そばにいられるだけで
テスト期間最終日を終え、午後は街に出て遊んだ稜秩は咲季と手を繋ぎながら通学路である住宅街を歩いていた。あと数分歩けば、自分の家に着く。
いつもなら、まず自分の家を通り越して咲季を家まで送っている。そんなルーティンを思い浮かべるが、今日は必要ない。
というのも、咲季の両親が結婚記念日の旅行で不在のため、咲季が稜秩の家に泊まるからだ。当初は咲季が一人で留守番をする予定だったが「一人だと心配だから泊まりに来い」と稜秩が提案したことで今回のお泊まりが決定した。
稜秩は嬉しくて仕方がなかった。一日中咲季と一緒にいられるのだから。
その嬉しさを噛みしめながら咲季と他愛もない話をしていると、どこからか美味しそうな匂いが漂ってきた。二人の鼻がそれに反応する。
「良い匂い……!」
「肉じゃがだな」
「だよね! 食べたいなぁ」
「今日の晩飯肉じゃがだって母さん言ってたぞ」
「本当!? やった!」
満面の笑みを浮かべて喜ぶ咲季を見て、稜秩は微笑んだ。繋いだ手を優しく握る。
「ただいまー」
稜秩が玄関の扉を開けて言うと「おかえり」という言葉が三つ聞こえてきた。その後、八保喜の足音が近付いてくる。
「咲季ちゃん、いらっしゃい」
「お邪魔します」
笑顔で迎えてくれた八保喜に咲季は笑顔を見せた。
靴を脱いで家に上がった二人は、八保喜に続いて居間に向かった。居間ではルビンが炬燵に入ってテレビを観ていた。
「咲季ちゃん、こんばんは」
「こんばんは。今日はお世話になります」
咲季はルビンに頭を下げると、台所で夕飯を作っている珠紀のもとに向かった。
「テストはどうだった?」
咲季の姿を目で追っていると、ルビンが声を掛けてきた。稜秩はその場にしゃがむ。
「まあ、いい感じ」
「それは良かった」
微笑むルビンの服装に目がいった。朝に見た時と同じ、着物姿。その着物は、一昨年のルビンの誕生日に自分の手で作って渡した着物だ。父が持っている着物と比べると段違いなそれを、父はちゃんと着てくれている。それが何よりも嬉しかった。
同時に夢が溢れる。
「親父、俺いつかさ、立派な生地で着物作るから楽しみにしてて」
「うん、楽しみにして待ってるよ」
そう言うルビンの手が稜秩の頭を優しく撫でた。稜秩は小っ恥ずかしくなり、視線を外す。
父の手が離れると、立ち上がって台所にいる咲季を見た。
「咲季、手洗いに行くぞ」
「うん!」
珠紀と話し込んでいた咲季は笑顔で振り返り、ついてきた。
「あ、お風呂沸いてるから入っていいぞー」
洗面所に向かう途中、珠紀の手伝いをしていた八保喜の声に稜秩と咲季は「はーい」と返事をした。
「咲季が最初に入っていいぞ」
「えっ、いいの?」
「ああ」
「じゃあそうしよ」
咲季は手を洗うと、登校する前に八保喜に預けた荷物が置いてある稜秩の部屋に向かい、風呂に入る準備を始める。
一方稜秩は、まだ早いと思ったが咲季が使う布団を用意しようと隣の部屋へ行く。押し入れにしまってある咲季専用の布団を取り出す。その際、微かに咲季の匂いが鼻をかすめた。
(たまにしか使ってないのに匂いって付くんだな)
そう思いながら手にした掛け布団と枕を足元に置き、敷布団も出した。
それらを持って自分の部屋へ行く。咲季は既に風呂場に向かったようで、そこには誰もいなかった。
部屋の向かって左側に咲季の布団を、その隣に自分の布団を敷く。これが、咲季がこの部屋で寝るときのスタイルだ。それは稜秩がここで一人で寝るようになった時からずっと続いている。
稜秩はゆっくりと自分の布団の上に寝転がる。ふんわりとした感触が心地いい。そのせいか、徐々に眠気がやってきた。
(これから飯なんだから寝ちゃダメだ……)
必死に眠気に対抗するが、瞼はゆっくりと閉じていく。
次に目を開けた時、髪を濡らした咲季の顔が間近にあった。稜秩は思わず少しだけ後ろに下がった。
「……びっくりした……」
「ごめん、脅かすつもりはなかったんだよ……!」
「そうかい。でも、おかげで目が覚めた」
笑みを溢す稜秩は咲季の頭に手を伸ばす。しっとりと濡れた感触が伝わってくる。
「まだ乾かしてなかったのか?」
「うん。脱衣所にドライヤー持っていくの忘れてたから、これから乾かすの」
「じゃあ俺がやるよ」
稜秩がそう言って起き上がると、咲季はカバンから取り出したドライヤーのコードをコンセントに繋ぎ、稜秩にドライヤーを差し出す。
「お願いします」
嬉しそうにする咲季からドライヤーを受け取ると、稜秩は無防備な背中と向かい合う。
ドライヤーのスイッチを入れて濡れた髪を乾かす。その髪は指通りが良くしなやかで、温風に乗ってシャンプーのほのかに甘い香りがする。
髪が乾くとドライヤーのスイッチを切り、指で髪を梳かした。
「咲季の髪は綺麗だな」
「ありがとう。天夏みたいな髪になりたくて頑張ってるの」
「そうか」
嬉しそうに話す咲季につられ、稜秩も笑う。
すると突然、咲季が振り向いた。
「いっちーがお風呂から上がったら、今度はあたしがドライヤーで髪乾かすね!」
「ああ、頼む」
そう言って稜秩は咲季の頭を優しく撫でた。
居間へ行くと炬燵の上には料理や食器が並び、すぐに食事が出来るようになっていた。稜秩は定位置に座り、その隣に咲季が座る。
「美味しそう!」
「まだたくさんあるから、遠慮なく食べてね」
「うん!」
満面の笑みを見せる咲季を見て、珠紀が嬉しそうに微笑んだ。
一同が揃ったところで、夕食の時間が始まった。
バラエティー番組やドラマを観た後、風呂に入った稜秩は今、咲季にドライヤーで髪を乾かしてもらっている。そのやり方はとても丁寧で、心地よいものだった。
「出来た!」
「ありがと」
ドライヤーを片付ける咲季は満足そうに笑っていた。
「じゃあ、これ観よう!」
そんな咲季が手にしたのは、昼間に買ってきたアニメ映画のDVD。この作品は雑貨屋が舞台の日常系アニメで、テレビアニメの続編となる映画である。二人はテレビで放送されていた時からこのアニメが好きで、映画も何度も観に行っていた。
DVDをレコーダーにセットし、再生する。
すると、咲季がにこにこしながら稜秩の足の間に座った。稜秩は身を委ねてきた咲季のお腹に手を回し、さらに密着する。
二人は会話をせず、映画に集中した。
物語が中盤に差し掛かった頃、咲季の頭が少しずつ傾き始めた。それに気付いた稜秩はその顔を覗き込む。咲季は瞼を閉じて寝息を立てている。
(完全に寝てる……)
目を開けないことからそう認識した稜秩は、咲季を起こさないように静かに布団に寝かせた。
テレビを消して自分も横になり、咲季の寝顔を見つめる。
(かわいい寝顔)
静かに笑いながら稜秩は思った。手を伸ばし、咲季の頬に触れる。柔らかく、手触りが良い。
(咲季の肌ってすべすべしてるなー。色々手入れしてるんだろうな)
親指を滑らせて肌の感触を楽しむ。そうしていると、咲季がくすぐったそうに掛け布団に顔を埋めた。稜秩は思わず咲季から手を離す。
「顔隠すなよ」
呟き、掛け布団をそっとずらして隠れた顔を少しだけ出した。そしてまた咲季を見つめる。それだけで稜秩の心は満たされていた。
(咲季のそばにいられるだけで充分幸せだ)
稜秩は表情を緩ませる。
しばらく咲季の寝顔を見た後、その頭を優しく撫でた。
「おやすみ」
静かな声で言うと、枕元に置いていた照明のリモコンで部屋の明かりを消し、咲季の方を向いて眠りについた。




