台風の夜は二人で留守番
曇天。その言葉の通り、今日は朝から灰色の雲が空一面を覆っていた。昼下がりになると強風が吹き始め、雲の流れが速くなった。それは、徐々に台風が近付いていることを知らせていた。
空に響く風の音を耳にしながら、連朱は机に向かって夏休みの宿題をしていた。宿題ももうすぐ終わる。そんな時だった。
「連朱ー!」
一階から自分を呼ぶ母の声が聞こえた。
連朱は席を立ち、部屋を出て階段の方へ行く。
「何?」
二階のホールから顔を覗かせると、階段下に母である茜の姿があった。
「私これから仕事に行くんだけど、まだ晩ご飯の用意出来てないから適当に作って食べて!」
「うん」
そう言い残して母は強風が吹き荒れる中、荷物を持って家を出た。
(晩ご飯用意出来てないって言ってたけど、お米も炊けてないのかな? というか、母さん今日仕事休みじゃなかったっけ?)
気になった連朱は階段を下り、一階にあるリビングへ足を運んだ。
リビングでは朱李がソファーに座ってテレビドラマの再放送を観ていた。テレビ画面の上部には台風に関する情報が止め処なく流れている。
「そろそろこの辺も暴風域に入るってー」
「そうなんだ。なあ、母さんって今日仕事休みじゃなかった?」
「一人欠勤したから、お母さんが代わりに出勤することになったんだって。こんな中でも仕事に行くって、大人は大変だよね」
「そうだな」
朱李と会話をしつつ、連朱はキッチンに置いてある炊飯器の蓋を開ける。綺麗に洗われた釜だけが入っていた。
(とりあえず米炊かないと)
連朱は炊飯器から釜を取り出し、米を研ぐ。
それを終えると、米と水を入れた釜を炊飯器にセットし、スイッチを入れた。
(これでよし)
連朱はキッチンを離れ、二階へ上がろうとする。
「兄ちゃん、部屋に戻るの?」
「ああ。勉強がまだ残ってるからな」
「一緒にゲームしよー!」
朱李がソファーから身を乗り出して明るく言った。
それとは対照的に、連朱は眉を顰める。
「勉強が残ってるって言ってるだろ」
「いいじゃん、ちょっとだけ」
「ダメだ。それより、朱李は夏休みの宿題は終わらせたのか?」
「まだだよー。後でやるからいいんだ」
「後でって、それで夏休み最終日に慌てるのはどこの誰だよ」
「だ、誰だろーね……」
目を泳がせる弟を見て、連朱は小さく息を吐いた。
「分からないところあったら教えるから、また一緒に勉強しよう」
「……ヘーイ……」
朱李は渋々とテレビの電源を切って立ち上がり、連朱と共に階段を登る。自分の部屋から勉強道具を持ち出し、兄の部屋へ向かった。
部屋の中央に置かれたテーブルの上に勉強道具を広げ、そこで勉強に取り掛かる。
そうして間もなく、窓に雨が打ち付ける音が聞こえてきた。
「降ってきたな」
「だねー。兄ちゃん、ここの問題なんだけどさ」
朱李は数学のプリントを見せる。その指が差す問題に連朱は目を落とした。
遠くの方では、雷鳴が轟いていた。
「出来たー!」
勉強を終わらせた朱李は大きく伸びをする。すると、腹の虫の鳴き声が部屋中に響いた。
「兄ちゃん、腹減った……」
先程とは打って変わってテーブルに突っ伏し、元気のない声を出す。
そんな弟を見て連朱は思い立つ。
「ご飯作るか」
「うん……」
意見が一致したところで二人は部屋を出る。
「あ、俺トイレ行ってくるから携帯をリビングに置いといて」
「うん、わかった」
階段を下りながら連朱は朱李に携帯電話を託し、トイレへ行く。
携帯電話を預かった朱李は、雨が窓や屋根に強く打ち付けられる音が家中に響いている中、リビングへ向かった。リビングの電気を点けてテーブルの上に携帯電話を置く。丁度その時、炊飯器の音楽が鳴り、ご飯が炊けたことを知らせてきた。
「良いタイミングじゃん♪」
上機嫌に独り言を言った時だ。
ドォンッという大きな音と共に、地響きが聞こえた。
「へっ!?」
驚いたのも束の間、バンッと家の電気が全て消えた。どうやら、近くで落雷があったようだ。
「わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!」
パニック状態に陥った朱李はドタドタと足音を立ててトイレまで走り、ドアを力任せに叩く。
「兄ちゃん!! 停電!! 暗い!!」
「ドア壊れる!!」
連朱はドアを開けて怒り気味に言い放った。
「暗いの怖い!!」
「外はまだ少し明るいだろ!?」
「でも怖い!!」
目に涙を浮かべる朱李は連朱の背中にベッタリとくっついた。
連朱は静かにため息をつくと、朱李を背中にくっつけたまま歩き出す。
(高校生の兄と中学生の弟で何やってるんだろ……)
歩きづらい中リビングに着くと、出入り口の壁に設置している懐中電灯を手に取った。懐中電灯の明かりがリビングを照らす。
「ここに懐中電灯があるんだから使えば良かっただろ」
「そこまで考えつかなかったんだもん……」
少し恥ずかしげな表情を見せつつ、背中から離れた朱李に懐中電灯を渡す。その最中、また朱李の腹が鳴った。
「兄ちゃん、ご飯炊けてたよ」
「そうか。けど、うちはIHだから焼き物は出来ないな……」
「じゃあ卵かけご飯食べよ! それなら電気使わないし!」
「そうだな」
朱李の意見に賛成し、二人で卵かけご飯を食べることにした。炊き立ての白米に卵と醤油を混ぜ合わせる。
香りを楽しむことも忘れ、朱李はそれを掻き込んだ。
「卵かけご飯、最高〜」
朱李は食べながら恍惚の表情を見せる。
それを見て、連朱がフッと笑った。
「朱李は本当に卵かけご飯が好きだな」
「うん! 毎日卵かけご飯がいい!」
「いや、毎日はさすがに飽きるぞ……」
「飽きない、飽きない!」
楽しそうな朱李の言葉の後、窓の外が一瞬光り、かなり近い距離で雷が鳴った。絶えず暴風雨の音も聞こえる。
「相当ひどいな……」
「家、吹っ飛ばされないよね……?」
「大丈夫だろ、多分……」
静かなトーンで言葉を交わしていると、家の電気が点いた。停電が復旧したらしい。
「おお、明るい!!」
久し振りとも言える明るさに朱李が喜んだ。
その目の前に座る連朱は胸を撫で下ろした後、ふと、風呂のことを思い出した。まだお湯を沸かしてない。
「今のうちに風呂のお湯沸かしてくる」
「うん」
連朱は席を立ち、風呂場へ向かうついでに懐中電灯を元の場所に戻した。
風呂が沸くと、先に朱李が風呂に入った。その間に連朱は食器を洗う。
それを済ませてテレビを点けると、バラエティー番組が放送されていた。そして先程と同じように、画面の上部に台風情報や停電情報が流されている。
「これ以上ひどくならないといいんだけど……」
呟きながらソファーに腰掛けた。
すると、また家の電気が一斉に消えた。
「えっ、また停電?」
驚きつつ、連朱は近くに置いていた携帯電話のライトを点けた。
それと同時に風呂場からバタバタと足音が迫ってくる。
「真っ暗無理っ!!!!」
「わあぁっ!?」
背後から抱き付かれ、連朱の心臓が跳ね上がった。朱李の体に付いていた水滴が顔や服に掛かる。
慌てて朱李にライトを向けた。
「って、シャンプーの泡がついたままなんだけど!?」
「髪洗ってたら停電になったんだもん!!」
「だからって……あーあ、床もビショビショじゃん……」
ライトで床を照らすと、濡れたフローリングが露わになった。朱李の走って来た痕跡として、雫の道が出来ている。
「兄ちゃん、一緒に風呂入ろう……」
「はい、はい……」
弟の涙声に負けた連朱はため息混じりに応えた。
濡れた床を朱李と一緒に拭いた後、連朱も風呂に入った。
風呂から上がった朱李はリビングのソファーに座り、濡れた髪の上にタオルを乗せて難しそうな顔をしていた。
その目の前にいる連朱は朱李の表情を窺っている。
まだ電気が点かない中、懐中電灯と携帯電話のライトの明かりを頼りに二人はトランプでババ抜きをしていた。今は終盤。連朱の手札は二枚、朱李の手札は一枚。
朱李は連朱の手札からジョーカーを引かないように慎重に選ぶ。
「こっちだ!」
意を決して手を伸ばしたトランプ。それはジョーカーだった。
「……」
朱李は絶望的な表情をする。
「朱李、顔に出し過ぎ」
「慎重に選んだのにジョーカー取っちゃったんだもん! ほら、兄ちゃんの番だよ!」
手を背中に回してトランプをシャッフルした後、兄の目の前に二枚のトランプを差し出す。
連朱は迷わず向かって右側のトランプを選んだ。
瞬間、朱李の表情が強張る。
連朱が引いたのは手元にあるトランプと同じクローバーの7。連朱は嬉しそうに笑う。
「俺の勝ち」
「も、もう一回……!」
「それもう五回目だぞ」
「次こそは俺が勝つ!」
「それも五回目」
この前もこういうやり取りしたなと思いながら連朱がトランプをかき集めていると、玄関の方で音がした。瞬間、家の中に風が入ってきた。壁に掛けているカレンダーや花瓶の花が揺れる。その風に乗って「ただいま」と言う母の声が聞こえてきた。
連朱と朱李は懐中電灯を持って玄関へ向かう。そこでは、父と母が靴を脱いでいるところだった。
「おかえり」
「お父さんの車に乗ってきたの?」
「そうよ。連絡したらすぐに来てくれたの」
母の言葉に父の緋彦は無言でコクリと頷いた。
家に上がる両親の足元を懐中電灯で照らしながらリビングに向かっていると、家の中が明るくなった。
「あら、良いタイミングで点いたわね」
「よかった……!」
朱李が安心した表情を見せた。
連朱はその頭の上に手を置く。
「もう停電にならないといいな」
「うん!」
明るく笑う弟を見て、連朱は微笑んだ。
無事に電気が点くようになり、家の中はいつも通り穏やかな空気に包まれた。そんな中で母たちと会話をした後、連朱は自分の部屋に戻ってベッドに寝転がって漫画を読んでいた。少しずつ、睡魔が襲ってくる。
「……そろそろ寝るか」
そう呟いて立ち上がり、漫画を本棚へ戻す。
すると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「何?」
声を掛けるとドアが開いた。そこから朱李の顔がちょこんと出てきた。
「兄ちゃん、一緒に寝ていい?」
「もう停電は終わっただろ」
「いいじゃん、たまには♪」
そう言いながら朱李が部屋に入ってきた。その手には枕がある。俺には拒否権がないんだな、と連朱は思った。
「俺、壁側〜♪」
楽しそうにしながらベッドに枕を置く朱李を見て、思ったことを口にする。
「朱李って俺と一緒に寝る時って必ず壁際を選ぶよな。壁側好きなのか?」
「好きっていうか、兄ちゃんの寝相が悪くて絶対ベッドから落とされるから」
「あぁ、そうだったな……」
弟の言葉に申し訳なくなった。連朱は旅行先や友達の家で寝る時はとても寝相が良いのだが、自宅で寝る時はとてつもなく寝相が悪い。それは幼い頃から続いている。
「何で家で寝る時は寝相悪くなるの?」
「さぁな。俺が聞きたい。電気消すぞ」
「うん。あっ、豆電にして!」
「はい、はい」
朱李の要求を聞き、連朱は部屋の電気を消した。豆電球の淡い光の中、ベッドに入る。
すると、朱李の腕が上半身に纏わり付いてきた。
「何だよ」
「何となーく。兄ちゃんの匂い、落ち着く」
「お前は俺の彼女か」
「……襲っちゃイヤよ♡」
「気持ち悪い。やめろ」
瞳を潤ませてぶりっ子する朱李に連朱は冷たく言い放った。
「お兄様冷たい♡」
「部屋から追い出すぞ」
「えっ、ヤダ! ごめんなさい!」
慌てて謝る朱李は腕に力を入れ、さらに連朱にしがみついた。
「まったく……」
連朱は呆れたような表情でため息を漏らす。
(……さっきもそうだったけど、朱李は小さい頃から落ち着くからってこうやって俺に抱き付いてくるよな。そんなに落ち着くものなのか?)
その疑問を聞いてみようと何となく思った。
「……なぁ、朱李」
「……」
「朱李?」
呼び掛けても反応がない弟を不思議に思い、その顔を覗き見る。朱李は静かに寝息を立てていた。
(寝るの早すぎだろ……)
寝付きの良さに連朱は目を丸くする。
(つい数秒前まで普通に話してただろ……どうやったらそんなに早く眠れるんだよ……)
少し関心を持ちつつ、自分も眠りにつこうと瞼を閉じる。今日は瞼の向こう側がほんのりと明るい。一人部屋になってからは夜は真っ暗にして眠っている連朱にとって久し振りの感覚だったが、特に気にすることではなかった。
今連朱が気にしていることは、ただ一つ。
(蹴っ飛ばしたらごめん……)
左側にいる弟に対してこれから起こるかもしれないことを先に心の中で謝り、そのまま眠りについた。




