助けてくれた人
いじめの描写があります。苦手な方はご注意。
連朱の過去の話になるので、読み飛ばしても問題はないかと思います。
先程まで一緒に遊んでいた哉斗と章弛と別れ、瀬輝と連朱は家路につこうとしていた。二人は橋を渡り始める。
「今日は楽しかったね」
「はい! だけど、お金使い過ぎて母ちゃんに怒られそうで怖いです……」
「俺も……」
青ざめた顔をする瀬輝を見て、連朱は苦笑いを見せる。すると、瀬輝越しに見える川に、流されていくものが視界に入った。
川に流されているのは片方だけの上靴。泥まみれになった上靴には、いくつもの心無い言葉がマジックペンで書かれていた。
「……」
誰がいつ、どういう状況であれを川に落としたのか。連朱は橋から身を乗り出して、食い入るように上靴を見つめた。
「先輩?」
異変を感じた瀬輝も立ち止まって連朱の視線を辿る。
「……あの上靴が、どうかしたんですか?」
「……」
瀬輝の問い掛けに連朱は一切反応しない。その代わりに、欄干を掴む連朱の手が小刻みに震えていることに瀬輝は気付いた。
それは、連朱が小学二年生の時。
「湊琉くん、私たちと一緒にグラウンドで鬼ごっこしよう!」
「うん!」
クラスでも人気のあった連朱は、女子数人に誘われて遊ぶことが多かった。誘ってくれたから一緒に遊んでいるだけと連朱は思っていたが、それを良く思わない一部の男子がいた。
「おはよ」
「……」
廊下で会ったクラスメイトの男子たちに挨拶をした連朱は違和感を覚えた。誰も自分と目を合わさず、挨拶も返してくれない。
「女子とばっか遊んで、うぜぇ」
「……」
代わりに、そんな言葉がすれ違いざまに耳に入ってきた。
その日を境に。
連朱は、一部の男子からいじめを受けるようになった。
目の前にいて話し掛けてもそれを無視されたり、すれ違った時や靴箱の前で靴を履き替えている時に体当たりをされたり。そんなことが続いた。
それも次第にエスカレートしていく。
「……あれ……?」
ある日の休み時間、トイレから戻って来た連朱は困った顔で机の中やランドセルの中を漁る。そこへ仲の良い女の子たちが寄って来た。
「湊琉くん、どうしたの?」
「えっと、筆箱、音楽室に忘れて来たみたい……」
連朱は嘘をついた。
しかし彼女たちはそれに気付かない。
「私、取ってこようか?」
「ううん、自分で行くよ! ありがとう!」
立ち上がった連朱は急いで教室を出た。消えた筆箱を探す為に。
(音楽室を出る時も教室に戻って来た時も筆箱はあったから、俺がトイレに行ってる間にどこかに隠されたんだ……!)
早歩きで進みながら周りに目を向ける。
ふと窓の外を見ると、筆箱を見つけた。筆箱は中庭にある、鯉が泳ぐ小さな池に浮かんでいた。
連朱は階段を駆け下り、中庭へ向かった。
「……」
その筆箱は連朱が一目で気に入り、母が買ってくれたもの。それが今、池の真ん中辺りに浮かんでいる。
連朱は溢れてくる涙を堪えることなく、水を掻いて筆箱を岸へ寄せた。
手にした筆箱の中を開くと、鉛筆や消しゴムなどの文房具まで水浸しだった。
それを抱え、教室へ戻った。
教室に戻れば、クラスメイトや先生に「その筆箱どうしたの?」と聞かれた。咄嗟に連朱は「筆箱で遊んでいたら手が滑って池に落としてしまった」と答えた。
そうしていじめのことは隠していた。隠してはいたが、次第にクラス中に知れ渡っていった。
「湊琉くん」
「ちょっと……!」
連朱に話し掛けようとしていた女の子に、クラスメイトが腕を掴んで首を横に振って制止した。連朱に話し掛ける人は徐々に減っていき、最終的に連朱はクラスで孤立した。
登下校中も、授業中も、休み時間も、給食の時間もずっと一人。たまに誰かが連朱の方を見てクスクス笑っていた。連朱は、学校にいるのが苦痛だった。
しかし、学校を出たらそれは忘れることが出来た。家に帰れば母が温かい笑顔で「おかえり」と迎えてくれたから。
連朱は本当は学校には行きたくないと思っていたが、家族に心配を掛けたくない一心で何も言わず過ごしていた。
家にいる時は弟の朱李がいつも「キャッチボールしよ!」と誘って来た。少し広い家の庭でキャッチボールをするのが楽しくて、毎日がこうならいいのにと何度も思っていた。
そんな思いも虚しく、学校に登校した連朱は靴を履き替えようと靴箱を開けた。
瞬間、言葉を失う。
「……」
靴箱に入っていた上靴には「バカ」や「消えろ」などの、心無い言葉が油性マジックで書かれていた。
連朱は外靴を靴箱に押し込め、上靴を胸元に抱えてその場を離れようとする。
「わっ!」
丁度、靴箱の陰から出て来た生徒とぶつかってしまった。
「ごめん!」
「ごめんなさい……!」
連朱は相手の顔を見ずに謝って走り去った。
その姿を目で追う、銀髪の男の子。
「いっちー! 早く行こー!」
「うん」
自分を呼ぶ声に反応して返事をした稜秩は、走り去る男の子の足元を見た。何で上靴を履いていないんだろう、という疑問が心に浮かんだ。
その彼のことなど頭にない連朱は、特別教室が並ぶ廊下に辿り着いた。そこに設置された水道で上靴を洗い始める。
(俺、何もしてないのに、何でこんなことされなきゃいけないんだろう……)
泣きじゃくりながら、上靴に書かれた文字を少しでも消そうと近くにあった束子で何度も擦った。しかし文字はぼやけただけで完全には消えなかった。
上靴の落書きの他にも、ボールや小物を投げつけられたり、突き飛ばされたり、わざと転ばされたり。そんなことが繰り返された。それでも誰も何も言わない。クラスメイトたちはみんな見て見ぬ振り。
一部の先生たちもそうだった。連朱が必死にいじめのことを隠しているのを気付いていながら、何もしなかった。
それが当たり前だった。
でも、あの日は違った。
休み時間にトイレで用を足し終えた連朱は、水道で手を洗っていた。
「あ、ここにいたんだー」
その言葉を聞いたのも束の間、連朱は男子生徒に突き飛ばされ、床に尻餅をついた。
「うわっ! トイレの床に転んだよ!」
「汚ねー!」
笑いながら男子生徒たちは清掃用の水道に付けられたホースを手に取り、連朱に向かって水を掛けた。
「やっ、やめてっ……!」
「お前が汚いから洗ってやってるんだよ!」
「これで少しはキレイになるんじゃない?」
容赦無く水を掛け続ける男子生徒たちは、殆ど抵抗しない連朱を見て笑っていた。
「何してんの?」
トイレの出入り口からそんな声が聞こえた。
男子生徒たちが振り返ると、手提げカバンを持った稜秩が立っている。
「やべっ!」
稜秩の姿を見た男子生徒たちはホースを投げ捨て、逃げた。
彼らを一瞬だけ見た後、稜秩はトイレに入った。
「……」
トイレの床に水浸しで座り込む同級生を目にした時、手提げカバンを持つ稜秩の手に力が入った。稜秩は流れたままのホースの水を止め、連朱に歩み寄って立ち上がらせる。
連朱の視界に銀髪が映った。
「ん」
「……なに……?」
連朱は目の前に差し出された手提げカバンに戸惑った。
「この中に体操服が入ってるから、それに着替えな」
「え……でも……」
「そのままじゃここから出られないだろ。風邪引くし。ほら」
半ば強引に手提げカバンを持たされた連朱は、稜秩に背中を押されてトイレの個室に入った。
「タオルも入ってるからそれで髪の毛とか拭いていいから。あと、濡れた服はビニール袋があるからその中に入れていいから」
「……」
連朱はとりあえず、彼の言う通りに体操服に着替える。その最中、廊下の方から「体育館行かないのー?」という女の子の声と「後で行く……かもしれない」という彼の声が聞こえた。
着替え終えた連朱は静かに個室を出た。
「あ、あの──」
「着替えたな。よし」
言い掛けた声を遮られ、突然手を掴まれた。
彼が歩き出すと連朱もつられて歩く。しかし、連朱は立ち止まって抵抗した。
「ど、どこ、行くの……!?」
「先生のところ」
「どうして……!?」
「この状況を説明するため」
「キ、キミには関係ないよ……!」
「いじめられてる奴がいるのに放っておけるかよ!!」
「……」
強く放たれた言葉に連朱は目を見開いた。その瞬間、心が軽くなったのを感じた。誰かが助けてくれるのをどこかで待っていたのかもしれない。自分の手を引いて廊下を歩く背中を見ながらそう思った。
連朱の手を優しく握ってくれている手は、とても温かかった。
稜秩が連朱を連れて職員室へ行ったことでいじめのことが公になった。その後、連朱と両親。連朱をいじめていた生徒とその保護者。それぞれの話し合いが教師を交えて行われた。
それ以降、連朱がいじめられることはなくなった。
「そんなことが、あったんですね……」
二人は近くの公園へと場所を移し、ベンチに腰掛けていた。
「うん」
「だからさっき川で上靴を見た時……」
「そう。思い出して怖くなっちゃった……」
「……」
連朱は力無く笑った。
その姿に胸を締め付けられた瀬輝は思わず顔を背け、手元に視線を移す。
そこから少しの間、会話が途切れた。
「……ごめんね、こんな暗い話」
「いえ、そんなこと言わないでください! それから稜秩と話すようになったんですか?」
「うん。稜秩は隣のクラスの俺のことをずっと気に掛けてくれて、休み時間とか昼休みとか、よく話し掛けてくるようになった。その後、咲季と天夏とも仲良くなったんだ」
「そうでしたか。稜秩は、すごいですね」
「うん」
すると瀬輝が勢いよくベンチから立ち上がり、連朱の正面に立った。
「もしこの先、先輩をいじめる奴がいたら俺、全力で先輩を守ります!! 何が何でも、絶対守ります!!」
その迫力に一瞬驚いた連朱だが、すぐに笑顔を見せた。
「ありがとう」
「とっ、当然のことですっ!!」
お礼を言うと瀬輝の顔が赤く染まった。
連朱は胸の温かさを感じながら立ち上がる。
「そろそろ帰ろうか」
「はい!」
明るい表情を取り戻した二人が公園を出た時だった。
「あっ」
偶然、稜秩と鉢合わせた。
三人とも、驚いていた。
「お前ら、遊びに行った帰りか?」
「うん。稜秩は買い物帰り?」
「ああ」
「……」
連朱は、会話をしていた稜秩の視線が別の方へ向いたことに気づいた。その視線を辿ると、稜秩をじっと見ている瀬輝がいた。
「何で俺をガン見してんだよ」
「いや、別に……」
稜秩に指摘された瀬輝は外方を向いた。
「変な奴」
「……」
ここで言い返してこない瀬輝に、稜秩は眉を顰める。
「瀬輝、具合でも悪いのか?」
「はっ!? 何でだよ!!」
「やけに大人しいから」
「別に具合悪くねぇし!!」
「そうみたいだな」
「つか、俺が大人しいと変なのかよ!?」
「大いに変」
「何だよそれ!!」
「ぷっ」
二人の言い合いを見ていた連朱は吹き出し、笑い始める。
突然のことに稜秩も瀬輝も目を丸くする。
「せ、先輩……?」
「ごめん……二人のやり取りが面白くて……!」
腹を抱えて笑う連朱は目に涙を浮かべていた。
「そんなに、面白かったですか……?」
「うん……!」
まだ笑う連朱は少しずつ呼吸を整えていく。
あの時稜秩が助けてくれたから、今こうして笑っていられるんだろうな。
呼吸を落ち着かせた連朱は、二人を見る。
「稜秩、瀬輝。ありがとう」
「えっ……?」
「何についてだよ」
「言いたかっただけだから気にしないで。ほら、行こう」
その言葉に二人はそれ以上何も追及することなく、連朱と肩を並べて歩き出す。
あの上靴の持ち主の子にも、稜秩や瀬輝みたいな人が近くにいてくれるといいなと、連朱は思った。




