まだ、好きになれそうもない
週末の文化会館は笑いに包まれていた。今日はここでお笑いライブが開かれている。何組ものお笑い芸人がいる中、咲季の父である律弥も相方の保希竜生と共に、お笑いコンビ弥生としてステージに立って漫才を繰り広げた。
今は一回目の公演が終わり、芸人たちは皆それぞれの控え室にいる。
律弥たちの控え室には天夏と咲季と八保喜の姿がある。
「やはり、いつ見てもお二人の漫才は素晴らしいです! 弥生、最高です!!」
八保喜は瞳を輝かせて言った。それに咲季と天夏も続く。
「笑い過ぎてお腹痛かったよ!」
「特にボケ連発のテンポがすごかったです!」
「ありがとう」
「そう言ってもらえるとやり甲斐があるよ!」
律弥も竜生も、笑顔を見せた。
すると、律弥が咲季に視線を向けた。
「咲季はこれからどこか出掛けるのか?」
「うん! 天夏と買い物に行くの!」
「そうか。楽しんでおいで」
「うん!」
「八保喜さんは?」
「私は家のことがあるので、戻らないと……」
竜生に問われた八保喜は頭を掻いた。珠紀から一回目の公演のみ観る許可を貰っていたため、これ以上ここには留まれないのだ。
「そっか、それは残念」
「後ろ髪を引かれる思いです……」
八保喜はしょんぼりとする。それだけ二人の漫才が好きなんだと感じる表情だった。
「それじゃお父さん、竜生さん、この後もがんばってね!」
「うん」
「ありがと」
律弥と竜生に別れを告げ、控え室を後にした三人は会館を出る。
「咲季ちゃん、天夏ちゃん、気を付けてのう」
「うん」
「はい。八保喜さんもお気を付けて」
咲季と天夏は八保喜と別れ、歩き出す。
少し人通りの多い歩道を歩いていると、目当ての洋服屋が見えてきた。
二人はそこへ入り、陳列されている多種多様の服を見ていく。
その最中、天夏は妹である秋凪と同じくらいの歳の女の子と男の子が手を繋いでるのを見掛けた。子供たちは仲良さそうに親たちの後をついて行く。微笑ましい光景。
「かわいいわね。幼いカップルかしら」
「そうかもしれないね。秋凪ちゃんにも幼稚園に好きな男の子いたりするの?」
その問い掛けに、天夏は服を選んでいる手を止めた。
「……幼稚園にはいないわね」
「え? 他にいるの?」
「……瀬輝よ」
「えっ!? 瀬輝くんなの!?」
目を見開く咲季を見て天夏は「やっぱり全然気付いてなかったのね……」と思った。
「いつから?」
「咲季と秋凪と私の三人で映画観に行った後、瀬輝と偶然会ったでしょ? あの時から」
「へぇ。秋凪ちゃん、人見知りしてるだけだと思ってた」
「でしょうね」
「初恋?」
「ええ」
「瀬輝くんが初恋の相手かぁ」
咲季の言葉を耳にした天夏は小さな妹のことを想う。当人同士のことなのであまり口出しは出来ないが、本当のことを言うと妹の想いが実ってほしいと願っている。妹の幸せそうな顔を見たいから。
(これからが楽しみね)
微笑む天夏は止めていた手を動かし、咲季と一緒に服を選んでいく。
何着かの服を入れた袋を携えて洋服屋を出ると、先程まで晴れ間が見えていた空には暗雲が垂れ込めていた。風も強くなってきている。
「雨が降りそう……」
「今のうちに天夏の家に行こう」
「そうね」
二人は足早に歩き出す。
すると、頬に水滴が落ちてきた。一粒、また一粒と水滴が落ちてくる。
「うわ、降ってきた……!」
言っているそばから急に雨足が強くなり、バケツの水をひっくり返したような雨になった。
「買った服が汚れちゃう……!」
「何なのよ、この天気!」
購入した服が入った袋が濡れないように体で庇いながら、天夏と咲季は急いで近くに生えている大きな木の下に逃げ込んだ。突然降り出した雨のせいで、髪も着ている服も濡れてしまった。
「びちゃびちゃだね……」
「最悪……」
気落ちしていると、空がゴロゴロと鳴った。体に響く低い音。そのすぐ後、閃光が見えた。
「天夏! 今、稲妻が見えたよ!」
「何でそんなに楽しそうなのよ……」
楽しそうに話す咲季に天夏は呆れたような表情を見せた。
咲季から周囲に目を配らせると、ほとんど人の姿は見られない。みんな、お店の中に入ったり走ってどこかに向かっている。その様子を天夏はぼんやりと眺めた。
雷が鳴る度、雨足も強くなる。
「天夏ちゃん?」
「?」
どこかで聞いたことのある声に名前を呼ばれた。天夏はその声がした方へ視線を移した。好ましいとは思えない人と目が合う。
「あ、やっぱり天夏ちゃんだ」
頭の先から爪先まで雨に濡れた章弛が、にっこりと笑って近寄って来る。
その瞬間、天夏の顔が一気に険しくなった。
「偶然だな。そっちは……咲季ちゃん、かな?」
「はい」
咲季は頷いて章弛を見上げた後、天夏を見た。
その視線に気付き、天夏は咲季と目を合わせる。
「……この人は哉斗の友達の章弛くん」
「ああ、天夏が〝チャラい〟って言ってた人」
「俺、そんな印象なんだ。まあいいけど。二人はここで雨宿りしてるわけ?」
「そうよ。傘持ってないし」
にこにこと笑う章弛を一瞥し、天夏は外方を向く。一刻も早くこの人から逃れたいと思った。急いでどこかの建物の中に入ろうかと考える。
しかし、その心中を知らない章弛が提案してきた。
「じゃあさ、この近くに俺の姉ちゃんが経営してるカフェがあるからおいでよ。雷鳴ってるから木の下は危ないし」
「……」
天夏は嫌だと思ったが、咲季の意見も聞かなくてはと咲季に視線を送る。
「天夏、どうする?」
「うーん……」
意見を聞くつもりが、聞かれてしまった。本当は行きたくない。この人について行くくらいならここにいる。しかし、今は咲季も一緒にいる。自分の気持ちに付き合わせることはしたくない。
「…………行こう、か」
「じゃ、決まりだな」
天夏の返答を聞くなり、章弛は羽織っていたワイシャツを脱いでタンクトップ姿になった。
それを見た天夏は表情を曇らせる。
目の前に、章弛のワイシャツが差し出された。
「これ、二人で傘代わりに使って」
「でも章弛くんは……」
「いいから、いいから。これ以上濡れたら体冷えちゃうよ」
そう言いながら、章弛は天夏と咲季に自身のワイシャツを頭から被せる。
「よし、行くよ!」
「はーい!」
章弛に続いて二人も駆け出す。明るい表情をする咲季とは対照的に、天夏は睨みつけるようにじっと章弛の背中を見つめた。
少し走ると目的地に着いた。目の前にはアンティーク調の建物。正面にあるドアを開けると、ドアベルが綺麗な音を奏でる。
「いらっしゃいませ──って、章弛か」
「章弛でーす」
この店のミストレスである桃方蛍は弟を一瞥した後、後ろの二人に笑顔を向けて「いらっしゃい」と声を掛けた。
しかし、視線が弟の方に戻ると、少し呆れ顔になる。
「章弛、あんたまた女の子連れて来て……」
「この子たちは彼氏持ちだから」
(〝また〟って、どれだけ女の子連れ込んでるのよ……)
眉を顰める天夏は、咲季とともに店の奥にある窓際の席に通された。大きな雨粒が次々と窓ガラスにぶつかり、外の様子は鮮明に見えない。
濡れたままで座るのを躊躇していると、目の前にタオルが差し出された。
「風邪引くといけないから」
「どうも」
「ありがとう」
章弛からタオルを受け取った天夏と咲季は濡れた服や髪、荷物を拭いていく。幸い、購入した服は雨に濡れていなかった。
大体の水気を取ってから、三人は席に座る。
「どうぞ」
席に着くと、蛍が三人のもとにホットココアを持って来た。どうやら、タオルを取って来た時に章弛がそれを頼んでいたらしい。
「これ、俺の奢りだから気にせず飲んで」
「いいの?」
「いいの、いいの。俺が誘ったんだし」
「ありがとう」
咲季は笑顔で礼を言った。それに合わせて天夏も、小声ではあるが礼を言う。
すると、蛍が天夏に話し掛けてきた。
「あなたは確か、哉斗くんの彼女さんよね?」
「は、はい、そうです」
突然の問い掛けに天夏は思わず背筋を伸ばした。
蛍の整った顔が微笑んでいる。
「写真で見た通り、綺麗な子だね」
「いえ、そんな……!」
天夏は胸をときめかせ、赤くなった顔の近くで両手を振って謙遜する。だが内心、そう言われて嬉しかった。何だか胸がくすぐったい。
「まあ、ゆっくりしていきなさい」
「は、はい……!」
どぎまぎしつつ、天夏は仕事に戻る蛍に返事をした。その心にはひとつだけ疑問が残った。蛍が言った「写真」という言葉。一体いつ、何の写真を見たのだろうか。その答えは分からないまま。
(変な写真じゃなきゃいいか)
そう思って、ふと向かいに座る章弛を視界に入れる。章弛はココアを飲む咲季をじっと見ているようだった。
章弛の視線に咲季も気付く。
「あたしの顔に何か付いてる?」
「ううん。咲季ちゃん、かわいいなーって思って」
章弛のデレデレとした顔つきを目にした天夏の眉間にシワが寄った。冷ややかな視線を章弛に向ける。
「咲季のことナンパしないでよ」
「もちろん、天夏ちゃんもかわいいよ。あ、でも天夏ちゃんの場合は〝綺麗〟だな」
「話聞いてる?」
「聞いてるよ。だって咲季ちゃん、俺好みの顔してるもん」
章弛は頬杖をついて咲季を見る。
その眼差しに咲季は困惑した表情をしていた。
天夏は睨みを効かせる。
「咲季に彼氏がいるのはわかってるんでしょ?」
「うん、哉斗から聞いてるから。だからと言って〝かわいい〟って言っちゃダメな理由にはならないだろ?」
「そうだけど……」
「で、咲季ちゃんの彼氏さんはどういう人?」
章弛が前のめりになって訊ねると、咲季は明るい表情になった。
「いっちーはね、勉強もスポーツも出来るし、頼れるし家族思いですごく優しいよ。一緒にいると楽しいし、そばにいるだけで安心する人だよ」
稜秩のことを想いながら笑顔で話す咲季の様子は、とても微笑ましいものだった。自然と、天夏と章弛の顔も綻ぶ。
「咲季ちゃんはすごく幸せそうだね」
「うん!」
「きっと彼氏さんも幸せだよ。咲季ちゃんのその笑顔を一番近くで見られているんだから」
「えへへ」
咲季は照れ笑いを浮かべた。
その隣で天夏が章弛を睨む。
「咲季に変なことしたら地獄を見るわよ」
「大丈夫。俺、彼女じゃない子に手なんか出さないから」
「……それ、本当?」
天夏は疑いの眼差しを章弛に向ける。女の子に囲まれて楽しそうにしていた姿が、嫌でも脳裏をよぎった。
そうやって天夏に睨まれても章弛は動じない。
「うん。手を繋いだり抱き締めたりキスしたりっていうのは、軽々しくするものじゃないだろ?」
「そう、ね……」
予想もしていなかった言葉が章弛の口から出て来たことに天夏は驚き、意外にそういうこと考えているのね、と感心した。
すると、今度は咲季が章弛に質問をする。
「章弛くんは彼女いるの?」
「いないよ」
「作らないの?」
「色んな女の子と遊びたいから!」
「へぇ」
「……」
呆れた表情をする天夏は、章弛の人間性が分からなくなっていた。キスなどを「軽々しくするものじゃない」と言ったかと思えば「色んな女の子と遊びたい」と言い出す。チャラく見えて実はそうではない、ということだろうか。
そう考えるとほんの少しだけ、章弛を好きになれた気がした。
「あ、雨止んだみたいだな」
章弛の言葉に天夏も咲季も窓の外を見る。
雲の間から、青空と太陽が顔を出している。雨に濡れた街は、太陽の光によってキラキラと輝いている。
「雨上がったし、そろそろ行こう!」
「そうね」
三人は席を立った。
カウンターで作業をしていた蛍に声を掛ける。
「ココア、ご馳走さまでした!」
「すごく美味しかったです」
「ありがとう。また、おいで」
「はい!」
天夏と咲季は笑顔で同時に返事をした。
「ありがとうございました」という蛍の声を受けながら店を出る。雨上がり特有の匂いが鼻を擽る。
「章弛くん、今日はありがとう!」
「どういたしまして。今度、彼氏さんと来るといいよ」
「うん!」
「ねぇ、ひとつ聞いていい?」
「何?」
凛とした声を発した天夏は章弛の目を見る。少し釣り上がった目と視線がぶつかる。
「哉斗って、このお店に来たことあるの?」
「うん、一回だけ」
「哉斗がお洒落なお店苦手なの知ってる?」
「行こうって誘った時に知った。でも来て欲しかったから、ちょっと強引に」
(……この人はどういう思考をしてるのかしら……)
哉斗に同情しつつ、天夏はニッと笑う章弛を見て呆れた。
「そう。とりあえず、今日はありがとう」
「うん。じゃあね」
そうして二人と一人に別れ、それぞれ反対方向へと歩き出す。
「あ、章弛じゃん!」
数歩歩いたところで、女の子の声が後ろから聞こえた。天夏は何気なく振り返る。
いつも章弛と仲良くしているのであろう四人の女の子が、章弛の周りを囲んでいる。以前見掛けた時の女の子とは違う人たち。章弛はにこにこしながら、その人たちと言葉を交わしている。
「……」
それを見ている天夏は嫌悪感を抱いた。
(……ごめん。さっきの前言撤回させて)
天夏は章弛から顔を背け、咲季と共に歩みを進める。
(哉斗の友達だろうと、まだ好きになれそうもないわ)




