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【完結済】ひごろこと  作者: 冬月 聖


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9月27日

 三年生の教室が並ぶ階にある被服室で、稜秩(いち)はミシンを使って自身が文化祭で着る浴衣を作っていた。裁断した灰色の生地を縫い合わせていく作業には無駄な動きがなく、あっという間に浴衣の形に仕上がっていった。その慣れた手つきに、周りで同様の作業をしている生徒たちが驚いていたが、もう一つ驚いていることがあった。


 それは稜秩(いち)から聞こえてくる鼻歌だ。


 鼻歌は、稜秩(いち)が作業を開始して間もなくの頃から時折聞こえていた。何故そんなに上機嫌なのか皆不思議に思っていたが、そのまま彼の鼻歌を聞いている。というのも、稜秩(いち)に好意を持つ女子生徒たちが「これはレアな瞬間だ!」と耳を澄まして聞いているから。


 そうとも知らない稜秩(いち)は浴衣が完成間近というところで作業を止め、ミシンを片付ける。それを終えると、携帯電話に手を伸ばして咲季(さき)宛にメールを打つ。


《そろそろ教室戻る。》


 メールを送信すると、すぐに返事が返ってきた。


《うん! わかった!》


 その返信を見た稜秩(いち)は作業中に出たゴミを捨て、荷物をまとめて被服室を出た。三、四歩歩いたところで被服室から女子生徒たちの騒ぐ声が聞こえてきたが、気にも留めない。


(教室戻る前にトイレ行こ)


 そんなことを考えながら稜秩(いち)はその階にある男子トイレへ向かう。

 持っていた荷物をトイレの出入り口横の棚に置き、中へ入った。


 用を足して手を洗い、トイレを出ようと振り返った時、稜秩(いち)は思わず立ち止まった。目の前にいる人も同じように立ち止まっている。

 そこには、咲季(さき)に好意を抱いていた虹色(にじしき)がいた。彼はかなり驚いた表情をしている。


「……どうも」

「どっ、どもっ……!」


 無視をするのも何だか嫌だったのでとりあえず挨拶をすると、しどろもどろの挨拶が返ってきた。

 その彼がトイレに入ろうとそそくさと自分の横を通り過ぎる。途中、彼のズボンの後ろのポケットからハンカチが落ちた。

 それを稜秩(いち)が拾う。


「あの」

「はいぃっ……!?」


 呼び止めると、虹色(にじしき)が肩をビクつかせて上擦った声を発して振り返った。

 稜秩(いち)はハンカチを差し出す。


「落としましたよ」

「あっ、あぁ、ありが、とう……!」


 震える手がハンカチを掴んだ。

 それを確認してハンカチから手を離すと、虹色(にじしき)がカクカクとぎこちない動きでトイレの中に入っていった。

 稜秩(いち)はその様子を見た後、置いていた荷物のところへ行く。


(久々にあの先輩見たな。まあ俺が〝咲季(さき)に近づくな〟って言ったから俺らのこと避けてたんだろうけど、あんなに動揺されるとはな……)


 表情を動かさず男子トイレをちらりと見て、足早に教室へ向かった。





 教室に着くと、咲季(さき)が鼻歌を歌いながら瀬輝(ぜる)連朱(めあ)と一緒に教室に飾る輪つなぎを作っていた。とても楽しそうにしている。

 その様子を見ていると、視線に気付いた二人が咲季(さき)に声を掛けようとしたが稜秩(いち)はそれを止めた。


 人差し指を口元に当てて静かにするように合図を送ると、音を立てずに咲季(さき)の背後に近寄った。そこに偶然落ちていた一枚の折り紙を手に取り、その場で折り始める。


 出来上がったのは立体的な一羽のウサギ。それを咲季(さき)の視界に入るように机の上に置いた。


咲季(さき)なら俺が折ったウサギってわかるはず)


 稜秩(いち)は静かに咲季(さき)の行動を見守る。

 すると、咲季(さき)が折り紙の方を向いた。


「あ、ウサギだ」


 咲季(さき)は折り紙に手を伸ばそうとしたが、何かに気付いたようにそれを止めた。


「いっちー?」


 振り向きざま、名前を呼ばれる。


「正解」


 稜秩(いち)は満足気に笑って咲季(さき)と顔を合わせる。咲季(さき)も無邪気に笑っている。


「チビッ子、よく稜秩(いち)ってわかったな」

「この折り方はいっちーの折り方だから」

「そうなんだ」


 折り方一つですぐに分かるんだと、瀬輝(ぜる)連朱(めあ)は目を丸くしていた。

 その二人の手元に稜秩(いち)が視線を落とす。


「進み具合はどうだ?」

「いい感じだぜ!」

「もうすぐ終わるところ。稜秩(いち)は?」

「ほぼ出来た。あとは家で仕上げる予定」

「えっ、早くね?」

「浴衣は作り慣れてるからな」

「いっちー、早く行こう!」


 三人で話していると、いつの間にか帰り支度を済ませた咲季(さき)が声を弾ませて言った。それだけでウキウキとしているのが分かる。

 稜秩(いち)は思わず笑みを漏らした。

 そして瀬輝(ぜる)たちに別れを告げ、二人は教室を出た。


 9月27日。今日は咲季(さき)の誕生日だ。この日は咲季(さき)の要望で、放課後に二人で誕生日プレゼントを買いに行くのと、外食する約束をしていた。咲季(さき)はもちろんのこと、稜秩(いち)もこの時を心待ちにしていた。


 生徒玄関で靴を履き替えながら稜秩(いち)咲季(さき)に問い掛ける。


「誕プレで欲しいものは決まったか?」

「決まったよ! ハーバリウムが欲しい!」

「あー……瓶の中に入ってる花のやつだっけ……?」

「うん!」


 何となく記憶にある事柄を口にしたら合っていたため、稜秩(いち)は安堵する。

 最初の行き先が決まった二人は、学校近くの花屋へ足を運んだ。


「うーん……」


 花屋へ着いて早々、咲季(さき)は棚に並べられたハーバリウムを悩ましげに見つめていた。


「種類多い……」

「好きなだけ悩め。あと、値段は気にするな」

「えっ、でも……」


 少し困惑する咲季(さき)稜秩(いち)を見上げた。稜秩(いち)は優しい笑顔を見せる。


「いいんだよ。妥協して安いものを選ばれるより、本当に欲しいものを選ばれた方が嬉しい」

「うん、じゃあそうする!」


 咲季(さき)はまたハーバリウムへ視線を向けた。

 その咲季(さき)を見た後、稜秩(いち)の目は壁に飾られたディスプレイに止まった。そこには今日の誕生花が書かれている。


「今日の誕生花はコスモスなんだな」


 稜秩(いち)の言葉に咲季(さき)も顔を上げてディスプレイを見る。


「あ、本当だ」

「……」


 稜秩(いち)はコスモスの花言葉に釘付けになった。乙女の純潔。乙女の真心。咲季(さき)にピッタリな花言葉だと、微笑みながら思う。


「それならコスモスにしよう。あるかな?」


 咲季(さき)の言葉に稜秩(いち)はどきりとした。まるで心の中を読まれたような気がしたからだ。


(まあ、多分〝誕生花だから〟っていう理由でコスモスにしたんだろうけど)


 ちらりと咲季(さき)に視線を送る。コスモスのハーバリウムを見つけ、どれがいいか考えているその表情は真剣だった。それが可愛くて、稜秩(いち)は小さく笑う。


(何かいいな、こういうの)


 今のこの状況を楽しみながら、気付かれないように咲季(さき)の顔を見つめる。

 すると、咲季(さき)はピンク色のコスモスのハーバリウムを手にした。


「これにする!」


 満面の笑みで見上げてくる咲季(さき)の手の中にあるそれは、彼女好みの色合いをしていた。


「うん」

「ラッピングはしなくていいから」

「分かった」


 咲季(さき)からハーバリウムを受け取った稜秩(いち)はレジへ向かう。たまにはこうやって一緒に誕生日プレゼントを買うのもいいな、と会計をしながら思った。


「誕生日おめでと」

「ありがとう!」


 プレゼントが入った紙袋を嬉しそうに受け取ってくれた咲季(さき)を、稜秩(いち)は愛しく思う。

 そして、二人は足並みを揃えて花屋を出た。


「次は──」


 稜秩(いち)が口を開いた途端、咲季(さき)のお腹の虫が鳴いた。二人は顔を合わせる。


「えへ、へへ……」


 咲季(さき)は少し顔を赤らめて笑った。


「相当腹減ってんだな」

「さっき、ハーバリウムを選ぶのにいっぱい悩んでたからエネルギー使ったんだよ!」

「そうかい」


 恥ずかしさを紛らわせるように言ったセリフに笑った後、稜秩(いち)咲季(さき)の頭に手をポンと置いた。


「ちょっと早いけど、飯食いに行くか」

「うん!」

咲季(さき)の行きたいところでいいぞ」

「あたしの行きたいところ……」


 咲季(さき)は視線を上に向けて考えた。

 その様子を見ながら稜秩(いち)はファミレスだろうか、と思っていた。


「それなら──」





「まだ空いてて良かったね」

「そうだな」


 言葉を交わす二人はカウンター席に座っていた。厨房では、店主と従業員がせっせとラーメンやチャーハンを作っている。その中に、二人が注文した品も含まれている。


(まさか、ラーメン屋に行きたいって言われるとは思わなかったな)


 咲季(さき)の意外な答えに稜秩(いち)は少し驚いていた。


咲季(さき)ならファミレス選ぶと思ってた」

「最初はそうしようって思ってたんだけど、たまには学校帰りにラーメン食べたいなーって」

「そういえば、こうやって二人でラーメン屋来るのって初めてだな」

「そうだね。何か嬉しい!」


 無邪気な笑顔に稜秩(いち)も嬉しさを感じる。その感情に浸っていると、二人が注文したラーメンがそれぞれ出てきた。


「お待たせしました、塩ラーメンです」

「ありがとうございます」


 店員に向けて放った言葉が偶然咲季(さき)と重なった。思わず咲季(さき)を見ると、咲季(さき)も此方を見た。

 そして、目の端には店員の微笑みが見える。何だが恥ずかしくなってきた稜秩(いち)は顔を逸らし、割り箸に手を伸ばす。


「食おうぜ……」

「そうだね。いただきまーす!」


 明るく言って咲季(さき)がラーメンを食べ始めた。その様子をちらりと見て、稜秩(いち)もラーメンを口にした。





 ラーメン屋から出ると、辺りはもう暗くなっていた。


「この後はどうしたい?」


 稜秩(いち)咲季(さき)を見下ろして問い掛けた。

 すると、咲季(さき)は迷わず答えた。


「いっちーの家でゆっくりしたい」

「俺ん家で?」

「うん」

「分かった」


 咲季(さき)らしい意見だなと思いつつ、稜秩(いち)咲季(さき)の手を握り、街灯やお店の照明で照らされた歩道を歩き出す。歩みを進めていくと、小さなケーキ屋を見つけた。そこを一瞥する稜秩(いち)の心は、そわそわと落ち着かない。





 家に着き「ただいまー」と言うと、奥から母と八保喜(やほき)の「おかえりー」の声が聞こえてきた。続いて咲季(さき)が「お邪魔しまーす」と言うと、玄関に向かって来る足音が一つ。


「あら、咲季(さき)ちゃんいらっしゃい。お誕生日おめでとう」


 笑顔で迎えてくれ、お祝いの言葉も添えてくれた珠紀(たまき)咲季(さき)は笑顔を見せる。


「ありがとうございます」

咲季(さき)、何か飲みたいものあるか?」

「ココアが飲みたい」

「分かった。用意して行くから部屋に行ってろ」

「はーい」


 咲季(さき)を自分の部屋に向かわせ、稜秩(いち)は母と共に台所へ行く。


咲季(さき)ちゃん、喜んでくれるといいわね」

「そうだな」


 話しながら台所に足を運ぶと、八保喜(やほき)が洗い物をしていた。


咲季(さき)ちゃん、来てるのか?」

「ああ」


 稜秩(いち)は返事をしながら冷蔵庫の扉を開け、リボンと花でラッピングをした淡いピンク色のケーキ箱を取り出した。

 それを目にした八保喜(やほき)は優しく微笑んだ後、何も言わずに手元に集中した。


 その視線に気付かなかった稜秩(いち)は準備したココアとコーヒーをお盆に乗せ、ケーキ箱も携えて咲季(さき)が待つ部屋へ向かった。


「ココア持って来たぞ」

「ありがとう!」

「それから、これ」


 稜秩(いち)はテーブルの上にケーキ箱を置いた。


「俺が作ったケーキ。口に合うか分からねぇけど……」

「ありがとう! 開けていい?」


 咲季(さき)の問いに稜秩(いち)は静かに頷いた。

 箱を開けると、小さなチョコレートケーキが三つ入っていた。


「美味しそう!」


 すると咲季(さき)はお盆に乗せられていたフォークを手に取り、ケーキを一つ食べ始める。


「……」


 じっとしていられない稜秩(いち)は部屋の窓を開けた。涼しい風が部屋に入ってくる。


「いっちー、美味しいよ!」


 明るい声がして、思わず振り向いた。


「ほ、本当か?」

「うん! すっごく美味しい!」


 稜秩(いち)は素直な感想に喜びを噛み締めた。何度も味見をして作った甲斐があったと安堵する。


「いっちー、味見大変じゃなかった?」

「コーヒーで口直ししながら味見したから大丈夫だった」

「そっか」


 納得した咲季(さき)はまたケーキを食べる。

 幸せに満ち溢れた表情をする咲季(さき)を見て、稜秩(いち)はケーキの味見の最中に何度も吐き気に襲われたことはそっと胸にしまうことにした。


「それにしてもルビンさん、残念だったね。毎年この日はお休み貰えてたのに」

「スケジュール的に他の日にずらせなかったからしょうがねぇよ」


 何の前触れもなく出てきた名前に稜秩(いち)は驚いたが、仕方ないかと思う。実は今日は、ルビンの誕生日でもある。毎年双方の家族の誕生日には誕生日会を開くことになっているのだが、今日はルビンに仕事が入ってしまい、当日の誕生日会は無くなってしまったのだ。


「その代わりにこの前やっただろ、誕生日会」

「そうだね」


 それは先週の金曜日に城神(とがみ)()で行われていた。美味しいご馳走とケーキが用意され、毎年のことながら賑やかな誕生日会だった。


「そういえば、今日もあの話を律弥(りつや)さんから聞かされたのか?」


 稜秩(いち)の言う「あの話」が何のことかすぐに把握した咲季(さき)は頷いた。父の真似をしながら話す。


「うん。ルビンさんの誕生日会の最中にお母さんが産気づいたから病院に連絡して、お父さんが車で病院に連れて行ったらすぐに咲季(さき)が産まれたんだ! って」


 律弥(りつや)は、咲季(さき)の誕生日に必ずその話をする。それは咲季(さき)が物心ついた時から繰り返されていて、実際はもう少し話が長い。


 何度も聞いているため咲季(さき)は若干飽きているのだが、嬉しそうに話す父を見ているとちゃんと聞かなくてはという思いに駆られ、毎回相槌を打ちながら聞いている。


「それだけ嬉しかったんだろうね」

「だろうな。娘が産まれただけでも嬉しいのに、その日が大好きな人の誕生日っていう奇跡だからな」

「確かに奇跡だねぇ。こんな偶然滅多にないよ」


 咲季(さき)は嬉しそうに笑っていた。滅多にない偶然。それなら今日はそういう日じゃないだろうか。稜秩(いち)は素直に言葉を発する。


「今日親父が仕事に行っててよかった」

「えっ、どうして?」

「こうやって、咲季(さき)の誕生日を二人で祝えたから。滅多にないだろ? こういう日って」

「うん、滅多にない日だね!」


 すると、咲季(さき)が何か思いついたような顔をした。


「じゃあ、いっちーの誕生日も二人でお祝いしよう! 今度はあたしがいっちーのリクエストに応えるから!」

「いいな、それ。楽しみにしてる」


 咲季(さき)の気合いの入った表情を目にし、稜秩(いち)は期待に胸を膨らませた。約二ヶ月後の自分の誕生日にはどんなことが待っているのか。想像しただけでも、自然と笑みが零れた。





 時計が二十時を回った頃、咲季(さき)を家まで送り届けるため、稜秩(いち)咲季(さき)と手を繋ぎながら夜道を歩いていた。静かな住宅街には二人の足音だけが響いている。


(もう少し一緒にいたかったな。いつも一緒にいるけど)


 そんなことを思いながら歩いていると、あっという間に咲季(さき)の家の前まで来てしまった。

 咲季(さき)が満面の笑みで見上げてくる。


「今日はありがとう。すっごく楽しかったよ!」

「それはよかった」


 つられて笑顔を見せる稜秩(いち)は、名残惜しそうに咲季(さき)から手を離した。


「いっちー、また明日ね」

「ああ、また明日」


 短く言葉を交わし、離れていく小さな背中を見つめる。すると、玄関のドアノブに手を掛けた咲季(さき)が此方を向いて笑顔で手を振ってきた。稜秩(いち)も手を振り返す。


 咲季(さき)の「ただいまー」と言う声と姿がドアの向こう側に行ったのを見届けた稜秩(いち)は、一呼吸置いて来た道を戻る。家に帰ったら浴衣仕上げよう。そう思った稜秩(いち)の足取りは軽かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんて幸せな一日でしょう! ハーバリウム買って、ラーメン食べて、家でケーキ食べて、送り届けただけなのに、稜秩くんになりきって嬉しくなってしまいました! 咲季ちゃん明るくて素敵な子ですね(*^…
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