二人の想い
最近、視線を感じる。
「……」
ほら、また見てる。廊下ですれ違うだけなのにどんだけ見てんだよ。ガン見し過ぎ。一応気付かないフリしてるけどさ、気になるんだよな。俺に向けられた視線じゃないのに。
「……」
すれ違った後にこうやって振り返るのが俺じゃなくて、咲季だったらあの人は嬉しいんだろうな。案の定あの人と目が合うけど、すぐに逸らされる。
あの人の名前こそ知らないが、バスケ部の三年生だっていうのは知ってる。
廊下ですれ違った時とか下校時とか。咲季のこと、すげー見てる。咲季は全然気付いてないみたいだけど。
あの人は多分、咲季のことが好きなんだ。
「……いっちー?」
「……あ?」
「入らないの?」
玄関のドアを開けたまま、咲季が不思議そうな顔で俺を見ていた。
「入るよ」
答えながら咲季の家の中に入る。
「稜秩くん、いらっしゃい」
そう声を掛けてきたのは歩乃さん。咲季のお母さんだ。
歩乃さんの顔は咲季と瓜二つ。雰囲気もすごく似ていて、中でも笑った顔が一番そっくりだ。
「お邪魔します」
「いっちー、先にあたしの部屋に行ってて」
「ああ」
咲季に促されて階段を上がっていく。階段を上がり切って、すぐ目の前にあるドアを開けた。
ふわりと甘い香りが鼻孔を擽る。ほんのりと甘い、アロマの香り。その香りが漂う部屋を、ピンク色のカーテンや可愛らしいぬいぐるみなどが彩っている。
部屋に足を踏み入れ、ベッドに腰掛ける。その反動でベッド脇に置いていたウサギのぬいぐるみが倒れた。
そのぬいぐるみは、小学生の頃に俺が咲季に贈るために作ったものだ。当初より色褪せているけど、解れていたり汚れているところはない。
それを元の場所に戻した後、壁に掛けられたワイヤーネットに目が止まった。そこには色取り取りのシュシュがS字フックに吊るされている。
(……あれ、この前買ってたやつか)
思いながら、今日の咲季の髪を結っていたシュシュを思い出す。
(確か……天夏に誕生日プレゼントで貰ったやつ……)
予想をしていると、部屋のドアが開いた。
「お待たせ〜」
咲季がトレーにケーキと紅茶を載せて入ってきた。どこか危なっかしい足取りに手を貸そうとしたが、一生懸命運んでいる姿に可愛さを感じてそんなことも忘れてしまった。
ふと、咲季の右頭部を見る。ワンサイドアップにした髪を束ねるシュシュは予想通り、天夏が咲季に誕生日プレゼントとして贈ったものだ。
「これね、いっちーのために作ったの」
中央に置かれたテーブルに、咲季用と俺用に分けたチョコレートケーキを置きながら咲季が言った。
「俺のため?」
「うん。いっちーが家に来るからおもてなしとして」
咲季は嬉しそうに頬を緩ませて笑った。
そんな笑顔を見せられたら、俺もつられて笑ってしまう。
「ありがとうな」
「うん」
咲季にお礼を言って目の前に置かれたケーキを口に運ぶ。ほろ苦い、俺の好きな味。このケーキの味見を咲季がしていたのかと想像すると、愛おしく思える。
「……」
ふと咲季を見る。
咲季は自分用に作ったケーキを美味しそうに頬張っている。咲季が食べるケーキだから甘い味なんだろうな。俺が好んで食べもしない、甘いケーキ。
「……」
……何でだろう。
「……咲季、それ一口くれないか?」
「えっ、これ甘いよ?」
咲季は目を丸くした。
……俺自身も驚いてんだけどさ。
「急に食いたくなった。一口だけでいいから」
「いいよ」
珍しそうな顔をしながら、咲季はケーキが載った皿を差し出してくれた。そこから一口分をフォークに刺す。
甘いのは好きじゃないのに、何で欲しいと思うのか。
不思議に思いながらケーキを口にする。一口だけでも胸焼けするくらいの甘い味。
「……」
「美味しい?」
「美味いけど……甘い」
多分俺、今すごく変な顔をしていると思う。でも咲季は笑ってくれている。
甘味を恋しいと感じてしまうのは、何故なんだろうか。
ついつい、目で追ってしまう。
「……」
前から歩いてくる姿を見つけた途端、俺の視線は無意識にキミに集中する。キミはいつも笑顔で楽しそうにしてる。
「……」
すれ違った後にキミと目が合えば嬉しいなって思いながら振り返るけど、実際はキミじゃなくてキミの彼氏さんと目が合う。気まずくて、すぐに目を逸らすけど。
城神くんは一年生なのにすごく背が高いから、威圧感もあって怖いんだよな……。
しかもこんなに見ているのに、俺の視線に気付くのはその城神くんで……こんなに彼氏さんと目が合うってことは、確実に気付かれてるわけで……それでも見てしまう。
キミのことが、好きだから。
「……虹色、見過ぎじゃない?」
昼休みで教室が騒つく中、机をくっつけて一緒に弁当を食べている親友の言葉が耳に入る。
「……えっ? 何を?」
俺は不思議に思って目の前にいる親友の快風を見た。
「一年の、采之宮さん」
「ああ……無意識」
「無意識でも見過ぎだよ」
「しょうがないじゃん、好きなんだからさ」
俺は少し膨れて弁当を食べる。本当に無意識だから、どのくらい見ているのか分からないのが正直なところだ。
「でも、見ているだけだよね」
「……彼氏いる子だもん。見ているだけになるよ」
「そっか。あのカップル、入学早々目立ってたよね」
「そりゃあ、俳優の息子に芸人の娘で、おまけに幼馴染みで付き合ってるんだからな。嫌でも目立つだろ」
「そんな子を好きになったわけね」
「……あの子の、笑顔が好き」
「笑顔?」
「うん。優しい笑顔で癒される」
「雰囲気もそんな感じだよね」
「うん……」
采之宮さんの笑顔を思い出しながら小さく返事をし、箸を止める。
「……それにさ、何かしら接点を持っちゃうと、自分の気持ちに歯止めが効かなくなるっていうか、抑えられなくなるっていうか……」
目線を下げてもごもごと喋る俺の話を、快風はしっかり聞いてくれている。ありがたいな。でも恥ずかしくて顔が熱い。
「あの子じゃないと、ダメなの?」
「えっ……?」
快風が真剣な面持ちで問い掛けてきた。たしかに、そう言いたい気持ちも分かるよ。でもさ。
「好きになったんだから、しょうがねぇよ」
「他の、彼氏がいない子を好きになろうとか──」
「今はそんな気持ちないんだ。だから、見ているだけでいいわけ!」
とりあえず笑ってそう言うと、快風の表情が少し曇った気がする。
俺はちゃんと笑えているだろうか。
「……そっか……」
「そうそう!」
明るく声を張って、止めていた箸を動かす。
そう。見ているだけでいいんだ。見ているだけで、満足なんだ。
「虹色!!」
「えっ……?」
名前を呼ばれて我に返った時、バスケットボールが自分に向かって飛んで来ていた。今、部活中だった……!!
「ヤベッ!!」
咄嗟にボールをキャッチしようとしたが、その手は空を掴んだ。
掴み損ねたボールは開け放されていた体育館の外に飛び出して行った。
「虹色、何やってんだよ!」
「悪い!」
バスケットボール部の仲間に謝りながら、ボールを追いかけて体育館の外に出る。
「ボール……」
廊下に出たところで、ボールを持つ采之宮さんの姿を見つけて思わず立ち止まった。
(えっ、采之宮さん……!?)
一瞬にして俺の心臓がバクバクと音を立てる。まさかこんなところにいるとは思わないじゃん……! いや、そんなことより!
「采之宮さん、ボール、当たってない!?」
「足下に転がってきただけなので当たってないですよ」
「そっか、良かった。びっくりしたよね。ごめんね!」
「いえ」
少し言葉を交わした後、采之宮さんがボールを差し出してきた。
「部活、頑張ってください」
柔らかい笑顔が目の前にあると思わず見惚れてしまう。こんなに近くで見るのは初めてだ。
「……あっ……うん……ありがと……」
全身が脈打つ感覚を覚えながらボールを受け取って体育館に戻る。
「遅いぞ!」
「悪い……」
「……お前、顔赤くね?」
「赤くねーよ」
軽くあしらいながら部活仲間であるクラスメイトにボールを渡す。そりゃあ、好きな子が突然現れたら顔も赤くなるわ。
「……」
帰宅して、真っ先に自分の部屋のベッドに横たわった。
「ハァ……」
深いため息が部屋に木霊する。
「見ているだけで」とか言ってたのに接点持っちゃったよ。普通に話し掛けちゃったし……どうしよ……。
脳裏に采之宮さんの笑顔が過ぎってしまう。いつもは遠くからか、すれ違う時にしか見られなかった笑顔。それが目の前で、しかも自分に向けられていた。思い返すだけで心臓がうるさくなる。
「……あぁー……」
意味もなく声を上げて寝返りを打つ。
「……」
ゆっくりと起き上がって窓の外に目をやる。向かいにある快風の家には、明かりが灯っていない。
(快風、まだバイト中か……)
またベッドに寝転んで、近くに置いていたスクールバッグの中から携帯を取り出す。
《快風の家、行っていい?》
そう文字を打ってメールを送信した。
携帯から手を離して、ぼんやりと部屋の壁を見つめる。静かな室内に時計の秒針の音だけが響く。途切れず、一定のリズムを奏でている。
その音に耳を傾け続けた。
「……」
そこに、メールの受信音が鳴った。
(快風……? 早くないか……?)
不思議に感じながら携帯の液晶画面を明るくする。自然と時計に目が止まった。
「えっ!? 19時20分!? あれから1時間は経ってんじゃん!!」
あまりの驚きに飛び起きてメールを確認する。
《うん、いいよ。今日はお母さんまだ帰って来てないから、そのまま入って大丈夫だから。》
その文面を見た俺は、携帯電話を片手に急いで家を出た。
「そんなことがあったんだ」
「もう俺、頭ん中ぐちゃぐちゃでドキドキして、どうしたらいいかわかんなくてさ……」
部活の時間に起きたことを快風に全て伝えて、赤くなった顔を両手で覆う。
すると快風の優しい声が聞こえた。
「いっそのこと、想いを伝えちゃえば?」
「フラれんの目に見えてんじゃん!」
「それでもだよ。伝えられるなら、伝えておかなきゃ」
「……」
寂しさの色を瞳に宿して笑う快風の姿は、俺の胸を締め付ける。今の言葉は快風が言うから重みがあるんだろうな。快風も、お父さんに伝えたいことが色々あって──。
思っていると、クッションで軽く頭を叩かれた。
「『あの時言っておけば良かった』って後悔しても遅いんだからね!」
叩かれた頭を押さえつつ快風の表情を見る。今度は正真正銘の笑顔。ちょっと安心した。俺は笑って快風からクッションを奪い、快風目掛けて投げた。
「だからって何でクッションで叩くんだよ!」
「虹色がクッションで叩いてくださいって顔をしてたから!」
「どんな顔だよ! 意味わかんねぇ!」
笑いながら、言い合いながら、俺たちはクッションを投げ合う。
その明るい声は部屋中に響く。
はしゃぐ中、俺の携帯に自宅から連絡が入った。
「何ー?」
「10」
電話の向こうから聞こえた母さんの第一声がそれだった。
「9」
俺の声を待たずして、カウントダウンが始まった。それは母さんの怒りを表している。カウントが「0」になれば、夕食タイムが説教タイムに変わってしまう合図だ。
「快風、また明日な!!」
「う、うん……!」
それを阻止するべく、バタバタと足音を立てて一目散に家を目指す。玄関に置いている靴に足を突っ込んで快風の家を飛び出す。ちゃんと靴を履いていないせいで転びそうになるが、無事家の中に入ることが出来た。
肩で息をしながら家に上がる。ギリギリ、説教タイムは免れた。