自分の気持ち
日が沈み、悠閑高校の全日制の生徒たちが部活動に勤しんでいる中、定時制の生徒たちが教室に集まり始めていた。
ちすずは席に座り、友達の深山乃々花と文目茉紀と話をしていた。
「そういえば、あの年下くんとはどうなの?」
乃々花から突然振られた朱李の話題に、ちすずはドキッとする。
「た、たまに連絡してるくらいだよ」
「どんなこと話してるの?」
「趣味とか好きな食べ物の話とか」
「ほぉ〜」
「あの子、完全にちすずに惚れてるよね」
「な、何でそうなるの!?」
静かな物言いの茉紀に対し、ちすずは取り乱した。
「だって〝連絡先交換しませんか?〟ってそういうことでしょ」
「いやぁ、それはないかと……私好かれる理由ないし……」
「好かれる理由があるからあの子はちすずともっと仲良くなりたいって思ったんだよ!」
「考えすぎじゃない……? 私スタイル良くないし、かわいくないし」
「ネガティブにならない!」
何でも否定するちすずの肩を乃々花がポンポンと軽く叩いた。
それでも後ろ向きな姿勢を崩さないちすずに茉紀が問う。
「ちすずは何であの子に連絡先教えたの?」
「それは、断ったら次バイト先で会った時気まずいなって思って……」
「あー、たしかに気まずいかも」
「理由はそれだけ?」
「それだけ。はい、この話は終わり!」
「え、もっと話そうよ!」
「終わりったら終わりー」
話を強制終了させたちすずは、話題を別のものに変えた。
帰り道、母が運転する車の助手席に座るちすずは外の景色を眺めていた。すると、ちすずの携帯電話に朱李からメールが来た。
《今週の土日のどちらか、都合が合えば二人で甘いものを食べに行きませんか?》
書かれた文字を見たちすずの目は大きく開かれた。
瞬時に茉紀の言葉がよぎる。
『あの子、完全にちすずに惚れてるよね』
(いやいやいや、そんなことないって……ただの〝友達としての〟お誘いだよ)
否定するちすずは今週末のことを考える。土曜日であればアルバイトは休みで何も予定はない。断る理由もない。
「……」
行きたくないというわけではないので、ちすずは《土曜日ならいいですよ》と返信した。
するとすぐに、朱李から《本当ですか!? ありがとうございます!!》と嬉しそうなのが伝わってくるメールが届いた。
その週の土曜日。待ち合わせの時間よりも早く集合場所の公園に着いたちすずは、ベンチに腰掛けていた。道に積もった雪の上を歩く人たちを何となく目で追いかける。
そうしていると、雪を踏み締めて此方に駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「すみません、お待たせしました!」
少し息を切らせた朱李の顔には申し訳なさと楽しげな笑みが混在していた。
ちすずは、待ち合わせまでまだ時間があるんだから走ってこなくてもいいのになと思いつつ、ベンチから立ち上がる。
「いえ、私もついさっき来たばかりなので大丈夫ですよ」
「良かった……夜桜さん、どっちがいいですか?」
「えっ?」
突然、朱李が差し出してきたものに目を移す。その手にはミルクティーとココアの缶があった。
「夜桜さんが先に来てるのが見えて、寒いんじゃないかなって思ってすぐそこの自販機で買ってきました!」
「あ、ありがとうございます……」
ちすずは少し戸惑いながらミルクティーを選んだ。温かい温度が直に手に伝わる。
「お金──」
「ああ、いいです! 気にしないでください!」
ニッコリと笑う朱李の顔を見上げるちすずは嬉しいさと申し訳なさを感じた。
(まだちゃんとバイトができない年齢の子に奢らせてしまった……)
ちすずはミルクティーの缶に目を落としていると、ベンチに座る朱李の姿が視界に入った。
「お店までそれなりに歩くので、これ飲んで体を温めてから行きましょう」
「そ、そうですね」
頷くちすずは朱李の隣に座り、缶の蓋を開けた。
カフェに来た二人は注文したパフェをそれぞれ食べていた。
ちすずは口の中に広がるアイスやチョコレートの味を堪能する。パフェを食べる度に増す幸福感に浸っていると、目の前から小さな笑い声が聞こえた。
「夜桜さん、幸せそうに食べますね」
朱李が微笑んでこちらを見ていた。恥ずかしくなったちすずは視線を彷徨わせる。
「そ、そうですか……?」
「はい。すごく幸せそうで、かわいいなって思って──」
思いがけない言葉に驚いたちすずが視線を朱李に戻すと、赤面している彼と目が合った。
すると朱李は、ちすずから目を逸らして静かに自分のパフェを口に運んだ。その間も、顔は赤く染まったまま。
それにつられて顔を赤らめるちすずは恥ずかしさを紛らわせる為にパフェを勢いよく食べつつ、自分に言い聞かせる。
(〝かわいい〟って言ったのはあれだ……〝パフェがかわいい〟ってことなんだ。パフェがかわいいっていう意味がよく分からないけど、そういうことだ。きっとそうに違いない)
頭の中で色々言うが気持ちが全く落ち着かないちすずは、とりあえずパフェを食べることだけに集中した。
パフェを完食すると、温かいジャスミンティーをゆっくりと飲む。その頃には気持ちは落ち着いていた。
朱李が笑顔で話しかけてくる。
「パフェ、美味しかったですね」
「美味しかったです!」
「この後、どうしますか? どこか行きたいところありますか?」
「そうですね……」
ちすずは考えた。自分が行きたい且つ、朱李があまりお金使わない場所。
「漫画の新巻を買いたいので、本屋に行きたいです」
「分かりました。漫画って、どんな漫画ですか?」
「『露と雨』っていう漫画です」
「あ、それ俺も読んでますよ!」
「本当ですか!?」
ちすずは驚きと嬉しさを隠せず、前のめりになった。少女漫画を読んでる男の子が身近にいるとは思いも寄らなかったからだ。
「はい。表紙を見て『この絵好きだなー』って思って買ったのがきっかけなんです」
「絵も良いですよね! 綺麗だし、みんなかわいいし!」
「そうなんですよ! それに話も面白くて惹き込まれるんですよね。そういえば、来週から実写映画が公開されますよね。夜桜さんは観に行くんですか?」
「観に行きます。好きな女優さんも出ているので」
今こそちすずは乗り気であるが、実写映画化の話を聞いた時は不安だった。好きな漫画が実写化されたことは何度かあったのだが、ショックを受けるものが多かったから。
しかし今回の実写化に関してはビジュアルやストーリー、内容全てが求めていたものだったので「観に行く」と決めていた。
「お、俺も、観に行こうかな〜……」
「観に行って損はないと思うので、そうした方がいいと思います!」
「そ、そうですね……!」
顔を痙攣らせ、どこか落ち着きのない朱李は窓の外に視線を向けた。
そんな彼を見てちすずは不思議に思う。
(私、何か変なこと言っちゃったかな……? そんなつもり全然なかったんだけど……)
数秒前のやりとりを思い出してみる。特に突飛な言動はしていない。心の中で首を傾げるちすずだったが、朱李が違う話題を振ってきたので一旦それを忘れることにした。
カフェを後にした二人は、近くのショッピングモールへ向かった。その中にある本屋で漫画の新巻を購入したちすずはそれだけで満足していた。
本屋を出たところで朱李に問う。
「湊琉くんはどこか行きたいところありますか?」
「俺はですね──」
「朱李くん!」
話している途中で聞こえたその声に、朱李と一緒にちすずも振り返る。そこには、思わず見惚れてしまう程に綺麗な女の子と、ほわほわとした雰囲気の女の子がいた。
「咲季ちゃんと天夏さん! 偶然ですね!」
朱李は驚きつつも笑顔で二人に歩み寄った。
一方ちすずは、初めて見る朱李の友達らしき女の子たちに釘付けになる。
(ショートカットの子、美人だなぁ。しかもスタイルも良くてモデルさんみたい。何食べたらああなるんだろう。それにお連れさんもかわいい。あんなほんわかした子、テレビでしか見たことないよ。見てるだけで癒される……)
そうしていると、その二人と目が合ってしまった。ちすずは咄嗟に会釈をする。すると、二人から会釈が返ってきた。
そのおかげで緊張したのも束の間、ちすずは彼女たちの服に目を向けた。コートに隠れてその全貌は見えないが、どちらもおしゃれな服装だなと思う。そして、二人と話す朱李もおしゃれな格好のため、そこだけ別世界のように感じた。
「……」
ちすずは見えない境界線に苦笑いする。自分はジーパンに長袖のTシャツに使い古しのジャンパー。いつも通りの適当な服。なぜこんな服を選んでしまったのかと後悔する。
(元々お洒落な服なんてないけど、湊琉くんに申し訳ないな……こんなのが隣にいて……)
ちすずは静かにため息をついた。
そうしていると、朱李が戻ってきた。
「すみません、お待たせして」
「いえ……! 大丈夫ですよ」
「行きましょうか」
「はい」
朱李より半歩遅れて歩き出したちすずは、歩調を合わせて隣を歩いてくれる朱李を見上げた。
「あの二人は知り合いですか?」
「俺の兄ちゃんの友達です」
「友達……」
呟いたちすずはまた次元の違いを感じた。綺麗な顔立ちの兄にかわいい女の子と美人の友達がいるというのは、最早空想の出来事のよう。
そう思うと同時に、聞いてみたいことが出てきた。
「もう一つ、聞いていいですか?」
「はい」
「どうして私と〝もっと仲良くなりたい〟って思ったんですか?」
「へっ!? そっ、それはー……」
唐突な質問に口籠る朱李は顔を赤らめて視線を彷徨わせた。
彼が立ち止まると、ちすずも立ち止まる。
朱李の言葉を待っていると、彼と視線が交わった。
「や、夜桜さんと話してて楽しかったからです!」
「楽しかった?」
予期せぬ答えにちすずは驚いた。
「はい。些細なことだけしか話せてなかったですけど、それだけで楽しかったんです! だから、もっと仲良くなって色々お話ができたらなと……」
「そうでしたか」
ちすずは嬉しさと少しの恥ずかしさを感じた。そんな中、ふと思い出す。
「あ、湊琉くんの行きたいところはどこですか?」
「俺は……CDショップに行きたいです」
「じゃあ行きましょうか」
「はい」
二人は次の目的地へと向かう。
その最中、朱李が何か決意したような表情をしたが、ちすずはそれに気付かずにいた。
日が傾き寒さが増し始めた頃、ちすずと朱李は綺麗に舗装された歩道を隣り合って歩いていた。
(もう帰るのか……)
ちすずは自分の影を見ながらぼんやりと思った。そうしていると、頭上から声がした。
「夜桜さん、家まで送ります」
突然の話にちすずは思わず顔を上げる。
「え、そんな──」
「送らせてくださいっ……!!」
「お……お願い、します……」
どこか必死な朱李に押されたちすずには、彼の言うことを受け入れるしかなかった。安堵している彼を気付かれないように見上げる。先程とは違う、心ここに在らずという様子だった。
朱李のことを少し心配に思っている時、日中に待ち合わせをしていた公園に差し掛かった。何となくその公園の方を見ていると急に上着の袖を引っ張られ、ちすずの心臓が飛び跳ねた。
「あの……ベンチに座って、もう少しだけ、お話しませんか……?」
「い、いいですよ」
反射的にそう返事をしたちすずは、心を落ち着けようと胸に手を当てる。
(びっくりした〜……何事かと思った……)
思いつつ辺りを見ていると、朱李が公園前に設置されている自動販売機に向かっているのが見えた。
「夜桜さん、何飲みますか?」
「え? えっと……カフェラテ、を……」
そう伝えると、朱李は自動販売機にお金を入れてカフェラテのボタンを押した。音を立てて出てきたカフェラテの缶を朱李が手に取る。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ちすずは朱李からカフェラテの缶を受け取る。
(まただ……)
奢ってもらったことに少し罪悪感を感じながら缶を一瞥した後、朱李を見る。朱李は自動販売機から自分と同じカフェラテの缶を取り出していた。
二人は公園の中に入り、近くにあったベンチに座る。
不意に朱李が此方を向いた。
「というか、気温下がってきたのに外でお話って、嫌ではないですか……!?」
「私、寒いの好きなので平気ですよ」
「お、俺も好きです! さっ、寒いのがっ!!」
顔を真っ赤にさせて慌てて言葉を付け足す朱李は、缶の蓋を開けてカフェラテを勢いよく飲んだ。
「熱っ!!」
「大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫です……すみません……」
恥ずかしいせいか外方を向く朱李を見て、これ以上触れない方がいいかもしれないと思ったちすずは自分のカフェラテを静かに飲んだ。
もうすぐ暗くなるせいなのか、公園にはちすずと朱李以外誰もいない。
「……」
「……」
ちすずは、ちらりと朱李を見る。隣に座る彼はそわそわとしていた。やはり様子が違う。落ち着きがない。
「あの」
「はい……!」
静かに声を掛けたのだが、朱李は体を跳ねらせてこちらを向いた。そんなつもりじゃなかったと心の中で謝る。
「具合でも悪いんですか?」
「い、いえ! めっちゃ元気です!」
「それなら、いいんですけど」
ちすずの言葉を最後に、二人の間に再び沈黙が訪れた。
しかし今度は、朱李が話し始めた。
「……夜桜さん、さっきの話なんですけど」
「話?」
「えっと、何で夜桜さんともっと仲良くなりたいって思ったか、って話です」
「ああ、はい」
「あれ、さっき言ったことは間違ってないんですけど、もっと大きな理由があるんです」
「何ですか?」
問い掛けると、朱李はゆっくりと深呼吸をした。
吐き出された白い息が消えてから少しして、体ごとちすずの方を向く。
今まで見たことのない朱李の真剣な表情が自分を見ている。ちすずの胸が思わず高鳴った。
「夜桜さんのことが、好きだから、です」
目を合わせながら想いを告げられたちすずの全身は脈を打ち、熱が帯びる。初めての経験にちすずは動揺を隠せずにいた。
そんなちすずを、朱李が見つめ続ける。
「突然こんなこと言ってすみません。けど言いたかったんです。夜桜さんのこと、本気で好きだから」
「……」
ちすずはカフェラテの缶を持つ手元に視線を向ける。缶を潰してしまうのではないかと思うほどに力が入った手は震えていた。
「別に何か返事がほしいわけじゃないんです。ただ、俺の気持ちを知っててほしかったんです」
「……」
何か言わなくてはと、ちすずは必死に言葉を探す。真剣な気持ちに対して適当な返事をするのは失礼。しかし、こんな時に何を言えばいいのか分からなかった。それ以前に、自分の気持ちが分からない。自分はどうしたいのか。
それを知るには時間が必要だった。
「……か、考え……させて、もらえませんか……?」
「えっ……」
ちすずは静かに朱李の方を向き、声が上擦らないようにしながら自分の素直な気持ちを伝える。
「私、男の子に〝好き〟って言われの初めてだからびっくりしてて……返事いらないって言われても、お互いどこかモヤモヤするだろうし、今の状態じゃちゃんと返事が出来ないから、考えさせてもらえませんか……?」
ゆっくりと口にする言葉を真剣に聞いてくれている朱李は、真っ直ぐな目でちすずを見ていた。その表情が徐々に明るくなる。
「もっ、もちろんいいですよ! 嬉しいです!!」
緊張が解けたような朱李は笑顔になった。
それを見たちすずも、つられて少し笑みを見せた。
帰宅したちすずは自分の部屋のベッドで仰向けなっていた。
ぼんやりと天井を見つめていると、朱李に告白をされた時のことが思い出された。真剣な表情と言葉がまた胸を高鳴らせる。
(うわー、完全に意識してるよー……顔面偏差値の高い子だから余計なのかな……ちょろいな私)
ベッドから上体を起こしたちすずは静かに息を吐いた。
(今日は楽しかったし湊琉くんとは話が合うから「良いな」とは思うけど、男の子として好きかなんて全然分からないよ……)
もう一度息を吐いた時、枕元に置いてある携帯電話が視界に入った。それを徐に手に取り、朱李へのメールの文字を打つ。
《今、電話してもいいですか?》
それを送信して携帯電話を元の場所に戻して横になると、すぐに電話の着信音が部屋に響いた。ちすずは飛び起きて電話に出る。
「もっ、もしもし……!?」
「湊琉です。どうしましたか?」
慌てたちすずの声に反して、朱李は落ち着いていた。それが少しの恥ずかしさを連れてくる。
「ああ、その、お話ししたいなーと思ってまして……今日はありがとうございました。楽しかったです」
「こちらこそ。すっごく楽しかったです!」
そう言った声はとても明るかった。電話越しの顔はきっと笑っているのだろうと思う。
「それでさっき、公園で話してたことなんですけど……」
「はい」
「次に二人で会った時に返事をしたいなと、思いまして……」
「ぜ、是非、その時聞かせてください……!」
「はい。すぐに返事出来なくてごめんなさい……」
「謝らないでください。夜桜さんの好きなタイミングで返事をください。俺、待ってますから」
朱李の声音はとても優しかった。それが三度ちすずの胸をときめかせる。頭を抱え、対面じゃなくてよかったと心から思う。
「では、いつ会いますか?」
「そ、そうですね……」
ちすずと朱李は互いに予定が空いている日を話し合い、次に会う日を決める。その結果、来週の土曜日になった。
すると、朱李が半ば声を震わせて話を切り出してきた。
「あの、もしよかったらなんですけど……その日『露と雨』の映画、観に行きませんか?」
「えっ?」
「すみません……! もしよかったらっていう話なんで、嫌なら、その……」
「あ、いえ! 嫌じゃないです! むしろ嬉しいです! 行きたいです!」
「本当ですか!? よかったぁ……!!」
朱李の安心した声にちすずはクスッと笑った。
そこから二人はまた少し話し、切りがいいところで通話を終わらせた。
「……もしかしてカフェで話してる時、映画に誘おうとしてた……?」
ちすずはふと思ったことを呟いた。そうであれば失礼なことをしてしまったと頭を抱える。
しかし、過ぎてしまったことをずっと考えても意味がないとベッドから立ち上がり、服が入っているクローゼットを開けた。
中にはいつも着ている服たちが並んでいる。それらを見ている時、朱李が「咲季ちゃん、天夏さん」と呼んでいた二人の服装が思い浮かんだ。お洒落な服装。
「……」
ちすずは静かにクローゼットの扉を閉めた。
(あの二人みたいにはいかないけど、自分なりに勉強してお洒落しよう)
そう思いながらちすずは、ファッションについてネットで調べ始めた。




