秋凪のランドセル
年が明けて数日。四月から小学校に通う秋凪のもとに、予約していたランドセルが届いた。真っ赤な生地に猫と三日月のシルエットが左右の側面に刺繍されている。そのシルエットは、予約特典で付いてきたキーホルダーにもなっている。
秋凪はそれを嬉しそうに背負い、リビングで過ごす家族に見せていた。
それを見ている両親もにこやか。
兄はというと、携帯電話のカメラで秋凪のランドセル姿を何枚も撮っていた。
「秋凪かわいいよ! こっち見て! そう! いいね! いいよー!」
(この人、鬱陶しいんだけど……)
天夏はみかんを食べながら兄をジト目で見る。
そうしながら、初めてランドセルを背負った時のことを思い出していた。
淡い紫色のランドセルを身に着けると、両親が嬉しそうに笑い、その隣で兄が興奮していたのは今でも覚えている。
「天夏かわいい! すっごくかわいい似合ってるよ!! 登下校の時は、兄ちゃんと手を繋いで行こうな!」
「うん!」
その返事の通り、天夏は毎日兄と手を繋ぎながら登校していた。
(あの頃は私も純粋だったわね)
天夏は苦笑いを小さく浮かべ、秋凪を再び視界に入れる。彼女は笑みを絶やさず、ランドセルを背負っていた。
そこで天夏は、秋凪のランドセル姿の写真を瀬輝に送ろうかと考えた。
(うん。いい考えじゃない)
「あ、充電なくなりそう……! 秋凪、ちょっと待っててね!」
「うん!」
冬也はそう言ってリビングから出て行った。
これは良いタイミングだと思い、天夏は小さな声で秋凪を呼んだ。
「秋凪、撮った写真をあとで瀬輝に送ろうと思うんだけど、どう?」
「うん! 送って!」
秋凪は大きな瞳をキラキラさせて頷くと、窓際に置いている子供用のドレッサーに向かった。鏡に映る自分を見ながら髪を整える。
その様子を見ていた父が急にそわそわしだす。
「瀬輝くんって、天夏の友達だよね……? 秋凪と何の関係が──」
「娘たちの話に割って入らなーい」
その発言を母が被せて止めた。何となく察した父はどんよりとした空気を纏って膝を抱える。
天夏は落ち込む父を見て苦笑いを浮かべた。
(そういえば、哉斗と付き合い始めた頃もお父さんってあんな感じだったわね……)
当時のことを思い出していると、冬也が携帯電話の充電器を持って戻ってきた。
「どうした秋凪。何か気合い入ってるな」
「せっかくお兄ちゃんに撮ってもらうんだから、かわいく映りたいの!」
「そうかぁ。そう言ってもらえると嬉しいなぁ」
冬也は表情をだらしなく緩める。
そんな兄に視線を送りながら、天夏は「瀬輝のためにかわいくしてるのよ」と心の中で漏らした。
身なりを整えて撮影をしてもらっている秋凪は、生き生きとしていた。
それから五分ほどが経ち、秋凪も冬也も満足したところで写真撮影は終了した。
フォルダ内に保存された写真たちを緩んだ顔で眺める兄に、天夏は声を掛ける。
「ねぇ、お兄ちゃん。最高にかわいく撮れた秋凪の写真を何枚か私に送って」
「いいよ。って言っても、どれもかわいいんだよなぁ〜」
冬也は百枚を優に超える中から「最高にかわいい秋凪の写真」をいくつか選ぶ。
選ばれた写真たちは、メールを通じて天夏の携帯電話に送られた。
「本当にかわいい」
写真の中の妹は、ランドセルに施された刺繍が見えるように側面をカメラに向けて振り向きながら笑顔を見せていたり、ピースサインなどのポーズを決めてかわいさをアピールしていた。
天夏はそれらを見て微笑む。
「かわいく撮れてる?」
「ええ、撮れてるわよ」
横から覗き込んでくる秋凪にも写真を見せる。すると、秋凪が嬉しそうに笑った。
「すごいね、お兄ちゃん! ありがとう!」
「これくらい朝飯前だよ!」
小さな妹に褒められ、冬也は得意げな顔をする。
それを横目に、天夏は瀬輝に見せる写真を選んでいた。
(送るのはこれと、これかな。あまり多すぎてもダメだし……)
「あ、この秋凪もかわいいぞ!」
「えっ」
兄の言葉とともに、妹の写真が次々と携帯電話に送られてくる。それは止まることを知らない。
「こっちのもかわいいから天夏にもお裾分け」
「ちょっとお兄ちゃん! こんなに──」
「いいのいいの。遠慮しないで。あ、これもいいなぁ」
「遠慮してないってば……」
天夏は呆れたように小さく漏らした。
指先をひたすら動かす兄に視線を送り続けていると、手にしている携帯電話が徐々に熱を持ち始めていることに気付いた。
「お兄ちゃんストップ!」
「まだまだかわいい写真あるんだぞー」
「それは分かるけど、私の携帯熱くなってるのよ!」
「マジ!?」
そこでようやく、冬也の動きが止まった。申し訳なさそうな顔がこちらを見ている。
「ごめん」
「今度は気を付けてね」
「はい……時間置いてまた送るから!」
(この人懲りてないわ)
ニコッと笑う兄を見て、天夏はため息まじりに思った。
携帯電話の熱が冷めたのを確認し、瀬輝に秋凪の写真をメールで送る。
しばらくして返信がきた。
文面を確認した天夏は、兄に気付かれないように秋凪に手招きをする。
隣に座る妹にそっと携帯電話の液晶画面を見せた。
《めっちゃかわいいじゃん! 癒された。》
瀬輝からの言葉を大きな瞳がじっと見ている。すると、小さな指が、並んでいる文字を指した。
「……これ、なんて読むの?」
「〝いやされた〟よ。心がほっこりしたってこと」
小声で伝えると、秋凪の表情がパァと明るくなった。
その顔のまま兄のもとへ走っていき、勢いよく背中に抱きついた。
「お兄ちゃん遊ぼ!」
「お、いいよー!」
冬也は撮った写真たちを眺めるのを中断し、秋凪と遊び始めた。
(秋凪ももう小学生なのね)
その様子を見ている天夏は、ふと窓の外に視線を向けた。点々と散らばっている小さな雲が、真っ青な空に浮かんでいる。それをぼんやりと目で追いかける。
(私は、あと一年で卒業かぁ……)
小さな寂しさが心に芽生えた。
しかしそれは、明るく天夏を呼ぶ妹の声で姿を消した。




