嬉しいこと
今日、咲季たちの学年ではふれあい学習が行われている。幼稚園や小学校へ赴き、子供たちと一緒に遊んだり、勉強したりする活動だ。
その中で二年三組は、ゆきうさぎ幼稚園に来ていた。ここは咲季、稜秩、天夏が卒園した場所。そして今は、秋凪が通っている幼稚園だ。
(ちょっと変わった場所もあるけど、昔の面影はちゃんとあるんだなぁ)
園庭で年長組と遊び、休憩のために子供たちと教室に戻ってきた咲季は室内を見回す。壁に飾られている子供たちが描いた絵や折り紙の動物が、どこか懐かしさを感じさせる。
その時、少し離れた場所にいる瀬輝が視線に入った。
瀬輝は秋凪にべったりとくっつかれ、戸惑っている様子だった。
「秋凪ちゃん、瀬輝くんから全然離れないね」
咲季は近くにいた天夏に話し掛けた。天夏は少し苦笑いを浮かべている。
「そうね。まあ、この前ちょっとした修羅場になったから仕方ないんだけど……」
先日のショッピングモールでの出来事を天夏から聞いていた咲季はそれを思い出し、瀬輝くんも大変だなぁと思っていた。
そうしていると、ジャージのズボンを軽く引っ張られる感覚があった。そこへ視線を向けると、一人の園児がいた。ショートボブで大きな丸い目が特徴的な女の子。
(えっと……青衣ちゃん、だったかな)
今し方、一緒に追いかけっこをしていた女の子の名前を思い出した咲季は、青衣と同じ目線になるようにしゃがんだ。
「どうしたの?」
「こっち」
そう言って、青衣は咲季のズボンを掴んだままどこかへ連れて行こうとしていた。
咲季は、されるがままについていく。
教室を出てすぐの廊下に置かれた鉢で咲いているマリーゴールドを、青衣が指差す。
咲季はしゃがんでその花を見た。
「お花綺麗だね」
「違う」
「えっ」
青衣が首を横に振るのを見て、咲季は少しだけ混乱した。
すると、青衣はもう一度花を指差した。
よく見ると、マリーゴールドの花びらにてんとう虫が止まっている。
「あっ、てんとう虫! かわいいね」
そう伝えると、青衣はニコッと笑って頷いた。
「てんとう虫好き?」
「うん。てんとう虫は幸せを運んできてくれるんだよ」
「幸せを?」
「そう。おばあちゃんが言ってたんだけどね、てんとう虫を見かけると嬉しいことがあるんだよ!」
「そうなんだ。どんな嬉しいことがあるか楽しみだね」
「うん!」
無邪気な笑顔を見せる青衣につられて笑う咲季は、またてんとう虫に視線を向ける。
てんとう虫は、風が吹くたびに小さく揺れるマリーゴールドの上でじっとしていた。
咲季はその様子を絵に残したい思った。
(たしかこの後はお絵かきの時間だから、その時描こう)
咲季はもうすぐ訪れるその時間を心待ちにしながら、しばらく青衣と話をした。
お絵かきの時間になると、いくつかのグループに分かれた園児の輪に咲季たちも入り、支給された画用紙とクレヨンで絵を描き始めていた。
すると、隣の席に座る青衣が訊いてきた。
「お姉さん、何の動物が好き?」
「うさぎが好きだよ」
「じゃあうさぎ描いてあげる!」
青衣は自信満々そうな笑顔で画用紙にクレヨンを走らせた。
その様子を見ている咲季の耳に、別のグループの話し声が聞こえてきた。
「何その絵ー!」
「動物?」
その声は稜秩の周りを囲んでいる子供たちが発したものだ。みんな、不思議そうに稜秩が描いた絵を見ている。
それは動物ではあるようだが、一体何の動物なのか判別がつかない絵だった。
しかし、咲季には分かる。
(クマだ)
「クマだ」
咲季が心の中で言ったのと同時に、稜秩から正解が発表された。周りの子供たちは「えーっ!」と驚きの声を上げている。
咲季は子供たちの反応に共感した。
(驚くのも仕方ないよね。いっちーってあんまり絵上手じゃないし。でもあたし、いっちーが描いた絵好きなんだよね)
そんなことを思いながら、咲季も画用紙に絵を描いていく。
「できた!」
青衣が元気にそう言い、完成した絵を見せてきた。二本足で立ち、かわいらしい笑顔のピンク色のうさぎ。
その絵を見て咲季は微笑んだ。
「かわいい! 青衣ちゃん、絵上手だね」
「うん! これ、お姉さんにあげる!」
「いいの?」
「うん! お姉さんのために描いたから!」
「ありがとう」
青衣から絵を受け取った咲季は、胸の辺りがじんわり温かくなったのを感じた。
今日初めて会った子が自分のために絵を描いてくれたのは、とても嬉しいことだった。
「お姉さんは何描いてるの?」
「青衣ちゃんが好きな……てんとう虫!」
「わあ、すごい!」
画用紙には、マリーゴールドらしき花の上でのんびりとしているてんとう虫が大きく描かれていた。
青衣の驚く声に、教室中の視線が咲季の絵に集まる。
そうかと思えば、咲季の周りはあっという間に子供たちに囲まれた。
「すげー!」
「本物みたい!」
「ねぇ、ほかにも何か描いて!」
「いいよ。何がいい?」
「ライオン!」
「ペンギン!」
「イルカ!」
「じゃあ、順番に描いていくね」
咲季は次々と出てくる子供たちのリクエストに応えるためクレヨンを手に取り、一つ一つ描いていった。
園児たちとのふれあいの時間が終わり、二年三組の生徒たちは列を成して学校へ向かっていた。
咲季は軽い足取りで歩いている。
「ご機嫌だな」
隣にいる稜秩にそう声を掛けられた。
咲季はにこにこしながら稜秩を見上げる。
「みんな、あたしが描いた絵を見て笑顔になってくれてすごく嬉しかったの」
「すごい囲まれてたよな」
「うん。ちょっとびっくりしたけど……いっちーが描いた絵って持ってる?」
「持ってるけど」
「ちょうだい」
咲季は稜秩に手を差し出した。
その手を見て、稜秩が不思議そうな顔をしている。
「別にいいけど、何かに使うのか?」
「ううん。大切に持っておきたいだけ。いっちーが描いた絵好きだから」
「そう、か」
満更でもなさそうな顔をする稜秩は立ち止まり、スクールバッグの中に入れていた画用紙を取り出した。
それを咲季が受け取る。
「ありがとう」
咲季は稜秩が描いた絵を、バッグの中に入れていたクリアファイルに収納した。その中には青衣が描いてくれたうさぎの絵もある。
心のこもった贈り物を目にした咲季は微笑み、また歩き出した。




