絵のモデル
数学の授業中、咲季は黒板ではなく担任の雪村を見つめていた。髪型や骨格、表情。彼のあらゆる情報を得るように、真剣な眼差しを向ける。
雪村に文化祭で展示する絵のモデルになってもらう予定なのだが、どういう時の彼を描くか、あれこれ考える。
(やっぱり、描くなら笑った顔を描きたいなぁ)
心の中でぽつりと呟き、ノートの隅に描いた雪村を見る。数式の解説をしている顔は、喜怒哀楽のない普通の表情だ。授業をしているのだから仕方がないことだが、物足りなさがある。
(先生っていつも眠そうな目をしてるけど、ちゃんと寝てるのかな)
そんなことを思いながら、髪の色を塗ったり細かいところを描き足していく。
すると、隣に座る稜秩が手元を覗き込んできた。
「何描いてんだ?」
「雪村先生を描いてるの」
互いに控えめの声で言葉を交わす。しかし、咲季の表情は笑みで溢れていた。
「先生を?」
「うん。文化祭で先生の絵を出したいと思ってるから、描く練習してたの」
「へぇ──」
「采之宮、城神。席が隣同士で嬉しいのは分かるが、それは休み時間にしてくれー」
「……はーい……」
雪村に注意された二人は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる。その際、稜秩が口パクで「悪い」と言ってきたが、咲季は気にしないでと首を横に振った。
休み時間になると、天夏が近くにやって来た。咲季は座っている椅子の半分を空け、そこへ彼女を座らせる。
「授業中に先生に注意されるなんて珍しいわね」
「ちょっとびっくりしちゃった」
「まあ、あれは稜秩から話しかけてたからなぁ。授業中でも話したくなったんだってぇっ!」
稜秩に横っ腹を摘まれた瀬輝が、突飛な声を上げて悶える。そんな彼を少し心配そうに見る咲季だが、稜秩に構ってほしくてわざとああいう言動を取っているのだろうかとも思った。
「咲季が絵を描いてたから気になって声かけただけだ」
「へぇ、何描いてたの?」
「雪村先生。文化祭に出す絵のモデルにと思って練習してたの」
天夏に問われ、咲季は机の中にしまった数学のノートを取り出し、そのページを見せる。
「そっくりね」
「でしょ? でもこういうのじゃなくて、笑った先生描きたいなって思ってて」
「それなら先生に頼んでちゃんと描かせてもらったら?」
「うん、そうする」
天夏からの助言もあり、昼休みに頼みに行こうと考えた。
昼休み、早々に昼食を食べた咲季は職員室へ向かった。
「失礼します」
入室し、雪村の姿を探す。
雪村は、窓際の自席で作業をしていた。昼食は既に済ませている様子。
それを確認した咲季は雪村のもとへ行く。
「先生、今お時間いいですか?」
「どうした?」
手を止め、体ごとこちらを向く雪村に単刀直入に伝える。
「文化祭で展示する絵のモデルになってください」
「モデル?」
いつもの眠そうな目が大きく開いた。今までこんなに驚いた顔を見たことがなかったせいか、咲季は「先生の目ってちゃんと開くんだ」と失礼を承知で思った。
「はい。あ、でも、普段の先生を描きたいので、ポーズをとってじっとしててくださいとかはないです」
「モデルになるのは構わないよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
晴れやかな笑顔を見せた咲季は深く頭を下げる。
すると、雪村は何かに気付いたように「ああ」と声を漏らした。
「もしかして、授業中に話してたのはその関係か?」
「あ、そうです。すみませんでした……」
明るい顔から一転、弱々しく笑う。
その様子が可笑しかったのか、雪村がふっと笑いを溢した。
「まあ、大目に見るがな。というか、何で俺なんだ? モデルになる人は他にもいるだろう」
「先生にはたくさんお世話になっているので、何かしたいなと思って」
「ほー」
相槌を打つ雪村が視線を外した。窓の外に目を向ける表情は、どこか恥ずかしげ。
その横顔を見つめる咲季は「この表情もいいなー」と感じていた。
しかし、雪村が正面を向いたことで観察は終わった。微笑む顔と目が合う。
「楽しみにしてるぞ」
「はい!」
再び満面の笑みを見せる咲季は元気に返事をし、職員室を出た。
今日だけで色々収穫があった。しかし、まだ納得できる表情は見つかっていない。この後もたくさん観察をして、先生に喜んでもらえる作品を作ろう。
その想いを胸に、教室へ続く階段を駆け上がった。




