七人で花見
広場もある大きな公園には、桜の木がいくつもある。そのほとんどが五分咲き。微かに風が吹くと、一枚の花びらがひらひらと落ちてきた。
木の根元近く、芝生の上に敷いた大きなレジャーシートに座る咲季は、花びらの行方を目で追う。
不規則に舞う桜が、赤い髪の上にそっと降りた。艶のある前髪の右側に、ヘアアクセサリーのように付いている。
「……瀬輝くん、可愛いね」
「は?」
突拍子もない言葉に、瀬輝の顔はきょとんとする。一緒にいる哉斗も同じような表情。
彼らの反応を気にせず、咲季は花びらを見つめ続ける。
「瀬輝くんの髪に桜の花びらが乗ってて可愛いなーって」
訳を話すと、哉斗の視線が瀬輝の頭に向けられた。
「あ、本当に桜が乗ってる。可愛いね」
「でしょ?」
共感してもらえた嬉しさを顔に浮かべ、咲季は携帯電話をカバンから取り出した。
「瀬輝くん、写真撮っていい?」
「どーぞ」
「ありがとう。あ、自然体で撮りたいからカメラ目線にならなくていいからね」
「あとで絵を描くためか」
「そう」
話しながらカメラを起動させ、レンズを瀬輝に向ける。すかさずシャッターを切った。
咲季は満足げに頷き、撮った写真を被写体の彼に見せる。
「お、いい感じじゃん」
「でしょ?」
瀬輝も嬉しそうに笑う。
そうしていると、一連の流れを見ていた哉斗が感心した表情を浮かべていた。
「咲季の考え、分かるんだね」
「中学高校と一緒にいたから大体は分かるな」
「すごいね」
まさに阿吽の呼吸。哉斗は瞠目する。
すると、緩やかな風が吹いた。瀬輝の髪の上にいた桜が、ふわりとどこかへ飛んでいく。
三人は花びらを見送った。
「綺麗だね」
「うん」
「だな」
穏やかな空気が流れる。
直後、腹の虫が鳴いた。咲季と瀬輝は発生源に視線を向ける。顔を少し赤くさせた哉斗が、腹を手で押さえていた。
「もうすぐお昼だもん。お腹空いたよね」
「うん……」
「俺も腹減ってきたー」
「もうすぐ天夏たち来ると思うから、それまでの辛抱だね」
咲季は周囲に目を配らせ、彼女たちの姿を探す。しかし、まだいない。
今日は、ここで花見をすることになっている。そのため、咲季たちは場所取りも兼ねて待っていた。
今この場にいない四人は、買い出しにいっている。
「稜秩くんの髪って地毛?」
スーパーの惣菜コーナーで商品を見ていると、唐突に問われた。稜秩は、隣で興味深そうな視線を送ってくる章弛と目を合わせる。
「そうだけど」
「へぇ〜! 生まれた時から銀髪に青い瞳ってカッコいいね!」
「ありがとう」
褒め言葉を発する彼の瞳は、曇りがない。すると、その瞳がグイッと近づいてきた。
「稜秩くんが好きな動物って何?」
「オオカミ」
「海と山ならどっちが好き?」
「海」
「タイムマシーンがあったらどの時代に行きたい?」
「んー、江戸時代」
「目玉焼きには醤油? ソース?」
「醤油」
「幽霊はいると思う?」
「思う」
「章弛、いい加減にしなさいよ」
近くで会話を聞いていた天夏が、呆れた表情で会話に入ってきた。
一方、章弛は笑顔を絶やさない。
「いいじゃん。仲良くなるためにはお互いのこと知らないといけないし」
「ほとんど質問されっぱなしだったけどな」
「あれ、そうだった? じゃあ今度は俺に何でも質問しちゃっていいよ!」
ニコニコとする章弛だが、はたと気付く。
「ねぇ天夏ちゃん、さっき俺の名前呼んだ?」
「え、今更?」
「自然すぎて気付くのが遅れたんだよ。遂に天夏ちゃんに呼び捨てされるなんて、嬉しいなぁ!」
章弛は表情を緩める。
彼の活発さは衰えることを知らないのではないか、というほどだった。稜秩は微かに苦笑いを浮かべる。
「テンション高いな……」
「きっと、稜秩と遊べるのが嬉しいんだよ」
ぽつりと呟いた言葉に、連朱が反応した。
「だからってはしゃぎ過ぎな気もするが」
「そこはまあ、確かに」
話しながら稜秩は、春巻きが四本入ったフードパックを二つカゴに入れた。カゴには、唐揚げやポテトサラダなど惣菜がいくつか入っている。
そして、章弛が持っているカゴの中は、人数分の飲み物やおにぎりがある。
「このくらいでいいか」
「そうだね」
「天夏、章弛、そろそろ行くぞー」
「うん」
「え!? 稜秩くんも俺の名前を呼び捨て!? ありがとう!」
章弛の喜び方は飛び上がる勢いだった。その様子に稜秩は大袈裟だなと、苦笑した。
そんな買い出し中の四人を待つ咲季たちは、話に夢中になっていた。中学生の頃から最近までのこと。みんなで過ごした日々を思い出しながら、話しをしていた。
そして、話題は今後のことに移る。
「哉斗くんもあたしと一緒で四月から社会人だよね」
「うん」
「ペットフードの製造会社だったよな?」
「そうだよ。製造業に興味があったから受けてみたんだ」
すると、瀬輝が哉斗に握手を求めるように手を差し出した。
「世界中の動物たちのご飯をよろしくな」
「規模が大きいね……でも、頑張るよ」
一瞬だけ苦笑いを浮かべた哉斗だが、すぐに笑顔になり、瀬輝と握手を交わした。
「咲季は図書館で働くんだよね?」
「うん」
「しかも、稜秩がたまに行く図書館な」
「じゃあ働きながら会えちゃうかもね」
「タイミングが合えばね」
小さく頷く咲季は、そうなったらいいなと少しの期待を抱いていた。
「働きながら会えるっていいな。俺も専門学校行きながらバイトしようかな」
「連朱に会うために?」
「あったり前よ! 仕事中に一目でも先輩に会えたら何倍も頑張れるし!」
歯を見せて笑う瀬輝の顔は眩しかった。勤務中に好きな人に会えたら頑張れるのは確かだと、二人は共感する。
すると咲季は、あることを思い出した。
「そういえば、連朱くんと章弛くんって同じ市役所で働くんだよね」
「そうそう。偶然にも同じところなんだよ」
「いいなぁ、先輩と同じ職場。羨ましい。俺の進路は変えないけど羨ましい」
瀬輝の口からは、しばらく「いいな」「羨ましい」が交互に出ていた。しかし、落ち込んでいるというわけではない。
そんな友を、咲季と哉斗が温かい目で見守っていた。
それからしばらくして、買い出しに行っていた稜秩たちがやってきた。レジャーシートの上に並べたおにぎりや惣菜を囲むように輪になる。
「じゃあ食べるか」
「うん」
「いただきまーす」
各々手を合わせ、好きなものを手に取る。咲季はおにぎりを選んでいた。梅や明太子、エビマヨなどそれぞれ一つずつ、人数分ある。
しばらく考えた結果、明太子を手に取った。
「珍しいな、明太子なんて」
右隣に座っている稜秩が、少し不思議そうな表情をしていた。
「たまには食べたことないものにしてみようかなって思って──」
そこまで言うと、咲季は気付いた。
「……明太子っていっちーの好きな具材だよね」
「そうだけど気にすんな。俺は別のものにするし」
言いながら稜秩が選んだのはエビマヨだった。
「じゃあ半分こにしない?」
軽い声音で問いかける。稜秩からは微笑みが返ってきた。
「分かった」
咲季は早速おにぎりを包装フィルムから取り出し、二等分にする。ほんの少しだけ、大きさが異なってしまった。だが迷うことなく、大きい方を稜秩の目の前にある取り皿に置く。
稜秩も同じように、半分にしたおにぎりを咲季の取り皿に置いた。
皿に載るエビマヨのおにぎりは、少しだけ大きい。
(考えてること一緒だなぁ)
嬉しくなり、青い瞳に視線を送る。
言葉はないが、目だけで会話した。
不意に視線を感じる。稜秩の隣へ視点を移すと、章弛と目が合った。
「章弛くん、どうしたの?」
「ん? 仲良いなーって思って」
「当たり前だろ」
「そういえば、二人が喧嘩したところなんて見たことないわね」
「あ、確かに」
天夏と連朱の言葉に、全員が首を縦に振る。
「そうだな。一回も咲季と喧嘩したことないな」
「ないねぇ」
「お互いに不満とかは?」
「ない」
瀬輝の問いかけに、咲季と稜秩は同時に答えた。
「やっぱり喧嘩しないカップルもいるんだなー」
「私たちのところとは大違いね」
「うん」
「哉斗と天夏ちゃんはたまに喧嘩するもんね」
「そうよ。よく知ってるわね」
「喧嘩のことも含めて哉斗から色々聞いてるから」
天夏の目が哉斗に向く。
「ほぼ筒抜けなのね」
「つい色々話しちゃうんだ。あ、何でもかんでも話してるわけじゃないよ」
「分かっているわよ。私も咲季によく話してるから特に気にしてないし」
天夏から彼の話を度々聞いている咲季は何度か頷く。すると、頭上から聴き慣れた鳴き声が聞こえてきた。空を見上げる。一羽の鳶が優雅に飛んでいた。
過去の出来事が思い出される。向かいにいる瀬輝に視線を向けた。
「入学して早々、瀬輝くんのお弁当箱ダメになったよね」
その一言で、瀬輝の顔はハッと思い出したような表情になった。
「あったわね、そんなこと」
「え、何その話」
「学校の屋上でお弁当を食べてたら、鳶の……あれが瀬輝のお弁当箱に落ちてきたんだ」
興味深そうにする章弛に、連朱が言葉を選びながら話す。
「うわ、最悪だ」
「しかも俺が一目惚れした弁当箱な。あの鳶だけは今でも許してない」
咲季は空に視線を向ける。
(鳶さん、どうかフンは落とさないでね)
上空にいる鳶に心の中でお願いする。
そうした数秒後、鳶はゆっくりと別の場所へ移動していった。まるで、言葉が通じたかのよう。
咲季は頬を緩ませ、春巻きを口にした。
食後。男子五人が体を動かして遊んでいるのを、咲季と天夏はレジャーシートに座って眺めていた。
「みんな元気ね」
「元運動部だから体を動かしたいのかも。剣道部に弓道部にテニス部だし」
「それはありそうね。しかもこっちは演劇部と美術部で、見事に運動部と文化部に分かれたわね」
「あ、本当だ」
咲季は天夏と顔を合わせて笑った後、伸びをして静かに仰向けになった。視界に広がる景色に、瞳が輝く。
「眠いの?」
「ううん、寝転がってるだけ。綺麗だよ」
「綺麗?」
天夏が不思議そうな表情を浮かべ、上を見た。そうしたかと思えば、今度は仰向けに寝転がる。同じ体勢になる彼女の横顔に微笑みを向ける咲季は仰向いた。
雲ひとつない青い空に、ピンク色が溶け込んでいる。開いた花、開きかけている花、蕾の花。様々な桜がいる。風が吹けば皆ゆっくりと揺れた。同時に、枝から飛び立つ花びらは、太陽の光を浴びて輝きながら空を舞う。
「こうやって仰向けになって空を見たのって久しぶりな気がするわ」
「あたしもー」
ほわほわとした声で返事をした咲季は、普段よりも高い場所にある桜を再び楽しむ。
春の陽気は、眠気を誘う。
「……このまま寝ちゃいそう」
「こんなところで寝たら風邪引くわよ」
「んー……」
伸びをすると欠伸が出た。続いて天夏も欠伸をする。
「天夏も眠くなってきた?」
「違うわよ。咲季の欠伸が移っただけ」
「そっか」
咲季は小さく笑う。すると、天夏が起き上がった。
「ちょっとトイレに行ってくるわ」
「うん。いってらっしゃーい」
靴を履き、公園内に設置されているトイレへ向かう彼女を見送りながら咲季は起き上がった。目を離さず、姿を追う。特に何もなく、天夏は目的の場所へと入っていった。
安堵して小さく息を吐く。すると、こちらに近づいてくる人影が視界の端に見えた。振り返る。
「連朱くん、どうしたの?」
「喉乾いたからお茶を飲みに来たんだ」
じんわりと汗をかいた連朱が、レジャーシートの上に置いた自身のバッグからペットボトルを取り出した。
「あれ? 天夏は?」
「たった今、お手洗いに」
「そっか」
連朱は納得した後、離れた場所にいる四人を一瞥し、レジャーシートの上に座った。
「休憩?」
「休憩兼付き添い、かな。咲季一人だと何かあったら大変だし」
彼がここに座った理由を知り、咲季は目を丸くした。トイレに向かった親友を見送った自分と同じような行動だったからだ。
「ありがとう。連朱くんは優しいね」
「そう、かな」
照れ笑いに似た表情を見せる連朱はペットボトルの蓋を開け、お茶を何口か飲んだ。
「みんなで走り回ってたけど、鬼ごっこしてたの?」
「ケイドロやってたんだ」
「ケイドロ? 懐かしい〜」
「子供の頃よくやってたよね。久々に全力で走ったよ──あ」
「?」
話の途中で何かに気付いた連朱の視線が、別の方向を見た。咲季も同じところへ目を向ける。稜秩たちがこちらに向かってきているのが見えた。
「水分補給長くないか?」
「ごめん。天夏がお手洗い行ってるから、咲季一人だとダメだと思って」
「それなら仕方ないな」
「さすが先輩!」
「あら、もう遊ぶのやめたのね」
戻ってきた天夏は、意外という顔つきをしていた。
全員が揃ったところで、章弛が提案する。
「じゃあ、今度は全員で遊ぼうよ!」
「いいわよ」
「二人は何かやりたいことある?」
哉斗の問いに、咲季と天夏は顔を見合わせる。
「そうねぇ。咲季はどう?」
「うーん……あ、ドレミの歌ゲームやりたい!」
「どんなゲームだっけ?」
「最初の人が『ドーはドーナツのド〜』って歌ったら、次の人にシとかファとか、歌ってもらう音階を指名するの。それを順番に繰り返していってメロディーも歌詞も間違えないように歌うっていうゲーム」
ゲームの説明をすると、稜秩が思い出したような顔をした。
「あー、この前テレビで律弥さんもやってたゲームか」
「うん!」
「じゃあ早速やろうか」
連朱が声をかけると、一同は靴を脱いでレジャーシートに上がった。先ほどと同じ場所に座り、誰から始めるかジャンケンで決める。
結果、咲季から順に時計回りに進んでいくことになった。
「ドーはドーナツのド〜、ソ!」
「ソーは青い空〜、ミ!」
「ミーはみーんなのミ〜、レ!」
「レーはレモンのレ〜……あれ?」
連朱が口ずさんだのは「ファ」のメロディー。
「早っ」
「いやいや、分からなくなるもんだって」
稜秩のツッコミに瀬輝が擁護の言葉を発した。
気を取り直し、間違えた連朱からスタートする。しかし、次の番である瀬輝で躓いた。
その隣にいる章弛がニヤニヤとする。
「瀬輝くん、わざと?」
「ちげーよ!」
「どっちでもいいから再開するわよー」
「どっちでもって……」
天夏に仕切られ、瀬輝が口籠る。
目の前で展開される様子が面白く思え、咲季は小さく笑う。
それは瀬輝の耳にも入った。
「……チビッ子、何笑ってるんだよ」
「面白かったから、つい。ほら、ゲームしよ」
「はい、はい」
瀬輝はまだ何か言いたげだったが、ゲームを再開させた。今度は順調に進み、一周する。
こうしてしばらくは、ドレミの歌ゲームを続けた。
その後は三文字しりとりなど、他のゲームでも盛り上がった。