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もうすぐ卒業式

 授業のため教員の姿が(まば)らな職員室。

 雪村(ゆきむら)は自席でパソコンと向かい合っている。最近は卒業を控えた生徒たちと顔を合わせることも少なくなり、担当する授業がなければ職員室(ここ)にいることが多くなった。

 

 彼の控えめなタイピング音がよく聞こえるほど、室内はしんとしている。

 より集中が出来る環境のおかけで仕事が捗り、想定よりも早く作業が終わった。雪村(ゆきむら)はパソコンから手を離し、伸びをする。


「あ゛っ!」


 右隣から聞こえた、やや大きな声に肩をびくつかせた。

 声の主である先輩を見る。


「どうしました……?」

「仕事の合間に食べようと思って持ってきたチョコが溶けてた……」


 並街(ならまち)は悲しそうな表情で、一口サイズのチョコレートが入っている包み紙を見せてきた。広げられた紙には、原型が少し崩れたチョコレートがくっついている。


「職員室も暖房が点いてて暖かいですからね」


 雪村(ゆきむら)は、いつもの眠そうな目で冷静に言う。

 すると、箱に入っていた半分ほどのチョコレートが手渡された。


「というわけでお裾分け」

「どういうわけですか」

「これだけ溶けちゃったらさっさと食べた方がいいでしょ。一人より二人の方が消費早いし」

「はぁ……」


 気の抜けた相槌を打つ雪村(ゆきむら)は「冷蔵庫に入れたらいいのでは」という思いを胸にしまった。

 とりあえず早めに食べようと一つ手に取り、包みを開ける。先ほど見た状態とほぼ同じ溶け具合。手を汚さないようにチョコレートを歯で咥え、そのまま口の中へ入れる。形は残念だが、味は美味しい。

 ゆっくりと甘さを味わう。


「もうすぐ卒業式だな」

「そうですね」


 不意に掛けられた言葉に反応する雪村(ゆきむら)は、並街(ならまち)を視界に入れる。彼はチョコレートを包み紙から剥がすのに苦戦していた。


「頭では理解していても、全然実感ないですけどね」

「やっぱりそうだよな。俺も去年そうだった」

「当日は号泣してましたよね。声は抑えてましたけど」


 雪村(ゆきむら)の脳内は、昨年の三月一日を思い出していた。出勤した時はそうでもなかったが、卒業式が進むにつれ並街(ならまち)の目には涙が浮かび、最終的には大量に溢れた。

 咽び泣く姿に「卒業式であんなに泣く大人初めて見た」と、若干引いたのも記憶に新しい。


「『泣かないぞ』って思っても止められなかったんだよなぁ。三年間のことが走馬灯のように浮かんできて。入学式の時はあんな感じだったのに今はこんなに成長して、みたいな」

「入学式……」


 ぽつりと呟き、雪村(ゆきむら)は入学式の日に生徒たちと教室で対面した時のことを思い返す。

 この学校で初めて受け持つクラス。これから三年間を共にする面々は慣れない環境にそわそわしつつ、希望に満ちた表情をしていた。輝く表情を目の前に「若いっていいなぁ。俺も頑張ろ」と、静かに気を引き締めた。

 その気持ちは今も変わらずにある。


「そういえば、新入生代表の挨拶は城神(とがみ)くんだったよな」

「そうです。覚えているんですね」

「何かこう、オーラが違うっていうのかな。目立つ存在でかなり印象深かったから」

「それは確かに。在校生はザワザワしてましたね。特に女子生徒が」


 新入生が入場した時もそうだったが、スピーチのために登壇した稜秩(いち)に対して彼女たちからは「身長が高い」や「カッコいい、彼女いるかな」など、好意的な声が飛び交っていた。式中ということもあって控えめな声量でも、それなりに耳に入るほどだった。


「あれはザワつくよ。文化祭でもカッコよかったし」

「ああ、並街(ならまち)先生のピンチヒッターで出たバンドですね」

「その節は大変お世話になりました……」


 並街(ならまち)は苦笑いを浮かべて頭を下げる。店の呼び込みを張り切ったせいで声を枯らしてしまった彼の代わりに稜秩(いち)がボーカルを務めたライブは、大いに盛り上がった。アンコールを含めて五曲を演奏したのは、忘れられない思い出のひとつ。

 そして翌年、並街(ならまち)がボーカルとしてステージに立った。彼のしなやかな声を耳にしながらギターを弾くのが好きな雪村(ゆきむら)は、心を躍らせて演奏をしていた。


(楽しかったな)


 ひっそりと笑い、思い出に浸る。

 しかし、唐突に思い出したものが思考を現在に戻した。


「……あ」

「どうした?」

「手帳、教室に忘れてきたことを思い出して」


 話しながら席を立ち、急ぎ足で職員室から出る。


「……寒っ」


 引き戸を閉めながら、冷気に身震いをした。上着を取りに戻ろうかと思ったが、面倒だからいいかと静かな廊下を進み、階段を上る。今はどのクラスも授業中。教員の声や教科書を読む生徒の声が聞こえてくる。


 それらを耳にしていると、あっという間に目的の階に辿り着いた。三年生の教室が並ぶ廊下はしんと静まり返っている。自身の足音だけが響く中、三組の教室のドアを開けて室内に入る。

 窓の近くに置かれた自分の机の上。先ほど授業終わりに立ち寄った時に忘れた物があった。


 手にした手帳を後ろから開く。A6サイズの裏表紙の裏にあるポケットに、こっそりと入れているものを取り出した。

 昨年の文化祭で、咲季(さき)瀬輝(ぜる)とともに撮った写真だ。それは瀬輝(ぜる)がプリントアウトして渡してきたもの。受け取った後、写真に傷が付かないようにすぐにOPP袋に収め、誰にも見られないように手帳のポケットに忍ばせた。


 普段、雪村(ゆきむら)は写真を持ち歩くことはしない。それほど嬉しかったのだ。

 そして咲季(さき)が描いた絵は自宅の寝室に飾っている。それを毎日見てニヤニヤしているのは、彼だけの秘密。


 小さな笑みを溢しながら写真を元の場所に戻し、手帳を閉じた。

 職員室へ戻ろうと歩き出す。

 しかし、教卓の前で足が止まった。


「……」


 黒板を背にして正面を向き、教室全体を見回す。規則正しく並ぶ席には誰も座っていない。だが、教壇から見ていた生徒たちの姿が視界に広がった。板書した授業内容をノートに書き写したり、問題を解いている真剣な眼差し。行事について和気藹々と話し合いをした笑顔。修学旅行が中止になり、代替案を提示した時の落胆した表情。

 三年間で目にしてきた生徒たちの様子が、次々と現れる。

 同時に、胸に穴が空いたような感覚があった。


「……」


 雪村(ゆきむら)は小さく息を吐き、頭を掻く。


(……こんなに寂しいと思うなんてな)


 柄にもないと小さく笑い、教室を後にする。

 歩きながら何となく窓の外を見やる。ちらちらと、白いものが舞っていた。


「雪か。どうりで寒いわけだ」


 呟き、しばらく見つめた。雪はゆっくりと降っている。普段さほど見向きもしないせいか、とても綺麗に見えた。


「……寒い……!」


 物思いにふける自分と凍てついた空気に寒気(さむけ)がした。歩みを進め、階段へ向かう。

 雪村(ゆきむら)は、一歩一歩踏み締めるようにゆっくりと階段を下りていった。

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