はじめてのデートと約束
太陽がジリジリと照りつける道を、携帯電話を片手に瀬輝が歩いていた。
立ち止まって携帯電話の画面を見た後、辺りを見回す。初めて訪れた場所は住宅ばかりが建ち並んでいる。
「……このまま真っ直ぐ進んで、次の十字路を右か」
液晶画面に表示された地図を見て呟く。その地図には進む道が分かるように、道筋に沿って線が引かれている。
瀬輝は再び歩き出した。
今瀬輝が向かっている場所は、天夏の家。何故、一人で天夏の家に向かうのか。
それは数日前のこと。
自宅のカレンダーで家族の予定を確認していた天夏は、来週の水曜日の予定に目を止めた。父と母は仕事、兄はバイトとサークル、自分は部活。それぞれの予定が入っている中、妹の秋凪だけは何も予定がない。ということは、家には秋凪一人だけになってしまう。
それについて家族と相談している最中、瀬輝の顔が頭に浮かんだ。これは良いチャンスだとばかりに瀬輝に連絡を取ると、瀬輝は秋凪を預かることを快諾してくれた。
気乗りしない兄はさて置き、秋凪と瀬輝、二人で出掛ける予定が出来た。
──というわけなのだ。
「秋凪、髪結ぶからおいで」
「うん」
ノースリーブの袖にフリルが付いた水色のワンピースに身を包んだ秋凪は、天夏のもとへ向かう。既に二人しかいない空間に秋凪の足音が響いた。
姉の前に背を向けて座ると、髪に手と櫛の感触が頭に伝わってきた。長く艶のある直毛の黒髪はすんなり言うことを聞き、束ねられていく。
「秋凪の髪は綺麗ね」
「お姉ちゃん、それ何回も言ってるよ」
「言いたくなっちゃうのよ。私は癖っ毛だから羨ましいわ」
天夏と言葉を交わしていると、髪はあっという間に一つに纏まった。ヘアゴムに付いた白いリボンがポニーテールの根元を飾る。
「よし、出来た。あとは日焼け止めと帽子……」
秋凪の肌が露出しているところを中心に、日焼け止めが塗られていく。
すると、天夏の携帯電話が鳴った。
「瀬輝だ」
「!」
その名前を聞いた瞬間、秋凪の胸は高鳴り、渡された帽子を持つ手に力が入ってしまう。
「もしもし? ええ、わかったわ」
それだけ話すと、天夏は電話を切った。
「瀬輝もうすぐ来るから、外で待ってようか」
「う、うん……」
秋凪は緊張した顔で玄関へ向かい、帽子を被ってサンダルを履く。
「うん、いいね。かわいい」
「本当?」
「ええ。そんなかわいい秋凪に、魔法をかけてあげる。じっとしててね」
言われた通りにじっとしていると、姉がいつも使っているリップクリームが現れた。それが秋凪の唇に塗られていく。唇はほんのりとピンク色に染まった。
「これで、秋凪はもっともっとかわいくなったわ。瀬輝も『かわいい』って言ってくれるわ、きっと」
姉の言葉に秋凪ははにかんだ。期待に胸が膨らむ。
「よし、じゃあ、外に行こう」
天夏と秋凪は家を出た。蝉の鳴き声が鮮明に聞こえ、眩しい陽の光が二人を照らす。
家の敷地から一歩外に出ると、秋凪の胸が高鳴った。咄嗟に天夏の後ろに隠れる。
天夏はちらりと妹を見て「この調子で大丈夫かしら……?」と少しの不安を覚えつつ、瀬輝を視界に入れる。
「悪いわね、来てもらって」
「気にすんな。秋凪ちゃん、久しぶり」
瀬輝がしゃがんで挨拶をしてくれた。しかし、秋凪は小さく頷くだけ。その顔は真っ赤に染まっている。
緊張で動けないでいると、姉に背中をそっと押された。二歩、瀬輝に近づいた。
頭上から二人の会話が聞こえる。
「部活は15時くらいに終わるから、その頃また連絡するわね」
「わかった」
俯きながらそれを何となく聞いていると、目の前に瀬輝の手が現れた。
「秋凪ちゃん、行こうか」
「……」
差し出された大きな手をじっと見つめた秋凪は、ゆっくりと手を重ねる。温かい体温が左手から伝わる。
「いってらっしゃい」
「……いってきます……」
手を振る姉に小さく手を振り返し、瀬輝と歩き出した。たまに後ろを見ると姉の笑顔が見えた。
そして、隣にいる瀬輝を見上げる。歩く度、赤い髪が揺れている。
突然、瀬輝と目が合った。秋凪は思わず目を逸らす。
足元を見ながら歩いていると、それに並行して野良猫たちがついて来た。
「ニャンコだー……」
強張った秋凪の顔が少し緩む。
瀬輝はそれを見逃さなかった。
「秋凪ちゃんは猫好き?」
「うん、好き……」
「それは良かった! んじゃ、後で楽しみにしてて!」
「……うん……」
明るく笑う瀬輝を見上げた秋凪は、繋がれた手をぎゅっと握った。
「これから、どこに行くの……?」
「秋凪ちゃんの好きなところ!」
辿り着いた場所はショッピングモールの一角にあるアミューズメント施設。秋凪はここで遊ぶのが好きだと、事前に天夏から聞いていた。
目を輝かせる秋凪は瀬輝の手を引いてミニ列車乗り場に向かう。そこには二両の列車が止まっている。保護者も乗れるということで、一両目の前側に秋凪が、後ろ側に瀬輝が乗った。
二人を乗せた列車は、小さな街の中に敷かれたレールの上をゆっくりと走る。ビルや住宅街、公園など見える景色が次々と変わっていく。
「これ、楽しいね」
「うん!」
笑顔で頷いた秋凪は周りを見回して、その景色を楽しんだ。
一周し終えた列車を降り、二人が次に選んだのはモグラ叩き。向かい合ってどちらがより多くのモグラを叩けるか競争出来るようになっている。
「これ、やる!」
「お、いいな!」
二人は張り切ってモグラ叩きに挑戦した。
瀬輝が手加減したこともあってか、接戦で秋凪が勝った。
「秋凪ちゃん強いな」
「えへへ。でも、パパには全然勝てないんだー」
それを聞いた瀬輝は秋凪の父に対して「少しは手加減しようよ……」と心の中で意見した。
「……」
瀬輝がそう思っていることなど知るはずもない秋凪は、近くを歩いている、瀬輝と変わらない年頃の男女を目で追った。
恋人同士であろう二人は、仲良さげにプリクラ機の中に入って行った。
(……いいなぁ……)
秋凪はプリクラを撮ったことは何度かあった。だが、それはどれも家族と撮ったもの。姉のように好きな人と撮ったことがない。だから、たまに姉が見せてくれるプリクラを見る度に思うことがあった。私もいつか好きな人と、瀬輝くんと撮りたいと。
今がその時だ。
「あれ」
秋凪はプリクラ機を指差す。
「やりたい」
瀬輝も秋凪が指差すプリクラ機を見た。
「プリクラか。最近撮ってなかったなぁ。よし、行こう!」
「うん!」
すぐに受け入れてくれた瀬輝の手を引くように、秋凪は満面の笑みでプリクラ機に向かった。
お腹が空く頃、秋凪は瀬輝の自宅に向かっていた。アミューズメント施設で遊んだ後に外食出来る程のお金を持ち合わせていない瀬輝は、昼食は自宅で食べることにしていた。
玄関のドアを開けると、卵の良い匂いが漂ってきた。
「ただいまー」
「おかえりー」
母の涼華の声と同時に、家の奥からいくつかの足音が玄関へ向かってきた。
アメやユーたち、五匹の猫が横に一列になって一斉に「ニャー」と鳴いた。
「ただいま」
「……」
その一連の流れを秋凪は瞳を輝かせながら黙って見ていた。
すると家の奥から涼華がやって来た。
「お、連れて来たか。いらっしゃい、秋凪ちゃん」
「おじゃまします」
秋凪は頭を下げて涼華に挨拶をする。
その様子に涼華は「しっかりした子だ」と感心した。
「もうすぐ昼飯出来るから手洗って来い」
「はーい」
秋凪と瀬輝は洗面所へ向かう。その後を猫たちがついて行く。
それを一瞥してから涼華はキッチンに戻った。
手を洗ってリビングにある食卓に着くと、昼食であるオムライスが出された。卵が半熟のふわふわのオムライス。
小さなスプーンに一口分のオムライスを乗せて食べる。それだけで秋凪は幸せそうな顔をする。
「おいしい!」
「口に合うようで良かった」
「母ちゃんのオムライスは、すげー美味いからな!」
「オムライスだけか?」
涼華は瀬輝を睨むように見た。
その視線に瀬輝は背筋を伸ばす。
「いえっ、他の料理もとても美味しいです……!」
「そりゃ良かった」
満足したようにオムライスを口に運ぶ母を見て、瀬輝は胸を撫で下ろした。
「しかし、本当に天夏ちゃんにそっくりだよな」
向かい側に座る秋凪を見ながら涼華がそう声を洩らした。特に大きくてキリッとした目が似ている。
涼華の言葉に瀬輝が頷く。
「だろ?」
「将来は天夏ちゃんみたいに美人になるかもな」
「んー、秋凪ちゃんはキレイ系っていうより、かわいい系じゃないか?」
「……!」
その一言で顔が赤くなった秋凪は、慌てるようにオムライスを食べる。
「……」
秋凪の反応で涼華は確信した。瀬輝も意外にモテるんだなと、正面で言葉を交わす二人を見つめながらそんなことを思った。
昼食を食べ終えた秋凪は、早速猫と遊ぶことにした。目の前には五匹の猫が揃っている。
「三毛がアメ、紫っぽいのがユー、白黒がミカヅキ、黒がラック、グレー白がフローズだ」
瀬輝が五匹の毛色と名前を教えてくれた。
秋凪はそれを覚えるように順番に猫を目で追っていく。
「抱っこ、したい」
「してみるか! この中で一番おとなしいのは……フローズだな」
瀬輝は近くにいたフローズを抱き上げ、秋凪に抱き方を教えながらゆっくりと抱かせる。
「ふわふわだー」
秋凪は嬉しそうにフローズを抱く。そうしていると、ふわりと良い香りが漂ってきた。
「なんか、良い匂いがする」
「多分フローズだな。毎日のように風呂に入ってるから」
「ニャンコもお風呂入るの?」
「本当は入らなくていいんだ。でも俺が風呂入ってると、フローズが勝手に風呂のドアを開けて入ってきて『体洗って』って催促してくるんだ」
「ニャンコとお風呂いいね!」
「まあな」
笑顔を見せてくれている瀬輝からフローズに視線を向ける。フローズはリラックスした表情で腕の中にいる。
秋凪は頬を緩ませてフローズの頭を優しく撫でた。
その後、他の猫とも一緒に猫じゃらしやボールなどで遊んだ。遊びに夢中になっていると、時間のことさえ忘れていた。
時計が15時を回った頃、瀬輝の携帯電話に電話が掛かってきた。相手は天夏。
「部活終わったから、秋凪を迎えに行くわ」
「いや、俺が天夏ん家に秋凪ちゃんを送って行くよ。今、秋凪ちゃん寝てるし」
瀬輝はソファーで横になっている秋凪を見た。遊び疲れた秋凪は毛布を纏い、規則正しく寝息を立てている。
「そう。じゃあ、家で待ってるわ」
「うん」
短い会話を終え、瀬輝は電話を切った。
秋凪がふと目を開けると、テーブルに向かって何かをしている瀬輝の姿が見えた。テーブルには何枚かのプリントとノートが広げられている。多分、夏休みの宿題だろうと思った。
真剣な横顔は、秋凪の胸をキュンとさせる。
「……」
急に、名前を呼んでみたくなった。
「……瀬輝……くん……」
小さな声に瀬輝が反応した。こっちを見てくれた。たったそれだけで、秋凪の心は嬉しさに満たされる。
「どうした?」
手を止めて自分のところに来てくれる瀬輝に、秋凪は戸惑う。
「えっと……喉、渇いた……」
「わかった。飲み物持ってくるから待ってて」
そう言って頭を優しく撫でてくれた瀬輝はキッチンへ向かった。
「……」
瀬輝が触れた場所に触れながら、秋凪は起き上がる。掛けられていた毛布が体からずれ落ちた。
すると、近くにいたフローズが秋凪の膝の上に乗った。その頭や体を撫でていると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「よく懐いてるな」
オレンジジュースを入れたコップを手にして戻って来た瀬輝が楽しそうに言った。
「ありがとう」
瀬輝からコップを受け取り、ジュースを飲む。
「秋凪ちゃん、お姫様みたい」
「えっ……?」
突然の言葉に秋凪は固まった。
「フリフリのワンピースで白いソファーに座ってるとそんな感じがする。かわいいお姫様」
「……」
どういう言葉を言えば良いのか分からなくなってしまった秋凪は、顔を赤らめてまたジュースを飲んだ。
その様子を、洗濯物を畳みながら見ていた涼華が静かにため息をつく。
それに気付かない瀬輝が秋凪に優しく言う。
「じゃあ、ジュース飲み終わったらお家帰ろうか。天夏から『部活終わった』って電話来てたし」
「……うん」
秋凪は寂しそうな表情で返事をした後、ジュースをゆっくりと飲んだ。
ジュースを飲み終えて身支度をしている時だった。秋凪は思い出したように瀬輝を見上げる。
「ねぇ、服についたニャンコの毛取って。ニャンコの毛でお兄ちゃんくしゃみ出るから」
「えっ、お兄さん猫アレルギーなのか」
驚いた顔をした瀬輝は外に出て、常備している粘着クリーナーで秋凪と自分の服に付いた猫の毛を入念に取った。
その作業を終え、秋凪の帰りを待つ天夏の元へ向かう。
「……」
小さな手は、優しく包んでくれている大きな手をぎゅっと握った。
しばらく歩いていると、玄関先で待っている天夏の姿が見えた。
「秋凪、お帰り」
「ただいま」
秋凪は笑っているような寂しそうな表情で応えた。
「瀬輝、今日はありがとう」
「こっちこそ礼を言わなきゃ。すげー楽しかった」
「それは良かったわ。さ、秋凪」
「……」
天夏が手を差し出してきたが、秋凪は瀬輝の手を掴んだまま少し後ろに下がった。
「……ヤダ……」
「え?」
呟くように言葉を発し、瀬輝の足にしがみつく。
「……まだ、一緒にいる……」
そう言って秋凪は瀬輝の後ろに隠れた。
妹の変わりように天夏は驚いたが、秋凪に近付く。
「わがまま言わないの」
「ヤダ」
「ヤダじゃないの。家に入るわよ」
「ヤーダー!」
「秋凪……!」
「天夏」
姉妹のやり取りを見兼ねた瀬輝が、天夏の名前を呼ぶ。
「そうカッカすんなって」
ニッと笑う瀬輝はしゃがんで秋凪と同じ目線になった。
「秋凪ちゃん、俺といて楽しかった?」
「うん」
「俺ともっと一緒にいたい?」
「うん」
「そっか。俺も、秋凪ちゃんと同じ気持ちだよ」
瀬輝の言葉に、秋凪は笑顔を見せる。
「でも、秋凪ちゃんがお家に帰らないとお姉ちゃんもお兄ちゃんも、お父さんもお母さんも皆心配しちゃうから、今日はここでお別れだよ」
「……」
秋凪は笑顔を崩し、泣きべそをかきはじめた。
それを見つめる瀬輝は優しい笑顔を見せる。
「今日はここでお別れだけど、また今度会おう」
「……いつ……?」
「そうだなー。あ、今度夏祭りがあるから、一緒にお祭り行こうか!」
「……本当……?」
「本当だよ。約束!」
瀬輝は小指を立てた右手を秋凪の目の前に差し出した。
その小指に秋凪も自分の小指を絡め、指切りをする。それだけで寂しい気持ちがなくなった。秋凪は溢れそうだった涙を服で拭って笑った。
「うん!」
そして、嬉しさに満ちた笑顔で天夏の元に戻る。
「瀬輝くん、バイバイ!」
「うん、バイバイ」
互いに手を振り、瀬輝が歩き出した。
「瀬輝、ありがとう!」
天夏がそう声を掛けると、瀬輝は振り返って笑顔を見せた。そしてまた正面を向いて歩みを進める。
遠くなっていく背中を見送り、天夏と秋凪は家の中へ入った。
「手を洗いに行こうか」
「うん」
二人は洗面所に向かい、一緒に手を洗う。
「今日は楽しかった?」
「うん! いつもの列車に乗ったし、モグラ叩きもしたし、プリクラも撮ったよ!」
「良かったわね」
「うん! あと、瀬輝くんの家に行って瀬輝くんのママが作ったオムライス食べて、ニャンコと遊んだの!」
「そう、ニャンコと──猫っ!?」
秋凪の話を聞いていた天夏は血相を変え、慌てて手に付けた泡を水で洗い流す。そして、その場から離れた。
姉の行動を見つめていた秋凪はタオルで手を拭き、後を追うように廊下に出た。
それと同時に玄関のドアが開いた。息を切らした冬也が家に入って来る。
「お兄ちゃん、おかえりー」
「秋凪、ただいまぁー!!」
冬也は飛び付くように秋凪を抱き締めた。
「秋凪、無事だったみたいだな……!!」
「無事……?」
何のことか全く理解していない秋凪はきょとんとする。
すると、リビングから粘着クリーナーを持ってきた天夏が姿を見せた。
「お兄ちゃん!!」
「天夏、ただいま。天夏もぎゅってして欲しいのか?」
「違うわよ! とりあえず秋凪から離れて!」
「ヤダよ〜」
そう言って冬也はさらに秋凪にくっついた。瞬間、鼻がムズムズし始める。
「だから──」
「はっくしょんっ!!」
「……離れてって、言ったでしょ……」
天夏は呆れた顔をしながら妹を兄から離す。
「秋凪、じっとしててね」
「瀬輝くんの家で取ってきたよ?」
「多分、どこかに毛が残ってるのよ」
「まさか……猫……? へっくしょんっ!!」
「そうよ」
「瀬輝くんの家でニャンコたちと遊んだの!」
「男の家に──っくしゅん! 行ったのかっくしょん!」
「大袈裟ね……瀬輝のお母さんもいたんだから問題ないでしょ」
天夏は秋凪の服に粘着クリーナーを当てて何度か転がす。案の定、猫の毛が何本か取れた。髪についた猫の毛は櫛でブラッシングをして落とす。
その後、秋凪は症状が治まった兄から今日あったことを色々聞かれた。しかし、瀬輝との約束のことは一切口にしなかった。




