家事を通して知る
自宅のキッチンに立つ瀬輝は、コンロの火にかけていた土鍋の蓋を開けた。白い湯気とともに、お湯に浸った米が姿を現す。
「おっ、いい感じに出来てんじゃん」
満足そうに呟きながらコンロの火を止め、出来上がったお粥に塩をふたつまみほど加えてさらに混ぜ合わせる。
味見をするため、スプーンに一口分を掬い上げる。息を吹きかけて熱を冷まし、口に運んだ。ほどよく効いた塩味が食欲を刺激する。
「うん。うまい。この前の料理番組観ててよかった〜」
安堵を声にし、お粥に梅干しを添えてから土鍋の蓋を閉める。それを少し大きめのトレイにセットしていた藤の鍋敷きの上に置いた。お粥を小分けするための器と木製のスプーンも用意し、トレイを手にしてキッチンから離れる。
瀬輝が向かったのは母の部屋。
「母ちゃん、お粥持ってきたぞー」
「……あぁ……」
力のない返事を聞いてから部屋のドアを開ける。ベッドで横になっている母の姿が見えた。
中へ入ると、母が枕元のテーブルをゆっくり指差した。
「そこに置いといてくれ……」
「うん。一人で食える?」
「大丈夫だ……」
弱々しい声を耳にしながら指定された場所にトレイを置く。そのテーブルには、市販の風邪薬とペットボトルに入った水やスポーツドリンクもある。
瀬輝は何も言わず用量通りの薬を箱から取り出し、ペットボトルの近くに置いた。
「たまに様子見に来るけど、何かあったら言って」
「あぁ……」
チラチラと母を見ながら部屋を出る。
(あんなに弱ってる母ちゃん見るの初めてだな……というか、母ちゃんが風邪引いたとかインフルエンザにかかったとか、なかった気がする。だから父ちゃんも心配してたのかな)
瀬輝は少し前のことを思い返す。
家族で一番早起きの母がリビングやキッチンにいないことに不思議に感じながら猫たちのご飯を準備していると、オロオロする父がやってきた。
そこで、母が熱を出して寝込んでいることを聞かされた。
服を着替えた父は、一度家を出てコンビニでプリンやスポーツドリンクなどを大量に買ってきた。瀬輝が「え? そんなに必要?」と疑問に思うほど。
そうこうしている間に出勤時間が迫った父は、朝食を食べる間もなく仕事へ向かった。
(父ちゃん冷静じゃなかったもんなぁ……仕事大丈夫かな)
父の心配もしつつリビングに戻ると、足元に愛猫たちがやってきた。
「今日は母ちゃん具合悪いから、あんまり騒ぐなよー」
「ニャー」
理解しているのかしていないのかは分からないが、猫たちが返事をした。
不意に、瀬輝のお腹が鳴る。起きてからまだ何も食べていないのだから当然だった。
とりあえず冷蔵庫を開ける。プリンやゼリー、スポーツドリンクなどがひしめき合っていた。
「納豆でも食うか」
視界に入ったそれを取ろうと手を伸ばしたが、その前にトイレに行こうとキッチンから離れる。
廊下を歩いて脱衣所の前を通り過ぎようとした時、白いランドリーバスケットに入った洗濯物が目に映った。思わず立ち止まる。
「……洗濯、した方がいいのか……?」
瀬輝は「うーん」と唸って少し考え、まずはトイレだと急いで歩き出した。
用を足し終え、洗濯を始める。洗う衣服たちをランドリーバスケットから取り出し、色付きの物と白い物に分けていく。そうしながら洗濯表示も確認する。
家庭科の授業で習ったことがここで活かされ、瀬輝は満足げな顔で色物を洗濯槽に入れた。そこに液体の洗剤を適当に加え、洗濯機の蓋を閉める。
「というか、どれ押せばいいんだ?」
首を傾げて考えるが「まあ、いいや」と洗濯機の電源を入れ、スタートボタンを押す。
「あ、風呂掃除もしなきゃだよな」
洗剤等を収納しているメタルラックから風呂の掃除用具を取って浴室に入る。風呂掃除は何度もやったことがあるのでお手のものだった。
その様子を、浴室の前で猫たちが見ていた。
風呂掃除も終え、猫たちと一緒にリビングに戻る。
「よし、朝飯食うか」
瀬輝は冷蔵庫から納豆を1パック取り出し、茶碗には白飯を盛った。
ご飯の上に納豆を載せ、食べる。
そうしていると、ふと、小さい頃のことを思い出していた。高熱を出して寝込んでいた時、母が付きっきりで看病してくれた。その心配している表情は、強く記憶に刻まれている。
(普段からは想像できない顔だったなぁ)
懐かしさを感じていると、洗濯が終わった合図が聞こえてきた。
使った食器をシンクに置き、脱衣所に行く。洗濯機から洗い立ての衣類を取り出し、空になった洗濯槽に残りの白物を入れた。
そして先ほどと同じ手順で洗濯機を動かし、綺麗になった衣類をリビングに持っていく。
壁沿いに収納していた折り畳み式の物干しを取り出しながら、母はどうやって洗濯物を干していたのか思い出す。
「確かハンガーに服掛けてたっけ。下着類は……これに干してたな」
一緒に収納されていたピンチハンガーを物干しの竿に引っ掛け、洗濯物を一枚一枚干していく。しかし、瀬輝は目についた服やズボンを適当に取ったハンガーに掛け、無造作に竿に吊した。全くと言っていいほど、型崩れや乾きやすさのことは考えていない。
下着や靴下も、こんな感じでいいだろうとピンチに挟んでいった。
「……出来た!」
自分で干した洗濯物たちを見て得意げに笑う。
それでやる気が増した瀬輝はフローリングワイパーを手に取り、リビングの床や廊下の掃除を始める。
その後を五匹の猫たちがついていく。
「みんなも掃除手伝ってくれてるのか?」
「ニャー」
「そっか。ありがとうな」
猫たちと会話する瀬輝は、切りのいいところまで掃除を続けた。
それを終えると、母の様子を見にいった。そっとドアを開け、隙間から中を覗く。ベッドで横になる母はぐっすりと眠っていた。
音を立てないように部屋に入り、テーブルの上に置いた土鍋の蓋を開ける。半分ほど食べた形跡があり、薬も飲んでいた。
(食べてくれてよかった。下げといた方がいいよな)
胸を撫で下ろす瀬輝は土鍋をトレイごと持ち上げ、キッチンへ持っていく。土鍋はコンロの上に置き、母が使った器とスプーンを洗う。
(母ちゃんっていつも一人で色んなことやってるんだな……頼りっぱなしはダメだな)
母のありがたさを感じながら洗い物を終わらせた頃、洗濯が終了した音が脱衣所から聞こえてきた。
「タイミングいいな」
少し嬉しそうに微笑んで脱衣所へ向かう。洗濯槽から衣服やタオル類を取り出し、干す。
その最中、足元にいるアメたちが鳴き出す。
「どうしたー?」
愛猫たちに問いかけ、何となく壁掛け時計を見る。もうすぐ十二時になるところだった。
「えっ、もうそんな時間!? これ干したらご飯準備するから待ってて!」
瀬輝は慌てながら洗濯物を干し、猫たちのご飯の準備に取り掛かる。
五匹にご飯を与えると、自分は何を食べようかと考える。
「……カップラーメンでいっか」
パントリーに置いてあるカップ麺を一つ取り、開封してポットのお湯を入れた。
それを持ってリビングのテーブルに着く。
その時、父からメールが届いた。母の体調を気にかけている内容だった。
《母ちゃんならお粥食べて薬飲んで今寝てるよ。》
父へメールを返信すると、すぐさまメールが来た。
《よかった。今日は早く帰れそうだから、何か買って帰るから。》
瀬輝はまた返信し、出来上がったラーメンを食べた。
食後、膝の上に乗っている黒猫のラックをソファーに座りながら撫でていると、軽い眠気がやってきた。
(やっぱり食べた後は眠くなるなぁ……)
瀬輝は大きくあくびをする。
その時、携帯電話がメールを受信した。しかし、眠気のせいか瀬輝は気付かない。
気付いたのは十分くらい後。今にも閉じてしまいそうな目を擦り、携帯電話を手に取る。また父からだろうかと思ったが、送り主は天夏だった。
メールには《秋凪のランドセル姿、どう?》という文とともに、ランドセルを背負う秋凪の写真が添付されていた。
「そっか、秋凪ちゃんはもう小学生になるのか。かわいいなぁ」
瀬輝は返信メールを打ちながら穏やかな笑みを浮かべる。
メールを送信した後、ゆっくりと瞼が閉じていく。
そして、完全に眠りについた。
目を覚ました涼華は枕元に置いていた携帯電話を手にし、時間を確認する。
「十三時過ぎか……」
掠れた声を発する喉を潤すため、テーブルに置かれたスポーツドリンクを何口か飲んだ。ふぅ、と小さく息を吐く。
まだ少し熱っぽいが、体は今朝よりも軽い。薬が効いているようだった。
ドリンクを元に戻そうと見たテーブルに、土鍋がないことに気付く。
(瀬輝が持っていったのか)
予想しながらゆっくりと起き上がり、部屋を出る。
リビングに入ってすぐ、窓辺に干されている洗濯物に視線が向いた。無茶苦茶な干し方に苦笑いを浮かべる。
(これはちゃんと教えないとダメだな……)
頭を抱えながらも、今日は直さずにそのまま干しておこうと考えた。
猫たちに囲まれながらソファーで寝息を立てる息子を見やる。
「そんなところで寝て、お前も風邪引いても知らないぞ」
呆れた声を出す涼華は寝室から毛布を持ってきて、眠る息子の体にそっとそれを掛けた。
改めて辺りを見回す。洗われた食器、ゴミが落ちていないフローリング、自己流で干された洗濯物。自分が寝ている間に色々やっていたんだなと思うと、胸が温かくなった。
「ありがとうな」
いつもより柔らかい声音で静かに瀬輝の頭を撫でる。
それに気付かない瀬輝は、気持ちよさそうに眠っていた。




