動物と話せたら
青空が広がる昼時。咲季たちは屋上の隅で輪になり、弁当を食べていた。他愛もない話で盛り上がっていると、頭上から鳴き声が聞こえてくる。見上げた空には鳶がいた。
「……あの子、何て言ってるのかな?」
咲季は旋回する鳶を見つめ、疑問を口にする。
すると、向かいに座っている瀬輝がちらりと空を見た。
「『美味そうな獲物いねぇかな?』とか思ってんじゃね?」
「鳶も今お腹空いてるんだね」
「お弁当、狙われないようにしなきゃ」
天夏の言葉に各々細心の注意を払いながら、弁当を食べ進める。
しかし、咲季だけは鳶を見続けていた。
「咲季、早くお弁当食べなさいよ」
「うん」
返事をして弁当を一口食べた後、また鳶に視線を注いだ。鳶は上昇気流に身を任せて優雅に飛行している。
「そんなに鳶ばっか見てどうした?」
隣に座る稜秩が問いかけてきた。彼と目を合わせる。
「動物と話せたらいいなーって思って」
「そう出来たら楽しいよな」
「うん! 『今日は天気が良いね』とか『ご飯食べれた?』とか色々話してみたい」
「想像とかけ離れた気持ちが聞けるかもしれないわね」
「天夏はどの動物と話してみたい?」
左隣りに座る彼女に話を振る。天夏はすぐに答えた。
「プレーリードッグはもちろんだけど、ぼーっとしていることが多い動物ね。カピバラとかハシビロコウとか。何を考えているのか聞いてみたいわ」
彼女の言葉に、咲季は何度か頷いた。確かに、彼らが考えていることも知りたい。そして、それをどんな口調で話すのかも気になる。ゆっくりとした話し方なのか、はたまた早口なのか。想像するだけでも楽しくなる。
(見た目はおっとりしてるのに、話す隙も与えないくらい喋ってたら面白いなぁ。会話についていくのは大変だろうけど)
「俺は猫と話してみたいな」
もしものことを思い描いていると、連朱の声が耳に入ってきた。天夏の隣に座る彼に視線を向ける。
「そうしたら、何でみんな瀬輝の後をついて行くのか分かるし」
「すげー謎だよな、あれ」
稜秩が漏らした言葉に全員が頷いた。
瀬輝の周りには、必ず猫が集まって来る。家にいれば飼い猫が、外に出れば野良猫が近づき、瀬輝について行く。
不思議な光景は、彼が赤ん坊の頃から続いている。
「俺もそこは少し気になるところです。好かれているのは一目瞭然なんですけど」
「瀬輝くんの前世は猫かもね」
「やっぱそうなのかなー。だったら嬉しいな!」
「猫が寄ってくるなら、ネコ科のライオンとかトラとかも寄ってくるの?」
天夏の問いかけに、楽しそうに話していた瀬輝の表情が曇る。
「……どーだろうな。俺、猫は好きでもネコ科のでかい動物は苦手だから」
「獅子座なのに?」
「そこは関係ねぇだろ! 獅子座だからってみんながみんなライオンとか好きなわけじゃねぇから!」
瀬輝は思わず赤面し、反論する。しかし、そんな顔で目に角を立てても怖くはない。
「どうして苦手なの? 猫を大きくした動物だよ?」
連朱が不思議そうな顔で聞く。瀬輝は乱れた心を落ち着かせて、答えた。
「小さい頃の俺もそう思ってました。実物見るまでは好きだったし」
そう言って瀬輝は、幼少期の話をし始める。
物心ついた頃、両親に連れられてやって来たのは動物園。初めて来る場所に、瀬輝は大はしゃぎしていた。
檻の中にいるトラを指差し、隣にいる母を見上げる。
「ママ、おっきいニャンコ!」
「ニャンコじゃなくてトラな。何回も教えてるだろ」
「まあまあ。まだ小さいんだから今はいいじゃないか」
言葉を訂正する母とそれを宥める父の声もほとんど耳に入れず、瀬輝はトラの檻の前へ駆け寄る。檻の中を悠々と歩くそれは、絵本や図鑑で見るよりも遥かに大きく、カッコよかった。
瞳を輝かせていると、トラが瀬輝に気付いた。
近づいてくる存在に心がわくわくする。
「ニャン──」
「ガオオオオオッ!!」
「……」
間近で大きな声を浴びせられた瀬輝は、恐怖のあまり泣き出すことも出来ず、その場に立ち尽くす。
両親が駆け寄って声を掛けても、暫くは放心状態だった。
「それからネコ科のでかい動物がダメなんだよな、怖くて……」
一通り話した瀬輝は、青い顔をして小さく蹲っていた。そばには食べかけの弁当がぽつんと置かれている。
一気に元気を失くした彼に、咲季は率直な言葉をかけた。
「そのトラに聞いてみたいね。何で瀬輝くんに向かって吠えたのか」
「『美味そうな子供だ』って思ったんだろ」
「俺を食ったって美味くねぇよ……!」
頭を抱える瀬輝の目には涙が溜まっていた。それだけでどれほどの恐怖心を抱いているのか、理解出来る。
瀬輝をそうさせた稜秩が、申し訳なさそうな表情を見せた。
「揶揄い過ぎた。悪い……」
「……え、怖……」
「怖い?」
「あっ、いやっ、何でもない……!」
思わず呟いた言葉を稜秩に拾われ、瀬輝は慌てた様子で視線を彷徨わせる。「稜秩がそんな表情で謝るなんて怖い」と思ったとしても、言えるはずがない。
それを何となく察知した稜秩だが、特に追求せず弁当を口にした。
「瀬輝にも苦手なネコ科の動物がいたのね」
「まぁな……本当は好きになりたいけど、中々……」
頭を抱えたまま、瀬輝は溜息をつく。
その顔を咲季が覗き込むように見た。
「トラに吠えられた後、動物園には行ったの?」
「幼稚園の行事で一回だけ。それ以外は行ってない」
「それなら、今度みんなで動物園行かない?」
提案をした咲季に、四人の視線が集まる。
「瀬輝くんにネコ科の大きな動物を好きになりたいっていう気持ちがあるなら、それを大事にしないと」
咲季は笑顔で瀬輝を見つめる。
「それは、そうだけど……」
言葉を濁して目線を下げる瀬輝は、咲季が言いたいことはよく分かっていた。しかし、どうも踏ん切りがつかない。好きになりたいという前向きな気持ちと、怖いから動物園にすら行きたくないという後ろ向きな気持ちがせめぎ合う。
「大丈夫だよ」
不意に耳に届いた優しい声音に、瀬輝は顔を上げた。
「俺たちがいるから怖くないよ」
優しく微笑む連朱の表情は、一瞬で瀬輝に安心感を与えた。
心が奮い立つ。
「……そうですね。よし。行くぞ、動物園!」
「急にやる気になってきたわね」
「おう! やっぱ、ネコ科の動物とは仲良くしたいからな!」
迷いを断ち切った瀬輝は清々しい表情をする。
「じゃあ決まりだね!」
「いつ行く?」
「俺、まだ予定分からねぇ」
「俺はいつでも大丈夫だよ」
「俺も先輩と同じく、いつでも大丈夫!」
瀬輝も答えて再び手にした弁当を食べようとした時。
ポトリ、と空から何かが降ってきた。
「……」
その場にいる全員の顔が青くなる。
瀬輝はすぐさま空を見上げた。先ほどまで上空で旋回していた鳶が鳴き声を上げて、あらぬ方向へ飛んで行く。
他に飛んでいる鳥は近くにいない。その状況が、あの鳶がフンを落とした犯人だと教えている。
「俺の弁当ぉーーっ!!」
鳶に向かって感情任せに瀬輝は叫ぶ。
しかしその声に反応することなく、鳶はまた優雅にどこかへと飛んで行ってしまった。