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【完結済】ひごろこと  作者: 冬月 聖


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相合傘がしたい

 章弛(ゆきち)の姉である(ほたる)が経営するカフェは、若い女性を中心に賑わっていた。天井に設置されたスピーカーから流れてくるジャズとお客さんたちの話し声が途切れることなく聞こえる。

 そんな店内には咲季(さき)天夏(あまな)の姿もある。二人は、窓際にある二人用の席に向かい合って座り、他愛のない話をしていた。


「今日は一段と温かいものが恋しくなるねぇ」

「この雨だからね」


 咲季(さき)はホットココアを飲みながら窓の外を見た。外は雨が降っている。今日はあまり気温が上がらない上に天気が雨ということもあり、肌寒く感じる。


 外にいる人たちはコートなどを羽織り、傘をさして歩いている。その中で相合傘をしている、自分と同年代の男女を見つけた。二人共、楽しそうに話している。あの様子だときっとカップルだ。咲季(さき)は羨ましく思う。


「……いいなぁ」


 思わず声に出してしまった。

 天夏(あまな)が不思議そうにする。


「何が?」

「相合傘」


 咲季(さき)の視線を追って、天夏(あまな)も相合傘をするカップルを見た。


稜秩(いち)としないの?」

「しないっていうか、できない。身長差で」

「ああ、そういうこと」

「小学校低学年の時までなら相合傘できてたけど、それ以降は身長差がどんどん開いていって全然できなくて」


 咲季(さき)は小学生の頃を思い返す。入学した時は稜秩(いち)の方が少し背が高かったくらいだったが、いつの間にかあんなに高くなっていた。


「二人、身長差すごいわよね」

「うん。相合傘するのにいっちーに合わせたらあたしがびしょ濡れになっちゃうし、あたしに合わせたらいっちーが腰を痛めちゃうし」

「容易に想像できるわ……」

天夏(あまな)は最近哉斗(かなと)くんと相合傘した?」

「一回ね」

「いいなぁ」


 哉斗(かなと)天夏(あまな)より少し背が高く、相合傘をしやすそうな身長差だ。

 稜秩(いち)と相合傘をするにはどういう方法がいいのか、咲季(さき)は頭を悩ませる。


「どうしたらいっちーと相合傘できると思う?」

「うーん……咲季(さき)が身長伸ばすか、かなり高いヒールの靴を履くか、かしら……」

「やっぱりそうだよね……身長は何年かかるかなぁ……」


 咲季(さき)は表情を曇らせる。あのカップルのように相合傘をしたくても出来ないもどかしさに、足をゆらゆら揺らす。身長を早く伸ばす方法。牛乳、早寝早起き、三食きちんと食べる。


「……数日で身長がすごく伸びる薬ってないかな?」

「あるわけないでしょ。あったら瀬輝(ぜる)が真っ先に飛びついてるわ」

「あ、そうだね」


 納得した咲季(さき)は解決の糸口を探るようにまた窓の外を見る。何人か人は歩いていたが、相合傘をしていたカップルの姿は既になかった。






 咲季(さき)はその後もすぐに身長を伸ばす方法やどうすれば稜秩(いち)と相合傘が出来るのかを考えていた。しかし、中々いい方法は見つからなかった。


 そんなある日、咲季(さき)稜秩(いち)は放課後にショッピングモールへ寄り道し、いつもとは違う道で家へ向かっていた。


「そういえば、今日の『カタリアイ』にお父さんとルビンさん一緒に出るよね!」


『カタリアイ』とは、毎週水曜日の夜に放送されているトーク番組である。咲季(さき)は毎週欠かさず観るほど、その番組が好きだ。そこに二人の父親が出演するというのは、嬉しいことこの上ない。


「そうだな。その収録、すごく楽しかったって親父言ってたぜ」

「早く観たいなぁ」


 咲季(さき)は放送時間が待ち遠しいくらい、胸を踊らせていた。


 その時、下り坂に差し掛かった。咲季(さき)はふと真横にあるブロック塀を見た。そのブロック塀は空き地と下り坂を隔てている。下り坂を下って行くほど、ブロック塀は高くなっていく。

 そこで閃いた。


(あたしがブロック塀の上を歩いて、いっちーが途中まで坂道を下れば同じくらいの身長になる! どうしてこれを思いつかなかったんだろう!)


 その閃きを実行しようと咲季(さき)は歩いた道を少しだけ戻り、ブロック塀の上を歩き始める。


「気をつけろよー」


 突然の行動にも驚かず、稜秩(いち)咲季(さき)の手を取って坂道をゆっくり下る。


「いっちー、止まって」


 二人の目線が同じくらいになったところで咲季(さき)は立ち止まって稜秩(いち)から手を離し、スクールバッグの中を漁る。そこから折り畳み傘を取り出して開き、稜秩(いち)と一緒に傘の中に入る。


「……雨降ってないけど」

「いいの。いっちーと相合傘したかっただけだから」

「そうか」


 咲季(さき)が無邪気に笑うと、稜秩(いち)も頬を緩ませた。

 ようやっと相合傘が出来たと喜ぶ咲季(さき)は、このまま雨降ってくれたらいいのになと思う。しかし、空は雲ひとつない快晴。その思いは叶いそうにない。


 そんな咲季(さき)の脳裏に、以前、瀬輝(ぜる)に言われたことが思い出された。



稜秩(いち)のことを名前で呼んでみたらどうだ?』



 いつか言おうと思って忘れていた。今言おうと、咲季(さき)は口元を動かす。


「……」


 しかし〝稜秩(いち)〟の〝い〟すら、すぐに言えない。名前を呼ぶだけなのにドキドキしている。意識をすればするほど、緊張が増して声を出しづらくなった。体が小刻みに震える。


「どうかしたか?」


 異変に気付いた稜秩(いち)が顔を覗き込むように問うてきた。

 咲季(さき)はほんの少しだけ仰け反る。


「……い、稜秩(いち)……!」


 その反動で声が出た。


「……」


 稜秩(いち)は目を見開き、顔を真っ赤にしている。


(変なタイミングで言っちゃった……)


 そう思う咲季(さき)も、稜秩(いち)と同様に顔を赤らめる。


「……」


 しばらく、二人の間には沈黙が続いた。

 その沈黙を稜秩(いち)が破る。


「……どうした、いきなり……」

「あだ名じゃない、いっちーの名前……呼びたくて……」


 咲季(さき)の言葉を最後に二人はまた黙り込む。

 すると稜秩(いち)が腕を組み、手で口元を隠した。


「……反応に困る……」

「名前……?」

「うん……」

「……ごめん……」

「いや、別に怒ってるとか迷惑とかじゃないから謝んな。嬉しいけど、どう反応していいかわからないだけだから……」


 咲季(さき)から視線を逸らし、稜秩(いち)は頭を掻いた。

 恥ずかしがる稜秩(いち)を見て咲季(さき)は何だか可笑しくなり、ふふっと笑った。


「笑うな」


 少しムッとする稜秩(いち)だが、口調が優しいので咲季(さき)は笑顔を崩さない。


(また今度〝稜秩(いち)〟って呼んでみよう。次は変なタイミングで言わないように気を付けなきゃ。それに、またこうやって相合傘できたらなぁ)


 その時、咲季(さき)はまた閃いた。自分が竹馬に乗ればいいのだと。そうすればどこでも相合傘ができる。


 我ながら良い考えだと思ったが、稜秩(いち)に却下されてしまった。

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