二人、浜辺で
「いっちーの目と同じ色だね!」
初めてこの海を見た時、咲季がそう言った。稜秩はその言葉と自分を見るキラキラとした笑顔を、今でも鮮明に覚えている。
さざ波と人々の明るい声で賑わう浜辺の一角に設置したビーチパラソルの下で、稜秩は荷物番をしていた。レジャーシートの上に置いた荷物に気を配りつつ、たまに海を眺める。
今日は八保喜が運転する車で海に来ている。「みんなで海に行こう」と八保喜が言ったのがきっかけだ。予定が空いていた咲季と瀬輝に声を掛けると、二人共「行く」と即答した。
その咲季と瀬輝は、少し離れた波打ち際で向かい合って周りの砂を集めていた。集めた砂で山を作り、たまに海水を砂に染み込ませては押し固める。その繰り返しだった。トンネルでも掘るのだろうかと稜秩は思っていた。
「稜秩、悪いのう」
二人の動向を見ていると、トイレから戻って来た八保喜の穏やかな声が聞こえた。
「荷物番くらいどうってことねぇよ」
隣に腰掛ける八保喜にそう言って、稜秩は再び正面を見据えた。
咲季と瀬輝は完成したであろう砂山を左右から掘り始めていた。やっぱトンネルか、と稜秩は一人で納得する。
「掘りづら……!」
「砂、少し固めすぎたね」
「だなー」
言葉を交わしつつ、咲季と瀬輝はトンネルを掘り進める。砂山の硬さにたまに指が痛くなる。
「今頃、天夏と連朱くんも楽しんでるかな?」
「……きっとな」
咲季は、今日ここにいない二人の名前を何気なく口にした。何故いないのかというと、天夏は熱海へ、連朱は京都へそれぞれ家族で旅行に行っているからだ。
すると瀬輝が手を止め、顔を曇らせた。
「……何で先輩のこと話に出すんだよ。考えないようにしてたのに……」
「ごめんなさい……」
咲季は申し訳なさそうに控えめな声を出した。
その様子に瀬輝は少しだけ罪悪感を感じた。
「まあいいけど……チビッ子のところは旅行とか行かねぇのか?」
話題を少し変えて会話を続ける瀬輝は、止めた手を動かす。
「うん、今年はその予定ないよ。瀬輝くんは?」
「俺のところもそういう予定なし。けど、俺らは俺らで存分に楽しもうぜ!」
「うん!」
瀬輝が明るく笑うと、咲季も笑顔を見せた。そして、共に作業を進めて行く。
程なくしてトンネルが貫通した。
「よし、完成!」
「良い出来具合だね!」
瀬輝は咲季と視線を交わらせて笑顔を見せ合う。
その時、二人が作った砂山にポスッとビーチボールが当たった。しかし砂山は頑丈に出来ている為、崩れる素振りを見せない。
瀬輝は足元に転がってきたビーチボールを拾い上げる。
「ごめんなさい!」
近付いてくる女性の声に振り返る。
「頭とか当たってないですか!?」
「当たってないですよ」
瀬輝はそう応えた後、女性の胸元を一瞥した。
(デカッ……!!)
それは、惹きつけられる胸の大きさだった。瀬輝はボールを女性に渡しつつ、気付かれないようにそこを凝視する。
(あのくらいのデカさ、うちの学校にはいねぇなぁ)
その場を去る女性の背中を見送りながら思った。
「瀬輝くんどうしたの? ボーッとして」
「いや……」
言葉を濁して瀬輝は咲季に向き直る。自然と咲季の胸元に視線が行った。瀬輝にとっては、魅力を感じない存在。
「……チビッ子、毎日牛乳飲んでるか?」
「ううん、たまに飲むくらいだよ」
「毎日飲め」
「どうして?」
「どうしてって──」
瀬輝は話してる途中で声を詰まらせた。此方に向かってくる稜秩の姿を見つけたからだ。
「なあ、荷物番も終わったし泳ごうぜ」
「うん! あたし、浮き輪持ってくる!」
途中で終わってしまった瀬輝の話を気にすることなく、咲季は八保喜のところへ浮き輪を取りに向かう。
瀬輝はその背を見つめた。
「……咲季に、何言った?」
「へっ……?」
不意に掛けられた言葉に瀬輝は稜秩を見上げた。鋭い眼光と目が合うと、一瞬で血の気が引く。
「べべ、別に……!? 世間話してただけだし……!?」
「咲季の胸見た後『牛乳を毎日飲め』とか言ったか?」
(全部分かってんじゃねぇかよっ……!!)
涙目になって頭を抱える瀬輝は開き直る。
「稜秩だって大きい方がいいだろ!?」
「いや、どうでもいい」
「えっ!? 何で!?」
「咲季は咲季だから良いんだ。それ以上、何を求めるんだよ」
「……」
稜秩の言葉を耳にした瀬輝は口を閉じた。胸を張って堂々と言う姿がカッコいいと素直に思う。
そして浮き輪を手にした咲季が戻ってくると、三人は揃って海に入った。
浮き輪で海に浮かぶ咲季は空を見上げていた。青空には眩しく輝く太陽と、小さな雲がゆっくりと泳いでいる。
のんびりとした気持ちでいると、少し離れたところから水飛沫の音が近付いてきた。稜秩と瀬輝が泳ぎの競争をしているのだ。一番に咲季の元へ辿り着いたのは、稜秩。
「また俺の勝ち」
勝ち誇った笑みを浮かべて稜秩が胸を張る。
少し遅れて瀬輝も到着した。呼吸を整えながら稜秩に声を掛ける。
「稜秩……疲れた……ちょっと、休憩……」
「次、俺に勝ったらな」
「鬼畜……! というか、何でこんなに泳がせるんだよ!」
「十数分前のこと、忘れたのか?」
稜秩は意地悪げに口角を上げて瀬輝を見る。
その表情を目にした瀬輝は、海に入る直前に稜秩と交わした会話を瞬時に思い出した。
「どんだけ根に持ってるんだよ!」
「十数分前のことって?」
咲季は首を傾げて二人を見る。
それに瀬輝は言葉を詰まらせたが、稜秩が素早く答えた。
「男同士の話だから気にするな」
「そっか。でもいっちー、瀬輝くん結構疲れてるみたいだから休ませてあげよう?」
「チビッ子、良いこと言った……!」
「気にするな」と言われて気にしないことにした咲季だが、瀬輝の様子に心配そうな表情を見せる。
稜秩は少し黙って考えた。
「……じゃあ五分だけな」
「短っ……!」
「ないよりマシだろ」
「そうだけど……まあいいか……」
ため息混じりに言葉を吐き出すと、瀬輝は咲季の浮き輪に掴まった。
「チビッ子は泳がねぇのか?」
「うん、こうやって浮かびながら空見るのがいいの」
「空、なぁ」
咲季につられるように瀬輝も空を見た。空に浮かぶ雲は、少しずつ形を変えながら移動している。
「本当はこの空の絵を描きたいんだけどね」
「海の上だと無理だよな」
「うん。あの雲、プリンの形してる」
そう言って咲季は太陽の近くにある雲を指差した。瀬輝も稜秩もそれを見る。円錐台のような形の雲。
「色的にミルクプリンだな」
「うん!」
稜秩の言葉に頷いた咲季は突然、最近食べたプリンのことを思い出した。コンビニで売っていた、甘くて美味しいプリン。
「プリン食べたいなぁ……帰りに買っていこう」
「雲見て食欲湧いたのかよ……」
瀬輝が少し呆れた顔をした。
それを気にせず、咲季は笑顔を見せる。
「うん、最近食べたプリンが美味しくて」
「どんなやつ?」
「コンビニで売ってる、五百円のプリンだよ」
「あれか! 美味いよな!」
「瀬輝くんも食べたことあるの?」
「ああ。父ちゃんが仕事の帰りに買って来てくれたんだ! フロマージュ味が美味くてさ!」
「それも美味しいよね! あたしは濃厚ショコラが好きだなぁ」
二人はコンビニスイーツの話題で盛り上がる。
一つ税込五百円と決して安くはないスイーツだが、甘い味とふわっとした食感が咲季は好きだった。思い出しながら話しているだけで、咲季の顔は幸せそうに笑っている。
その姿を、稜秩が微笑ましく見ていた。
そして五分ほど経った頃。
「瀬輝、再開だ」
「えっ、もう!?」
「位置についてよーいドン!」
「ちょぉーーっ!?」
自分のタイミングでスタートした稜秩を、瀬輝が慌てて追い掛ける。
この後、休憩時間を挟みつつ、二人は泳ぎ続けた。
海の家や屋台が人で賑わう頃、三人はビーチに戻った。
瀬輝はフラフラになりながらも、いち早くレジャーシートの上に座る。
「……疲れた……」
「お疲れさん。随分泳いでたのう」
「……誰かさんが、鬼畜なばかりに……」
「自業自得だろ」
疲れ果てた瀬輝と疲れを見せない稜秩を交互に見る八保喜は、この二人の間に何があったのか知りたいような知りたくないような気持ちでいた。
「お昼ご飯買いに行くが、焼きそばとかでええかのう?」
「うん!」
「とりあえず……空腹を満たしてくれるのであれば何でもオッケーです……」
「分かった」
「じゃ、行くか」
一緒に買い出しに行くと意思表示した稜秩は、八保喜に声を掛けた。
「ああ……」
返事をすると八保喜は、瀬輝と荷物番をする咲季をちらりと見てからその場を離れた。
それぞれが食事を終えた頃、咲季がカバンの中を漁り始めた。気になった稜秩が問い掛ける。
「何してんだ?」
「アイス食べたいから買いに行こうと思って」
その二人の会話に八保喜が即座に反応した。
「それならわしが買いに行くよ」
「えっ、でも……」
「いいんじゃよ」
財布を手にする八保喜は少し躊躇う咲季に優しく笑いかける。
「咲季ちゃんは何味のアイスにする?」
「えっと……バニラ、がいい」
「バニラじゃの。稜秩は?」
「俺は、いらない」
「分かった。じゃあ瀬輝くん、一緒に行こうか」
「あ、はい……!」
急に誘われ、瀬輝は慌てて立ち上がった。そして二人は、アイスクリームの屋台へ向かう。
「……」
稜秩は離れていく八保喜の背を見つめた。
(……そういうことか)
一連の行動の意味を悟ると、彼から視線を外した。
その視線に気付かない八保喜はゆっくりと歩いていた。
「八保喜さん、どうして咲季を置いていくんですか?」
歩きながら、瀬輝が疑問をぶつけた。八保喜は穏やかな表情で答える。
「あの二人、今日は全然二人きりになってないからの。せっかく海に来たんだから、少しだけ二人の時間作ってあげたいと思ってのう」
「あ、そっか……そこまで気が回ってなかったな……」
疑問が解消され、瀬輝は苦笑いを浮かべた。そしてすぐにその表情を崩す。
「じゃあちょっと寄り道しつつ、アイス買いに行きますか!」
「賛成!」
意見が一致した二人は、互いにニッと笑ってゆっくりと屋台を回る。
「……」
咲季は膝を抱えて、じっと海の方を見つめていた。
「……」
その咲季と海を交互に見る稜秩は、静かに声を掛ける。
「……海に何かあるのか?」
問い掛けると、咲季と目が合った。
「うん。あのね、波打ち際のところなんだけど、引いた波に太陽の光が反射してキラキラ光ってキレイだなーって見てたの!」
楽しそうに話す咲季は、また海の方に顔を向けた。
稜秩も海を見る。引く度に太陽の光で輝く水。目の付け所が咲季らしい。
「本当、キレイだな」
「うん!」
「……」
稜秩はふと咲季に目をやる。その横顔は笑っている。あのキラキラした輝きを見るのが楽しいらしい。どのくらい楽しいかと言うと、潮風が吹いて髪が乱れても気にしないくらいだ。
咲季の乱れた髪を直そうと、手を伸ばした。
その時、突風に見舞われた。砂が舞う中、飛ばされそうなビーチパラソルや荷物を二人で押さえる。
幸い、風はすぐ止んだ。
「目に、砂が入った……」
言いながら、咲季が左目を擦り始めた。
「あんま擦るな」
稜秩は咲季の手を掴み、代わりに目に入った砂を取り除く。
「……取れた」
「ありがと……」
小さな声を発したかと思えば、咲季がじっと此方を見上げてくる。
「どうした?」
稜秩は、自分の目を見つめてくる咲季を不思議そうに見つめ返す。
すると、目の前の顔が微笑んだ。
「海もキレイだけど、いっちーの目が一番キレイだなって思って」
「……!」
たった一言で胸が高鳴り、全身が熱くなるのを感じた。咄嗟に咲季から顔を逸らし、手で口元を隠す。
「そっ、そうか……」
精一杯の返事をし、外方向く。
(至近距離で言われると、ドキッとするもんなんだな……)
心で言葉を洩らし、チラリと咲季に視線を送る。咲季は今度は海ではなく、目の前に現れた小さなカニを見ていた。その手には携帯電話があり、動画を撮っているようだった。先程と同様、楽しそうな横顔。
(……俺ら、年を取ってもこうやってずっと一緒にいるんだろうな)
稜秩は何の疑問も持たずそう思った。自然と咲季の頭に手が伸びる。
咲季が驚いた顔で此方を見た。
「あたしの頭にゴミ付いてた?」
突拍子も無い言葉に稜秩は笑った。
「違げーよ。ただ、こうしたかっただけ」
「そっか」
照れ笑いを浮かべ、咲季はまたカニに視線を戻す。
稜秩はその頭を撫でながら乱れている髪を直す。それを素直に受け入れてくれる咲季を愛おしく思った。このまま抱き締めたい。湧き上がってくる気持ちもあったが周りには大勢の人がいるため、自制する。
そして、瀬輝と八保喜がアイスを手に戻って来た頃には、稜秩の手は咲季から離れ、何事も無かったかのようになっていた。
帰りの車内は、走行音とカーオーディオから流れてくるバラードだけが響いている。
助手席に座る稜秩は後部座席に目をやった。そこにはシートベルトを着用した咲季と瀬輝が、瞼を閉じて車の揺れに身を任せていた。
「……」
気持ち良さそうに眠っているのは良いことだが、咲季の肩に寄り掛かって眠る瀬輝に若干の苛立ちを覚えた。しかし、今日のところは許してやろうと心を落ち着かせる。
「咲季ちゃんも瀬輝くんも疲れて眠ってるのう」
バックミラーに映る二人の寝顔を見て、八保喜が言った。
「そうだな」
稜秩は答えながら正面に向き直った。
「八保喜、ありがとうな」
「何が?」
「咲季と二人きりになるように気遣ってくれて」
「何じゃ、気付いとったんか」
「まあな。不自然に瀬輝を連れ出してたんだから気付くって」
「そうか」
稜秩はふと窓の外へ顔を向けた。近くに見えていた海が、遠くなっていく。
(これから家に帰るんだなぁ……晩飯は何だろ?)
そう考えていると、不意に、昼間に咲季が呟くように言った言葉を思い出した。
「……あ、そうだ。八保喜、あとでコンビニに寄ってくれるか?」
「いいけど、何買うんじゃ?」
八保喜からの問い掛けに、稜秩はバックミラーに映る咲季と瀬輝に目線を向けた。
「後ろの二人にプリン買おうと思ってさ」
そしてまた目線を外に移し、ドアの窓辺に頬杖をつく。
遠くに見える海が太陽の光で輝いていた。
「……同じ色だけど、俺の目が一番」
「何か言ったか?」
八保喜が不思議そうに聞いてきたが、稜秩は何食わぬ顔をする。
「いや何も? 瀬輝の寝言だろ」
「先輩、おかえりなさーい……!」
「……ほらな」
「すごい寝言じゃのう……」
(本当に寝言言った……)
稜秩は内心驚き、静かに笑った。




