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【完結済】ひごろこと  作者: 冬月 聖


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お姫様抱っこ

「いっちー、お姫様抱っこして!」


 咲季(さき)稜秩いち、二人しかいない縁側にその声が響いた。

 咲季(さき)はキラキラと輝く目で稜秩(いち)を見つめる。

 一方稜秩(いち)は、突然のことにぽかんとしている。


「な、何で……?」

「この漫画読んでて〝お姫様抱っこいいな〟って思ったから!」


 咲季(さき)は携帯電話の画面に写る漫画を見せた。

 それは少女漫画の一コマで、主人公のヒロインが片想いの相手にお姫様抱っこをされているシーンだった。


 今、この家には咲季(さき)稜秩(いち)しかいない。ルビンは仕事、珠紀(たまき)八保喜(やほき)は買い物に行っている。二人しかいないならきっとお願いを聞いてくれる。咲季(さき)はそう思った。


 携帯電話の画面をじっと見ていた稜秩(いち)と目が合う。


「……いいけど」

「やった!」


 咲季(さき)は満面の笑みを見せた。意気揚々と立ち上がると、稜秩(いち)が優しく抱き上げてくれたおかげで体がふわっと浮き上がる。

 咲季(さき)の目線が一気に高くなった。咲季(さき)稜秩(いち)の首にしがみつくように腕を回して庭を見る。


「うわぁ、すごい! 見晴らしがいい!」


 目の前には先程まで見ていた庭が広がっているが、高いところから見る庭はいつも以上に綺麗だった。


「いっちーっていつもこういう景色を見ているんだね!」

「まあな」


 咲季(さき)が楽しそうに辺りを見回していると、景色が動いた。

 稜秩(いち)がサンダルを履いて庭に出たのだ。

 庭を移動しているだけでも景色は違って見えた。いつも見上げている松の葉は目線と同じくらいの高さにあったり、ひょうたんのような形をした池の輪郭がよりはっきり見えたりと、不思議な感覚だった。


 次に咲季(さき)の目に止まったのは家の周りを囲む築地塀。いつも見えない屋根の部分が少し見えている。


「いっちーの身長でも塀の外は見えないんだね」

「まあ、念のため高く作ってあるからな」


 稜秩(いち)の声を聴きながら遠くに見える空を眺める。澄んだ青にいくつか浮かんでいる小さな白い雲が、ゆっくりと形を変えてどこかへ向かっていた。


「……それで、お姫様抱っこの感想は?」


 言葉に反応して稜秩(いち)を見ると、青い瞳と目が合った。そこで顔の近さを気付かされ、少し緊張してしまう。

 咲季(さき)は空に視線を移す。


「楽しいし、いっちーが見ている世界を知れて嬉しいよ」


 そう言った後、照れ笑いを浮かべながらまた稜秩(いち)を見る。


「でも、ちょっと緊張しちゃうね」


 視線を交わすと、稜秩(いち)も恥ずかしそうに笑った。


「だな」


 二人は静かに笑い、同じ方向の空を見つめる。微かに吹く風がその頬を撫でた。


「ただいまー」


 風に乗って聞こえてきた声に二人は振り返る。

 買ってきたものを両手に携えている八保喜(やほき)珠紀(たまき)が、門の近くで立っていた。


「おかえり──」


 咲季(さき)が二人に声を掛けている最中、稜秩(いち)が足早に縁側の方へ歩き出した。

 そこに下された咲季(さき)は不思議そうに稜秩(いち)の顔を見上げる。真っ赤に染まった顔が見えた。


 咲季(さき)が声を掛けようか迷っている間に、稜秩(いち)は自分の部屋に向かってしまった。

 咲季(さき)はその背中を見つめるだけ。


「二人とも何してたんじゃ?」


 家に上がり、縁側にやってきた八保喜(やほき)に問われた。咲季(さき)は少し考え、今まで見ていた空の方向を指差す。


「……あっちの空見てたの」

「そうか」


 その説明で納得したのか、八保喜(やほき)は台所に向かった。

 それを見送った咲季(さき)は、静かにその場を離れた。


 稜秩(いち)の部屋の襖を音を立てずに開けると、稜秩(いち)が腕の中に顔を埋めてテーブルに突っ伏していた。少し見える耳が赤く染まっている。


 その様子に咲季(さき)の胸がきゅんとなった。滅多に見られない姿を可愛く思う。

 咲季(さき)は部屋の中に入り、稜秩(いち)の隣に座る。


「……母さんと八保喜(やほき)、何か言ってたか……?」


 突っ伏したまま、弱々しい声が発せられた。

 咲季(さき)は優しく話す。


珠紀(たまき)さんは何も言ってなかったよ。八保喜(やほき)さんには〝二人とも何してたんじゃ?〟って聞かれたから〝空見てた〟って答えただけ」

「……そうか」


 体勢を変えずにいる稜秩(いち)を、咲季(さき)が微笑んで見つめる。

 しばらくはそんな状態が続いた。

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