと思ってね」

「ほう。分派が『本当の』とはねぇ。面白い」


 男が、崩れた正眼に構えた。独特だが、その構えからは流派は見えない。

 一方の六郎も、正眼。向かい合う。距離にして、四歩ほど。男が放つ圧力は、予想以上に強い。

 久々の強敵。じりじりとした時が過ぎる。潮合いは来ない。では待つだけだ、と思った瞬間、男の氣がぜた。

 一歩、遅れた。だが、構わず、六郎は跳躍した。

 奈落。念真流の奥義。宗家では、落鳳と呼ぶ妙技だ。

 脇に颶風ぐふうを感じたが、構わず刀を振り下ろし、着地した。

 男は、肩口から血飛沫を上げて斃れた。頭蓋を狙ったのだが、一歩出遅れた分、狙いが逸れた。それに、六郎も脇を皮一枚斬られている。


(大した使い手だった)


 脇の傷と、噴き上がる汗が何よりの証拠である。

 六郎は片手拝みをして、男の頭巾に手を掛けた。


「何だと」


 六郎の声が、夜の町に響いた。眩暈を覚えるような衝撃を受けた六郎は、取った頭巾をそっと顔に掛けて隠した。

 公儀の隠密は、男ではなかったのだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌日、馴染みの女の家で一泊した六郎が屋敷に戻ると、奉公人が客間へ行くように言った。どうやら、父の幻舟が呼んでいるらしい。


「ただいま戻りました」


 そう言って入ると、幻舟が客を迎えていた。

 若い男だった。黒羅紗の洋套と大小を脇に置き、背筋正しく座している。


「おお、戻ったか」

「父上、この方は?」

「平山雷蔵殿だ」

「平山と」


 六郎は一驚したが、幻舟がそれを苦笑して嗜めた。


「驚くでない、倅よ。この方が平山家宗家の現当主にして、唯一の生き残りだ」


 雷蔵が顔を向けた。

 六郎は息を呑んだ。白い肌と豊かな頬。口許には得も言われぬ色香が漂いうが、切れ長の目はゾッとするほど冷たい。

 お互い名乗り合うと、幻舟が口を開いた。


「この雷蔵殿は、これから夜須のお殿様を討とうとされておるらしい」

「ほう。仇討ちですか?」

「逆恨みですよ。父・清記は主君にとって叛乱を起こした罪人です。無実の罪で殺されたわけではありません」

「自分でそれを言われるとは、面白いお人ですね」


 雷蔵の表情は動かない。ただ視線だけを六郎に向け、すぐに父へ戻した。


(何なのだ、この男は……)


 まるで、虚無の極みにいるのだろうか。感情の機微が掴めない。


「それで、その前に我らを討って景気づけするつもりらしい」


 そう言うと、幻舟は莞爾として笑った。


「なんと。父上は刺客を前に笑っておられるのですか?」

「ふふ。面白いではないか。長年の宿敵が、向こうから現れたのだから。しかも、宗家で残るは、この雷蔵のみ。我らの剣で、宗家の血を滅する事が出来るのだからな」

「しかし」


 六郎は、雷蔵を一睨みした。しかし、雷蔵は動じないどころか、こちらに目も向けない。その視線は、ただ幻舟に向けられている。


「おのれ」


 六郎が刀に手を伸ばそうとした時、その手を幻舟が投げた扇子で打たれた。


「未熟者め。お前が敵う相手ではない。それも測れず、やり合う前から挑発に乗っては、ますます勝つ芽が無いわ」


 その時、雷蔵の口許に微かな笑みが見えた。


「貴様」


 六郎は、沸騰する血を何とか抑えた。父の言葉には異論はあるが、少なくとも挑発に乗ったのは誤りだ。


「稚拙な挑発に乗って、感情に左右されるとは。所詮傍流は傍流ですよ幻舟殿」

「いやはや、これは手厳しい」

「私は傍流のあなた方に興味はありません。しかし、父を討った中に皆藤主馬と名乗る男がいまして。その者を調べると、なんと平山孫一という幻舟殿の弟子だと言うではありませんか。それで、私は思ったのです。まずあなた方を討てば、平山孫一も栄生利重も警戒するだろうと」

「警戒させて何とする?」

「恐怖を与えるのですよ。死が近付くのが判るように、じわり、じわりと」

「趣味が悪いの」

「ただ殺すだけでは面白くありません」


 すっと、雷蔵が立ち上がった。


「では、話はこれくらいにして。場所は庭でよろしいでしょうか?」

「お前さんがよろしければ」


 幻舟も立ち上がり、客間の縁側から庭に降り立った。


「儂が討たれたら、全力で逃げよ」


 そう肩を叩いて、まず父が向かい合った。

 中庭。その、池の側。奉公人には、外に出るなと伝えた。

 父は抜いているが、雷蔵は刀も抜かずに佇立している。

 寂とした空間。風が止み、物音一つ聞こえない。全てが静止したかのような気がした。

 暫くして、雷蔵が抜いた。その時、父の全身に緊張が走るのが判った。

 そして、ゆっくりと下段に構える。

 対峙は束の間だった。雷蔵が跳躍する気配を見せた時、幻舟が跳んだ。

 絶叫に近い、気勢。そして、奈落。だが、雷蔵は飛ばず下段に構えたままだった。

 その雷蔵の身体が、ふっと前に出た。下段のままだ。父の奈落は空を切り、地に降り立った。


「これが宗家か」


 幻舟が、六郎に顔を向けた。


「逃げよ」


 そう言った気がした。だが、その顔には生の色は既に無く、上半身だけが崩れ落ちた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「やはり斬れ過ぎるな、お前は」


 雷蔵は、六郎の存在など意に介さず、刀身に語りかけた。


「貴様。よくも父上を」

「この刀は。扶桑正宗というのものです」


 雷蔵が目を向けた。


「平山家嫡流のみに受け継がれる、魔性の銘刀。私をたおし扶桑正宗を奪えば、名実共にあなたが嫡流です」

「面白い、やってやろうではないか」


 六郎が勢いよく抜き払い、正眼に構えた。


「逃げないのですね」

「無論」


 父は逃げろと言った。だが、此処で逃げれば、代々受け継いできた念真流の名が廃る。

 雷蔵が、再び下段に構えた。

 全身を脱力させた白皙はくせきの男は、虚無感に満ちている。

 六郎は脇構えを取った。氣を鎮め、雷蔵の初手太刀を警戒した。

 跳ぶのか。跳ばぬのか。佇立しているだけの雷蔵からは、そのどちらかを読む事が出来ない。

 並みの手練れではない。外見からは察する事は出来ないが、父を斃すのも頷ける。

 相変わらず、雷蔵はゆったりと立っている。動く気配は無い。


(ならば、俺から)


 と、六郎は地摺りで距離を詰めた。

 一足一刀の間合い。だが、雷蔵は動かない。まるで石造のようだ。その身体に闘気も漂っていない。


(動かぬというなら、動かすまで)


 そう六郎が、斬撃の氣を漲らせた刹那、雷蔵が動いた。

 下段から振り上げ、その返しからの袈裟。迫る刀身を寸前で躱したが、斬撃のはやさを、六郎は躱した風で感じた。

 更に、雷蔵が前に出る。だが、そこには飛び石。雷蔵は躓き、体勢が崩れる。


(もらったぞ)


 六郎は、脇構えから電光のような逆袈裟を放った。

 仕留めた。そう思った。が、手応えもあった雷蔵の身体が、奇妙にも霧散した。

 その奥。消えていく靄の中から、刃の光が見え、身体を勢いよく貫いた。


「寂滅剣、幻位朧崩げんみ おぼろくずし」


 薄れゆく意識の中で、雷蔵の呟きだけが耳に入ってきた。

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