表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼の裔~念真流血風譚~  作者: 筑前助広
第五章 寂滅の秋(とき)
107/146

第十五回 死病(後編)

 久し振りに、釣りへ出ていた。

 弥陀山の麓。柏の森を流れる、いつもの渓流である。

 夏も終わりを迎え、幾分か涼しくなっていた。

 今回も釣法は友釣りである。先日、山人やまうどの集落を訪れた際、牟呂四に友釣りの要領コツを教わったのだ。そのおかげか、短い時間で清記の魚籠は、すっしりとした重さを感じられるようになっていた。

 三日前、添田に呼び出された。そこで、帯刀が決別するかのように席を立ち、そのまま所領の若宮庄へ帰っていた。執政府にも目立った動きもなく添田が差配し、渦中の兵部は所領に引っ込んだままだ。家中にも城下にも、兵部の家督相続についての話は漏れていない。


(今は平穏なのだが……)


 この静けさが、不気味だった。水面下では、色々と起きているのだろう。そろそろ雷蔵を呼び戻すべきかとも思ったが、こうした政争には関わらせたくないという思いもある。

 ここ数日、清記は塞いだように考え込んでいた。それ故の、釣りである。勧めたのは、三郎助だった。


「非番ですから、釣りでもどうです?」


 と、言ったのだ。そこは流石執事という所か。よく主人の心情を観察していると、感心したものだった。

 釣り糸を見つめ、暫く秋を感じさせる新涼の山風に身を任せた。


「此処にいたのか」


 振り向くと、牟呂四が立っていた。背には何やら荷物を背負っている。


「買い出しだったのか?」

「まぁね。米や野菜は、山じゃ採れねぇもんだからな。そのついでにお前さんの屋敷へ行くと、執事に釣りだと言われた。出直そうと思ったが、柏の森なら、集落ムレへの帰り道だしな」

「そうか。私に何か用か?」


 魚信アタリを感じた清記は、そう言いながらも竿を立た。綺麗な鮎だった。


「釣れているようだな」

「お前のおかげだ」


 清記は魚籠に鮎を放り込み、また竿を投げ入れた。生き餌はまだ十分に元気がある。


山人やまうどというのは、耳目がさとい」

「……」

「今、夜須には不穏な空気が流れているそうだな」

「さて、どうかな」

「他の山人に聞いたが、大量の獣皮の注文があったそうだ。それを依頼した商人というのが、犬山家の御用達だそうでなぁ」


 犬山。その名が牟呂四の口から出て、清記は竿を置いた。


「どうやら、犬山が原因のようだな。その商人が、こうも言ったそうだ。刀剣、弓、甲冑の類も集めていると」

「口が軽い商人だ」

「清記。そりゃ里人が、俺達を人間と思ってないからだぜ。だから口が軽くなるのよ」

「すまぬ」

「なぁに、お前が謝る筋じゃねぇよ。兎に角、この話は伝えた方がいいと思っただけさ」


 そう言って牟呂四は、微笑みを向けた。


「悪いな。だが、もう犬山には関わるな」

「判っているさ。山人は鼻も利くんでね」


 屋敷に戻り、魚籠を下男に預けた。中々の大量である。その釣果に、下男も驚いていた。


「屋敷の者だけでは食べきれん。養生所にも持って行ってくれないか。若幽は鮎が好きでな」


 下男は頷き、嬉々として駆けていった。今夜は鮎が食えるとも思ったのだろう。

 その夜は、鮎を突っつきながら、銚子をちびちびと傾けた。

 酒は強い方ではない。量より、少しずつ嗜む性質タチである。それでも、床に就く時は心地よい酔いを覚える。

 が、ここ最近は幾ら飲んでも酔う事はなかった。悩みが、酔わせないのである。

 どんなに考えても、答えが出るものでもないとは判っている。幕府の決定なのだ。どのような政治工作をした所で、それが覆る事はあり得ない。


(やはり、斬るしかないのか……)


 幕府の命令である以上、剣でしか利景の血統に戻す事は出来ない。だとすれば、それは帯刀ではなく自分の働き所ではないのか。

 それに、遺命がある。利景に託された、兵部暗殺の遺命が。それが、何よりも大きかった。もはや、斬るか斬らぬかではなく、いつ斬るかである。

 帯刀がどのような行動に出るか判らないが、清記の腹は決まった。いや、決まっていたのだ。

 だが、当然兵部も暗殺への備えはしているだろう。牟呂四が言った、武具の買い込み。そして兵部が独力で組織した、銃兵隊と逸死隊。全ては夜須藩の為だと説明していたが、此処に至っては、兵部の為というのが明らかになった。

 銃兵隊と逸死隊。これは、脅威である。馬鹿正直に相手をしたのでは、命が幾つあっても足りるものではない。だからとて、諦めるつもりもないが。


(何があろうと、利景様の最後の命令を果たすのみ)


 清記は、傍に置いていた扶桑正宗を手に取った。

 長く付き合ってきた、相棒。この刀で、数多くの命を奪ってきた。親しい者でさえも。全ては栄生家に命じられ、栄生家を助ける為だった。その最後に、栄生一門の血を吸う。なんと皮肉な事か。


(どうせ、長くない命だ)


 腹で飼っている獣は、次第と暴れる間隔が短くなってきている。食欲も、以前に比べて落ちているように思える。

 死にゆく命ならば、利景へ最後のご奉公をするのみ。それは決めているが、雷蔵や家人をどうするか。それが悩みの種だ。

 雷蔵を共にする気はない。だが、〔大逆人の子〕と後ろ指を刺されるであろうし、共に罪を負う事も考えられる。家人達も、次の雇い先を見付けるのは難しい。


(雷蔵は夜須から逃す。家人には銭を分け与えよう)


 それしかない。甚だ身勝手な事だが、平山家が犬山の世で生きる事など受け入れられない。

 その時だった。臓腑から突き上げる強い衝撃を覚えた。

 腹を抑え、思わず前屈みになった。身体が震える。そして、悪寒。それなのに、汗が滲み出ていく。

 第二波が来た。何かが、突き上げられる。気持ち悪さ。それを覚えた時には、畳の上に深紅の花が咲いた。身体が倒れていく。それに抗う事が出来ない。

 障子が荒々しく開けられた。声。三郎助が何か叫んでいる。


「騒ぐな」


 そう呟いたが、意識は薄れていった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 目が覚めた時には、清記は床の中にいた。

 自分の部屋だ。身体を起こすと、すぐに抱き留められた。三郎助だった。


「ご無理をなされずに」


 若干の倦怠感はあるが、気分は悪くなかった。腹の獣も暴れ疲れたのか、すっかり静まっている。


「喉が渇いた」


 そう言うと、三郎助が下女を呼び水を用意させた。清記の顔を見てか、安堵の表情を浮かべる。

 冷まし湯が用意され、少しずつ口に流し込んだ。


「何日寝ていた?」

「二日と半日でございます」


 外は雨が降っていた。それで蒸しているのであろう。


「それほどか。その間、変わりはないか?」

「ええ。家中は私が、代官所は磯田殿がまとめておりますから」

「藩庁はどうだ?」

「藩庁ですか? 特に、何も聞いておりませぬが」

「そうか」

「それよりもです、殿。何故、病だという事をお隠しになられていたのですか」

「喚くな」

「喚きますとも。私は平山家執事でございますぞ。早く言ってくだされば、このような事にならぬものを」

「死病だ。言っても言わなくても同じ事」


 そう言うと、三郎助が悲壮な顔で首を振った。聞きたくない。そう言わんがばかりにである。


「何を弱気な。若幽を呼びます。治療をしっかりと受けてもらいますぞ」


 部屋を飛び出した三郎助が、若幽を引き連れて戻ってきた。

 診察はすぐに始まった。若幽は漢方だけでなく、長崎で西洋医学も治めた蘭方医である。御典医に登用されるほどの腕前だが、民衆の医者でありたいという希望から、平山家に雇われている。

 見慣れない器具を使っての診察は、半刻ほど続いた。


「死病であろう、若幽」


 そう訊くと、若幽は目を瞑り、暫くして頷いた。


「やはりな」

「楢塚、貴様という奴は」

「三郎助、控えよ」


 声を荒げた三郎助を、清記は止めた。


「若幽は、自分の職分を果たしたまでだ。……それで、若幽。私はあとどれほど生きられるのだろうか?」

「私は、幾人か同じ症状の患者を見てまいりました。その経験から言うと、養生して一年。早くて半年」

「そうか……」


 決意が、より固まった。あと半年。その間の内に、必ず兵部の首を獲る。その為の算段も、今日より始める。


「雷蔵には言ったのか?」

「ええ。昨日、お見舞いに来られました。また来られるそうですが」

「病気の事は伏せて欲しい。家中にもだ。過労という事にしてくれないか」


 若幽は頷いた。元より、患者の症状についてあれこれ語る医者ではないとは判っている。

 三郎助は今にも泣き出しそうな表情を浮かべたが


「見栄を張りたいのだ、死ぬまで」


 と言うと、何とか納得してくれた。

 その夜は粥を流し込み、ぐっすりと眠った。翌日には、磯田が下役を引き連れて見舞いに現れた。その日の午後には、どこから話を聞きつけたのか、牟呂四から精がつく猪肉と薬草、羽合からは御種人参が届けられた。

 おおやけには過労という事になっている。そう三郎助が届け出たからだ。その三郎助は病名を知った翌日から平然として、いつも通りに振舞っていた。そこに、執事としての年季を感じる。

 また夜には廉平が姿を見せた。廉平にだけは、兵部の一件を伝えている。

 廉平には、藩庁と城下の様子を探らせていた。間違っても、兵部や孫一には近付くなと命じている。報告では、まだ藩庁に動きは無いという。そして、この静けさこそ不気味だとも。


「この際、ゆっくり休んでくだせい。お互い若くねぇんですから」


 清記は苦笑いを浮かべた。廉平には、病気の事を言っていない。

 そうした中で雷蔵が再び現れたのは、目が覚めて七日後の事だった。その頃には床上し、普段通り動けるようになっていた。


「中々来れずに申し訳ありません」


 暫く見ないうちに、雷蔵の顔が精悍なものに変貌していた。これが成長というものだろうか。親の手元に置くより、それは早い。


「顔色もよさそうで。思ったよりお元気そうで何よりです」

「過労だ。私もそう若くないという事だな」

「無理が祟ったのでしょう。深江へのお役目の後は、利景様のご逝去ですから。羽合殿も心配しておられました」


 雷蔵が、口許に微かな笑みを浮かべた。その表情が、実に亡き妻に似ている。


「どうだ、町奉行所は?」

「十手の重みに慣れてきましたよ。ですが、大変なお役目です。下手人を追って市井を駆け巡り、奉行所に戻っては城下まちの政事を司らなければならない。代官所とやる事には変わりないのですが、如何せん広いのです。管轄する範囲も、見るべき人間の種類も」

「だが、鍛えられただろう?」


 雷蔵は、深く頷いた。


「他には?」

「役人も色々いるのですね、父上。賄賂を取る奴、やくざとつるむ奴、律儀に務める奴。その中で、仲良くしていかなければならない。これが一番骨でした」


 雷蔵には、町奉行所の仕事よりも人々の中での事の方が学びがあったようだ。改めて、この機会を与えてくれた羽合には感謝しなくてはならない。


「雷蔵」


 清記は名を呼んだ。雷蔵が顔を向ける。少しずつ、大人の顔立ちになってきている。


「そろそろ、お前に家督を譲ろうと思っている」


 その一言に驚いたのか、流石の雷蔵も涼しい顔を思わず崩した。


「父上。お倒れになったと言え、まだ老け込むには早くありませんか?」

「どうせ、お前が後を継ぐのだ。私は隠居の身でお前を補佐する」

「私など、まだまだ未熟です」

「だから、補佐をするのだ。家中には三郎助、代官所には磯田。それに宇治原や廉平もいるのだ。心配する事もない」


 雷蔵の目が、真っ直ぐに見つめてくる。何かを測っているつもりなのか。わが子ながら、何とも禍々しい。そして、この一年でここまで変わったのかと、驚かされる。


「いずれの話だ。今日明日のような話ではない」

「判りました。ならば、そのつもりで準備をします。しかし」

「なんだ?」

「御別家の家臣にはなりたくないですね」

「おい、その話を誰に聞いた? 羽合か?」


 すると、雷蔵が首を振った。


「若宮様ですよ」

「帯刀様が?」

「ええ。誘われましたよ、二人で斬らんか? と」

「それで、お前は何と答えた?」

「私に人殺しの命を下せるのは、父上だけだと」


 そう言って雷蔵は鼻を鳴らし、冷笑を浮かべた。


「兎に角、私は御別家の家臣など御免です」

「それを言った所で、どうしようもないぞ」

「ええ。ですが、私はいつまでも亡き殿の臣ですよ」


 雷蔵は一礼をして、屋敷を辞去した。今も大きな事件を追って忙しいらしい。その合間を縫っての見舞いだった。

 清記は、誰もいなくなった部屋で横になった。床上したとは言え、まだ本調子とは言い難い。


(あの子は、私を許しておらぬな)


 雷蔵の視線が、脳裏に浮かんだ。

 眞鶴を斬れと命じた事。それが、父子の間に大きな溝を生んだ。

 元より、その件について許しを乞うつもりもない。それに、冷酷な判断をした事に後悔はしていないのだ。ああしなければ、雷蔵は勤王派に通じた疑いを持たれ、藩庁から追求の手が伸びる所だったのだ。

 雷蔵を守る為。そう言ってしまうのは、親の独善だろうか。


(雷蔵には、何も言うまい)


 今回こそは、全て一人で決する。そして雷蔵には、新たな人生を歩んで欲しい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ