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狼の裔~念真流血風譚~  作者: 筑前助広
第二章 宝如寺の賊
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第二回 怯え

 嫌な氣が、全身に纏わりついていた。

 朝からだ。姿が見えないだけに、不気味である。


(人か禽獣か)


 そこまでは判らないが、誰かに見張られている。それは間違いない。だが父が何も言わないので、小弥太は黙々と歩いた。

 予定通り、払暁と共に出立していた。移動を開始して一刻半ほど経つが、未だ山深く薄暗い裏街道の道中である。すれ違う人もいない。聞こえるのは、野鳥の甲高い囀りばかりだ。


(やはり、妙だ……)


 時間とともに、この氣が禽獣のものではないと思えてきた。口では上手く説明できないが、確実に追跡者の気配である。

 以前、同じように追われた事があった。父に同行し、要人の護衛をした時だ。命を狙う忍びに追跡され、めるような氣が不快だった。

 不意に、父が足を止めた。山道を抜け、拓けた場所に達した時だった。そこには小屋があり、傍らには小川が流れている。


「小弥太」


 そう名を呼ばれた時、小弥太は今までにない強い氣を感じ取った。

 殺気である。肌に粟が立つほど、強烈なものだ。


「感じるか?」

「はい」


 勿論だった。感じ過ぎるほどである。相手は、敵意の塊と言っていい。


(あの小屋か)


 そう一瞥すると、扉が開き数名の男達が出てきた。

 見るからに破落戸ごろつきだった。長脇差を佩き、百姓だが武士だか判らない格好をしている。ざっと見た所、鉄砲は持っていないようだ。周囲から、火縄の匂いもしない。


(罠に誘い込まれたのか……)


 破落戸は、小屋で待っていたのだ。あの不快な氣も、賊によるものに違いない。

 いや、そうとは言い切れない。父なら、承知の上で罠に掛かる男である。修行の為にと。

 三人が歩み寄り、行く手を塞ぐ。酒と汗の饐えた悪臭が鼻を突いた。


「金目のものを置いていきな」


 破落戸が言った。髭面に、黄色い歯を剥き出した下卑た笑みが浮かぶ。こうした悪さには慣れているのだろう。


「やめておけ。怪我をする事になる」


 清記が言った。


「そりゃ武士の常套文句だぜ。みんなそう言いやがる。本当は怖いくせによ」


 清記は、動じる事なく表情すら変えない。

 だが小弥太は、息を呑んだ。本当は怖い、という言葉に反応してしまったのだ。怖い。そう、臆病故に恐怖を感じる。歯の根が震えているほどに。


「警告は一回だけだぜ。刀と銭を置いていきな」

「断る」


 清記がそう言い放つと、三人は身を引いて長脇差を抜いた。


「こうして旅人を襲っているのか?」

「それが活計たつきだからな」


 背後にまた別の氣を感じ、小弥太は振り返った。荒くれた男が二人。破落戸の仲間だろう。長脇差はもう抜いていた。前後を塞がれた格好である。


「後ろの二人は、お前が斬れ」


 清記が耳打ちした。


「はい」

「怖いか?」

「いえ」


 怖いなど、言えるわけがない。特に、この父にはだ。


「誰でも最初は怖い。私もそうだった。だが、稽古のように動けば何ら問題は無い」

「……」

「大丈夫だ。この父が付いている」


 意外な言葉だった。父が励ましの言葉を掛けるなど。


(何も悩む事はない)


 自分には、父がいるのだ。そう思うと、身体と心が軽くなった。

「賊など生かしておいては、民の為にならん」


「はい」

「存分に斬れ」


◆◇◆◇◆◇◆◇


 清記と小弥太が同時に抜いた。


「へえ、やるってのかよ」


 五人が殺気立ち、身構えた。


「もとより、そのつもりだ。尾行されるのは嫌いなものでな」


 やはり、父は敢えて飛び込んだのだ。誘い込まれたのではなく。


「よし」


 大丈夫。そう思った。今の自分ならば、れる。

 小弥太は、無言のまま前に出た。相手は二人。怖くはない。たかが破落戸相手。そう自分に言い聞かせる。

 立ち止まり、正眼に構えた。切っ先が揺れているのを見て、自分の手が震えている事に気付いた。

 破落戸が、厭らしく笑む。


「怯えているぜ」

「武者震いです」


 小弥太は即答した。


「小癪な口を叩くな奴め。やっちまえ」


 絶叫が聞こえ、一人が長脇差を振り翳してきた。

 刃の光が迫る。それを無銘で払った。耳をつんざく金属音。破落戸が背を向けてよろける。好機。そう思ったが、横から斬撃が来た。鼻先で躱す。更なる追撃も後方に跳んで避けた。

 驚いた。距離を取った小弥太は、そう思った。ただの破落戸と侮っていたが、妙に動きが連携している。それだけ罪を重ねたという事か。


「逃げるだけかよ」


 賊が笑う。余裕の表情だ。


(斬らねば)


 民の為だ。武士は百姓が汗水垂らして育てた米を食べている。つまり、食わしてもらっているのだ。それはいざという時に働く為で、このような凶賊を放置していては、百姓に顔向け出来ない。

 そう思うと、力が湧いてきた。

 二人がまた前に出た。小弥太は、円を描くように足を運び、その一撃一撃を見切った。


(遅い)


 そして、よく見える。見えるだけではない。次の攻撃が読めてしまうのだ。日向峠では夢中だった。無我夢中で刀を奮うだけだった。だが、今は落ち着いて切っ先の行方を追う事が出来る。

 不思議だった。全て、手に取るように判る。次にどう来るかまでも。

 背後から氣。振り向くと、一人が突っ込んできた。読んでいた通りである。その突進は、身を翻して避けた。


(何を恐れる必要があるのか)


 相手は弱いのだ。哀れで惨めなほど。

 小弥太は、五歩の距離を取って二人と正対した。一度大きく息を吐き、無銘を下段に構える。小弥太が得意とする構えだ。

 肌に粟が立ったのは、何だったのだろうか? 感じすぎたのか? 或いは、気負いの余り敏感になり過ぎていたのか?


(まぁ、どちらでもいい)


 斬るだけだ。

 背後で悲鳴が挙がる。父が仕留めたのだろう。早く斬らねば。手を拱いていては、叱られる羽目になる。


「餓鬼が」


 息を切らした破落戸が向かって来た。小弥太も踏み出す。すれ違い様に、下段から左脚を薙いだ。破落戸の身体が崩れる。返す刀で、長脇差を持っていた右手を刎ねた。


「待て」

「嫌です」


 と、小弥太は無銘を八双から振り下ろし、頭蓋を両断した。

 もう一人。その顔が怯えていた。恐怖の色だ。自分もこんな顔をしていたと思うと、唾棄したくなる。


「許してくれ」


 震えた、情けない声だ。構えもしない。まるで、雀のような鳴き声だ。


「やめてくれ」


 何を今更。小弥太は、鼻を鳴らした。


「……」

「こんちく」


 最後まで言わせなかった。無銘を袈裟から一閃させる。小弥太は返り血を避けるように、後方に飛び退いた。

 男の身体は暫く佇立していたが、風が吹くと二つに割れて倒れた。

 勝った。が、やはり手が震えていた。怖くない。そう思っても、身体は正直なものだ。

 清記が歩み寄って来た。父の相手をした三人は、既に屍と化している。


「よくやった」


 人を殺して褒められた。おかしな話だが、今の小弥太にはそれが素直に嬉しい。

 刀身の血脂は小川の清流で流した後、なめした鹿革で拭き取った。二人も斬ると脂が巻いて、照りが強くなるのだ。小弥太の刀は無銘のもので、消耗品として使っている。


「首を打て。岩寂に届ける」


 清記の言葉に、小弥太は力強く頷いた。

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