弟が二人
今回は映像に幽霊が映り込んだ、というホラー要素があります。苦手な方はご注意を。
週末の昼下がり、部活を終わらせた連朱は帰宅した。
「ただい──」
言い掛け、咄嗟に鼻をつまむ。嫌いな臭いが玄関にまで漂ってきているからだ。おまけにその元であるリビングから、自分が好きな映画の主題歌が流れているのが聞こえる。
(……朱李の奴……)
とりあえず玄関のドアを閉めて靴を脱ぎ、家に上がる。リビングに行くと最初に目に入ったのはテレビだ。テレビには映画のエンドロールが映し出されている。
テレビ前に置かれたテーブルの上には、チョコレート菓子が入った大袋とその菓子を個包装していた袋の残骸がいくつか転がっている。
それを食べていたであろう人物が、ソファーに横になって寝ている。
「……ハァ……」
軽くため息をつくと連朱はテレビを消して窓を開けた。新鮮な空気が嫌な臭いを消してくれる。部屋全体の臭いは消えたが、発生源であるチョコレート菓子周辺にはまだ臭いが残っている。
鼻をつまみ続けながらできるだけ片手で残骸を掴み取り、蓋付きのゴミ箱へと捨てる。
そして、まだ食べられていないチョコレート菓子は大袋ごと厳重に密閉し、冷蔵庫に突っ込んだ。
「……兄ちゃん……おかえり……」
片付けの音で目を覚ました朱李がソファーから起き上がり、寝惚け眼で言った。
連朱は鼻から手を離し、弟を見やる。
「ただいま……朱李、チョコレートをその辺に広げたままなのは嫌がらせか?」
「えっ?……あっ、ごめん! 別にそんなつもりなくて……! 片付けてくれてありがとう!」
「まったく、お菓子ばっか食べて……昼飯は?」
問い掛けると朱李は何も言わず、瞳をキラキラと輝かせて見つめてきた。その視線を受けて連朱は「何となく分かっていたけど……」と少し苦笑いを浮かべた。
「……何食う?」
「ラーメン!」
朱李の生き生きとした言葉に頷き、連朱は服を着替えてキッチンで二人分のラーメンを作り始める。
「あ、卵忘れないでね」
「はいはい」
朱李が冷蔵庫から取り出した卵を受け取り、麺が茹で上がる直前に殻を割って他の具材と一緒に茹でた。
出来上がると器に盛ったそれを食卓に運び、向かい合って食べる。
「食器は俺が洗うから」
「うん、ありがと」
会話をしながら昼食を終わらせた後、朱李は宣言通りに食器を洗った。
すると連朱は思い出したように朱李に声を掛けた。
「この後、瀬輝が家に来るから」
「何で?」
「映画観に」
「へぇ。何の映画?」
「この前観た『底知れぬ…』」
連朱は先日、DVDが発売されたばかりのホラー映画のタイトルを口にした。
途端に朱李は明るい表情を見せる。
「俺も観る! この前兄ちゃんと一緒に観たけど」
「すごく怖がってたくせに?」
「一回見たから大丈夫だもん」
「じゃあ俺にしがみつくなよ?」
「……それは、ちょっと……」
朱李の戸惑いに連朱は笑った。一回観ても怖いものは怖いらしい。
そんな話をしていると、家の呼び鈴が鳴った。
玄関に向かった連朱がドアを開けると、少し硬い表情の瀬輝が袋を携えて立っていた。
「いらっしゃい」
「お、お邪魔します……!」
瀬輝は律儀にお辞儀をする。連朱の家には何度か来ているのだが、毎度この様に緊張している。
「お菓子とジュース買って来ました!」
「いつもありがとう」
連朱は瀬輝を連れてリビングへと行く。
「お、朱李じゃん」
「瀬輝さん、いらっしゃい」
リビングへ入って来た瀬輝に言葉を掛けた後、朱李は瀬輝を見つめる。
それに瀬輝が気付いた。
「どうした?」
「……」
朱李は何も言わず瀬輝に近付く。
「瀬輝さん」
「ん?」
「身長、縮みましたか?」
朱李は真剣そうな表情で言った。
それに連朱はドキッとする。「朱李、その話は……!」と思いながら瀬輝に視線を向ける。
「……」
一方瀬輝は、まじまじと見つめてくる瞳に怒りを覚えていた。朱李を見上げ、顔を引き攣らせて笑う。
「……そう、見えるか?」
(……朱李……)
瀬輝が身長のこと気にしているのは知っているはずなのに、なぜそこに触れるのか。連朱は頭を抱える。
そんな兄の心中など知らない朱李は頷いた。
「はい。何か、小さくなっ──」
「なってねぇよ! 朱李の身長が伸びたんだろ!?」
「まあ、確かに1cmくらい伸びました」
「それだよ、それ!」
「えっ、じゃあ瀬輝さんは……」
「本人の口から言わせる気かな? 朱李くん、キミは俺がどれくらい身長を気にしてるか知ってるとは思うんだけど」
「あ、そうでしたよね。すみません。でも縮んだように見えて心配だったので」
「また言った……!」
「……」
連朱には、目の前で繰り広げられている光景が兄弟喧嘩に見えていた。悪気はないが一言多い朱李と感情的になる瀬輝。どっちもどっちな気がする。
見兼ねた連朱は止めに入った。
「二人とも、そこまでにして映画観ようよ」
「はーい」
「そう、ですね。すみません」
連朱の声に賛同し、朱李も瀬輝もテレビの前のソファーに座る。
テーブルにお菓子とジュースを広げ、DVDをセットする。リビングのカーテンは紺色なのでそれを閉めれば室内は暗くなり、臨場感が増した。
テレビから向かって左から朱李、連朱、瀬輝の順番で座る。
映画が始まって20分が経った頃、連朱は両腕に少し痛みを感じた。
ホラー系は怖いけど観たいと思う両隣の二人が、連朱にしがみついているからだ。対する連朱は大きい音にビクつく程度で、ホラー系は平気。
怖がりな二人は声を押し殺し、体を小刻みに震わせて涙目になりながらも映画を観続ける。
連朱は一度既に観ている映画なので、大体のストーリーは頭に入っている。だが、せっかくこうしてまた映画を観ているのに痛みに神経が集中し、それどころではない。
(しがみついてくるのはいいけど、もう少し手加減して欲しいかも……まあ、いいか)
両脇の二人に気を遣って気にしないようにした。そうしている間にも、物語は進む。
映画はラストシーンが終わり、エンドロールが流れ始める。
「……」
朱李と瀬輝はフリーズしたまま。
「……あ、そうだ」
主題歌が流れるだけの空間に、連朱の声が響く。思わず二人は体をビクつかせた。
「せっ、先輩、どうか、しましたかっ!?」
「この映画、実際に映ったんだって」
「……何が……?」
「幽霊」
しれっとした物言いに、朱李と瀬輝は恐怖した。
「な、何、怖いこと言ってるんですか…!? ウソですよね……!?」
「本当のことだよ」
「ちなみに、どこのシーン……?」
朱李が興味深そうに聞いてきた。
連朱はリモコンで該当シーンがあるチャプターを選びながら説明する。
「最初の方の、新しい物件を見てる時。トイレが少し映るところでさ……」
目的のシーンに辿り着き、通常再生する。
主人公がこれから住む部屋を内部見学するシーン。トイレをちらりと見る、その一瞬の出来事。
「……わかった?」
「全然」
「そうだよな。一瞬だから俺も最初は気付かなかったし」
「どこですか?」
二人にそのシーンを見てもらうため連朱はシーンを巻き戻し、該当シーンの少し前から再生する。
「トイレのドアを開けて、ちらっと見て、ドアを閉める瞬間のトイレタンクの後ろ」
「──!!」
一時停止された画面を見た瞬間、朱李と瀬輝は声にならない声を上げて連朱にしがみついた。
トイレのドアが閉まる直前、トイレタンクの後ろから人の顔がひょっこりと現れた。それは顔の半分くらいだけを覗かせて、此方を見ている。
「兄ちゃん、こんなところで一時停止しないで!!」
「後ろに人なんて隠れられないですよね!? 本物確定じゃないですか!!」
「何ていうもの見せんだよ!!」
堰を切ったように二人は目に涙を浮かべて騒ぎ始めた。
連朱は苦笑いを見せる。
「どこのシーンだって聞くから……」
「こんなの、今言わなくていいじゃんかよ!!」
「見なければ良かった……」
朱李も瀬輝も、それぞれ後悔する。
「……」
すると、朱李は我慢していたものが限界に近付きつつあるのを感じた。
ちらりと兄を見る。
「……兄ちゃん」
「何?」
「今、トイレ、行きたくない……?」
「いや、別に」
連朱は応えた後、弟の問い掛けの意味を悟る。
「……怖くてトイレ行けないのか?」
「そっ、そんなことないよ!? ただ兄ちゃんがトイレ行きたいって言うなら、ついて行ってあげようかなって思ってただけだし……!!」
「俺は大丈夫だから。外はまだ明るいし、早く行かないと体悪くするぞ」
ソファーから立ち上がり、カーテンを開ける。太陽の光がリビングを明るく照らす。
すると、瀬輝が目を泳がせながら口を開いた。
「そうだぜ朱李。何なら、俺がついて行ってやるぞ。丁度トイレ行きたかったし……!」
「何だ、瀬輝さんも一人でトイレ行くの怖かったんですね……!」
「俺は一人で行けるぜ? けど朱李もトイレに行きたいって言ってるから、仕方なくついて行ってやるんだよ。つか『瀬輝さんも』ってことは、怖くてトイレ行けないって自白してんじゃん……!」
「別に俺、トイレ行きたいわけじゃないんで……!」
どうして素直に「トイレに行こう」と言えないのだろうか。連朱はまた頭を抱える。
朱李と瀬輝の言い合いはまだ続く。
「その割にはモジモジしてんじゃん…! もうそろそろ限界なんだろ……?」
「な、何の話ですか……? というか、瀬輝さんこそ早く行かないと漏らしますよ……高校生にもなってお漏らしは問題ありですよ……!」
「中学生でも同じだっつーの……! クラスの女子に笑われるぜ……?」
「俺はそんなヘマは──」
「トイレ行きたかったら早く行けばいいだろ!?」
連朱が少し大きな声を出して会話を遮った。
その腕を両側から掴まれる。
「ついて来て!」
「ついて来てください!」
「……」
ほぼ同時に発せられたその言葉に、連朱はため息をつきたくなった。
(小学生の弟が二人いる気分だ……)
トイレの流水音を聞きながら連朱は思った。
用を足した二人と共に、リビングへ向かう。
「先輩、先程はすみません。お見苦しいところを……」
「いや、いいんだ。けどトイレは我慢しない方がいいよ」
「はい」
瀬輝は苦笑いを浮かべた。
そんな瀬輝に朱李が話し掛ける。
「瀬輝さん、気分転換に他の映画観ません?」
「お、いいな! 他にはどういう映画があるんだ?」
テレビ台の引き出しを開ける朱李の隣に行き、瀬輝は収納されているDVDに目を落とした。
(さっきの言い合いの光景はどこに行ったんだ……?)
連朱は心の中で疑問を吐き、弟と友人の背中を見つめる。二人のその姿はどこか似ていた。
(なんだかんだ、二人とも仲良いよな)
そう思いながら微笑む。
無意識に過去のことが頭に浮かんだ。
(……あの時のことがなくても、朱李は瀬輝とこんなに仲良くしていたのかな? 俺は瀬輝に『先輩』って、呼ばれていたのかな?)
「先輩!」
「……えっ……?」
不意に呼ばれた連朱は我に返る。
「先輩のおすすめの映画って、何ですか?」
無邪気に問うてくる表情も何処となく朱李に似ていた。
連朱は二人の元に歩み寄る。
「おすすめは……これだね」
連朱は二人の間に入ってそのDVDを取り出した。アクション要素も入ったミステリー映画。
「それ、兄ちゃんの好きな映画じゃん」
「そうなんですか!? さっそく観ましょう!」
明るい表情を見せる瀬輝のリクエストに応えて連朱はDVDをプレイヤーにセットし、ソファーに座ろうと振り返る。ソファーには先程と同じ位置に二人が座っていた。それが一層似ている。
連朱はつい思ったことを口にした。
「瀬輝って、弟みたいだな」
「いっ、いきなりどうしたんですか!? 弟だなんて……!」
唐突な言葉に瀬輝は顔を赤らめる。驚きはあったが瀬輝にとっては嬉しい一言だ。
「何となく、そう感じたから」
「俺ら三人が兄弟なら瀬輝さんは末っ子ですね」
朱李は何の気なしに言った。瀬輝が怪訝そうな顔をする。
「何で俺が末っ子?」
「だって、やっぱり身長的に……あっ」
まずいと思ったのか、朱李は咄嗟に口を押さえた。
だが、時すでに遅し。瀬輝の眉間には皺が寄り、口元だけが笑っている。
「朱李、兄弟に身長の高さなんて関係ないんだぞ」
「すみません、つい……!」
「わざとだろ」
「わざとじゃないです……! 本当に身長的にって考えたらそう思っただけ……いや、あの……!」
「身長が思うように伸びてくれない俺への当て付けかな?」
「いや、違います……! ごめんなさい……!」
本当に二人が兄弟でもこういうやりとりは絶えないんだろうな、と間に挟まれた連朱は思う。
「ほら、映画始まるよ」
「はい」
そう声を掛ければ、二人は返事をして大人しくなった。