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午後は縁側で

今回は、血の描写が少しあります。

 朝から雲一つない快晴。そんな日は洗濯物がよく乾く。

 城神(とがみ)珠紀(たまき)は裏庭に干した洗濯物を取り込んでいた。家族全員の服をハンガーや物干し竿から外していく。


「……あら?」


 すると、手に取ったワイシャツのボタンが取れ掛かっていることに気付く。それはドラマの撮影の為に、早朝に地方へ向かった夫のものだ。

 ワイシャツを、取り込んだ服とは別に置いて残りの洗濯物に手を伸ばす。





 ボタンが取れ掛かったワイシャツと裁縫箱を手に、珠紀(たまき)は息子の部屋へ行く。しかし、そこには誰もいない。

 部屋にいないのならあそこね、と心当たりのある場所へ向かう。

 案の定、稜秩(いち)は縁側に座って読書をしていた。その見目(みめ)(かたち)が、益々夫に似てきたと感じる。

 そんな息子に、申し訳ないと思いながら歩み寄る。


稜秩(いち)

「ん?」


 呼ばれた稜秩(いち)は母を見上げた。


「悪いんだけど、この服のボタン、付け直してもらえるかな?」

「いいよ」

「ありがとう」


 二つ返事で引き受けてくれた息子にワイシャツと裁縫箱を渡すと、珠紀(たまき)は自分の仕事に戻った。


 母からの頼み事を受けた稜秩(いち)は栞を挟んだ本を床に置き、裁縫箱を開けて道具を取り出した。針仕事が不得意な母に代わって針と糸を手にするのは、自分の一つの役目。

 取れ掛けたボタンを一度外し、針に糸を通して黙々とボタンを付け直す。その手際は良いもので、あっという間にボタンは元通りの場所に付いた。

 他にも直すところはないかと見ていくと、解れた裾や取れ掛かった袖のボタンを見つけた。

 

「……どんだけボロい服着てんだよ」


 つい口からそんな言葉が出てきた。

 よくよく見ると、解れている箇所が多々見つかった。何度も着ている証拠だとすぐに分かる。そしてそれは、自分が小さい頃から目にしていた服でもある。


(親父の事だから思い入れがあってずっと着てるんだろうな。母さんに買ってもらったとか)


 そんな予想を立てながら、稜秩(いち)はまた服に糸を通す。


「今日は裁縫かの?」

「母さんに頼まれたからな」


 稜秩(いち)は近付いて来る八保喜(やほき)を見ず、手元だけに集中して答えた。

 のんびりと歩く八保喜(やほき)稜秩(いち)の隣に腰掛け、その手元をじっと見つめる。無駄の無い動作。手際の良さが際立ち、思わず感心してしまう。


「……手先、器用じゃのう」

「こういうことが好きだからな」


 八保喜(やほき)と言葉を交わす稜秩(いち)の手は、止まることを知らないとでも言うように動き続ける。


咲季(さき)ちゃんにぬいぐるみとかハンカチとか作ってあげるくらいじゃもんなぁ。わしゃあ……無理じゃ」

八保喜(やほき)剪定(せんてい)とか刈り込みとか上手いのに、裁縫は苦手だよな」

「そうじゃのう。稜秩(いち)の見様見真似でやったが悲惨じゃった」


 朗らかな表情で話す八保喜(やほき)は後ろに手をついて、空を仰ぐ。


「糸を縫いつける手もおぼつかなかったけど、糸切りバサミで自分の指を切ってその辺血だらけにしてたよな」

「あの時はびっくりした。ハサミに力を入れて痛いなって思った瞬間、血がドバーッと」

「暴れて俺にまで血が飛んできたの覚えてるか?」

「もちろん! 返り血みたいになってたのう。それを見た珠紀(たまき)さんの顔が顔面蒼白で。きっと、殺人が起きた現場ってあんな感じなんじゃろうな」

「……こんなグロい話、そんな笑顔で話すことか?」

「何十年も前の話に思えてのう」


 そう言う間も八保喜(やほき)は笑顔を崩さない。その雰囲気が、どうしても老人にしか見えないと稜秩(いち)は思う。こうして会話をしていると、おじいちゃんと話している気分になる。

 小さい頃に「八保喜(やほき)はおじいちゃんなのか?」と率直に聞いたことがある。それに対して「わしゃあ、まだ二十代なのにひどいのう」と言いながら笑ってた。生まれた時からこんな感じなのだろうかという疑問も浮かんでくる。


「いやー、懐かしいのう」

「懐かしむ過去か?」

「わしにとってはそうじゃ」

八保喜(やほき)さん」


 話をしていると、珠紀(たまき)が声を掛けて来た。

 八保喜(やほき)は返事をして腰を上げる。


「夕飯の買い出しをお願いします。メモはお財布の中に入っているので」

「わかりました」


 珠紀(たまき)は財布が入った竹製の買い物かごを八保喜に渡す。

 それを手に、八保喜(やほき)は玄関へと向かう。

 二人のやりとりを聞きつつ、稜秩(いち)は糸切りバサミで余った糸を切り、満足げな表情をする。


「母さん、ボタン付け終わった」

「ありがとう」


 母にワイシャツを手渡し、今まで使っていた裁縫道具を仕舞う。


「その服、結構昔からあるよな」

「ええ。この服は稜秩(いち)が生まれるよりも前に、私がルビンさんに買った服なの」

「誕生日とか?」

「ううん。特にそういうのじゃなかったんだけど、ルビンさんに似合うなと思って買ったの」


 珠紀(たまき)は広げたワイシャツを眺める。買った当初から今日まで何度も目にしてきた服。少し色褪せて多少補修箇所はあるものの、目立った傷みはない。

 自然と頰が緩む。


「今でもこうして着てもらえるのって嬉しいことよね」

「そうだな」


 母は明るい笑顔を見せて、ワイシャツを大事そうに抱えた。そして裁縫箱を持って、来た道を戻って行く。


(平和だな)


 立ち去る母の背中を見つめながら、稜秩(いち)は心の中で言った。

 一人になった空間に、鹿威(ししおど)しの音が鮮明に響く。竹筒に溜まった水が零れ落ち、軽くなったそれが石を叩く。竹の軽やかな音が庭全体に反響する。

 その近くの松の木には、羽を休めるスズメたちがいる。何か会話をしているらしい。どんなことを話しているのか、少し気になった。

 遠くの方では車の音と子供の明るい声が聞こえる。それを耳にしながら、稜秩(いち)はそばに置いていた本に手を伸ばした。栞を挟んだページからまた読み進める。





 一通り読み終わり本を閉じた時、辺りが少し暗くなっていることに気付く。


(ヤベ……集中し過ぎた)


 頭を掻いてふと空を見る。小さな雲が沈み掛けた夕日に照らされ、オレンジ色に染まっていた。それがゆっくりとどこかへ流れていく。

 小さい頃はここに座って、咲季(さき)と一緒に雲の形を物に見立てて遊んでたっけ。動物とか食べ物とか車とか。


(……咲季(さき)なら『あの雲はシュークリームみたい』って言うんだろうな)


 夕日の近くに浮かんでいる、モコモコとした雲を見つめながら思った。

 その雲を追い掛けるように夕日から視線を遠ざける。

 オレンジ、ピンク、紫、青。

 視線を移していくごとに暗く、深い色に変わっていく空。そのグラデーションがとても綺麗で、稜秩(いち)は見惚れた。


(こういう空、好きだなぁ……)


 沁々(しみじみ)と思っていると、柔らかい風が吹いた。優しい音色を葉が奏で、髪がゆらりと(なび)く。

 それは夕食の匂いを連れてきた。嗅ぎ慣れた匂い。


(今日は肉じゃがか。ラッキー)


 好物の匂いに食欲がそそられる。

 腹の虫もそろそろ鳴く頃。

 しかし稜秩(いち)はもう暫く、この空を眺めていることにした。

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