駄菓子
週末の午後、稜秩は街の図書館に来ていた。沢山並ぶ本の中から何を借りようかとゆっくり探す。
「お兄さん」
突然静かに声を掛けられた。反応して横を向くと、背の小さなお爺さんがこちらを見て立っていた。お爺さんを見た瞬間、稜秩は「咲季よりも小さい」と思った。
そのお爺さんは優しそうに、そして少し申し訳なさそうに笑って本棚を指差した。
「すみませんが、あの本を取っていただけますか?」
稜秩はお爺さんの指の先を辿るように本棚を見る。
「『白妙の森』という、白い本です」
「あ、あれですね」
白い本はすぐに目に止まった。棚の一番上。それはお爺さんでは到底届かない場所。稜秩はその本を手に取る。
「どうぞ」
屈んでお爺さんに本を差し出すと、お爺さんは両手で受け取り、嬉しそうな笑顔で頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
咄嗟に頭を下げる稜秩は、立ち去るお爺さんの背中を見送った。
(……あのお爺さん、どこかで見た気がする……)
何となくそう思った。しかし、記憶を辿るが全く思い出せない。いつか思い出すだろうと、稜秩は本棚に目線を戻した。
借りた数冊の本を持参したショルダーバッグにしまい、図書館を後にする。
少し歩くと、通っている高校が見えた。グラウンドではサッカー部が部活動に勤しんでいる。その様子を見ながら学校前を通過する。
次の十字路を直進しようとした時、稜秩は一つの店に目を止めた。十字路を左に曲がって三番目に建っている駄菓子屋。
(あんなところに駄菓子屋ってあったんだ)
いつも咲季と話しながら歩いてるからなのか、今まで気付かずにいた。気になった稜秩は駄菓子屋に向かう。
駄菓子屋は木造の平屋でどこかレトロな雰囲気があり、そこだけが今の時代とかけ離れていた。現在も営業中らしく、出入り口の扉は開け放されている。
迷わず店内に入った稜秩は、駄菓子屋特有の匂いと目の前に陳列されている駄菓子に懐かしさを感じた。
(あのリンゴのゼリー、咲季好きだったな。十円ガムは当たりが出たら咲季によくあげてたし、串カツとスルメは毎回買ってたな)
視界に入る駄菓子全てが、小さい頃の思い出を蘇らせる。今もスーパーなどで購入出来る駄菓子はあるが、駄菓子屋で見ると懐かしさの度合いが全く違った。
「いらっしゃいませ」
優しい声音に顔を上げた稜秩は驚いた。今し方図書館で会ったお爺さんが目の前にいるのだ。お爺さんは嬉しそうにしている。
「おや、お兄さんでしたか。先程はありがとうございました」
「いえいえ……! 偶然ですね、びっくりしました」
「こんなこともあるんですね。どうぞ、ゆっくり見て行ってください」
「あ、はい」
稜秩はお爺さんに会釈すると、駄菓子に視線を戻す。咲季に渡したら喜ぶだろうかと、咲季の駄菓子と自分が食べる駄菓子を選ぶ。
あっという間に稜秩の両手は駄菓子でいっぱいになった。途中、買い物用の小さな竹籠を見つけた。それを二つ手に取り、咲季の駄菓子と自分の駄菓子を分けて入れる。
それからもしばらく、駄菓子を選んでいた。
気付けば竹籠は駄菓子で溢れていた。
(多すぎたかな。まあいいか)
稜秩は竹籠を持ってカウンターに座るお爺さんのもとに向かった。
「これをください」
「ありがとうございます。別々の袋に入れますか?」
「はい、お願いします」
お爺さんはカウンターの棚から紙袋を二枚取り出した。
「あ、お金はいらないですから」
「えっ、どうしてですか?」
稜秩は目を見開いて財布を取り出そうとした手を止めた。お金を受け取らないとはどういうことだろうか。
「図書館で本を取っていただいたお礼です」
「いやでも──」
言い掛けて、稜秩は言葉を止めた。お爺さんの優しい笑顔がこちらに向けられている。お爺さんは稜秩がどれだけ「払う」と言っても首を縦には振りそうになかった。お爺さんの笑顔でそう悟る。
(でも、だからと言ってなぁ……)
稜秩は自分の意思とお爺さんの意志を考え悩む。
そして答えを出した。
「……では、お言葉に甘えて」
それを聞いたお爺さんはより一層優しく笑って頷いた。
「お友達にお裾分けですか?」
駄菓子を袋に詰めながらお爺さんが問うてきた。稜秩は微笑んで言う。
「彼女に渡すんです。喜んでもらえるかなって思って」
「彼女さんですか。きっと喜んでくれますよ」
「はい」
お爺さんの言葉を聞くと嬉しくなった。咲季は喜んで受け取ってくれる。そう確信させてくれた。
お爺さんは袋を見分けやすいようにと、色違いのテープで封をしてくれた。咲季に渡す方は黄色のテープが貼られている。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
稜秩は軽く頭を下げながら二つの袋を受け取り、ゆっくりと駄菓子屋を出る。
何気なく振り返ると、出入り口に立つお爺さんと目が合った。
「ありがとうございました」
優しい笑顔でお辞儀をするお爺さんに稜秩は会釈をし、歩き出した。
(あのお爺さん気前良すぎだな……でも、いい買い物した。〝買い物〟って言っていいかわからないけど)
まだスペースがあるショルダーバッグの中に駄菓子が入った紙袋を入れ、足取り軽く十字路を左に曲がる。
すると、今会いたい人の後ろ姿が見えた。
「咲季!」
名前を呼びながら駆け寄る。
目の前にいる咲季は振り返ると、笑顔を見せてくれた。
「いっちー!」
偶然会って名前を呼び合う。それだけで幸せな気持ちに溢れた。
「偶然だね」
「そうだな。咲季は、買い物帰りか?」
視線を向けた咲季の手元には買い物袋が二つあった。
「うん。お母さんの体調が悪いから代わりに買い物に行ってきたの」
「歩乃さんそんなに調子悪いのか?」
「熱と頭痛で寝込んでるの」
「そうなのか……あ、荷物持つよ」
「ありがとう」
差し出した手に、咲季が持っていた買い物袋が渡された。
すると稜秩は、空いている手で今まで買い物袋を持っていた咲季の手を握った。
互いに顔を見て微笑み、歩き出す。
咲季の家の前に着くと稜秩は持っていた荷物を咲季に返し、ショルダーバッグから紙袋を取り出した。
「それから、これやる」
「えっ、何?」
咲季は嬉しそうに渡された袋の中を覗く。入っている駄菓子に目を輝かせた。
「嬉しい! ありがとう!」
その満面の笑みを見た稜秩は嬉しさを噛み締める。
咲季が家の中に入ったのを確認してから来た道を戻り、帰宅する。
自室で一息ついていると小腹が空いたので、稜秩は少し駄菓子を食べることにした。串カツを一本取り出して一口齧る。久しぶりの味に懐かしさを感じると同時に、小さい頃の記憶が蘇った。
よく縁側で咲季と二人で駄菓子を食べていた記憶。たまにお互いが食べているものを一口ずつ交換したりもした。いつから駄菓子を食べなくなったのだろうか。そんなことを考えながらもう一本の串カツに手を伸ばした。
翌日。
稜秩はいつものように咲季と通学路を歩きながら学校へ向かっていた。
「そういえば、昨日の駄菓子ありがとう! 美味しかったよ!」
「喜んでもらえて嬉しいよ」
「あの駄菓子はどこで買ったの?」
「学校の近くにある駄菓子屋だよ。結構古い、昔からやっているような店。あ、ここの道を曲がったところに──」
十字路に差し掛かると右側の道を見た。
「……は?」
稜秩は思わず立ち止まった。あるはずの建物がない。
「いっちー、どうしたの?」
不思議そうにする咲季の声に反応する前に、稜秩は駄菓子屋が建っていた場所へ駆けた。目の前に広がるのは空き地。慌てて周囲を見回す。他の建物は昨日と変わらずそこにある。
「いっちー?」
稜秩は追いかけてきた咲季を視界に入れた。そして空き地を指差す。
「ここに、駄菓子屋あったよな……?」
「えっ? そこって前から空き地だったよ。それに、この辺に駄菓子屋さんはないし……」
「え……?」
稜秩は混乱した。あると思っていたものが無いと完全に否定されているのだから、仕方のないことである。
空き地を見ながら昨日のことは夢だったのだろうかと考えるが、駄菓子屋で駄菓子を選んでいたこともお爺さんと話したことも、帰宅してから駄菓子を食べたこともしっかりと記憶にある。
稜秩はゆっくりと咲季に問う。
「咲季、昨日俺があげた駄菓子食べたんだよな……?」
「うん、食べたよ。全部は食べきれなかったからまだ残してあるけど」
「そうか……」
咲季に聞いても解決はせず、余計に混乱する羽目になった。
稜秩は、心配そうにする咲季に昨日の出来事をなるべく落ち着いて説明した。それを咲季は真剣に聞いてくれた。
「不思議な話だね」
「信じてくれるか……?」
「うん! だって、いっちーはそういう嘘言わないもん」
「……ありがとう」
稜秩は咲季の言葉が嬉しかった。
しかし嬉しさを感じたのも束の間、今は登校中だということに気付く。
「やべっ、遅刻する……!」
「じゃあ急ごう!」
二人は小走りでその場から離れた。その際、稜秩は少しだけ後ろを振り返った。見えたのは駄菓子屋ではなく空き地。
「……」
昨日のことは一体何だったんだろうか。その疑問を胸に抱えたまま、学校に辿り着いた。
夕方。
帰宅した稜秩は居間のテーブルの近くに置かれたアルバムを見つけた。それを手に取る。母のアルバムだ。
「昔の写真でも見てたのか?」
「そうなの。急に見たくなって八保喜さんと一緒に見てたの」
「へぇ」
台所で夕飯の支度をする母と八保喜に目を配らせてからアルバムに視線を落とす。小学生の時に一度見たことがある母のアルバム。その中の一冊には三歳の時の珠紀が写っていて、友達と遊んでいるところや食事をしているところなどの写真が沢山収められていた。
ページをめくってまた一枚一枚目を通す。
そして、とある写真が目に映った。
「あっ……!」
思わず声が出た。稜秩は写真に写る人物を凝視する。その写真には、駄菓子屋で商品を選んでいる珠紀と、それを微笑ましく見つめているあのお爺さんの姿が写っていた。
そして稜秩は思い出した。初めてお爺さんを見たのはここだったのだと。
納得したところでアルバムを母のもとへ持っていき、それとなく聞いてみる。
「母さん、この駄菓子屋ってどこにあったの?」
「ん? ああそのお店はね、仄和高校の近くにあった駄菓子屋さんよ」
「このお爺さんのお店?」
「そうよ。お爺さんすごく優しい人でね、駄菓子屋さんに行く度にいつも笑顔で迎えてくれたの。それから本を読むのが好きでよく小説を読んでいたけど、私たちには絵本を読み聞かせてくれたわ。でも私が小学生の頃にそのお爺さんは病気で亡くなって駄菓子屋さんは閉店。そのまま取り壊されちゃったの」
「……その跡地ってずっと空き地?」
「そうみたいね。それがどうかしたの?」
「いや、ちょっと気になっただけ」
稜秩は居間に戻り、写真に写るお爺さんを見つめる。なぜお爺さんは自分の前に現れたのか。それが疑問だった。
(母さんの前に、だったら分かるけど……俺が母さんの息子だから? 全然分からねぇ……)
疑問は消えず、首を捻るばかりだった。
「あ、そうだ」
稜秩は小さく声を漏らすと、自分の部屋に向かった。
部屋に入って真っ先にテーブルの上を見た。そこにはまだ食べていない駄菓子がいくつかある。
その中の一つを手に取り、やっぱり現実だよなと思った。驚きはあるが怖さはない。その不思議な感覚に面白さを感じる。
「……咲季以外には秘密にしよ」
表情を緩めた稜秩は駄菓子を元の場所に戻し、部屋を出ようとする。
しかし、一度駄菓子の方を振り返った。
「また後でいただきます」
穏やかな口調でそう伝え、部屋を出た。
稜秩の足音が遠ざかっていく。
テーブルの上の駄菓子は嬉しそうにしていた。




