連朱、イベントに行く。
連朱はある一報を知ってからずっと悩んでいた。家にいる時も学校で授業を受けている時もそのことで頭がいっぱいだった。
今日に至っては部活動中に顧問の先生に注意されてしまうほど、集中できていなかった。そんな自分に呆れてため息が漏れてしまう。
「先輩、何か悩み事でもあるんですか?」
下校途中、隣を歩く瀬輝が心配そうな顔で問うてきた。
連朱はドキッとする。
「えっ、ど、どうして……?」
「ここ最近何か上の空というか思い詰めてる感じがするし、部活で先生に注意されるなんて滅多にないから気になってたんです」
「ああ、そうか……そうだよね……」
「俺でよければ相談に乗りますよ!」
瀬輝の明るい笑顔を見た連朱は少し考えて立ち止まった。瀬輝も足を止める。
「あっ、あのねっ……!」
「はい」
「えっと……」
いざ話し始めようとすると恥ずかしさで全身が熱くなった。視線が段々と足下に行く。
「えっと……えっと……」
「先輩、ゆっくりで大丈夫ですよ」
「う、うん……」
連朱はとりあえず落ち着こうとゆっくり深呼吸をする。そのおかげで少し楽になった。
改めて切り出す。
「か、神昌悠陽さんっているでしょ……?」
「はい。先輩が好きな俳優さんですよね」
「うん。今度その人が写真集を出すから発売イベントをやるんだけど、それに俺が行っていいのかずっと悩んでて……」
「行っていいに決まってるじゃないですか! ファンであるなら尚更ですよ!」
前のめりに瀬輝が言った。
しかし、連朱はまだ消極的。
「でも女性ファンが多い中、男が行くのって変じゃない……?」
「変じゃないですよ、普通です!」
「そ、そっか……」
「それに、行かなかったら絶対後悔すると思います!!」
最後の強い言葉が連朱の心に刺さった。後悔するのは嫌だと、決心する。
「瀬輝の言う通りだね。イベント行ってみる」
「はい!」
連朱は満面の笑みの瀬輝に勇気をもらえた。しかし、同じ想いをした人がたくさん集まる場所と言えど初めての場所、環境に一人で行くのは心細い。ダメ元で聞いてみる。
「イベントがあるのは来週の土曜日なんだけどさ、もし予定が合うなら……その……」
言葉を詰まらせながらも、最後の一言を口にする。
「付き合って、もらえないかな……?」
言い切った連朱は瀬輝の反応を伺う。
一方瀬輝は、恥ずかしそうに顔を赤く染めながら見つめてくる連朱の表情と言葉で胸がギュンッとなっていた。瞬時に熱くなった顔を手で覆う。
連朱のそれは、瀬輝にとって破壊力抜群のようだ。
「瀬輝……?」
連朱は黙ってしまった瀬輝の心配をしながらその顔を覗き込む。
それにより瀬輝が我に返った。
「あっ……イ、イベントですよね! 行きます、ついて行きます!!」
明るい返答を聞いた瞬間、強張っていた体の力が抜け、連朱は笑みを見せた。
「ありがとう!」
安心した連朱と一緒に瀬輝も笑った。その鼻から赤いものが垂れる。
「瀬輝、鼻血……!」
「えっ!?」
そして迎えたイベント当日。
連朱は昨晩、悩みに悩んで選んだ服を着て家を出た。いつも通学の際に使っている待ち合わせ場所で合流した瀬輝にコーディネートの感想を求めると「すごくカッコいいです!!」と言ってもらえた。それだけで自信が持てた。
駅へ向かった二人は電車に乗り、四つ目の駅で降りた。駅を出て少し歩くと、イベント会場である大きな書店が見えた。店の前には今日のイベントの看板が出されている。それを見た連朱は緊張で足が竦んだ。
「……」
看板の前で微動だにしない連朱に瀬輝が笑顔で声を掛ける。
「先輩、俺も券買って一緒に並ぶので行きましょう!」
「う、うん……」
覚悟を決めた連朱は瀬輝と共に書店に足を踏み入れた。店内のイベントスペース前には既に列が出来ている。それに驚きつつ、レジカウンターでイベントの参加券を購入し、並んでいる人たちの後ろに並ぶ。見る限り、女性の姿しか確認できない。
「やっぱり女性人気すごいですね」
「うん……すごく場違い感があるよ……」
「実際来てみるとそう感じますね……」
少し肩身の狭い思いをしながらも、イベントの開始時刻を待つ。
その時、連朱は思い出した。写真集を渡される前に握手をしながら何秒か神昌と話が出来ることを。
(俺、何も考えてない……どうしよう……!!)
何故そんな大事なことを忘れていたのか、連朱は自分に呆れた。慌てて会話の内容をあれこれと考える。
その間にイベントが始まってしまった。神昌がいる場所はパーテーションで仕切られて此方からは姿は見えない。しかし、そこに確実に近づいていると理解すると、心臓の音がさらに大きくなる。
「先輩、大丈夫ですか?」
小声で話し掛けてきた瀬輝の方を振り返る。心配そうな顔と目が合った。
「足が震えてきて大丈夫じゃないけど……頑張る」
自分に言い聞かせるように答えると、連朱は前を向いた。
パーテーションとの距離がまた近づく。
そして次は、いよいよ自分の番。先程まで自分の前に立っていた女性と神昌の話し声が聞こえてくる。ただ、聞こえるだけで何を話しているかは全く分からない。というより、内容が耳に入ってこなかった。
「次の方どうぞ」
「はっ、はい……!」
イベントスタッフの声に思わず背筋が伸びた。ぎこちなく歩きながらパーテーションの向こう側へ足を運ぶと、神昌と目が合った。それだけで心臓が飛び跳ねる。
(本物だ……!!)
連朱は一瞬足を止めそうになったが、スタッフに促されて神昌の前に行く。
すると、彼の手が卓上に積まれた写真集の上を通り過ぎ、目の前に差し出された。
「こんにちは」
「こっ、こんにちは……!」
連朱は挨拶を返して恐る恐るその手を握る。大きくて優しい手が自分の手を包んでくれている。温かさを感じながら顔を上げると、神昌の柔らかい笑顔が見えた。
その瞬間頭の中が真っ白になり、思考が止まった。
「……」
少しの間、ただ二人が見つめ合うだけの時間となった。
すると神昌が口を開いた。
「今日は来てくれてありがとうございます」
「いっ、いえっ……!」
優しい声でハッとした連朱は、神昌が出演していた舞台のことを思い出した。
「あ、あのっ、先日『かりそめの僕』を観劇しまして、その時から神昌さんのことを応援しています……!」
「ありがとうございます。嬉しいです!」
「えっと……これからも応援していいですか……?」
「もちろんです! 同性のファンが増えるのも嬉しいですから!」
その一言で連朱の心に喜びが込み上げてきた。自然と頬が緩む。
「はい……! ありがとうございます!」
そう言葉を交わした後、神昌から直筆サイン入りの写真集を一冊手渡された。連朱は写真集をそっと受け取り、神昌に何度も頭を下げながらスタッフの誘導に従ってその場を後にした。
他のお客さんの迷惑になってはダメだと思い、書店から出て出入り口のそばに設置されたベンチに座って瀬輝を待つ。持ってきた折り畳み式のトートバッグに写真集を入れることも忘れて、それを震える両手で大事そうに抱える。
(神昌さんに、会えた……)
連朱は体も心もふわふわした初めての感覚に浸りながら、行き交う人々をぼんやりと見る。
それから少ししてから、瀬輝も書店から出てきた。
瀬輝は連朱に声を掛けようとしたが、顔を真っ赤にして写真集を抱き締めている姿にキュンとした。
(先輩が可愛すぎる!! 写真撮りたい!! いやダメだろ!! というか神昌さんにも見せたい!!)
心の中で騒ぐ瀬輝は、一通り騒いで冷静になってから連朱に声を掛けた。
二人は電車に乗って帰る前に駅近くのカフェで休憩することにした。注文したドリンクがテーブルに運ばれてきた頃には、連朱は少し落ち着いていた。
そこで瀬輝が話し始める。
「神昌さん、間近で見るとよりカッコよかったですね!」
「うん、カッコよかった。優しかったし、目を合わせて笑顔で話聞いてくれたし。それから、同性のファンが増えるのも嬉しいって言ってたよ」
「それ、最高に嬉しい言葉じゃないですか!」
夢のような瞬間を思い出していると、また胸が高鳴った。落ち着こうと目の前にあるレモンティーを一口飲む。冷たさが喉を通っていく。
そして、自分の話を楽しそうに聞いてくれる瀬輝には感謝の思いしかない。
「瀬輝、今日は付き合ってくれてありがとう」
「いえいえ! 先輩と一緒にイベントに参加出来て嬉しかったです!」
「本当にありがとう」
そう言うと、連朱はテーブルの端に置かれたメニュー表を手に取った。
「ここは俺がお金払うから好きなもの頼んでいいよ」
「いえ、そんな……!」
「瀬輝に相談しなかったら俺、今回のイベントに参加することはなかったと思うんだ。だからお礼がしたくてさ」
メニュー表を差し出す連朱は優しく笑っている。
その表情を見ながら瀬輝は迷った。奢ってもらうのは申し訳ないと思うが、連朱の気持ちを無下には出来ない。そうすると答えは一つしかない。
静かにメニュー表を受け取る。
「分かりました」
瀬輝が頷くと、連朱はさらに明るい笑顔を見せた。その表情にときめきながら、瀬輝はメニュー表に視線を落とす。
嬉しそうにする連朱は、写真集を入れたトートバッグにそっと触れた。それだけで胸が一杯になる。
(ありがとう、瀬輝。ありがとうございます、神昌さん)




