描きたい
放課後の静かな図書室には、図書委員を含めて何人かの生徒がいた。その中に咲季と稜秩の姿もある。今日は互いに部活動が休みのため、ここで過ごしている。
咲季は、隣の席で本を読む稜秩の横顔を、スケッチブックに描いていた。周りの迷惑にならないように、控えめに。
読書をする彼を見ては、その様をスケッチブックに描く。
それを繰り返していると、本を見ているはずの青い瞳と目が合った。
「あ、ごめん。集中出来ない……?」
「いや、もう慣れてるから平気。どんな感じかなーって思って」
互いに小声で話していると、稜秩が楽しげな表情でスケッチブックを覗き込んできた。その瞳が柔らかく笑う。
「いいじゃん」
「でしょ」
期待していた言葉に咲季はにこにこする。
「咲季って昔から俺のことスケッチするの好きだよな」
「うん。何かこう、描きたいなって思うことが多いんだよね」
「そんなに?」
「そうだよ。それに、いっちーって学校にいる時と家にいる時とじゃ表情がちょっと違うんだよね」
「え、どんな感じで?」
問うてきた稜秩は不思議そうだった。
それを見つめながら咲季が説明する。
「学校だとキリッとしてて、家だと柔らかいっていう感じ。だから本を読んでる時の表情も家と学校では違うし。その違いを描くのも好きなんだ」
「そ、そうか」
思っていることを伝えると、稜秩はどこかぎこちない相槌を打って本に視線を戻した。
それについてさほど気にしていない咲季は、スケッチを再開するために鉛筆を手にし、再度稜秩を見た。目を離した間に起きた変化に目を見開く。
白い肌に赤みが差していた。
(何でいっちーの顔、赤いんだろう……暑いのかな)
咲季はじっと稜秩を見つめる。
すると、また二人の目が合った。
「……何だよ」
「いっちーの顔赤いなって思って。暑いの?」
「……いや」
「……いつの間にかチーク入れた?」
「んなわけないだろ」
素早いツッコミに咲季は「まあ、そうだよね」と小さく笑う。しかし、疑問は深まるばかり。
それを消すように稜秩が続ける。
「そういうふうに思いながらスケッチしてるって分かったら、変に意識するんだよ」
「あ、そういうことか」
咲季はようやく理解でき、頷いた。そして考える。読書をしている稜秩をスケッチしたいが、こちらを意識してしまうことで読書に集中できなくなるのは避けたい。
(絵はある程度描けてるし、あとは家で仕上げればいいかな)
思いながら静かにスケッチ道具を片付ける。
「描かないのか?」
「うん。いっちーの読書の邪魔したくないからさ。それに、描くなら自然体の方がいいし」
そう言って咲季は席を立ち、沢山の本が並んでいる棚へ歩み寄る。
(せっかく図書室に来たんだし、何か読もう)
ゆっくりと歩きながら本の背表紙を見ていく。小説や歴史関係など、様々な本がある。
(どれにしようかな)
いくつかの本棚を見ていると、気になる小説を見つけた。
『私はあなた』
淡いオレンジ色の本を棚から取り出し、開いてあらすじを読んでみる。二人の少女がひょんなことから中身が入れ替わり、元に戻るために試行錯誤を重ねていくというストーリーだった。
(これにしよう)
面白さを感じた咲季は満足げに笑い、席に戻ろうとする。
本棚が立ち並ぶ場所から稜秩の後ろ姿が見えると、足を止めた。斜め後ろから僅かに見える稜秩の顔は、本に向いている。ただそれだけなのに、稜秩だけが違う世界のように見えた。
不意に、ここから見えるその姿を描きたいという気持ちが顔を出す。
(……そういえば、このアングルのいっちーを描いたことがない気がする。紙とペンが手元にあればなぁ……でも今は描けないから、あとで描こう)
咲季は上着のポケットに手を入れ、携帯電話を取り出そうとした。
(あ、でもこれ盗撮になっちゃうし、図書室でシャッター音はダメだよね……)
ポケットから何も持たない手を出し、どうしようかと悩む。その末、しっかり記憶に留めておこうと、稜秩を穴が開くほど見る。
すると突然、稜秩が振り向いた。咲季の心臓が飛び跳ねる。
「……」
少しの間見つめ合っていると、稜秩が手招きをしてきた。それに従って席に戻る。
「あそこで何してたんだ?」
「本を持って席に戻ろうとしたらいっちーの後ろ姿が見えて、それを描きたいなって思ったけど今は描けないから記憶に残しておこうと思ってじっと見てたの」
「そうか」
驚きつつも笑う稜秩の表情は優しかった。咲季はそれも描きたいと思ってしまう。
(今日はいっちーのこと沢山描きたくなる日だなぁ)
湧き上がってくる気持ちを感じながら、持ってきた本を開く。
「あとでならいくらでも描いていいから」
隣から聞こえた小さな声に勢いよく顔を上げ、稜秩を見る。
「本当……?」
「ああ」
「やった!」
咲季は瞬時に笑みを零した。思わず鼻歌を歌ってしまいそうになる。その喜びを落ち着かせるために静かに深呼吸をし、稜秩とともに読書を始めた。




