兄の夢
コンロの火で熱したフライパンの上にホットケーキの生地を乗せると、ジューという音と共に甘く芳しい匂いが辺りに漂った。食欲をそそられる。
少し時間が経てば、生地に小さな気泡がいくつか現れる。もう片面を焼く頃合いだ。
「……何でじっと見てるのよ」
キッチンに立つ天夏は、向かいにいる兄に迷惑そうな視線を送る。
冬也は対面式キッチンに凭れ掛かり、前のめりになって天夏の様子を見ていた。その表情は緩んでいる。
「天夏が料理してるところをずっと見ていたいから」
「集中出来ないんだけど」
「俺が天夏の分まで集中してるから大丈夫!」
「意味が分からない」
天夏は軽く遇らいながらフライ返しでホットケーキを裏返す。綺麗なきつね色に焼き上がっていた。
「さすが天夏! いい色!」
「綺麗に焼くコツを勉強したからね」
天夏は胸を張る。
そうして二人で話していると、三枚の皿を手にした秋凪がやって来た。
「お姉ちゃん、はい、お皿!」
「秋凪ありがとう。助かるわ」
皿を受け取りながら伝えると、秋凪は嬉しそうに笑って冬也のもとへ駆けた。
「お兄ちゃん遊ぼ!」
「うん、いいよ! あ、ちょっとだけ待ってね」
終始明るく話す冬也はズボンのポケットから携帯電話を取り出し、それを近くにあったスタンドにセットした。カメラ機能を起動させてレンズを天夏に向ける。良い角度を見つけると、ボタンを押して動画を撮り始めた。
天夏は冬也と携帯電話を交互に見る。
「何で撮ってるの?」
「こうすれば秋凪と遊びつつも、あとで天夏の調理姿を見られるだろう!」
誇らしげな表情を浮かべる冬也は、上機嫌に秋凪のもとへ向かった。
そんな兄の背中を一瞥する。
(撮って何になるのかしら……)
天夏は深いため息をついた後、自分に向けられた携帯電話の存在を頭の片隅に置き、ホットケーキを作ることに専念した。
使い終わった皿を冬也が洗っているのを耳で聞きながら、天夏は取り込んだ洗濯物を畳んでいた。
ふと、隣で手伝ってくれている妹の手元を見る。母のTシャツが綺麗に畳まれていた。思わず目を見張る。
「秋凪、畳むの上手になったわね」
「うん! お母さんといつもやってるから出来るようになったの!」
得意そうな顔を見せる秋凪は次々と洗濯物を畳んでいく。その姿に天夏は微笑んだ。
畳んだ服をそれぞれの箪笥にしまい、家事が一段落したところでリビングのソファーで寛ぐ。携帯電話を操作して、メールなどのチェックをする。
その隣では、秋凪と冬也が「メロディーレンジャー」のDVDを観ている。
天夏にとっても見慣れた光景だ。
(よく一緒に観てるからセリフ言えるくらい覚えてるのよね)
何気なくテレビ画面を見る。今は、主人公が基地の風呂場の掃除をしているシーンだった。
天夏はハッとする。
(お風呂掃除しなきゃ……!)
残っていた家事を思い出し、そっと立ち上がって風呂場へ向かった。
掃除を済ませてリビングへ戻り、元の場所へ座る。すると、秋凪が冬也に寄り掛かってうとうとし始めていることに気付いた。
「あ──」
秋凪に声を掛けようとした矢先、冬也に止められた。人差し指を口の前で立てて制止の合図を送ってきた冬也が、小さな声を発した。
「天夏、悪いけど秋凪に毛布を掛けてあげて」
頷いた天夏はソファーの隣に置いていたワイヤーバスケットから毛布を取り出し、そっと秋凪の体に掛けた。
秋凪は完全に眠っている。
「そこで寝かせるの?」
静かに問いかけると、それに合わせた声が返ってきた。
「せっかく寝てるのに起こしちゃいけないと思ってさ」
「そう」
「天夏も、俺に身を委ねて寝ていいよ」
「お断りするわ」
天夏は即答且つ冷たく言い放ったが、冬也がめげることはない。
「恥ずかしがらなくていいよ」
「恥ずかしがってない」
「大丈夫。秋凪はぐっすり眠ってるから今のうちに」
「人の話聞きなさいよ……」
苦笑を浮かべる天夏は頭を抱えた。いつものことで慣れてはいるが、もう少しマシにならないかと考えてしまう。
「こういうのいいね」
「え?」
突然話題が切り替わり、驚いた天夏は冬也を見る。兄の顔は穏やかだった。
「何でもない日に兄妹三人でこうやって過ごすのいいなーって思ってさ。俺、今幸せだ」
「そう」
「うん。で、この幸せのまま老後を迎えるのが俺の夢」
「えっ、もう老後の話?」
「いつまでも若いままじゃないからね」
「そうだけど……」
すると、天夏の心に疑問が浮かんだ。
(〝この幸せのまま老後を迎える〟って、その時まで私たち同居してるってことかしら……違うわよね? でもお兄ちゃんのことだからあり得る……)
兄の夢の詳細を知りたいとは思うが、面倒なことになりかねないので天夏は黙っておくことにした。賢明な判断だと、自分を褒める。
しかし、兄がそんな夢を描いていることに少し嬉しさを感じていた。
遠慮がちに冬也に視線を向ける。先ほどと変わらない表情でテレビを観ていた。その横顔が「過度なシスコンじゃなければよかったのに」という思いを強くさせる。
(でもそれじゃあ、お兄ちゃんじゃなくなるわよね)
複雑な気持ちを抱える天夏は心で唸りながらテレビを観る。画面に映るメロディーレンジャーたちは、懸命に悪の組織と戦っていた。




