子離れは出来るのだろうか
相方の竜生が運転する車に揺られながら、律弥はぼんやりと外を眺めていた。景色は次々と流れていくが、どれも気に留めない。
「律弥、何か悩み事?」
運転席から聞こえた声に「んー」と反応し、一拍置いてから話し出す。
「悩み事……ではないけど、さっきのロケで淋しさを感じてさ」
「どういうこと?」
力なく笑う律弥は、チラチラと視線を送ってくる竜生を見た。
先ほどのロケでは、結婚を機に実家を離れる女性が家族にサプライズでお礼をしたいということで、その手伝いをする企画を行っていた。
律弥は相談者の女性と咲季を、無意識に重ねていた。
「咲季もいつかこうやって親元を離れるんだなぁって思ってたら、急に淋しくなってさ」
「一人娘だと余計だよな」
「竜生もいつか味わうよ」
「結婚する気なんて全くないから、どうかね」
「あー、昔からそう言ってたな」
律弥は少しだけ過去を思い返す。
同じ中学校に通っていた二人は一年生の二学期にコンビを組み、文化祭などで漫才を披露している仲だった。その頃から竜生は「一人の時間を満喫したいから結婚はしない」と宣言していた。
それから何十年経った今でも変わらない姿勢に、律弥は改めて驚く。
その心中も知らず、竜生が陽気に笑う。
「ま、あんま気に病むなって!」
「そうなんだけどさぁ……」
「とりあえず、次は漫才の収録なんだから気持ち引き摺るなよ」
「分かってるよ」
律弥は、また窓の外を眺める。灰色の雲が一面に広がる空が、自分の心を現しているようだった。
それに区切りをつけるように、ゆっくりと深呼吸をする。
その日の夜。
落ち着いたジャズの音色が流れる居酒屋は、静かに賑わっていた。それぞれの個室で誰かが何かを話している声は聞こえるが、鮮明ではない。
一室には、律弥とルビンの姿がある。
「──っていうことがあったんですよね」
ため息混じりに言葉を吐くと、律弥はジョッキに入ったビールを一口飲んだ。まだあまりお酒は口にしていないはずなのに、オレンジ色の薄暗い照明のせいか、普段より早く酔いが回り始めた。顔に赤みが差す。
すると、正面に座ってナスの串焼きを食べていたルビンが目線を合わせてきた。
「そういうことがあると、重ねてしまうよね」
「ルビンさんも淋しくなります?」
「うん、なるよ」
「やっぱりそうですよね!」
表情に少し力が入った律弥は、またビールを飲む。しかし、ジョッキをテーブルの上に置いた時には、また淋しそうな顔をした。
「咲季が家を出て行くのなんて考えられないんですよね……想像もしたくない……」
「考えられないよね。でも、高校を卒業してもしばらくは家にいるんでしょ?」
「そうですね。お金を貯めたいからって」
「なら、まだ時間はたっぷりあるよ」
穏やかな口調で話すルビンは、小さなグラスに注がれた日本酒を口へ運んだ。その優雅な仕草には色気もあり、律弥の心を掴む。
好奇心から、見様見真似で同じようにジョッキに口をつけた。
しかし、すぐに自分には向いていないと判断し、いつものようにビールを流し込む。
(同年代なのに、この差は何だろうか……)
少し悲しくなりながら、ミニトマトを豚バラで包んだ串焼きを頬張る。
「そういえば、咲季ちゃんが小学生の時も中学生の時も、修学旅行とかキャンプとかに行って淋しいって言ってたよね」
「一日いないだけでも心に穴が空いたような感覚になるんですよ」
「じゃあ今度の修学旅行もそんな感じかな。次は三泊四日だけど」
「それ言わないでくださいよー……」
「ごめんごめん」
律弥は微笑んでからかってくるルビンを、今にも泣き出しそうな瞳で見つめる。
一方、ルビンの中では、疑問に思うことが一つ出てきた。
「地方ロケの時はどうなの? 長く家を空けることもあるでしょ?」
「それは平気なんですよね。家に咲季がいない状況が耐えられないみたいです」
「……今のうちに、子離れの準備をしてた方がいいかもね」
「ごもっともです……」
ルビンの正論に、律弥は苦々しく笑う。今でもこんな状態。子離れ出来ている自分の様子が、一切イメージ出来ない。
しかし、今のままではどこかのタイミングで咲季に煙たがられてしまうかもしれない。それは何としても避けたいところ。
律弥は難しい顔で、串焼きや煮物などが並ぶテーブルに目を落とした。
そんな姿を見ていたルビンが、優しい表情で話し出す。
「咲季ちゃんはいつかは遠くに行っちゃうかもしれないけど、いずれ近くに戻ってくるよ」
「……どういうことですか?」
突然の話に律弥は、怪訝な面持ちでルビンに視線を送った。
ルビンの顔には、気品のある笑みが浮かんでいる。
「この前、稜秩と話してた時にね、一度は家を出て咲季ちゃんと二人で暮らしたいって言ってたけど、その後、私の家を継ぎたいとも言ってたんだ」
話を聴いていた律弥の顔に、少しずつ明るさが戻る。
「それ、本当ですか……?」
「うん。本当。咲季ちゃんが実家を出て行ってしまうことに変わりはないけど、いつでも会える距離にいられるはずだからあまり淋しがらなくても大丈夫だよ」
ルビンの言葉は、暗く淋しい気持ちを温かく包んでくれた。僅かだが、心も晴れた。
「そうですね。それなら、すごく淋しいってこともなさそうですね!」
律弥は頷き、ビールを飲んだ。そうしていると、「それは子離れ出来ていないのでは」という疑問が現れたが、今は深く考えないようにした。
(結局、その時にならないと分からないよな)
自分に言い聞かせるように思い、残りの料理に手をつけていく。
家の近所でタクシーを降り、ルビンと別れた律弥は静かな住宅街をゆっくりと歩く。温い夜風にあたっていると、急に甘いものが食べたくなってきた。
(コンビニで何か買ってくればよかったかな。というか、今から行こうか)
頭の中で迷っていると、家の前まで来ていた。ふと見た玄関は、備え付けの照明で柔らかく照らされ、ドアが立っているのが見える。それだけで早く家に入りたい気持ちが勝った。
門を通り、ドアノブに手を掛けて玄関ドアを開ける。芳香剤の爽やかな匂いとリビングから聞こえるテレビの音が律弥を迎えた。
「ただいまー」
「お父さん、おかえり!」
声を弾ませて、咲季が玄関にやってきた。娘の朗らかな笑顔が、律弥の心を和ませる。
「あのね、プリン作ったんだけど食べる?」
「え、食べたい!」
「じゃあ準備するね!」
咲季は張り切ってリビングへ向かった。まさか甘いものも待っていたなんてと思いながら、律弥は家に上がる。
リビングに入ると、咲季が歩乃に「お母さんも食べるでしょ?」と確認を取っていた。
咲季は嬉しそうに冷蔵庫から三人分のプリンを取り出した。
その様子を見つめていると、歩乃がこっそりと話しかけてきた。
「あのプリン、律弥さんのために作ってたのよ」
「俺のため?」
律弥も控えめな声で返すと、歩乃が小さく頷いた。
「帰ってきたら、甘いものを食べたくなるかもしれないからって」
微笑む妻から愛娘へ視線を移す。型に入れたプリンを、三枚の皿に一つずつ載せている姿が目に映る。それが愛おしいく思えた。
(コンビニ寄らなくてよかった!!)
律弥は心の中でガッツポーズをする。おかげで酔いはどこかへ行ってしまった。
「準備出来たよー」
テーブルにプリンを並べている声に応えて食卓に着く。綺麗な円錐台から甘い匂いが漂ってくる。
「いただきます」
スプーンで軽く掬うと、プリンはぷるぷると揺れた。一口食べれば、プリンの甘さとカラメルのほろ苦さが混ざり合い、どこかほっとさせてくれる。
自然と頬が緩んだ。
「おいしい」
素直に言葉にすると、向かいに見える顔がにっこりと笑った。
律弥は、咲季が作ったと一口で分かるプリンを記憶に刻むように、じっくりと味わった。




