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【完結済】ひごろこと  作者: 冬月 聖


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33/123

文化祭

 咲季(さき)たちが通う仄和(ほのわ)高校は文化祭当日を迎え、賑わっていた。一般公開しているため、他校の生徒や保護者たちなど、様々な人が行き交っている。


 その中で咲季(さき)稜秩(いち)は自分たちで用意した動物のコスプレをして店の呼び込みをしていた。チラシを配る咲季(さき)は黒の長袖ワンピースにウサギの被り物を被り、首から看板を提げている稜秩(いち)は尻尾を付けた浴衣にオオカミの耳のカチューシャを付けている。


「一年三組でアニマル喫茶やってまーす!」

「パンケーキやパフェ、紅茶などの飲み物も提供してまーす! テイクアウトも出来るので、是非来てくださーい!」

「じゃあ僕らも行こうかな」


 呼び込みをしているところに哉斗(かなと)がそう言いながら近付いてきた。その隣には章弛(ゆきち)もいる。


哉斗(かなと)くん。と、章弛(ゆきち)くんだー」

「久しぶり、咲季(さき)ちゃん」


 咲季(さき)に挨拶をした章弛(ゆきち)稜秩(いち)を見上げる。


咲季(さき)ちゃんの彼氏の稜秩(いち)くん、だよね?」

「そうですけど」

「いやー、写真でしか見たことなかったから会えて嬉しいなー。あ、俺、哉斗(かなと)と同じ高校に行ってる桃方(ももかた)章弛(ゆきち)って言います」

「ああ、天夏(あまな)が言ってたチャラ男」

咲季(さき)ちゃんとほぼ同じ反応だね。さすが!」


 章弛(ゆきち)は軽く流しながら、以前連朱(めあ)にもしていたように様々な角度から稜秩(いち)を観察する。


稜秩(いち)くんはワイルドなイケメンだねー」


 言いながら周りをうろうろする章弛(ゆきち)を、稜秩(いち)咲季(さき)は目で追いかけていた。

 それを見ていた哉斗(かなと)が耐え切れず、章弛(ゆきち)の腕を掴んで制止する。


章弛(ゆきち)、恥ずかしいからやめてよ……!」

「悪い悪い」

稜秩(いち)もごめんね」

「いや、連朱(めあ)たちからこういう人って聞いてたから気にしてない。それより哉斗(かなと)、今は俺らのクラスに行かない方がいいぞ」

「え、何で?」

天夏(あまな)のお兄さんがいるはずだから」


 そう聞かされた瞬間、哉斗(かなと)の顔から血の気が引いた。その反応だけで、冬也(とうや)にどれだけ苦手意識を持っているのかが分かる。


 天夏(あまな)の兄がどんな人物か知っている章弛(ゆきち)は、何も言わず哉斗(かなと)の肩に優しく手を置いた。

 そして咲季(さき)哉斗(かなと)の顔を覗くように見る。


「教室の様子を見ながら言った方がいいよ」

「う、うん、そうだね。ありがとう……」


 咲季(さき)稜秩(いち)の助言を聞いた哉斗(かなと)は、力なく笑いながらその場を離れていく。


「じゃ、二人とも頑張ってね!」

「うん!」


 章弛(ゆきち)は先に歩き出した哉斗(かなと)の後を追う。哉斗(かなと)の足取りは遅いため、すぐに追いついた。


哉斗(かなと)くん元気なくなっちゃったね」

「そりゃあ、あのお兄さんがもう来てるからな」


 教えない方が良かったのだろうかと互いに思いながら、二人は呼び込みを再開する。


 その最中、同じように店の呼び込みをして回っている並街(ならまち)を見つけた。並街(ならまち)は二年一組の担任をしている先生で、今日の午後に予定している教員だけで組んだバンドのボーカルを務める。


(先生の歌、すごく上手だって美術部の先輩が言ってたなぁ。どんな歌声だろう。楽しみ)


 その楽しみもあってか、咲季(さき)の呼び込みの声は一段と明るくなった。





 一方、一年三組の教室で開かれている喫茶店には次々と客が来ていた。


「ど、どぞっ……!」

「ありがとう!」

「……どーも」


 咲季(さき)から借りたネコの被り物に茶色のボーダーの服と白の無地の短パンでネコのコスプレをした瀬輝(ぜる)は、ぎこちない動きで秋凪(あきな)にオレンジジュースを、冬也(とうや)にミルクティーを出した。

 見上げてくる秋凪(あきな)と、目が合う。


瀬輝(ぜる)くん」

「うん?」

「ニャンコの格好、かわいいね」

「お、おう、ありがとう……!」


 お礼を言った瀬輝(ぜる)はもう一つの視線に怯えていた。秋凪(あきな)の目の前に座る、冬也(とうや)の視線だ。彼は鋭い眼光で瀬輝(ぜる)をガン見している。そこからは殺気を感じる。


瀬輝(ぜる)くん」

「はっ、はいっ!?」


 今度は冬也(とうや)に名前を呼ばれ、瀬輝(ぜる)は肩をビクつかせて殺気立つ目と視線を合わせる。


「妹たちと仲良くしてくれてありがとうね」

「い、いえっ、こちらこそ仲良くしていただいてます……!!」


 瀬輝(ぜる)は顔を痙攣らせながらも笑顔で応えた。


(お兄さん目が笑ってない……!! 余計に怖いんだけどっ……!!)

「お待たせしました、ホットケーキです」


 瀬輝(ぜる)冬也(とうや)の間に割って入るように、二人が注文したホットケーキを天夏(あまな)が机に置いた。天夏(あまな)は自作のプレイリードッグの耳のカチューシャを頭に付け、茶色のバルーンワンピースを着ている。

 冬也(とうや)は妹のコスプレ姿にデレデレする。


天夏(あまな)、ホットケーキが美味しくなる魔法かけて!」

「申し訳ございませんが、当店ではそのようなサービスは行なっておりません」


 作り笑顔で冷たく放たれた言葉を受け、冬也(とうや)は涙を流す。


「それでは、ごゆっくり」


 涙する兄に戸惑うことなく天夏(あまな)は一礼して離れた。

 気まずそうに瀬輝(ぜる)冬也(とうや)の顔を覗く。


「あの、お兄さ──」

「キミにお兄さんと呼ばれる筋合いはない!!」

「すみませんっ……!!」


 ギロリと睨まれた瀬輝(ぜる)はそそくさとその場を離れる。すると、背後から「瀬輝(ぜる)くんに冷たくしないで」という秋凪(あきな)の声が聞こえた。秋凪(あきな)には感謝の気持ちでいっぱいだ。そして今なら、哉斗(かなと)の気持ちがよく分かる。

 瀬輝(ぜる)は小さくため息をついた。


(……つーか、すげー混んでるなぁ)


 教室内にいる溢れんばかりの客に圧倒された。ついさっきまではそこまで人はいなかったが、ほんの数分でこの状態だ。咲季(さき)稜秩(いち)が呼び込みやっているからその成果もあるのだろう。


 瀬輝(ぜる)は商品をテイクアウトする客の会計をする連朱(めあ)に視線を注ぐ。連朱(めあ)はトラ耳のカチューシャを付け、執事服に身を包んでいる。その姿だけで瀬輝(ぜる)は癒された。ただ一つ、心配事があった。


(チョコの匂い、大丈夫かな……)


 窓は開けているのだが、チョコレートの匂いがする教室。連朱(めあ)にとってはあまり居心地のよい場所ではない。

 その対策のために、連朱(めあ)は時折息を止めて接客をしていた。マスクをするという案もあったが、コスプレ姿には似合わないということで断念した。


「お待たせしました」


 連朱(めあ)は呼吸を止めつつも笑顔で商品が入った袋を客に渡す。


「ありがとうございます……!」


 それを受け取る女性客はみんな顔を赤らめていた。


(そりゃあそうなるよな。俺だって赤くなるよ)


 女性客に共感しながら瀬輝(ぜる)は仕事を続ける。


 喫茶店が賑わう中、咲季(さき)稜秩(いち)が教室の様子を見に来た。


「お客さんいっぱいだね……」

「そうだな……」


 想像していたよりも店が繁盛していることに、二人は少し戸惑っていた。

 すると、その二人の姿を見つけたクラスメイトが声を掛けて来た。


「ちょうど良いところに戻って来た! 二人とも手伝って!」

「うん!」


 手にしていた看板とチラシを教室の隅に置き、稜秩(いち)はテイクアウトの方で会計を、咲季(さき)は調理の仕事を任された。





 十二時を回った頃、当番の交代の時間となった。今まで接客をしていた生徒たちは自由行動、自由行動をしていた生徒たちは店で接客を始める。


 咲季(さき)は皆の計らいもあって、稜秩(いち)と自由行動をすることにした。

 二人は校庭に設置された屋台に足を運んだ。


「あ、たこ焼きもある!」


 数ある屋台の中でたこ焼きの屋台を見つけ、咲季(さき)は迷わずたこ焼きを購入した。

 その他にも焼きそばやチョコバナナなどいくつかの食べ物を買い、人が少ないところで食事をする。


「文化祭はいいねぇ」


 咲季(さき)は楽しそうに周りを見回す。すると、近くにいた同世代のカップルが視界に入った。そのカップルも昼食を摂っているようで、女の子が男の子に焼きそばを食べさせている。


 それを見た咲季(さき)も、やりたいと思った。


「いっちー、はい、あーん」


 爪楊枝にたこ焼きを一つ刺して、稜秩(いち)の口元に持っていく。しかし稜秩(いち)はたこ焼きを食べようとはせず、周囲をチラッと見た。


「……いや、それは……」

「……そっか……」


 咲季(さき)は少ししょんぼりとして、稜秩(いち)に食べさせようとしたたこ焼きを口にする。


(ちょっと淋しいなぁ。まあ、いっちーは人前でこういうことやらないから、断って当たり前だよね)


 口をもぐもぐさせる咲季(さき)がもう一個食べようと爪楊枝にたこ焼きを刺すと、その手首を稜秩(いち)に掴まれた。驚いた咲季(さき)は、爪楊枝に刺さったたこ焼きが稜秩(いち)の口の中に入っていくのをただ見ていることしか出来なかった。

 稜秩(いち)と目が合うと、一気に体中が熱くなる。


「誰も食わないとは言ってない」

「そ、そう、だねっ……!」


 どぎまぎする咲季(さき)は手首から稜秩(いち)の手が離れると、目を伏せた。


(びっくりした……)


 騒がしい心臓の音を落ち着かせるように胸に手を当てて静かに深呼吸をする。何度か繰り返せば、心音も体の熱も落ち着いてきた。

 遠慮がちに稜秩(いち)を見上げると、また目が合った。


「……咲季(さき)、顔赤いぞ」

「……いっちーだって顔赤いよ」

「……」


 その言葉を最後に、二人は黙々と食事を続けた。二人の間に流れる空気は穏やかだった。





 昼食を済ませて校内を歩いていると、くじ引きを見つけた。景品としてぬいぐるみやお菓子、小物が並んでいる。

 咲季(さき)稜秩(いち)はそれぞれくじを引く。咲季(さき)が折られた紙を開くと、二十八番と書かれていた。


「二十八番の景品はこちらになります!」

「ありがとうございます」


 咲季(さき)が受け取ったのはティーバッグタイプのミントティーが二十袋入った箱だ。それは父と母が好きなメーカーのものだった。二人にあげようと咲季(さき)はそれを大事そうに抱えた。

 そうしていると、目の前に手のひらサイズのウサギのぬいぐるみが差し出された。


「あげる。俺が当てた景品」


 その言葉を耳にし、稜秩(いち)を見上げる。


「いいの?」

「ああ。好きだろ、こういうの」

「ありがとう!」


 思わぬプレゼントに咲季(さき)は満面の笑みを見せる。


 その足で美術部の絵が展示されている教室に向かった。夜空に打ち上がる花火や水族館のクラゲの絵などが多数ある中、咲季(さき)の作品である波打ち際の絵も飾られている。

 一目見て、稜秩(いち)はピンと来た。


「……これって、夏休みに海行った時の?」

「うん、そうだよ! 今回の課題が『夏に見た綺麗なもの』だったの」

「へぇ。やっぱ上手いな」

「ありがとう。本当はいっちーの目を描きたかったけど、先生に怖いからやめてって言われたんだよね」

「俺も怖いって思うし恥ずかしいからやめて正解だ」


 稜秩(いち)は真顔で頷いた。


(やっぱり怖いよねぇ)


 美術部の顧問の先生に止められた時、咲季(さき)は想像していた。綺麗な絵に混ざって、人の目の絵が飾られている空間を。それは不気味だと言わざるを得ない。片目だろうが両目だろうが、不気味さに変わりはない。

 今ここに立って改めてそれに気付かされた。


「……先生に止められてよかった」

「先生に感謝だな」

「うん。描く前に相談してよかったよ」


 これからそういう絵は自分のスケッチブックの中だけに留めておこうと、咲季(さき)は思った。


 展示会場を出てお化け屋敷や占いの館など様々な場所へ足を運んだ後、二人は講堂へ向かった。もうすぐ講堂で演劇部の舞台が始まる。その後に先生たちのバンドが待っている。


城神(とがみ)!」


 歩いている途中で突然呼び止められた稜秩(いち)につられ、咲季(さき)も足を止めた。稜秩(いち)を呼んだのは担任の雪村(ゆきむら)だ。

 雪村(ゆきむら)稜秩(いち)に近付く。


「ちょっといいか?」

「あっ、はい。悪い、先に行っててくれるか?」

「うん」


 雪村(ゆきむら)とどこかへ行く稜秩(いち)を見送り、咲季(さき)は一人歩き始めた。

 講堂へ着くと、席がいくつか埋まっているのが見えた。


(結構人いる……前の方はもう空いてないかな?)

咲季(さき)ちゃーん!」


 辺りを見回していると、幼い声が自分を呼んだ。秋凪(あきな)が此方に手を振っている。咲季(さき)も手を振り返してそこへ向かった。


 秋凪(あきな)が座っている列には連朱(めあ)哉斗(かなと)も座っていた。その前を通り、秋凪(あきな)の隣の席に座る。


秋凪(あきな)ちゃん、あたしの席取っててくれたの?」

「うん!」

「ありがとう」


 秋凪にお礼を言うと、咲季(さき)は来た道をチラリと振り返る。自分の二つ左隣には瀬輝(ぜる)が座っている。


「……席、代わろうか?」

「血の海見るから遠慮しとく」

「血の海……」


 呟くように言った咲季(さき)は、秋凪(あきな)の隣でビデオカメラを弄っている冬也(とうや)に視線を送った。きっと天夏(あまな)を撮るために準備しているのだろう。

 すると、瀬輝(ぜる)が小声で言葉を付け足した。


秋凪(あきな)ちゃんの隣に男を座らせたくないんだと」

「ああ、だから空いてたんだ」

「そういうこと。というか稜秩(いち)は? 一緒に来ると思って稜秩(いち)の分も席空けてたのに」

「ここに来る途中でいっちーが雪村(ゆきむら)先生に呼び出されて別行動になったの。多分、もうすぐ来ると思う」

「じゃあそれまでの間、俺が咲季(さき)ちゃんの隣に座ってるよ」


 二人の話を聞いていた章弛(ゆきち)が、今まで座っていた一番端の席から咲季(さき)の隣に移動した。


稜秩(いち)に怒られても知らないぞ」

「大丈夫、大丈夫。稜秩(いち)くんが来たら元の席に戻ればいいんだし」


 呆れ顔をする瀬輝(ぜる)章弛(ゆきち)はにこやかに応えた。

 そのやりとりを何となく耳にしつつ、咲季(さき)は後ろを振り返った。沢山の人が集まる中、稜秩(いち)の姿はまだ見えない。


「……」

「心配なら、稜秩(いち)くんの携帯に電話かメールしてみたら?」


 章弛(ゆきち)が優しく提案すると、咲季(さき)はハッとした。


「そうだね! 章弛(ゆきち)くんありがとう!」


 表情を明るくさせた咲季(さき)はワンピースのポケットにしまっていた携帯電話を取り出した。

 その時、講堂の照明がゆっくりと落ち、辺りが暗くなったと同時に演劇開始のアナウンスが流れた。


(……今はやめとこう)


 写真や動画を撮るわけでもないのに携帯電話を操作するのは失礼だと思い、咲季(さき)は携帯電話をポケットに戻した。大丈夫、そのうち来るよと自分に言い聞かせながら、ステージの方を向く。


 引き割り緞帳が開き、演劇が始まった。天夏(あまな)の出番は序盤からあった。紺色のロングスカートのメイド服に身を包んだ天夏(あまな)は、柔らかい表情で役を演じている。


(やっぱり天夏(あまな)のメイド姿、キレイだなぁ。すごく様になってる)


 スポットライトを浴びている天夏(あまな)はキラキラとしていた。心の底から演劇を楽しんでいるのが伝わってくる。


「お姉ちゃん、すごくキレイ……!」


 小声で言う秋凪(あきな)の目もキラキラと輝いている。


「うん、すごくキレイだね」


 秋凪(あきな)の言葉に咲季(さき)は頷き、天夏(あまな)を見つめる。

 二人がそうであるように、哉斗(かなと)冬也(とうや)天夏(あまな)に魅了されていた。特に冬也(とうや)天夏(あまな)の姿を一秒たりとも撮り逃がさないようにと、ビデオカメラと肉眼でその姿を必死に追い掛けていた。





 物語は滞りなく進み、エンディングを迎えた。

 演劇部員が閉じた緞帳前へ整列し、一礼した。拍手が起こる中、演劇部員たちは舞台袖へ姿を消した。


「只今、先生方によるバンド演奏の準備中のため、もうしばらくお待ちください」


 そのアナウンスが流れると、咲季(さき)は隣の席をチラリと見た。そこには章弛(ゆきち)がいる。


「……」


 ポケットにしまっていた携帯電話には稜秩(いち)からの電話もメールも来ていない。咲季(さき)は少し立ち上がって辺りを見回した。しかし、どこにも稜秩(いち)の姿はない。


「……」

稜秩(いち)くん、まだ来てないの?」

「うん……」


 章弛(ゆきち)の問いに静かに応えた咲季(さき)は席を離れる。


「チビッ子、どこいくんだよ」

「いっちーを探してくる……!」


 瀬輝(ぜる)にそう言って講堂の出入り口へ向かおうとした時、目の前に演劇で着ていたメイド服をそのまま着ている天夏(あまな)がやって来た。


「どこ行くの?」

「いっちーを探しに……」

「それなら大丈夫よ」

「どうして?」

講堂(ここ)にいるから」


 天夏(あまな)の言葉に続くようにバンド演奏開始のアナウンスが流れ、引き割り緞帳が開く。すると、講堂中が騒ついた。

 咲季(さき)もステージに視線を向けた。その目が大きく見開かれる。


「……いっちー……?」


 スタンドマイクの前には、何故か稜秩(いち)が立っていた。


「ね、言ったでしょ?」

「でも何でいっちーが? 並街(ならまち)先生のはずでしょ?」


 今目の前で起こっていることが理解出来ずにいるまま、演奏が始まった。ロック調の音楽に乗って聞き慣れた声が講堂に響く。

 混乱しているせいか、稜秩(いち)の歌声があまり耳に入ってこない。

 咲季(さき)は呆然としながら稜秩(いち)を見つめた。


 すると、周りから拍手が沸き起こった。どうやら一曲目が終わったらしい。

 拍手が少し落ち着いてから、ギター担当の雪村(ゆきむら)が口を開いた。


「ありがとうございます!……ところで、驚いてる人も沢山いると思うので、ここで状況説明をさせてください。本当は我々教師だけで演奏する予定だったんですが、ボーカルを務めるはずの並街(ならまち)先生が店の呼び込みを張り切り過ぎて声が出なくなってしまったんです」


 その言葉に周りから驚きや落胆の声が上がった。咲季(さき)もそのうちの一人。だが、今の咲季(さき)稜秩(いち)のことで頭がいっぱいなので、落胆の気持ちは半分ほどだった。


「ね、並街(ならまち)先生」


 雪村(ゆきむら)が呼び掛けると同時に、壁際に立っていた並街(ならまち)にスポットライトが当てられる。そこに目を向けると、並街(ならまち)が苦笑いを浮かべてステージに立つメンバーたちに手を振り、会場の笑いを誘っていた。


「そこでどうしたものかと悩んでいるところで城神(とがみ)を見つけて、急遽、ボーカルとして参加してもらったんです」


 その説明を一通り聞いた咲季(さき)は、雪村(ゆきむら)稜秩(いち)を呼び止めた時のことを思い出し、納得した。スタンドマイクの前にいる稜秩(いち)に視線を送る。


城神(とがみ)、何か一言」


 雪村(ゆきむら)に話を振られた稜秩(いち)をまっすぐ見つめていると、稜秩(いち)と目が合ったような気がした。心なしか、その口角が上がったように見える。


「最後まで歌い切るので、よろしくお願いします!」


 稜秩(いち)の明るい声の後に、音が反響するほどの拍手が起こった。

 そこから二曲目の演奏が始まった。


(いっちー、キラキラしてる)


 歌う稜秩(いち)の姿に見惚れた咲季(さき)は隣にいる天夏(あまな)の手を掴んだ。


「もう少し前に行こう!」

「そうね」


 ステージの近くに集まる生徒たちの輪に咲季(さき)天夏(あまな)も入り、稜秩(いち)の歌声に耳を傾けた。その歌声はカラオケでよく耳にする歌声とはまた違って、一層心に響いた。





 夕闇の中、咲季(さき)稜秩(いち)は隣り合って歩いていた。


「いっちーが全然講堂に来ないから心配してたんだよ」

「悪い。歌の練習してたんだ」

「演劇は観られた?」

「舞台袖から、後半だけな」

「よかった」


 咲季(さき)は安心したように笑った。


「ところでさ、どうだった? バンド……」


 視線を彷徨わせて問い掛けてくる顔を覗き込むようにして、咲季(さき)稜秩(いち)を見上げた。


「すっごくカッコよかったよ!」

「そ、そうか……」


 目を合わせて感想を伝えたが、稜秩(いち)に視線を逸らされてしまった。しかし、それはただ恥ずかしがっているだけだと咲季(さき)は知っている。

 何も言わず、稜秩(いち)の手を握る。静かに握り返される感触に咲季(さき)は顔を綻ばせた。





 家まで送ってくれた稜秩(いち)に別れを告げ、咲季(さき)は家の中へ入る。

 リビングへ行くと両親が迎えてくれた。母の歩乃(あゆの)が話し掛けてくる。


「文化祭は楽しかった?」

「うん! すっごく楽しかったよ!」


 笑顔で応えながら、咲季(さき)はスクールバッグを開けた。そこからミントティーの箱を取り出す。


「これ、くじ引きで当てた景品。お父さんとお母さんにあげる」

「あら、いいの?」

「うん。あたしミントティー飲まないし」

「ありがとう」

「それから、これはあたしたちのクラスで作ったプリンパフェだよ」

「美味しそうだな」


 イチゴやバナナなどもトッピングされた二人分のプリンパフェは、律弥(りつや)の食欲をそそる。


「ご飯の後に食べましょうか」


 両親が楽しそうに話す姿を見た咲季(さき)は荷物を置きに行くため、自分の部屋に向かった。


 部屋着に着替え、稜秩(いち)から貰ったウサギのぬいぐるみをバッグから取り出して枕元の棚に置く。ぬいぐるみの隣には、誕生日プレゼントのハーバリウムと稜秩(いち)が折ったウサギの折り紙がある。

 それらを眺める咲季(さき)は微笑んだ。


 そんな折、カバンの中に入れていた携帯電話からメールの受信音が聞こえた。


「あ、瀬輝(ぜる)くんだ」


 携帯電話を手にした咲季(さき)は早速メールを開く。そこには《チビッ子、動画撮ってないだろうなって思ったから送っとく!》の文字と動画が添付されていた。動画を再生すると、今日のバンドの様子が流れ始めた。

 咲季(さき)は目を見開き、急いでリビングにいる両親の元へ向かった。


「お父さん、お母さん、見て! いっちー、今日ステージで歌ったんだよ!」


 言いながら動画を両親に見せる。リズムに乗って楽しそうに歌う稜秩(いち)の姿を、歩乃(あゆの)律弥(りつや)も微笑ましく観ていた。


 その翌日、動画を両親に見せた話を稜秩(いち)にすると、稜秩(いち)は顔を赤くして項垂れていた。

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