新学期
席に着くと、今まで見ていた景色とは違うそれに「進級したんだ」と咲季は実感した。しかし、周りのクラスメイトも担任の先生も顔ぶれは変わらない。というのも、この学校はクラス替えがなく、余程の事がない限り担任が変わることもないからだ。
「それじゃあ……席替えでもするか」
雪村は新学期の挨拶もそこそこに突然の提案を持ちかける。その瞬間、生徒たちは嬉しそうに声を上げた。教室中が騒がしくなる。
「もう少し静かにしろー」
雪村は生徒たちに注意をしながら黒板に座席表を書いていく。
(席替えしたらきっとみんなと離れちゃうんだろうなー……)
既に用意され、教卓の上に置かれたくじの箱を咲季は見つめる。
入学してから初めての席替えでこの配置になったのだが、そこでかなりの強運を使ったのではないかと思う。
(雪村先生は四月に席替えをしたら進級するまで席はそのままって言ってたから、この並びは奇跡に近いよね)
そんなことをぼんやりと思っていると、くじ引きが始まっていた。廊下側の列に座るクラスメイトから順にくじを引いていく。その際、雪村が「楽しみがなくなるからくじは誰にも見せるなよー」と言っていた。
咲季もくじを引きに席を立つ。箱の中から一枚紙を取り出して席に戻ると、自分にしか見えないように遠慮がちに紙を開く。
そこには「33」と書かれていた。黒板に書かれた座席表を確認する。途端に咲季の表情が明るくなる。
(窓側の一番後ろだ! そこなら外の景色眺められるし、そのスケッチも出来る)
「咲季、良い席だったのか?」
咲季は紙を閉じて笑顔で稜秩の方を振り返る。
「うん、良い席だよ! よく分かったね」
「雰囲気で何となく」
「それで察するのはさすがね」
「稜秩はチビッ子のことなら何でもお見通しだもんなー」
「表情を見なくても分かるってすごいね」
稜秩たちが話しているのを見て、咲季は少し淋しさを感じた。
(こうやって後ろを見たら皆がいる状況はしばらくないのかな。でもクラスが別々になるわけじゃないから、そこまで気にしなくていいか)
そう思う咲季も会話に混ざり、この席での最後の時間を過ごす。
全員がくじを引き終わると、皆、自分の荷物を持って新しい席へと移動する。
窓際の席に着いた咲季は隣を見た。嬉しくて声が弾む。
「連朱くん、よろしくね!」
「うん、よろしく」
隣の席になった連朱に声を掛けた後、周りを見回す。天夏は真ん中の列の一番前、その右斜め後ろには淋しそうな表情をしている瀬輝がいる。
そして稜秩は、廊下側の一番後ろの席。丁度、咲季と連朱と同じ列だ。
(それなりにバラけたなぁ)
思いながら咲季は窓の外を見る。校庭の桜の木が目に止まった。風に乗ってひらひらと舞う花びらが咲季の心を奪う。
(今日は桜を描こう)
咲季は早くも部活のことを考えていた。
放課後になると咲季は教室に画材道具を持ってきて、自分の席から見える桜の木を描き始める。今この教室にいるのは咲季一人だけ。他のクラスメイトたちは部活などでいない。
廊下からは笑い声や足音が聞こえてくる。それらを気にすることなく、咲季は絵に集中する。
緩やかな風に乗って桜の花びらが宙を舞った。直後に少し強い風が吹く。花びらは高く舞い上がり、校舎の屋上へと姿を消した。
「綺麗……」
一部始終を見ていた咲季は目を輝かせながら呟いた。
(誰か屋上にいたら、あの花びらを見て綺麗って思うかな)
そんなことを考えながら視線を桜の木とスケッチブックに戻す。
風が吹く度に春の匂いを感じる。咲季は大きく息を吸い、それを楽しんだ。
ふと、楽しそうに笑いながら歩く新入生たちが視界に入った。
(あたしたちも一年前はあんな感じだったんだなー)
咲季はその頃を思い出す。
哉斗とは通う学校が分かれてしまったが、稜秩たちと同じ高校に入学できて喜んでいたのを今でも覚えている。新しい制服にはしゃいだり、入学式が終わった後はみんなでプリクラも撮りに行っていた。
「あ、そうだ。写真撮ろ」
そう言ってスクールバッグから携帯電話を取り出そうと振り返ると、開いている教室のドアから此方を見ている女子生徒がいることに気付いた。
目が合うと、その子は慌ててドアの陰に隠れた。
「……」
気になった咲季はスケッチブックを机に置いてドアの方へ向かう。
ドアから顔を出すと目の前にその子がいた。黒縁メガネにおさげの女の子。今日入学してきた子だと、制服の赤いリボンを見て咲季は判断した。
「わっ、ごめんなさい! ごめんなさい!!」
咲季の顔を見るなり、彼女は赤面して頭を抱えてしゃがみ込んだ。咲季もしゃがむ。
「誰かに用があってここに来たんじゃないんですか?」
「……」
咲季が優しく問い掛けると、彼女は小さく頷いた。少し充血した目と視線が合う。
「采之宮さん、ですよね……?」
「そうです」
「は、初めまして! 私七蔵志保と言います! お、お父様の、律弥さんのファンです!!」
目の前の女の子から父の名前と〝ファン〟という言葉が出てきたことに咲季は驚いたが、すぐに表情を緩める。
「ありがとうございます。嬉しいです!」
咲季の笑顔につられるように、志保も笑みを見せる。しかし、ハッとしたようにまた慌てふためく。
「あぁ、でもご挨拶に来ただけで私生活を詮索しようとかそういうことは絶対しないので……!! 失礼しましたぁっ!!」
志保は早口で言うと急いでその場を離れた。
取り残された咲季は走り去る彼女を目で追うことしか出来なかった。
「あっという間だー……」
静かに呟くと咲季は立ち上がって自分の席へ戻る。その途中、彼女の表情を思い出していた。心の底から律弥のことが好きだというのが伝わる顔。
(ああやって言ってもらえるのってすごく嬉しいな)
自然と微笑む咲季はバッグの中から携帯電話を取り出し、窓から見える桜の写真を撮る。
「うん、いい感じに撮れた!」
満足そうに言うと携帯電話を机の上に置き、スケッチを再開する。
「ただいまー」
いつものように、稜秩に家まで送ってもらった咲季が玄関のドアを開けてそう言うと「おかえり」と両親が返事をしてくれた。
荷物を置きにリビングへ行くと、二人がケーキを食べながらテレビを観ていた。
「咲季の分のケーキもあるけど今食べる?」
「うん!」
母の問いに答えた咲季は足取り軽く父のもとへ行く。
「お父さん! 今日ね、お父さんのファンの子が入学してきたよ!」
「え、本当?」
「うん、本当!」
「そっか。なんか嬉しいな」
照れつつも喜ぶ父の顔を見て咲季もまた嬉しくなった。
「お父さんのこと大好きだから、あたしも嬉しかったよ!」
屈託のない笑顔で伝えたその言葉を残し、咲季はリビングを出て行く。しかし、父が顔を真っ赤にしていることには気づいていない。
代わりに母の歩乃がその姿を微笑ましく見ていた。
(いっちーたちとは席が離れちゃったけど連朱くんが隣にいるし、新学期早々嬉しいことがあったし、今年は修学旅行もある。二年生も楽しくなりそう)
咲季は手を洗いながら、心を躍らせていた。




