不穏……だけど
修学旅行を二日後に控えた咲季は、朝のニュース番組を険しい顔で観ていた。数日前に発生した二つの台風が、もうすぐ沖縄県に上陸すると報道されているからだ。
テレビの中では、ヘルメットを装着したアナウンサーが暴風に耐えながら、カメラに向かって荒れた海の様子を懸命に伝えていた。
今回の台風はどちらも勢力が非常に強く、甚大な被害を及ぼす可能性が高いと言われている。そのため、台風の進路予想に入っている都道府県の交通機関は、運休や運航が決定している。
しかも、二つの台風はほぼ同じルートを辿る可能性があり、明後日の昼過ぎ頃には一つ目の台風が長崎県に上陸する見込みだ。
「……」
咲季は何も言わず、テレビ画面を見つめる。
その近くには、どんな言葉をかけていいか考えている両親がいた。
それに気付き、ハッとする。
「こんなタイミングで台風って困っちゃうね〜」
「そうね……」
「台風を消す魔法があればいいのにな……!」
「それ使えたらみんな嬉しいよね。あ、もう時間だから行くね」
二人に気を遣わせてしまったなと申し訳なく思いながら荷物を持ち、玄関へ行く。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
見送ってくれた両親の声を背に、外へ足を踏み出した。
(……ここはこんなに晴れてるのになぁ……)
眉尻を下げて見上げる空は、嫌になるほど晴れ渡っていた。
いつものように稜秩と学校へ向かう時も、この話に触れた。
「修学旅行、行けなくなっちゃうのかな……」
「何か危ういよな。せめて延期だったらいいけど」
「うん」
少し重たい空気の中、二人は学校へ到着した。自分たちの教室内でも、修学旅行関連の話が飛び交っている。完全に明後日は行けなくなるだろうという雰囲気になっていた。
朝のホームルームが始まり、出席を確認し終えた雪村が口を開いた。
「みんなニュースで知っていると思うが、九州地方に台風が二つ接近している。それに関して旅行会社からキャンセルの連絡があって、今回の修学旅行は中止になった」
教室内では落胆の声や「やっぱりかー」という声が至る所から上がる。
咲季は静かにため息をつく。
ふと隣の席を見ると、元気をなくしている様子の連朱の姿があった。
「連朱くん、大丈夫?」
そっと声を掛けると、連朱がハッとしたようにこちらを向いた。
「……え、あ、大丈夫……! きっと、日程をずらして行けるはずだし……!」
「楽しみにしてたもんね」
「うん……」
咲季は連朱と修学旅行について手紙で話したことを思い出していた。あれを見たい、これを見たいと楽しく言い合っていた時には想像もしていない状況に悲しくなる。
「修学旅行予定だった日を使って、明後日からは急遽二者面談と自宅学習になった。二者面談の予定表はあとで配るからなー」
「先生ー、延期じゃなくて中止なんですか?」
クラスメイトの一人が発言した。
雪村は伏し目がちになる。
「職員会議で色々話し合ったが、今年は延期が難しいということで中止だ」
「えー、何それー」
「うちらの学年だけ修学旅行ないの?」
「まあ……そうなるな」
雪村が肯定すると、クラス中から不満の声が上がった。
それを聞きながら、咲季はまた連朱に視線を向ける。暗い表情の横顔が項垂れていた。
その落ち込み具合に何と声を掛けていいか分からずにいると、今朝の両親もこんな感じだったのだろうかと思った。
(気持ちのやり場に困るなぁ……)
心でそう漏らしながら、教壇に立つ雪村を見る。みんなの不満の声を受け続ける彼は、何か考えているような顔をしていた。
翌日。
昨日ほどではないが、教室内はどこかどんよりとしていた。それは、ホームルームの時間になってもさほど変わらない。
雪村は一人一人に語りかけるように話す。
「みんなの不満な気持ちも充分分かる。楽しみにしてたもんな」
「なら、どこかで修学旅行行こうよ」
「それは昨日言った通り難しい」
否定の声に反応したクラスメイトたちが、口々に思いを吐き出す。
咲季はそんな状況を居心地悪く感じた。逃げるように窓の外に視線を移す。外は青空が広がり、緩やかな風が吹いていた。
「それでだ。修学旅行四日目だった日に、遊園地と水族館に行く案が出ているんだが、どうだ?」
その言葉に思わず雪村の方に顔を向ける。クラスメイトたちも、そうしていた。
「……え? マジ?」
「嘘を言ってどうするんだよ。案といってもほぼ決まっているんだが、みんなの意見も聞きたいと思ってな」
一瞬静まり返った教室がまた騒めき始める。「行きたい」と即答する人、まだ心の整理がついていない人、周りの様子を窺っている人、反応もそれぞれだった。
咲季は、修学旅行に代わる行事があるなら行きたいと、素直に思った。
隣にいる連朱も、行くことに賛成しているような顔だった。
不意にその目と視線がぶつかる。
「行けるといいね」
「うん」
落ち着いた表情を見せる連朱に頷き返した咲季は、胸を撫で下ろした。
そこから周囲を見渡すと、ほとんどが前向きな様子になっているのが分かった。
二学年全員で遊園地と水族館へ行くことが決まった次の日、二者面談が行われた。
教室で向かい合わせになった机に着席し、雪村と二人だけの空間になった時、咲季は単刀直入に言った。
「代替案考えたのって先生ですか?」
すると、目の前の雪村は驚いた顔をした。心なしか、動きがぎこちなくなった。
「な、何で分かった……?」
「何となくです」
「そうか」
少し恥ずかしげにする雪村は小さく笑い、頭を掻いた。
「……俺もさ、みんなと同じなんだ」
「修学旅行中止になったんですか?」
「そう。中学生の時な。担任に言っても校長に言っても何も覆らなくて、代替案もなくて、それだけが心残りでさ。だからみんなには、高校生活を振り返って『修学旅行中止になったよな』っていう記憶だけじゃなくて、それに代わる思い出を何かしら作ってほしいって思ったんだ。会議で『中止』って決まってもどうしても納得がいかなくて、校長先生にしつこいくらいに何回も代替案を言いに行ったんだ。そしたら他の先生も何人かついてきてくれてさ。それでようやく聞いてもらえたわけ」
一通り話したその顔は、安心しているようだった。
雪村の気持ちを知った咲季は、嬉しさと感謝を胸に抱いた。
「修学旅行には遠く及ばないけど、みんなには楽しんでほしいんだ。……あっ、このことは誰にも言うなよ」
「言わないですよ。先生、ありがとうございます」
満面の笑みで静かに伝えると、雪村が「あぁ、うん……」と小さな声を発しながら、少し赤くなった頬を掻いた。
二者面談が終わり、教室を出た咲季は鼻歌を歌いながら廊下を歩く。
ふと立ち止まって、カバンの中から携帯電話を取り出す。天気予報を確認すると、明後日は晴れの予報が出ていた。
咲季は窓の外を見上げる。分厚い雲の切れ間から顔を覗かせている太陽の光を目にし、予報が当たりますようにと願った。




