昔は……
いつも通り、稜秩と一緒に登校した咲季。
「おはよー」
クラスメイトと挨拶を交わしながら、自分の席へ着く。
斜め右後ろの席に座る稜秩と話してしばらくすると、連朱と瀬輝が教室に入って来た。
「……」
咲季は誰も座っていない後ろの席に視線を向ける。いつもなら、既に天夏が登校している時間だ。
(どうしたんだろ……何かあったのかな……?)
心配そうな顔をしていると、携帯電話にメールが届いた。送信者は天夏。
《熱があるから休む》
メールを開くと、その一文が書かれていた。
「……」
「咲季どうした?」
表情を曇らせていると、それに気付いた稜秩が問い掛けてきた。
「天夏、熱があるから学校休むって」
「そうか」
咲季は携帯電話に目を落とすと返信メールを打つ。
《わかった。お大事に。》
その文章を書いて送信する。
送信済みの画面を見ながら、咲季は小さくため息をついた。
熱のせいで頭がぼーっとする中、天夏は送られてきたメールを見て、今咲季がどんな表情をしているのか想像が出来た。きっと暗い顔をしているはず。文面を見るだけで何となくそれが分かる。
(本当、分かりやすい子。感情に素直っていうのかな。それでいて真っ直ぐで、たまに頑固なところがあって。笑顔の絶えない咲季を見てると、こっちも笑わずにはいられない……でもあの頃は違う)
天夏は静かに息を吐いた。
(昔は、咲季のことが大嫌いだったな……)
天夏と咲季は幼稚園で出会った。咲季は初対面の時から天夏に何度も近寄っていた。
しかし天夏は、姿を見るのも嫌なくらい咲季のことが大嫌いだった。馴れ馴れしく、どこへ行くにもついて来る。それが鬱陶しいと思っていた。中でも一番嫌いだったのは笑った顔。へらへらしていて、見ているだけで苛立っていた。
近所で一つしかない公園で遊んでる時も、咲季は天夏に近づいてきた。
「天夏ちゃん、遊ぼー」
「ついて来ないで!」
「どうして?」
「アンタが嫌いだから!!」
天夏は強く言い放ち、きょとんとする咲季に背を向けた。
「……」
離れていく天夏をぼんやりと見つめる咲季。
不意に腕を掴まれ、振り返る。
「砂のお城、作るんだろ?」
一緒に遊んでいた稜秩の言葉に咲季は約束を思い出す。
「あ、そうだった。ごめんね」
そうして咲季と稜秩は手を繋いで砂場へと向かう。
「……」
その様子を、天夏がちらっと見る。
(なんで私ばっかりについて来るのよ!!)
「天夏ちゃんも大変だね」
苛立ちを心の中にぶちまけていると、一緒に遊んでいた子たちが声を掛けて来た。その頃よく遊んでたチカという女の子とその後ろにいる二人の女の子。
「あの子しつこいよねー。幼稚園にいる時もずっと追いかけてくるよね」
「うん」
「城神くんはなんであんな子と一緒にいるんだろ?」
「家が近いからじゃない? かわいそうだよねー」
三人は天夏を庇うようにそんな話をしてきた。
それは、今思えば嫌な幼稚園児だった。
別の日。
「ねぇ、見て見て! かわいいでしょ?」
そう言ってチカは、天夏たちに自分のカバンに付けたくまのキーホルダーを見せてきた。
「かわいい!」
「どこで買ったの?」
「お父さんがおみやげに買ってきてくれたの! みんなの分もあるよ! おうちに帰ってからでいいから、カバンにつけてね!」
チカはカバンの中から三人分の色違いのキーホルダーを取り出して配った。天夏に渡されたのは青色のくま。
それを嬉しそうに見ていると、咲季が「かわいいね」と声を掛けてきた。しかし天夏は咲季を無視してキーホルダーをスカートのポケットに押し込んだ。
そのことをすっかり忘れた帰り道。母と手を繋いで歩いていた時、天夏が理由もなく突然走り出した。
走るたびに伝わる振動でキーホルダーがポケットから顔を出す。少しずつ露わになる姿。ついには全身が外に出てしまい、近くの小さな川に静かに落ちた。
それに天夏も母も気付かない。
家へ戻った天夏は荷物を置いて服を着替えてからいつもの公園へ向かった。
その時にはキーホルダーのことは忘れていたが、遊んでいる最中にその話題が出てきたことで、家に帰ったらカバンにつけなきゃと何度か思い返していた。
家に帰ってすぐにスカートのポケットを探る。
「……あれ……?」
しかしそこにキーホルダーはない。天夏は焦った。もう一度ポケットの中を探してもカバンの中を探してもない。そこで初めてどこかに落としたんだと気付いた。
次の日、いつものように母と幼稚園に向かう際、キーホルダーが道に落ちてないか周りを見て歩いた。さらに園内も探した。
それでもどこにもなく、天夏は悩んだ。
「天夏ちゃん、キーホルダーは?」
通園バッグにキーホルダーを付けていないのを見て、チカが言った。
「えっと……つけてくるの忘れちゃった」
天夏は咄嗟に嘘をついた。
その場はそれで乗り切れたが、結局どこを探しても見つからなかった。
これ以上嘘をついているのは辛いからと、公園で遊んだ時にチカたちにそれとなく伝えた。
「キーホルダーなくしたの!?」
三人は驚いた顔をして、天夏の周りを囲む。
「ごめん、探したけど見つからなくて……」
「もらってすぐになくすなんて、天夏ちゃんヒドイ! パパが買ってきてくれたのに!!」
「サイテーだよ!!」
「ごっ、ごめんね……! でもそんなつもりじゃ──」
「でもなくしたんでしょ!?」
「そうだけど……これから、また探すから……」
寄ってたかって責め立てる三人を、天夏が何とか宥めようとしていた時。
「……いいよ、探さなくて。もう友達じゃないから」
「えっ……?」
その静かな物言いが、天夏の心に深い痛みを与えた。胸の真ん中がギュッとなる。
そんな天夏を無視するように、チカは他の二人を連れて遊具で遊び始めた。
「……」
一瞬で距離が遠くなった三人を見つめていると、公園内にいた咲季が近寄って来た。
「天夏ちゃん、キーホルダーなくしたの?」
その問い掛けが、天夏の感情を逆撫でする。
「アンタには関係ないっ!!」
強く言い放ち、天夏は公園から走り去った。
咲季は天夏が消えた方向をしばらく見つめていた。
生い茂る雑草の中や緩やかに水が流れる水路、建物や自動販売機の隙間を探しても中々見つからない。
それでも天夏は、キーホルダーを探し続けた。きっと見つけたら仲直りできる。その想いを抱えて。
翌日登園した天夏だが、チカたちから無視をされたり、聞こえるように悪口を言われたりした。それに耐えていると、チカがわざとぶつかってきた。その反動で天夏が転ぶ。
すると、一部始終を見ていた咲季がチカに言葉を投げ掛ける。
「ねぇ、どうしてそんなことするの? 友達でしょ?」
「もう友達じゃないよ。昨日そう言ったし」
「物をなくしたくらいで友達じゃなくなるの?」
「そうだよ」
「そんなの間違ってるよ!」
「うるさい!」
そう言って、チカは咲季を突き飛ばした。
咲季は転びそうになったが、間一髪のところで稜秩に支えられた。
「……こういうことするの、どうかと思うけど」
稜秩の言葉に三人は言い返さず、その場を離れた。
そんな三人を見ることなく咲季は転んだ拍子に服に付いたゴミを払う天夏に近づき、手を差し出した。
「天夏ちゃん、大丈夫?」
「……」
天夏は咲季の手をちらりと見た後、一人で立ち上がって何も言わずに離れて行った。
その後ろ姿に咲季の心がちくりと痛む。
「……ねぇ、いっちー」
「わかったよ」
「えっ、あたしまだ何も言ってない」
「咲季の考えてること、だいたいわかるから」
それを聞いて、咲季はにっこりと笑った。
家に帰った天夏は外に出ることなく、ただぼんやりとテレビを観ていた。
外が薄暗くなり夕食の良い匂いが漂い始めた頃、家の呼び鈴が鳴った。
母に頼まれて天夏が玄関のドアを開けると、顔や服が泥まみれになった咲季が立っていた。その後ろには、咲季と同様に全身泥まみれの稜秩もいる。
「天夏ちゃん、キーホルダーあったよ!」
キーホルダーを乗せた両手を差し出す咲季。
水で洗い流したのか、キーホルダーにはあまり汚れが付いていなかった。
「……これ、どこに……?」
「幼稚園近くの道の端っこにある川だよ。橋の下のトンネルみたいになってるところにあったよ」
「……」
天夏はゆっくりと手を伸ばし、キーホルダーを受け取る。湿った感触が伝わってきた。
「……ありがと……でも、なんでアンタが……」
「天夏ちゃんが困って悲しんでるのに、無視できないよ」
「……なんで私に優しくするの……? ひどいこと、言ったりしてるのに……」
「天夏ちゃんと仲良くしたいから!」
咲季は優しく笑い掛けた。
それは天夏の心をぎゅっと締め付けた。
涙で視界が滲み、咲季が見えなくなる。
天夏は声を上げて泣いた。
「──……」
目を開けると、見知った天井が見えた。昔のこと思い出していたらそれがそのまま夢に出てきてしまったようだ。過去の自分と同じように天夏の目からは涙が溢れていた。
流れる涙を拭って、枕元に置いてある時計を見る。時計は15時30分を過ぎていた。随分寝ていたんだと思うと同時に体のだるさが少し消え、熱が引いている気がした。体温を測ってみる。
熱は37度1分まで下がっていた。
しばらくベッドの上で横になっていると、家の呼び鈴の音が聞こえた。
少ししてから誰かが階段を登ってくる足音が聞こえてきた。二人分の足音。それは、天夏の部屋の前で止まった。
ドアが開く。
「お姉ちゃん、咲季ちゃんが来たよ」
「……うん……」
幼稚園から帰って来た妹の秋凪の言葉を聞きドアの方を向くと、咲季が様子を伺うようにひょこっと顔を覗かせて部屋に入ってきた。
天夏はゆっくりと上体を起こす。その際、ドアを静かに閉めて部屋を後にする妹の姿がちらりと見えた。
「具合はどう?」
「だいぶ楽になったわ。熱も下がってきたし」
「そっか。良かった」
咲季は安堵の表情を浮かべた。そしてスクールバッグを開けて物を取り出し、テーブルの上に置いていく。
「これ、今日配られた数学のプリントと授業があった教科全部のノートのコピー。それから……天夏の好きなバニラプリンとスポーツドリンク」
次から次へと出てくる物を、天夏は少し呆気にとられながら見ていた。
思わず笑ってしまう。
「あたし、何か変なことしゃべった?」
「ううん。ただ、色んなもの持って来てくれたんだなぁって思っちゃって。咲季、ドリンクもらえる?」
「うん」
咲季はスポーツドリンクを手にすると、キャップを少し開けて天夏に渡した。
「ありがとう」
ドリンクを喉の奥へと流し込む。冷たさが体中に行き渡る。
気が付けば、半分ほどまでに減っていた。
「すごく喉渇いてたんだね」
「うん。さっきまでずっと寝てたからそのせいかも」
「そっかぁ。一本だけじゃ足りなかったかな……?」
独り言のように呟いた咲季。
そんな咲季を見ながら天夏は前に一度聞いたことを思い出していた。「たくさんひどいことを言ったのに、どうして私と仲良くしたかったのか」と。
その時、咲季は迷わず。
『直感だよ』
と答えた。その直感だけであれだけ人を追いかけられるのはすごいと天夏は感心する。
でもそのおかげて今こんなにも仲が良い。
天夏は、胸に込み上げてきた思いをつい口にしたくなった。
「咲季、ありがとう」
「うん、どういたしまして!」
言葉の真意を知らない咲季は、いつものように笑った。
その素直さが可愛くて天夏は微笑む。
これから何年経っても、咲季のことは嫌いにならないと天夏は心の底から思った。咲季の笑顔はかわいくて、癒してくれて、一緒にいて楽しくて、そばにいたいと思える存在だから。
大好きな親友だから。