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一瞬で遠くに

 ロングホームルームの時間、進路希望調査書の用紙が配られた。


「調査書の提出期限は来週の金曜日までだからなー」


 担任の雪村(ゆきむら)の声を耳にしながら、連朱(めあ)は用紙に目を落とした。


(進路希望……早くないか?)


 ふと隣を見ると、瀬輝(ぜる)が既に調査書に記入し始めていた。


瀬輝(ぜる)はもう進路決めてるの?」

「はい。俺、保育士になりたいんで専門学校か大学に行くんです!」


 満面の笑みで話す彼の姿は眩しかった。

 すると、やり取りを聞いていたであろう天夏(あまな)が会話に入ってきた。


瀬輝(ぜる)なら子供たちに大人気ね」

「子供好きだから大歓迎!」

天夏(あまな)は服飾専門の学校行くの?」


 前方から聞こえてきた声の主に、連朱(めあ)も視線を向ける。咲季(さき)天夏(あまな)の机の上に置かれた調査書を覗いていた。


「ええ。演劇部で衣装作りの手伝いしてたら楽しくて、デザイナーの勉強したいなって思ったの」

天夏(あまな)だったらすごく良い服作れるよ!」

「そう? ありがとう」

「ねぇ、いつか、あたしのウエディングドレスを作って!」

「んー、いいけど、二人が結婚するまでにデザイナーになってるか……」

「それまで待ってる!」

「……だそうですが?」


 天夏(あまな)の目が稜秩(いち)に向けられる。

 二人の視線が一瞬だけ交わった後、稜秩(いち)咲季(さき)を見た。彼女のあどけない瞳はキラキラと輝いている。

 そしてもう一度、天夏(あまな)稜秩(いち)の視線が交差した。


「まあ精々頑張れ」

「何か、責任重大な気がしてきたわ……」


 天夏(あまな)の顔は笑ってはいるが、引き攣っていた。

 目の前で交わされた大きな約束を応援しつつ、連朱(めあ)稜秩(いち)に話を振る。


稜秩(いち)の進路は?」

「俺も進学」

「どこの学校行くんだ?」

「まだ明確に決めてないけど、和裁学科があるところ」

「和裁って、着物を仕立てたりするやつだっけ?」


 瀬輝(ぜる)も前のめりになって会話に混ざってきた。


「ああ。親が着物好きだから二人に作りたいし、自分の店持ちたいんだ」

「でけー夢……」

稜秩(いち)ならいつか芸能界に入ると思ってた」

「芸能界なんて興味ねぇよ」


 連朱(めあ)が発した言葉に応える稜秩(いち)は頬杖をついた。その表情を見る限り、本当に芸能界に興味がないのだと分かる。

 連朱(めあ)咲季(さき)にも訊いてみたくなった。


咲季(さき)は芸能界に入ろうとか思わないの?」

「うん、思わないよー」

「進路はどうするの?」

「全然考えてない」


 屈託のない笑顔を見せる咲季(さき)に、連朱(めあ)は少し安心した。


「先輩はどうなんですか?」

「俺も、まだ何も考えてないんだ」


 瀬輝(ぜる)の問いかけに連朱(めあ)は苦笑い気味に応えた。

 そしてまた手元の用紙に目を落とし、小さくため息をついた。





「みんなすごいね」

「え?」


 帰宅途中、連朱(めあ)は呟くように声を洩らした。

 瀬輝(ぜる)が少し驚いた様子で連朱(めあ)を見上げる。


「進路をもう決めてるからすごいなって思って」

「そんな、すごくないですよ! ただやりたいこととか勉強したいことの為に進学選んだだけですから!」

「現時点で目指したいものがあるってすごいことだよ。俺なんて何にも考えてない。『進学? 就職?』って聞かれても『どうだろう?』っていうのが現状だし」


 連朱(めあ)はため息混じりに言葉を吐き出し、目を伏せた。

 そんな連朱(めあ)の顔を瀬輝(ぜる)が覗き込むように見る。


「たとえば『こういうことをもっと勉強したい』とか『こういう仕事してみたい』とか思ったりは?」

「全然ない。やりたいことも興味あることもなくてさ。それなのに、卒業後のことなんか考えられないよ」

「……」


 次第に暗くなっていく連朱(めあ)の顔を目にし、瀬輝(ぜる)は困惑する。そして、連朱(めあ)の顔が明るくなるような言葉がないか、必死で頭の中を探した。


「俺たちはまだ一年ですし、そんなに思い悩まなくてもいいと思います! 焦って探して失敗したら元も子もないですから! いつか、先輩にもやりたいことや興味を持てることが見つかりますよ!」

「……そうだね。ありがとう」


 連朱(めあ)は微笑みながら、隣を歩く瀬輝(ぜる)の頭をくしゃりと撫でた。


「いっ、いえっ、そん、なっ……!」


 連朱(めあ)の行動に瀬輝(ぜる)は顔を赤く染め、しどろもどろに返答した。





 帰宅した連朱(めあ)は自分の机に向かい、進路希望の用紙を見つめていた。

 徐にペンを取り、就職の文字に丸をつけ、就職希望者のみ記入する欄の第一希望に「地方公務員」と書いた。

 しかし、すぐに消しゴムで乱雑に文字を消す。


「……ハァ……」


 頭を掻いて立ち上がり、ベッドに横たわる。


「……」


 仰向けになって見つめる天井に、楽しげに夢を語るみんなの表情が映る。

 瀬輝(ぜる)は保育士、天夏(あまな)はファッションデザイナー、稜秩(いち)は和裁士。みんな、やりたいことがあって進学する。


 咲季(さき)はどうだろうか。全然考えてないとは言っていたが、進学だったら美術学校を選ぶかもしれない。連朱(めあ)はそんな予想を立てた。


(……何か、一瞬でみんなが遠い存在になった気がする……)


 そう思うとため息が漏れ、静かな室内に響いた。それが余計に焦燥感を募らせる。

 すると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 返事をする前にドアが開く。朱李(あい)の顔がちょこんと現れた。


「兄ちゃん、CD返しに来た」

「その辺に置いてて……」


 連朱(めあ)は適当に指差して言った。

 それに従い、朱李(あい)はCDを机の上に置いて連朱(めあ)を見た。


「元気ないね。何かあった?」

「まあな……」

「あっ、もしかして……恋?」

「違う」


 ニヤニヤしながら問う弟に連朱(めあ)は即答で返した。

 朱李(あい)は口を尖らせる。


「えーっ、つまんねー。じゃあ何だよ」

「……自分の進路について考えてんの」

「進路? ああ、この紙のこと?」


 朱李(あい)は机上に置かれた用紙に目を落とす。そこに、文字を消した跡があることに気付いた。


「……もうそんな話出るんだね。早くない?」

「俺もそう思ってた……朱李(あい)の将来の夢って野球選手だよな?」

「もちろん!」


 胸を張って答える弟の姿が、連朱(めあ)には眩しく見えた。とても羨ましく思える。


朱李(あい)は何で野球選手になりたいんだ?」

「野球が好きだから」

「……それだけ?」

「それだけ」

「……ふーん……」


 連朱(めあ)朱李(あい)から天井へと視線を移す。


「兄ちゃんはまだ決めてないの?」

「特に何も……やりたいことないし」

「今は適当でいいんじゃない? もしかしたら一ヶ月後とかにやりたいこと見つかるかもしれないし」

「……そうだな……」

「焦ったっていいことないよ」


 天井を見たままの連朱(めあ)に言った後、朱李(あい)は部屋を出てドアを閉めた。


 遠退いて行く足音を聞きながら連朱(めあ)は起き上がり、机に歩み寄る。イスに腰掛けてペンを持つと再度、用紙に「地方公務員」と書く。


「……」


 連朱(めあ)は思い悩んだ表情で調査書を見つめた。






 それから数日が経った放課後。連朱(めあ)は忘れ物を取りに教室へ戻って来た。そこに咲季(さき)の姿がある。

 咲季(さき)は一人、机に向かって何かをしている。


咲季(さき)、何してるの?」


 後ろから声を掛けると、咲季(さき)が振り向いた。


「絵を描いてるの」


 咲季(さき)はスケッチブックに、横から見た机を描いていた。何故それを描こうと思ったのか気になったが、敢えて聞かないことにした。


連朱(めあ)くんは、忘れ物?」

「うん」


 応えてから、連朱(めあ)は机の中に置きっぱなしだったノートを手に取った。

 そして、ふと思ったことを口にする。


「そういえば、咲季(さき)は進路の紙出した?」

「うん、昨日出したよ」

「何て書いたの?」

「とりあえず進学。美術学校とか」


 咲季(さき)の言葉に連朱(めあ)はやっぱり、と思った。


連朱(めあ)くんは?」

「俺もとりあえずで『地方公務員』って書いた。咲季(さき)は将来絵を描く仕事をしたいの?」

「ううん。ただ絵の勉強をしたいなーって思っただけ。将来はいっちーのお店の手伝いをするの」

「……」


 笑顔で話す咲季(さき)を見て、連朱(めあ)は取り残された感覚に襲われた。

 静かに咲季(さき)の右隣の席に座る。


「……そっか……」

「……」


 沈んだ表情をする連朱(めあ)を見、咲季(さき)が静かに問う。


連朱(めあ)くんは、何で地方公務員を選んだの?」

「……収入が安定してる、から……」

「じゃあ今はそれでいいんじゃないかな」

「……何が?」

連朱(めあ)くんが進路として出した答え。あたしは自分の進路についてじっくり考えたわけじゃないんだ。ただ『絵の勉強したいなー。じゃあ美術学校行こうか』って結論になったの。だからこの後、あたしの進路は変わる可能性あるし」

「そう、なんだ……」

「それに、誰も連朱(めあ)くんを置いていかないよ」

「えっ……」


 咲季(さき)の発言に連朱(めあ)はドキッとした。思わず目を見張る。


「みんな違う道に進んで行っちゃうけど、瀬輝(ぜる)くんも、いっちーも、天夏(あまな)も、あたしも連朱(めあ)くんを置いてけぼりにはしないよ。みんな、連朱(めあ)くんのこと大好きだもん」


 曇りなく笑う咲季(さき)の言葉で、連朱(めあ)は心にあった(わだかま)りが溶けたのを感じた。軽くなった心中が、顔に笑みを浮かばせる。


「ありがとう」


 その表情を見た咲季はほっとしたように笑った。

 連朱(めあ)はスッと立ち上がる。


「じゃあ、また明日」

「うん、バイバイ」


 咲季(さき)に手を振り、教室を出て行く。

 軽やかに階段を駆け下りて生徒玄関へ行くと、瀬輝(ぜる)の姿が見えた。


「ごめんね、待たせて」

「いえ! ノートありましたか?」

「うん」


 そう応えた連朱(めあ)の表情が、瀬輝(ぜる)にはどこか吹っ切れたように見えた。


「……先輩、何かありました?」

「えっ? 何で?」

「何か、表情が明るいっていうか……」

「ああ……ちょっと、咲季(さき)に元気をもらったって感じかな?」

「チビッ子と何があったんですか!?」


 瀬輝(ぜる)が身を乗り出して問うてきた。

 そんな瀬輝(ぜる)連朱(めあ)は素直に話し始めた。後に彼が悔しさで泣き出すことも知らずに。

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