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【完結済】ひごろこと  作者: 冬月 聖


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咲季の進路

 自宅の縁側に座る咲季(さき)は、庭に咲いている青いアジサイを水彩紙に描いていた。隙間なく顔を見せる花びらが、紙の上に徐々に現れる。

 しかし、筆はいつものようにスムーズには進んでいない。


 咲季(さき)は筆を止め、まだ三割ほどしか描けていない絵を見ながら静かにため息をついた。


(……集中出来ない……)


 浮かない表情をする咲季(さき)の脳裏には、昨日学校で配られた進路希望の用紙のことでいっぱいだった。

 というのも、咲季(さき)は用紙をもらった時から、自分が選択していた進路について違和感を感じていたからだ。


(去年は「絵の勉強したいな」くらいしか考えてなかったけど、今は何か違うというか、しっくり来ないんだよなぁ。何でだろう)


 そう思う咲季(さき)の髪が風に揺らいだ。葉擦れが一人きりの空間に響く。


 木々が騒めく中、筆を置いて空を仰ぐと、晴れた空に浮かぶ小さな雲が視界に映った。雲は少しずつ形を変えてどこかへ向かっている。


「……」


 しばらくそれを眺めた後、咲季(さき)は近くに置いていた携帯電話を徐に手に取り、稜秩(いち)に電話を掛け始めた。


「どうした?」


 稜秩(いち)はすぐに電話に出てくれた。


「いっちー、今大丈夫?」

「ああ、大丈夫」


 その言葉に安堵した咲季(さき)は本題に入る。


「あたしね、自分の進路が分からなくなった」

「進路? 進学するか迷ってるのか?」

「迷ってるっていうのかな……去年と同じ考えだと何かしっくり来ないんだよね」

「まあ、気持ちや考え方は変化することもあるからな」

「うん」


 頷きながら電話越しの声を聴いていると、不意に稜秩(いち)の将来の夢が浮かんだ。呉服店を営み、ルビンと珠紀(たまき)に立派な着物を作るという夢。


 そして咲季(さき)には、稜秩(いち)を支えながら一緒にその店を切り盛りする未来像がある。

 しかし、そこへ辿り着くのは容易ではないことは理解している。


 咲季(さき)は、稜秩(いち)の夢のために何か力になれることはないだろうかと考える。真っ先に思い浮かんだのはお金だった。お金がなければ、店を開くことは難しいはず。


 その瞬間、咲季(さき)の中では絵のことよりも、働いてお金を貯めたい気持ちの方が勝った。


「いっちー、あたし就職する」

「決断早いな。一分も経ってないぞ」

「やっぱり貯蓄はいっぱいあった方がいいと思うんだ! いっちーの夢のためにも!」

「俺の夢?」

「うん!」


 明るい声で応えた咲季(さき)は自分の考えを伝えた。稜秩(いち)には若干遠慮されたが、咲季(さき)が引くことは一切なかった。


 ひとしきり稜秩(いち)と言葉を交わした後、携帯電話を傍らに置き、再び筆を手に取った。澄んだ瞳でアジサイを見つめ、その姿を水彩紙に描いていく。


 しばらくして買い物に出掛けていた両親が帰宅すると、咲季(さき)は進路に対する気持ちを真剣な表情で二人に話した。






 後日、進路希望用紙をもとに三者面談が行われた。

 二年三組の教室で二つずつ向かい合わせにくっつけた机に着き、咲季(さき)は母とともに担任の雪村(ゆきむら)の話を聴いていた。


「──それで、采之宮(さいのみや)は就職か。美大とか専門学校とかはいいのか?」

「はい。絵の勉強よりも働いてお金を貯めたいって思って」

「直球だな。何か理由があるのか?」

「いっちーの夢を実現させるために、少しでも力になりたいんです!」


 曇りのない笑顔で伝えると、雪村(ゆきむら)が一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに微笑んだ。


「そうか。お母様としてはどうですか? 咲季(さき)さんの考えは」

咲季(さき)が考えて出した答えなので、それを応援したいと思ってます」


 隣で優しく笑う母の言葉を耳にした咲季(さき)は嬉しくなり、頬を緩ませる。まだどういう職業に就くかは具体的には決めていないが、頑張ろうと意気込んだ。

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