これをきっかけに
ショッピングモールの二階にある雑貨屋の近くに設置されたベンチに腰掛ける連朱は、項垂れていた。顔色は青く、気分が悪そうなのは一目瞭然。
そんな状態でも、品物が入っているショッピング袋を両腕で大事そうに抱えている。
「ほい」
頭上から聞こえた声に顔を上げる。稜秩がペットボトルに入った温かいお茶を差し出していた。それを力なく受け取る。
「ありがと……」
蓋を開けてお茶を飲む。温かさが喉を伝った。
「気分はどうだ?」
いつの間にか隣に座っていた稜秩が心配そうにしている。連朱は笑顔を見せることなく答えた。
「まだダメ……」
「そうか。まあ時間あるし、ゆっくり休め」
「うん……」
小さく頷き、静かに息を吐く。
連朱がこうなっていたのは、ショッピングモール内のポスターやいくつかの店舗がバレンタインデー仕様になっているからだ。
入店して数分間はそれらを視界に入れなければ特に問題はなかったが、意識をすればするほどチョコレートが頭をよぎった。また、現物のチョコレートやそれを使ったお菓子を見かけることも多々あり、次第に気分が悪くなってしまったのだ。
(何で他のお店までそういうの売ってるんだよ……食品売り場とその周辺だけでいいじゃん……)
「けど、いいプレゼントが見つかってよかったな」
心で本音を漏らす連朱は稜秩の言葉でここに来た目的を思い出し、ほんの少しだけ表情を緩める。
「うん」
小さく頷いた後、腕の中にある袋に視線を落とす。
中には、スポーツタオルやTシャツなどが入っている。それらは全て神昌へのバレンタインプレゼントだ。
事前に何を買うか決めていたものの、実際に店に赴いて品物を選んでいるだけでドキドキした。使ってもらえたらいいな、好みに合えばいいなと、吐き気に襲われながら色々な想いが巡っていた。
しかし。
「喜んで、もらえるかな……」
連朱は静かに不安を漏らす。プレゼントしたいと思ったものを選んだが、やはり好みに合わなかったらどうしようかと考えてしまう。
「喜んでくれるって」
隣から優しい声が聞こえてきた。その一言と静かに微笑む稜秩の表情が、安心感をくれる。
「うん。ありがとう」
連朱は先ほどよりも明るい笑顔を見せた。
すると、稜秩が不思議そうに問うてきた。
「でも、何でバレンタインなんだ? 誕生日とかクリスマスとか、贈るタイミングはあっただろ」
「そうなんだけど、今までは勇気が出なくてさ……でも、他のファンの人たちが神昌さんにプレゼントを贈ってるのをSNSで見かけたら、俺も送りたくなって。バレンタインにしたのは、これをきっかけに少しでもバレンタインへの苦手意識がなくなったらいいなって思ってさ」
「なるほどな」
「去年は結局、いつも通り憂鬱だったし……」
連朱は弱々しく笑う。二月十四日を少しだけ楽しく迎えられるかもしれない、という予感のようなものは一体何だったのかと思ってしまう。
だが、「まあ、いいか」と稜秩が買ったものに話題を移す。
「そういえば、稜秩は咲季に渡すものを買ったんだっけ」
「ああ。今年は俺の番だからな」
稜秩と咲季は、毎年交互にバレンタインデーに贈り物をしている。去年は咲季から手袋をもらっていた。
今年、稜秩がプレゼントするものは何か気になり、訊いてみる。
「何買ったの?」
「テンポドロップっていうやつ。ガラスの中に入った結晶が天気によって変わるインテリア」
「へぇ。そういうのって、咲季が好きそうだね」
「だろ? 常に観察してそうな気がする」
稜秩は優しく笑っていた。咲季の話をする時はいつもこの表情をしている。それを見るたび、連朱は幸せに似た感情を抱く。
それに浸っていると、急にトイレに行きたくなった。
そっと立ち上がる。
「俺、ちょっとトイレに行ってくるから、荷物見といて」
「おう」
トイレへ向かった連朱は用を足し、手を洗う。その際、吐き気がないことに気付いた。ほっとして微笑む。
(稜秩と色々話したおかげかな)
手の水気を拭いたハンカチをズボンのポケットに入れ、トイレから出る。
ベンチに座る稜秩が、誰かと話しているのが見えた。
(誰だろう。稜秩の知り合いかな)
近づきながらその人を見つめ、驚きで足が止まる。
(えっ!? かっ、神昌さんっ!?)
思いもよらぬ出来事に、連朱は咄嗟に物陰に隠れた。
(何でここに!? 買い物か! 芸能人だって出歩いて買い物するもんな!)
頭の中はパニック状態。そのせいか、通り過ぎていく人たちから変な視線を向けられていることにさえ気が付かない。
(というか、トイレ行ったの大きい方って思われたくないから早く戻らなきゃ……! でも戻れない……いやでも……)
葛藤していると、これまでに神昌と会った時のことを不意に思い出す。いつも、神昌の方から挨拶をしていた。
(……俺から挨拶するチャンスのような気がする……)
そうして連朱は何度か深呼吸を繰り返し、意を決して二人のもとへ歩み寄る。
「こ、こんにちは……!」
声を掛けると、稜秩と神昌の視線が同時にこちらを向いた。
「こんにちは!」
神昌の明るい笑顔に連朱の胸がときめく。
「そっか、友達って連朱くんのことだったんだね」
「そうです」
(名前……覚えられてる……!!)
あまりの嬉しさに体が震えた。さらに、恥ずかしさで体中が熱くなる。
連朱は無意識に喋り出した。
「今日、神昌さんへのプレゼントを買ったのでバレンタインデーに届くように、事務所に贈ります……!」
「えっ、本当!? 嬉しい! 楽しみにしてるよ!」
神昌の満面の笑みを見ると、顔を赤く染めた連朱は小さく「はい……」と言うしか出来なかった。
こうして話が出来たのも束の間。神昌はこの後用事があるようで「じゃあね」と手を振って去っていった。
手を振り返しながら見送る連朱は放心状態。
神昌の姿が見えなくなると、力が抜けたようにベンチに座る。
「……大丈夫か?」
「……うん。びっくりしたけど……」
「だろうな」
「あれは偶然なの……?」
「本当に偶然。神昌さんもすげー驚いてた。ていうか、連朱が自分からプレゼントを事務所に送りますって言うとは思わなかったな」
「いや、何か、口が勝手に……」
連朱は、にやける口元を両手で隠すように覆う。それを稜秩に見られたが、稜秩は「ふーん」と言って笑みを浮かべているだけ。
そこに触れてこない有り難さを感じながら、神昌に会えた喜びにしばらく浸った。
後日、連朱はプレゼントを段ボールに詰め、郵便局へ持ち込んだ。局員とやり取りをしている間も「無事に届きますように」と何度も念じる。
それは、郵便局を出た後も続いた。
そしてバレンタインデー当日。
二時間目の授業が終わるや否や、連朱は携帯電話でプレゼントの配達状況を確認する。
画面には「配達完了」の文字があった。
(ちゃんと届いた……!!)
一瞬の驚きの後、安堵がやってきた。ぎゅっと両手で携帯電話を握りしめる。
その時、クラスメイトの女子生徒二人が近づいてきた。
「湊琉くん、これあげる」
同時に差し出されたのは、可愛らしくラッピングされたプレーンのカップケーキとマドレーヌ。
「あ、ありがとう」
笑顔で受け取ると、女子生徒たちは喜びながらその場を離れていった。
連朱は手元のお菓子に視線を向ける。もらって嬉しいのはいつもと変わらないのだが、自分と同じような気持ちでお菓子を作ったのだろうかと想像すると、嬉しさがより大きくなった。
そして、ほんの少しだけ、バレンタインへの苦手意識が薄れた気がした。
(……さて、どこにしまおうか……)
机の横のフックに掛けたスクールバックや紙袋に目を向ける。それらは既にもらったお菓子で満杯となっており、連朱は頭を悩ませた。




