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卒業の日

 二月二十八日。仄和(ほのわ)高校では、明日に備えて体育館で卒業式の練習が行われていた。

 練習はスムーズに進み、予定時刻より少し早めに終了した。


 教室に戻ってきた咲季(さき)は席に着き、周りを見回す。他愛ない話をしたり、ふざけ合っているクラスメイトの姿が変わらずにあった。賑やかな声が教室内に響いている。

 そこへ雪村(ゆきむら)がやってきた。教壇に立った彼の「ホームルーム始めるぞー」という言葉から程なくして、周囲は静かになる。

 ホームルームは、明日の卒業式についての話が中心だった。


(この教室でみんなと会うのも、明日で最後かぁ……)


 雪村(ゆきむら)の話に耳を傾けつつ、咲季(さき)は心の中で呟く。そうすると、寂しさが増した。




 その夜。

 咲季(さき)稜秩(いち)と通話をしていた。部屋のベッドに腰掛け、既に三十分ほど会話を続けている。内容は今日の家での出来事が(おも)だったが、次第に明日の話になった。


「いよいよ卒業だな」

「うん」


 相槌を打った時、咲季(さき)の頭にある考えが浮かんだ。すぐに言葉にする。


「ねぇ、いっちー。明日いつもより一時間くらい早く学校に行かない?」

「いいよ。でも急にどうした」

「んー、少しでも長く教室にいたいなーって思って」

「まあ、明日で最後だしな」

「うん」


 頷く咲季(さき)はふと時計を見る。時刻は二十三時を少し過ぎていた。天夏(あまな)たちも誘おうかと考えたが、既に寝ているかもしれない。もう少し早く気付いていればなと、断念した。


「明日早く行くならもう寝ないとな」

「そうだね。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」


 スピーカー越しの優しい声に微笑み、通話を終わらせる。

 携帯電話を枕元に置き、ヘッドボードに置いた時計に手を伸ばした。いつもの起床時間より一時間早くアラームをセットする。目覚ましの準備を済ませたところで部屋の電気を消し、ベッドに横になった。

 朝起きられるかなと、若干心配になりながら目を閉じる。最初は明日のことが頭の中を巡っていたが、徐々に眠気がやってきた。そして、気付かぬうちに眠りについた。





 翌日。

 約束通り、咲季(さき)稜秩(いち)は通常の登校時間より一時間ほど早く学校へ向かった。通学路は、いつもより静かだ。鳥の囀りがよく聞こえる。


「早く登校するのもいいな」

「うん。のんびりしてて好き」


 二人の足取りは、無意識のうちにゆったりとしていた。

 穏やかな空気の中、校舎が見えてきた。もうすぐ校門。すると、前方に見知った三人の姿が見えた。驚きで足が止まる。三人もそうだった。

 咲季(さき)稜秩(いち)は彼女たちに駆け寄る。


天夏(あまな)たちもこの時間に来たんだね!」

「ええ。私は今日で最後の登校だし早く行こうって思って。連朱(めあ)瀬輝(ぜる)とは途中でばったり会ったから一緒に来たの」

「まさか偶然会うとは思ってなくてさ。俺と先輩はこの時間に登校しようって昨日約束してたんだけどな」

「もしかして二人も同じ?」

「そう、同じ」


 思ってもみなかった状況に五人は黙る。

 しかしそれは一瞬で、一斉に笑いが漏れた。


「みんな、考えること一緒だね」

「そうね」


 ひとしきり笑った五人は揃って校門を(くぐ)り、昇降口に歩を進めた。

 靴を履き替え、教室へ向かう。静まり返った廊下には五つの足音が反響していた。リズムも大きさも違う足音が、一つになって耳に入ってくる。

 咲季(さき)は、それが心地よかった。


(ずっと聴いていたいなぁ)


 階段を上りながら聴き入っていると、あっという間に教室に着いた。ドアを開ける。当然のことながら、まだ誰もいない。五人はそれぞれの席に座った。

 途端に音が止む。


「静かね」

「静かだね」


 小さいが、天夏(あまな)咲季(さき)の声は教室の隅まで届くほど明瞭に聞こえた。

 すると、瞳をキラキラとさせる瀬輝(ぜる)が前のめりになった。


「こうも静かだと、学校に忍び込んだ感じがしてちょっと楽しくね?」

「確かに」

「ですよね!」


 一番に連朱(めあ)に肯定され、瀬輝(ぜる)の顔はパッと明るくなった。

 その隣で稜秩(いち)が意地悪げな笑みを浮かべる。


「悪いことするなよ」

「しねぇよ」

「留年しちゃうわね」

「だからしないって……!」


 三人の掛け合いに、咲季(さき)連朱(めあ)は肩を震わせて笑う。それは伝播し、全員から笑い声が上がった。

 ちょっとしたことで笑い合える。これはとても幸せなことではないかと、咲季(さき)は感じた。

 そんな時、廊下から一つの足音が聞こえてきた。徐々に教室に近づいてくる。聞き馴染みのある音。


「……雪村(ゆきむら)先生だ」

「えっ」


 驚きの声とほぼ同時に、教室のドアが開く。音がした方へ一斉に向くと、80サイズ程の箱を抱えた雪村(ゆきむら)の姿があった。


「すげぇ、本当に雪村(ゆきむら)先生だ」

「足音だけで分かるんだね」

「何の話だ……?」


 瀬輝(ぜる)連朱(めあ)の言葉に雪村(ゆきむら)は怪訝そうな顔をする。


咲季(さき)が、近づいてくる足音だけで雪村(ゆきむら)先生って分かったんです」

「へぇ。俺ってそんなに特徴的な歩き方するの?」

「特徴的……っていうのかな。言語化しづらいけど雪村(ゆきむら)先生って分かる足音です」

「何か恥ずかしいな……というか、随分早い登校だな」

「今日で最後なので」

「そうか」


 教室に入ってきた担任と言葉を交わす咲季(さき)は、彼の表情に寂しさが見えた気がした。いつもと変わらない眠そうな目も、元気がないように見える。

 そんな雪村(ゆきむら)が、箱を手にしたまま歩み寄ってきた。


「これ、胸につけるコサージュ。自由に取って付けて」

「はーい」


 咲季(さき)たちは箱からコサージュを取り出し、それぞれ左側の胸元に付けた。赤い花に白いリボンがあしらわれたコサージュが、一気に卒業生らしくさせる。


「な、写真撮ろうぜ!」


 瀬輝(ぜる)の言葉に全員賛成し、教室の後ろ側に集まる。

 左手に携帯電話を構える瀬輝(ぜる)の右隣に咲季(さき)天夏(あまな)が並び、後列には左から稜秩(いち)連朱(めあ)の順番で並んだ。

 準備が出来てシャッターが切られそうになった時、咲季(さき)雪村(ゆきむら)に視線を送った。彼は黒板に「祝卒業」の文字を書いている途中。


「先生、一緒に写真撮りませんか?」

「え?」


 背を向けていた雪村(ゆきむら)が振り返る。驚いている表情がよく見えた。


「いいわね、それ」

「だな。先生!」


 天夏(あまな)瀬輝(ぜる)を始め、全員の視線が雪村(ゆきむら)に集中する。

 彼は少しの照れ笑いを浮かべ、チョークを置いた。指に着いたチョークの粉を払いながら近くに来る。


「先生は真ん中で」

「はい、はい」


 稜秩(いち)に促され、雪村(ゆきむら)は男子二人の間に入る。

 それを確認した瀬輝(ぜる)が携帯電話を構え直した。


「撮るぞー。3、2、1!」


 カウントダウン後、シャッターが切られた。

 撮った写真を確認する。全員笑顔。咲季(さき)たちはピースをしているが、雪村(ゆきむら)だけは直立不動だった。


「先生、やっぱり表情硬いですね」

「仕方ないだろ」


 瀬輝(ぜる)が放った指摘に雪村(ゆきむら)の頬が少し赤くなる。

 二人のやりとりを見ている咲季(さき)は、文化祭の時と変わらないなと思っていた。


「あとでプリントアウトしたの渡しますね」

「ん、楽しみにしてる」


 返事をする雪村(ゆきむら)は黒板の方へ戻っていった。足取りは軽く、嬉しさが滲み出ている。

 その後ろ姿を見つめる咲季(さき)は微笑み、「よかった」と心の中で呟いた。

 それから程なくして、次々とクラスメイトたちが登校してきた。いつもの賑やかさが戻ってくる。


 そして、卒業式が執り行われた。開式から閉式まで、滞りなく進んだ。


 式を終えて教室に戻れば、最後のホームルームが始まる。

 雪村(ゆきむら)が最初に声を掛けたのは、後ろにいる保護者たち。お祝いや感謝の言葉などを述べた。

 そして、彼の視線は卒業生へ。お祝いの言葉から始まり、三年間の思い出を語り始めた。

 授業や文化祭といった学校内での活動。遠足や中止となった修学旅行の代わりに行った水族館と遊園地などの校外活動。話を聴いているだけで、様々なことが思い出される。


 咲季(さき)も「あの時、あんなことがあったなぁ」と思い出に浸っていた。そうしていると、鼻の奥がツンとしてきた。視界が滲む。涙が一つ、目から(こぼ)れた。咄嗟に制服の袖で拭う。

 すると、隣から紺色のハンカチがそっと差し出された。持ち主に視線を向ける。少しだけ前傾姿勢になった稜秩(いち)が、優しく微笑んでいた。


「ありがとう」


 ハンカチを受け取りながら小声で礼を言い、頬を伝った涙を静かに拭く。


(こういう時に泣いたことなんてなかったのになぁ。何でだろう)


 咲季(さき)は初めての経験を不思議に思う。小学生や中学生の時とは違い、みんなと離れ離れになるからだろうか。それとも、高校(ここ)が好きだから離れたくないのだろうか。考えるもの全てが、正解のような気がした。

 涙は、しばらく溢れ続けた。





 ホームルームも終わり、放課後。

 教室にはまだ多数の生徒や保護者が残っている。

 咲季(さき)は、天夏(あまな)の卒業アルバムの余白ページに寄せ書きを書いていた。


天夏(あまな)と同じ高校で過ごせてよかった! これからもいっぱい会おうね! デザイナーになる夢、応援してる!』


 書き終えたメッセージを見て、満足げに頷く。


「出来た! はい」

「ありがとう。私も書けたわよ」

「ありがとう!」


 机の上に置かれた自身のアルバムに目を落とす。右のページの上部に『咲季(さき)と過ごした高校生活もすごく楽しかった! これからもよろしくね。それから、ウエディングドレスはお任せあれ。』と書かれていた。

 天夏(あまな)の方に顔を向ける。彼女と視線が合うと、互いに微笑んだ。


 将来への楽しみが増すのを感じながら、次に寄せ書きを書いてもらいたい人に目線を送る。連朱(めあ)の周りには、数人のクラスメイトが集まっていた。


連朱(めあ)くんは人気だなぁ。また後で書いてもらおう)


 咲季(さき)は辺りを見回す。最初に視界に入ったのは雪村(ゆきむら)だった。先生にも書いてもらいたい。そう思うが彼は今、保護者と話をしている。その中には自分や稜秩(いち)の両親の姿もあった。


(うーん、難しいよねぇ……)

「チビッ子〜、書いて〜」


 鼻声が耳に届いた。声の主である瀬輝(ぜる)を見上げる。笑顔でこちらにアルバムを差し出していた。


「いいよー。あたしのもお願いね」

「おー」


 互いにアルバムを交換し、メッセージを書く。手を動かしながら、こっそり問う。


「……瀬輝(ぜる)くん、泣いてたの?」

「……バレたか。さっきチビッ子が泣いてた時にな」

「えっ、そうなの?」


 咲季(さき)は顔を上げ、瀬輝(ぜる)を見る。充血した目と視線が交わった。


稜秩(いち)がいたから見えてなかったけど、微かに鼻を啜る音が聞こえたから『あー、泣いてるんだなぁ』って思ってたら涙が出てきた」

「もらい泣き?」

「そうだな」

「へぇ」


 まさか自分につられて泣くとは。喜びに心を擽られる咲季(さき)は、つい、彼を凝視してしまう。

 再びペンを走らせた瀬輝(ぜる)の手が止まった。


「……何だよ」

「んー、嬉しいなーって」

「そうかい。ほらよ」

「ありがとう。ちょっと待ってね」

「ん」


 咲季(さき)は急いでメッセージの続きを書く。


瀬輝(ぜる)くんのおかげで素敵な絵も描けたし、楽しいこともあって良い三年間だったよ! ありがとう! これからも仲良くしてね!』


「はい」

「ありがとう」


 瀬輝(ぜる)にアルバムを返し、自分のアルバムを手にする。新しく書かれたメッセージは『今日までありがとう! 進路は違うけど、これからも会おうな!』だった。読んでいるだけで、表情が緩む。


 そして、思い出したように雪村(ゆきむら)に視線を向ける。保護者たちとの会話が終わったところだった。

 咲季(さき)は小走りで彼のもとへ向かう。


「先生! 寄せ書き書いてもらえますか?」

「ん? いいよ」


 咲季(さき)雪村(ゆきむら)にアルバムと油性ペンを渡した。自然と、彼が持つペンの先を目で追う。


『卒業おめでとう。三年間ありがとう。新しい環境でも、その明るい笑顔で乗り越えてください。貰った絵は大切に家に飾っています。』


 咲季(さき)は最後の一文を目にすると、思わず雪村(ゆきむら)を見上げた。眠そうな目と目が合う。だが、すぐ逸らされてしまった。


「はい」

「ありがとうございます!」


 明るい笑顔で受け取ったアルバムを胸に抱え、窓際に移動した。もう一度メッセージに目を通す。文化祭後に渡した絵の所在が添えられていることに、胸が躍った。


(家に飾ってくれているんだ。嬉しいな)


 喜びに浸っていると、いつの間にか雪村(ゆきむら)の周りには人だかりが出来ていることに気付いた。稜秩(いち)天夏(あまな)の姿もある。みんな、彼に寄せ書きのメッセージを書いてもらっているらしい。

 その様子を見ていると、連朱(めあ)が話しかけてきた。


咲季(さき)、寄せ書き書いてもらってもいいかな?」

「もちろん! あたしのもお願いね」

「うん」


 連朱(めあ)の寄せ書きのページは、半分以上埋まっていた。さすがだと圧倒されつつ、右ページの下側に書き足していく。


連朱(めあ)くんとは手紙で会話をしたり一緒にランウェイを歩いたりして、三年間で楽しい思い出が出来たよ。卒業しても会おうね! 仕事頑張ろう!』


 二人はほぼ同時に書き終えた。それぞれのアルバムが持ち主のもとに戻る。

 咲季(さき)連朱(めあ)からのメッセージを読む。


『三年間ありがとう。社会人同士、頑張ろうね。これからもよろしく!』


「……」


「社会人」という文字を目にした時、咲季(さき)は声に出したくなった。


連朱(めあ)くん、頑張ろうね!」

「うん。頑張ろう」


 笑顔で連朱(めあ)と視線を交わす。言葉にすることで、気持ちが引き締まった。稜秩(いち)の夢を実現させたい。その想いは変わらずにある。

 原動力となっている彼に視線を送る。雪村(ゆきむら)のそばで楽しげに笑っていた。咲季(さき)は静かに深呼吸をし、穏やかな表情で稜秩(いち)を見つめた。

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