お話ししませんか?
放課後。
部活動中の咲季は、中庭のベンチに座って花壇の花を観察しながら絵を描いていた。
今、スケッチブックに描いているのはカモミール。柔らかい風にゆらゆらと揺れる花たちは、気持ちよさそうだった。
ふと周りに目を向けると、渡り廊下を渡っている人が視界に入った。父のファンである志保だ。
咲季の表情がパッと明るくなる。
「七蔵さん、こんにちは!」
「こっ、こんにちは……!?」
突然声をかけてしまったせいか、志保が肩に掛けていたスクールバッグを落としそうになっていた。
慌てて掛け直す様子を目にした咲季は、いきなりだったよねと反省する。
「ごめんなさい、驚かせちゃったみたいで……」
「ああ、いえ、全然……! ただ、名前を覚えてもらえてたっていう驚きで……!」
両手をわたわたと動かす彼女を少しでも落ち着かせようと、静かに問いかける。
「今、部活中ですか?」
「いえ、今日は部活ないので帰ろうかと……」
「じゃあもし良かったら、少しお話ししませんか?」
「え、いいんですか……?」
目を見開く志保に対し、咲季は笑顔で頷く。
「せっかくお父さんのファンの人に出会えたのに、あまり話さないままっていうのも寂しいので」
そう伝えて答えを待つ。
志保は視線を彷徨わせた後、ゆっくりと近づいてきた。
「で、では、お言葉に甘えて……」
躊躇いながらも隣に座ってくれたことに、咲季は満面の笑みを浮かべてスケッチブックを片付ける。その時、ふと感じた。
(何か、あたしも敬語使ってたら変に距離感感じちゃうなぁ。でも、いきなりタメ口で話したら嫌がられるよね)
「采之宮さん、どうかしましたか……?」
「えっと、敬語だと何だか距離を感じるのでタメ口で話してもいいのかなーって考えてて」
「全然気にしなくていいですよ! タメ口で大丈夫です!」
「それなら七蔵さんも──」
「いえ! 恐れ多いので、私はこのままで……!」
志保は顔の前で両手をブンブンと振った。
少し寂しさを感じながらも無理強いするのはよくないと、咲季は納得する。
そして本題に入った。
「七蔵さんは、いつからあたしのお父さんのファンなの?」
「小学三年生の時からです。偶然テレビで弥生の漫才を観て、一瞬で好きになったんです」
「一目惚れ、みたいな感じ?」
「そうですね。恋とは違いますが、そんな感じです」
志保は恥ずかしげに頬をほんのりと赤く染め、少しずれたメガネを掛け直した。
一つしか年齢が変わらない同性の〝父のファン〟が見せる反応を間近で知る咲季は、新鮮な気持ちを抱く。もっと色々聴きたいと思えた。
「どんなところが好き?」
「お笑いに対してすごく真剣なところとか、男気あるところとか、運動神経はいいけどダンスが苦手なところも好きです! あと、お顔も。それから──」
熱く語っている彼女の話に耳を傾けていると、嬉しさが込み上げてくる。そして、こんなにも愛されているのだと、驚きもあった。ぜひ父にも聞いてほしいとさえ思う。
「だから、去年の文化祭はすごく嬉しかったです! まさか学校で弥生の漫才が観られるなんて思ってもみなかったし、最高でした!」
「あたしもびっくりだったよ。七蔵さんはどの辺りで観てたの?」
「センターマイクの真前です! 偶然そこが空いていたので」
「えっ、運良いね」
「そうなんです! こんな機会滅多にないので、見つけた瞬間すぐに座りました」
明るく話す志保の顔は、生き生きとしていた。これを父に見せたらどれほど喜ぶだろうかと、咲季は想像する。
(きっと、飛び上がるくらい喜ぶんだろうなぁ。勢い余って握手しだしたり。あり得る)
「そういえば、その文化祭の日に同じ弥生のファンの方とお話したんですよ。結成二十周年記念のTシャツを着てた男性なんですけど」
その特徴を聞いた咲季の脳裏に、八保喜の顔が浮かぶ。同じような話を、彼からも聞いていた。
「それ、いっちー……城神くんの家のお手伝いさんだよ」
「そうなんですか!?」
志保の目は今にも落ちてしまいそうなほど、大きく見開かれた。
当然とも言えるリアクションを見る咲季は頷く。そうしながら、稜秩のことを「城神くん」と呼ぶのは慣れないなと感じていた。しかし、志保に「いっちー」と言っても伝わらない気がして、思わず言い直したのだ。
すると、志保が改まった様子を見せる。
「あ、あの、ちょっと質問してもいいですか?」
「うん。いいよ」
「お父さんが芸人さんだと、周りの子から『ギャグやれ』とか言われなかったですか?」
問われた咲季は小さく「あぁー」と声を漏らし、空を仰ぐ。
「小学二年生の頃に男子に一回だけ言われたことがあるよ。でも『あれはお父さんのだからやらないよ』って断ったら、やれやれコールがすごくてさ。その時、いっ──……城神くんが止めてくれて、それ以降誰も何も言わなくなったんだ」
「城神さん、カッコいいですね」
「うん。カッコよかったし、嬉しかった」
当時を思い返す顔は曇りのない笑みだった。
職種は違えど同じ芸能人の子供であるが故に気持ちを分かってくれる稜秩は、真剣な様子で止めに入ってくれた。盾となって守ってくれた背中は、鮮明に記憶に残っている。
懐かしさに浸っていると、咲季にある考えが浮かんだ。
「あ、そうだ! 連絡先交換しない?」
「連絡先ですか!?」
「うん! せっかくだから、また色々お話したいなって思って。どうかな?」
「ぜ、ぜひ! よろしくお願いします!」
提案を受け入れてくれた志保は、嬉しそうに目を輝かせる。
その表情は、咲季にとって嬉しいものだった。
二人は携帯電話を取り出して連絡先を交換する。
その直後、志保の携帯電話に母親からメールが届いた。買い物ついでに迎えに行くという内容だ。
それを読んだ志保が少し申し訳なさそうにする。
「あの、今、お母さんから迎えに行くって連絡が来たので、そろそろ……」
「そっかぁ。じゃあまた今度だね。今日はありがとう」
「いえ、こちらこそ! お話しできて嬉しかったです! ありがとうございました! それでは、失礼します」
「バイバイ」
深々と頭を下げてから走り去っていく志保に手を振り、姿が見えなくなると、咲季は携帯電話に視線を落とした。
画面に表示された彼女の連絡先を、微笑みながら見つめる。
(いつか、お互いにタメ口で話せる時がきたらいいなぁ)
淡い期待を胸に、咲季は再びスケッチブックを手にした。




