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【完結済】ひごろこと  作者: 冬月 聖


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23/123

はじめてのデートと約束

 太陽がジリジリと照りつける道を、携帯電話を片手に瀬輝(ぜる)が歩いていた。

 立ち止まって携帯電話の画面を見た後、辺りを見回す。初めて訪れた場所は住宅ばかりが建ち並んでいる。


「……このまま真っ直ぐ進んで、次の十字路を右か」


 液晶画面に表示された地図を見て呟く。その地図には進む道が分かるように、道筋に沿って線が引かれている。

 瀬輝(ぜる)は再び歩き出した。

 今瀬輝(ぜる)が向かっている場所は、天夏(あまな)の家。何故、一人で天夏(あまな)の家に向かうのか。

 それは数日前のこと。






 自宅のカレンダーで家族の予定を確認していた天夏(あまな)は、来週の水曜日の予定に目を止めた。父と母は仕事、兄はバイトとサークル、自分は部活。それぞれの予定が入っている中、妹の秋凪(あきな)だけは何も予定がない。ということは、家には秋凪(あきな)一人だけになってしまう。


 それについて家族と相談している最中、瀬輝(ぜる)の顔が頭に浮かんだ。これは良いチャンスだとばかりに瀬輝(ぜる)に連絡を取ると、瀬輝(ぜる)秋凪(あきな)を預かることを快諾してくれた。

 気乗りしない兄はさて置き、秋凪(あきな)瀬輝(ぜる)、二人で出掛ける予定が出来た。






 ──というわけなのだ。


秋凪(あきな)、髪結ぶからおいで」

「うん」


 ノースリーブの袖にフリルが付いた水色のワンピースに身を包んだ秋凪(あきな)は、天夏(あまな)のもとへ向かう。既に二人しかいない空間に秋凪(あきな)の足音が響いた。


 姉の前に背を向けて座ると、髪に手と櫛の感触が頭に伝わってきた。長く艶のある直毛の黒髪はすんなり言うことを聞き、束ねられていく。


秋凪(あきな)の髪は綺麗ね」

「お姉ちゃん、それ何回も言ってるよ」

「言いたくなっちゃうのよ。私は癖っ毛だから羨ましいわ」


 天夏(あまな)と言葉を交わしていると、髪はあっという間に一つに纏まった。ヘアゴムに付いた白いリボンがポニーテールの根元を飾る。


「よし、出来た。あとは日焼け止めと帽子……」


 秋凪(あきな)の肌が露出しているところを中心に、日焼け止めが塗られていく。

 すると、天夏(あまな)の携帯電話が鳴った。


瀬輝(ぜる)だ」

「!」


 その名前を聞いた瞬間、秋凪(あきな)の胸は高鳴り、渡された帽子を持つ手に力が入ってしまう。


「もしもし? ええ、わかったわ」


 それだけ話すと、天夏(あまな)は電話を切った。


瀬輝(ぜる)もうすぐ来るから、外で待ってようか」

「う、うん……」


 秋凪(あきな)は緊張した顔で玄関へ向かい、帽子を被ってサンダルを履く。


「うん、いいね。かわいい」

「本当?」

「ええ。そんなかわいい秋凪(あきな)に、魔法をかけてあげる。じっとしててね」


 言われた通りにじっとしていると、姉がいつも使っているリップクリームが現れた。それが秋凪(あきな)の唇に塗られていく。唇はほんのりとピンク色に染まった。


「これで、秋凪(あきな)はもっともっとかわいくなったわ。瀬輝(ぜる)も『かわいい』って言ってくれるわ、きっと」


 姉の言葉に秋凪(あきな)ははにかんだ。期待に胸が膨らむ。


「よし、じゃあ、外に行こう」


 天夏(あまな)秋凪(あきな)は家を出た。蝉の鳴き声が鮮明に聞こえ、眩しい陽の光が二人を照らす。

 家の敷地から一歩外に出ると、秋凪(あきな)の胸が高鳴った。咄嗟に天夏(あまな)の後ろに隠れる。

 天夏(あまな)はちらりと妹を見て「この調子で大丈夫かしら……?」と少しの不安を覚えつつ、瀬輝(ぜる)を視界に入れる。


「悪いわね、来てもらって」

「気にすんな。秋凪(あきな)ちゃん、久しぶり」


 瀬輝(ぜる)がしゃがんで挨拶をしてくれた。しかし、秋凪(あきな)は小さく頷くだけ。その顔は真っ赤に染まっている。

 緊張で動けないでいると、姉に背中をそっと押された。二歩、瀬輝(ぜる)に近づいた。

 頭上から二人の会話が聞こえる。


「部活は15時くらいに終わるから、その頃また連絡するわね」

「わかった」


 俯きながらそれを何となく聞いていると、目の前に瀬輝(ぜる)の手が現れた。


秋凪(あきな)ちゃん、行こうか」

「……」


 差し出された大きな手をじっと見つめた秋凪(あきな)は、ゆっくりと手を重ねる。温かい体温が左手から伝わる。


「いってらっしゃい」

「……いってきます……」


 手を振る姉に小さく手を振り返し、瀬輝(ぜる)と歩き出した。たまに後ろを見ると姉の笑顔が見えた。

 そして、隣にいる瀬輝(ぜる)を見上げる。歩く度、赤い髪が揺れている。


 突然、瀬輝(ぜる)と目が合った。秋凪(あきな)は思わず目を逸らす。

 足元を見ながら歩いていると、それに並行して野良猫たちがついて来た。


「ニャンコだー……」


 強張った秋凪(あきな)の顔が少し緩む。

 瀬輝(ぜる)はそれを見逃さなかった。


秋凪(あきな)ちゃんは猫好き?」

「うん、好き……」

「それは良かった! んじゃ、後で楽しみにしてて!」

「……うん……」


 明るく笑う瀬輝(ぜる)を見上げた秋凪(あきな)は、繋がれた手をぎゅっと握った。


「これから、どこに行くの……?」

秋凪(あきな)ちゃんの好きなところ!」





 辿り着いた場所はショッピングモールの一角にあるアミューズメント施設。秋凪(あきな)はここで遊ぶのが好きだと、事前に天夏(あまな)から聞いていた。


 目を輝かせる秋凪(あきな)瀬輝(ぜる)の手を引いてミニ列車乗り場に向かう。そこには二両の列車が止まっている。保護者も乗れるということで、一両目の前側に秋凪(あきな)が、後ろ側に瀬輝(ぜる)が乗った。


 二人を乗せた列車は、小さな街の中に敷かれたレールの上をゆっくりと走る。ビルや住宅街、公園など見える景色が次々と変わっていく。


「これ、楽しいね」

「うん!」


 笑顔で頷いた秋凪(あきな)は周りを見回して、その景色を楽しんだ。


 一周し終えた列車を降り、二人が次に選んだのはモグラ叩き。向かい合ってどちらがより多くのモグラを叩けるか競争出来るようになっている。


「これ、やる!」

「お、いいな!」


 二人は張り切ってモグラ叩きに挑戦した。

 瀬輝(ぜる)が手加減したこともあってか、接戦で秋凪(あきな)が勝った。


秋凪(あきな)ちゃん強いな」

「えへへ。でも、パパには全然勝てないんだー」


 それを聞いた瀬輝(ぜる)秋凪(あきな)の父に対して「少しは手加減しようよ……」と心の中で意見した。


「……」


 瀬輝(ぜる)がそう思っていることなど知るはずもない秋凪(あきな)は、近くを歩いている、瀬輝(ぜる)と変わらない年頃の男女を目で追った。

 恋人同士であろう二人は、仲良さげにプリクラ機の中に入って行った。


(……いいなぁ……)


 秋凪(あきな)はプリクラを撮ったことは何度かあった。だが、それはどれも家族と撮ったもの。姉のように好きな人と撮ったことがない。だから、たまに姉が見せてくれるプリクラを見る度に思うことがあった。私もいつか好きな人と、瀬輝(ぜる)くんと撮りたいと。


 今がその時だ。


「あれ」


 秋凪(あきな)はプリクラ機を指差す。


「やりたい」


 瀬輝(ぜる)秋凪(あきな)が指差すプリクラ機を見た。


「プリクラか。最近撮ってなかったなぁ。よし、行こう!」

「うん!」


 すぐに受け入れてくれた瀬輝(ぜる)の手を引くように、秋凪(あきな)は満面の笑みでプリクラ機に向かった。





 お腹が空く頃、秋凪(あきな)瀬輝(ぜる)の自宅に向かっていた。アミューズメント施設で遊んだ後に外食出来る程のお金を持ち合わせていない瀬輝(ぜる)は、昼食は自宅で食べることにしていた。

 玄関のドアを開けると、卵の良い匂いが漂ってきた。


「ただいまー」

「おかえりー」


 母の涼華(すはる)の声と同時に、家の奥からいくつかの足音が玄関へ向かってきた。

 アメやユーたち、五匹の猫が横に一列になって一斉に「ニャー」と鳴いた。


「ただいま」

「……」


 その一連の流れを秋凪(あきな)は瞳を輝かせながら黙って見ていた。

 すると家の奥から涼華(すはる)がやって来た。


「お、連れて来たか。いらっしゃい、秋凪(あきな)ちゃん」

「おじゃまします」


 秋凪(あきな)は頭を下げて涼華(すはる)に挨拶をする。

 その様子に涼華(すはる)は「しっかりした子だ」と感心した。


「もうすぐ昼飯出来るから手洗って来い」

「はーい」


 秋凪(あきな)瀬輝(ぜる)は洗面所へ向かう。その後を猫たちがついて行く。

 それを一瞥してから涼華(すはる)はキッチンに戻った。


 手を洗ってリビングにある食卓に着くと、昼食であるオムライスが出された。卵が半熟のふわふわのオムライス。

 小さなスプーンに一口分(ひとくちぶん)のオムライスを乗せて食べる。それだけで秋凪(あきな)は幸せそうな顔をする。


「おいしい!」

「口に合うようで良かった」

「母ちゃんのオムライスは、すげー美味いからな!」

「オムライスだけか?」


 涼華(すはる)瀬輝(ぜる)を睨むように見た。

 その視線に瀬輝(ぜる)は背筋を伸ばす。


「いえっ、他の料理もとても美味しいです……!」

「そりゃ良かった」


 満足したようにオムライスを口に運ぶ母を見て、瀬輝(ぜる)は胸を撫で下ろした。


「しかし、本当に天夏(あまな)ちゃんにそっくりだよな」


 向かい側に座る秋凪(あきな)を見ながら涼華(すはる)がそう声を洩らした。特に大きくてキリッとした目が似ている。

 涼華(すはる)の言葉に瀬輝(ぜる)が頷く。


「だろ?」

「将来は天夏(あまな)ちゃんみたいに美人になるかもな」

「んー、秋凪(あきな)ちゃんはキレイ系っていうより、かわいい系じゃないか?」

「……!」


 その一言で顔が赤くなった秋凪(あきな)は、慌てるようにオムライスを食べる。


「……」


 秋凪(あきな)の反応で涼華(すはる)は確信した。瀬輝(ぜる)も意外にモテるんだなと、正面で言葉を交わす二人を見つめながらそんなことを思った。





 昼食を食べ終えた秋凪(あきな)は、早速猫と遊ぶことにした。目の前には五匹の猫が揃っている。


「三毛がアメ、紫っぽいのがユー、白黒がミカヅキ、黒がラック、グレー白がフローズだ」


 瀬輝(ぜる)が五匹の毛色と名前を教えてくれた。

 秋凪(あきな)はそれを覚えるように順番に猫を目で追っていく。


「抱っこ、したい」

「してみるか! この中で一番おとなしいのは……フローズだな」


 瀬輝(ぜる)は近くにいたフローズを抱き上げ、秋凪(あきな)に抱き方を教えながらゆっくりと抱かせる。


「ふわふわだー」


 秋凪(あきな)は嬉しそうにフローズを抱く。そうしていると、ふわりと良い香りが漂ってきた。


「なんか、良い匂いがする」

「多分フローズだな。毎日のように風呂に入ってるから」

「ニャンコもお風呂入るの?」

「本当は入らなくていいんだ。でも俺が風呂入ってると、フローズが勝手に風呂のドアを開けて入ってきて『体洗って』って催促してくるんだ」

「ニャンコとお風呂いいね!」

「まあな」


 笑顔を見せてくれている瀬輝(ぜる)からフローズに視線を向ける。フローズはリラックスした表情で腕の中にいる。

 秋凪(あきな)は頬を緩ませてフローズの頭を優しく撫でた。


 その後、他の猫とも一緒に猫じゃらしやボールなどで遊んだ。遊びに夢中になっていると、時間のことさえ忘れていた。





 時計が15時を回った頃、瀬輝(ぜる)の携帯電話に電話が掛かってきた。相手は天夏(あまな)


「部活終わったから、秋凪(あきな)を迎えに行くわ」

「いや、俺が天夏(あまな)ん家に秋凪(あきな)ちゃんを送って行くよ。今、秋凪(あきな)ちゃん寝てるし」


 瀬輝(ぜる)はソファーで横になっている秋凪(あきな)を見た。遊び疲れた秋凪(あきな)は毛布を纏い、規則正しく寝息を立てている。


「そう。じゃあ、家で待ってるわ」

「うん」


 短い会話を終え、瀬輝(ぜる)は電話を切った。





 秋凪(あきな)がふと目を開けると、テーブルに向かって何かをしている瀬輝(ぜる)の姿が見えた。テーブルには何枚かのプリントとノートが広げられている。多分、夏休みの宿題だろうと思った。

 真剣な横顔は、秋凪(あきな)の胸をキュンとさせる。


「……」


 急に、名前を呼んでみたくなった。


「……瀬輝(ぜる)……くん……」


 小さな声に瀬輝(ぜる)が反応した。こっちを見てくれた。たったそれだけで、秋凪(あきな)の心は嬉しさに満たされる。


「どうした?」


 手を止めて自分のところに来てくれる瀬輝(ぜる)に、秋凪(あきな)は戸惑う。


「えっと……喉、渇いた……」

「わかった。飲み物持ってくるから待ってて」


 そう言って頭を優しく撫でてくれた瀬輝(ぜる)はキッチンへ向かった。


「……」


 瀬輝(ぜる)が触れた場所に触れながら、秋凪(あきな)は起き上がる。掛けられていた毛布が体からずれ落ちた。

 すると、近くにいたフローズが秋凪(あきな)の膝の上に乗った。その頭や体を撫でていると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


「よく懐いてるな」


 オレンジジュースを入れたコップを手にして戻って来た瀬輝(ぜる)が楽しそうに言った。


「ありがとう」


 瀬輝(ぜる)からコップを受け取り、ジュースを飲む。


秋凪(あきな)ちゃん、お姫様みたい」

「えっ……?」


 突然の言葉に秋凪(あきな)は固まった。


「フリフリのワンピースで白いソファーに座ってるとそんな感じがする。かわいいお姫様」

「……」


 どういう言葉を言えば良いのか分からなくなってしまった秋凪(あきな)は、顔を赤らめてまたジュースを飲んだ。

 その様子を、洗濯物を畳みながら見ていた涼華(すはる)が静かにため息をつく。

 それに気付かない瀬輝が秋凪に優しく言う。


「じゃあ、ジュース飲み終わったらお家帰ろうか。天夏(あまな)から『部活終わった』って電話来てたし」

「……うん」


 秋凪(あきな)は寂しそうな表情で返事をした後、ジュースをゆっくりと飲んだ。





 ジュースを飲み終えて身支度をしている時だった。秋凪(あきな)は思い出したように瀬輝(ぜる)を見上げる。


「ねぇ、服についたニャンコの毛取って。ニャンコの毛でお兄ちゃんくしゃみ出るから」

「えっ、お兄さん猫アレルギーなのか」


 驚いた顔をした瀬輝(ぜる)は外に出て、常備している粘着クリーナーで秋凪(あきな)と自分の服に付いた猫の毛を入念に取った。

 その作業を終え、秋凪(あきな)の帰りを待つ天夏(あまな)の元へ向かう。


「……」


 小さな手は、優しく包んでくれている大きな手をぎゅっと握った。





 しばらく歩いていると、玄関先で待っている天夏(あまな)の姿が見えた。


秋凪(あきな)、お帰り」

「ただいま」


 秋凪(あきな)は笑っているような寂しそうな表情で応えた。


瀬輝(ぜる)、今日はありがとう」

「こっちこそ礼を言わなきゃ。すげー楽しかった」

「それは良かったわ。さ、秋凪(あきな)

「……」


 天夏(あまな)が手を差し出してきたが、秋凪(あきな)瀬輝(ぜる)の手を掴んだまま少し後ろに下がった。


「……ヤダ……」

「え?」


 呟くように言葉を発し、瀬輝(ぜる)の足にしがみつく。


「……まだ、一緒にいる……」


 そう言って秋凪(あきな)瀬輝(ぜる)の後ろに隠れた。

 妹の変わりように天夏(あまな)は驚いたが、秋凪(あきな)に近付く。


「わがまま言わないの」

「ヤダ」

「ヤダじゃないの。家に入るわよ」

「ヤーダー!」

秋凪(あきな)……!」

天夏(あまな)


 姉妹のやり取りを見兼ねた瀬輝(ぜる)が、天夏(あまな)の名前を呼ぶ。


「そうカッカすんなって」


 ニッと笑う瀬輝(ぜる)はしゃがんで秋凪(あきな)と同じ目線になった。


秋凪(あきな)ちゃん、俺といて楽しかった?」

「うん」

「俺ともっと一緒にいたい?」

「うん」

「そっか。俺も、秋凪(あきな)ちゃんと同じ気持ちだよ」


 瀬輝(ぜる)の言葉に、秋凪(あきな)は笑顔を見せる。


「でも、秋凪(あきな)ちゃんがお家に帰らないとお姉ちゃんもお兄ちゃんも、お父さんもお母さんも皆心配しちゃうから、今日はここでお別れだよ」

「……」


 秋凪(あきな)は笑顔を崩し、泣きべそをかきはじめた。

 それを見つめる瀬輝(ぜる)は優しい笑顔を見せる。


「今日はここでお別れだけど、また今度会おう」

「……いつ……?」

「そうだなー。あ、今度夏祭りがあるから、一緒にお祭り行こうか!」

「……本当……?」

「本当だよ。約束!」


 瀬輝(ぜる)は小指を立てた右手を秋凪(あきな)の目の前に差し出した。

 その小指に秋凪(あきな)も自分の小指を絡め、指切りをする。それだけで寂しい気持ちがなくなった。秋凪(あきな)は溢れそうだった涙を服で拭って笑った。


「うん!」


 そして、嬉しさに満ちた笑顔で天夏(あまな)の元に戻る。


瀬輝(ぜる)くん、バイバイ!」

「うん、バイバイ」


 互いに手を振り、瀬輝(ぜる)が歩き出した。


瀬輝(ぜる)、ありがとう!」


 天夏(あまな)がそう声を掛けると、瀬輝(ぜる)は振り返って笑顔を見せた。そしてまた正面を向いて歩みを進める。

 遠くなっていく背中を見送り、天夏(あまな)秋凪(あきな)は家の中へ入った。


「手を洗いに行こうか」

「うん」


 二人は洗面所に向かい、一緒に手を洗う。


「今日は楽しかった?」

「うん! いつもの列車に乗ったし、モグラ叩きもしたし、プリクラも撮ったよ!」

「良かったわね」

「うん! あと、瀬輝(ぜる)くんの家に行って瀬輝(ぜる)くんのママが作ったオムライス食べて、ニャンコと遊んだの!」

「そう、ニャンコと──猫っ!?」


 秋凪(あきな)の話を聞いていた天夏(あまな)は血相を変え、慌てて手に付けた泡を水で洗い流す。そして、その場から離れた。


 姉の行動を見つめていた秋凪(あきな)はタオルで手を拭き、後を追うように廊下に出た。

 それと同時に玄関のドアが開いた。息を切らした冬也(とうや)が家に入って来る。


「お兄ちゃん、おかえりー」

秋凪(あきな)、ただいまぁー!!」


 冬也(とうや)は飛び付くように秋凪(あきな)を抱き締めた。


秋凪(あきな)、無事だったみたいだな……!!」

「無事……?」


 何のことか全く理解していない秋凪(あきな)はきょとんとする。

 すると、リビングから粘着クリーナーを持ってきた天夏(あまな)が姿を見せた。


「お兄ちゃん!!」

天夏(あまな)、ただいま。天夏(あまな)もぎゅってして欲しいのか?」

「違うわよ! とりあえず秋凪(あきな)から離れて!」

「ヤダよ〜」


 そう言って冬也(とうや)はさらに秋凪(あきな)にくっついた。瞬間、鼻がムズムズし始める。


「だから──」

「はっくしょんっ!!」

「……離れてって、言ったでしょ……」


 天夏(あまな)は呆れた顔をしながら妹を兄から離す。


秋凪(あきな)、じっとしててね」

瀬輝(ぜる)くんの家で取ってきたよ?」

「多分、どこかに毛が残ってるのよ」

「まさか……猫……? へっくしょんっ!!」

「そうよ」

瀬輝(ぜる)くんの家でニャンコたちと遊んだの!」

「男の家に──っくしゅん! 行ったのかっくしょん!」

「大袈裟ね……瀬輝(ぜる)のお母さんもいたんだから問題ないでしょ」


 天夏(あまな)秋凪(あきな)の服に粘着クリーナーを当てて何度か転がす。案の定、猫の毛が何本か取れた。髪についた猫の毛は櫛でブラッシングをして落とす。


 その後、秋凪(あきな)は症状が治まった兄から今日あったことを色々聞かれた。しかし、瀬輝(ぜる)との約束のことは一切口にしなかった。

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