遂に知られてしまう
朝から冷え込みが厳しい日。連朱は暖かい自室で過ごしていた。床に座り、ベッドに凭れ掛かりながら神昌の写真集をじっくりと観賞する。至福のひとときだ。
彼の写真集の発売イベントに参加したのは約一年半前。その際に手渡されたそれは、もう何度も手に取っていた。
神昌は今も舞台を中心に活動をしている。そんな中、つい先日まで放送されていた『となりに愛』という恋愛ドラマに出演していた。主人公が働く会社の社員というかなりの脇役。
たまに画面に映る程度だったが、連朱はそのシーンが映る度に画面を凝視していた。ドラマは録画してDVDにダビングもしている徹底ぶり。家族には「余程ハマったドラマなんだな」と思われている。
それほど惹きつけられる彼の写真集に目線を向けたまま、テーブルの上に置いたカップに手を伸ばす。持ち上げると思いの外軽い。中を確認する。何も入っていなかった。
「おかわりしよ」
写真集をテーブルに置き、カップを持って部屋を出た。無人の室内は、しんと静まり返っている。
十数秒後、ドアをノックする音が響いた。開かれた扉から朱李が顔を出す。
「兄ちゃーん、漫画返しに──あれ、いない」
朱李は無人の部屋をきょろきょろと見回した。当然のことながら、部屋の主の姿はない。
「ま、いっか。返しておけば」
特に気にすることもなく部屋に入り、手に持っていた数冊の漫画を本棚へ戻す。自分の部屋へ戻ろうと踵を返した時、テーブルの上に置かれた写真集が目に入った。思わず手に取る。
「へぇ。兄ちゃん、こういうの持ってんだ。っていうかサイン入ってる……!」
表紙に書かれた直筆サインに驚きつつ、パラパラとページをめくっていく。食べ物を食べているところや、海に入って無邪気に遊んでいるところなど、様々な写真が収められていた。被写体の彼をまじまじと見つめる。見覚えのある顔だった。
その頃、連朱は一階のキッチンにいた。ティーポットに入った温かい烏龍茶を、空になったカップに入れる。白い湯気が立ち上った。
八分目まで注ぎ、重くなったカップを手に取ってキッチンを後にする。ゆっくりと階段を上って二階に着くと、自分の部屋のドアが開いていることに気付いた。
(あれ? ちゃんと閉まってなかったのかな)
疑問に思いながら自室に近づく。弟の後ろ姿が見えた。部屋に入り、テーブルにカップを置く。
「人の部屋で何してんの?」
「え、漫画を返しに来ただ──」
「あ゛っ!」
振り返った彼の手元を見た瞬間、連朱は目を見開いた。勢いよく写真集を取り上げる。真っ赤になった顔でそれを抱き抱え、弟に背を向けた。
心臓が早鐘を打ち、拍動が全身に渡る。
(み、見られちゃった……!)
何を言われるだろう。気が気ではない。写真集を持つ手に力が入ってしまう。
「……勝手に見ちゃってごめんね」
朱李の申し訳なさそうな声が耳に届いた。
弟の姿を目の端に入れる。何か言葉にしようとするが、思うように声にならない。
「……」
「その人って、確か『となりに愛』に出てた人だよね?」
問いかけに微かに頷く。同時に、目立ったセリフがない役だったのに顔を覚えているのかと驚いた。
「兄ちゃん好きなの?」
「……まぁ……」
「あー、そういうことか! 兄ちゃんが恋愛ドラマ観るの珍しいなって思ってたんだよー」
納得した表情を見せる朱李は、ボフッとベッドの上に腰掛けた。
「ね、いつからその人の──」
「神昌さん」
「へ?」
聞き返すと、連朱がゆっくりと振り返った。頬は微かに赤い。
「名前。神昌悠陽さん」
「……」
突然出てきた名前に朱李の顔は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑みに変わった。
「いつから神昌さんのこと好きになったの?」
興味深そうに訊く弟の瞳はキラキラとしていた。
連朱は静かに隣に座る。
「高二の春。稜秩と瀬輝と一緒に舞台観に行った時に」
「結構前から!? 全然気付かなかった!」
「そりゃあ、隠してたから……」
「じゃあその写真集は!? サイン入りだよね!?」
朱李の指が写真集を指す。連朱は抱き抱えていたそれを体から離す。
「写真集の発売イベントに瀬輝と行って、その時に」
「行動力すご」
「そうかな……?」
「すごいって! その感じなら、他にも舞台観に行ってるんでしょ?」
「うん……」
ここまで熱心に聴いてくれるとは想像もしていなかった。連朱は胸を撫で下ろし、ぽつりぽつり話し始める。次第に熱弁へと変わっていったが、朱李は楽しそうに耳を傾けてくれた。
「じゃあこの前のがドラマデビューだったんだ」
「そう」
饒舌になっていた連朱は話の余韻に浸る。しかし、すぐに我に返った。
「このこと、父さんとか母さんとか、他の人には絶対言うなよ……!」
「何で?」
「……恥ずかしいから」
「何も恥ずかしくないよ」
「いいから」
弟にも話したとはいえ、誰かに知られるのはやはり抵抗がある。
朱李はそういうものかと受け流し、「分かった」と頷いた。
「ちなみに、瀬輝さんと俺以外でこのことを知ってる人は?」
「今のところ稜秩だけ」
「そっか」
相槌を打った弟の横顔には笑みが浮かんでいた。
「嬉しいなぁ」
「何が?」
「兄ちゃんに、こんなにも好きな人がいるんだって知れて」
「えっ、あぁ……」
連朱は視線を彷徨わせた。朱李が発した言葉に胸がそわそわする。事実ではあるが、身内から言われると恥ずかしさもあった。
「今日、兄ちゃんの部屋で寝るー」
「何で!?」
驚きのあまりベッドから立ち上がる。
見上げてくる顔は曇りなく笑っていた。
「神昌さんの話、もっと聴きたいから」
「え……!? あ、う、うん……」
思ってもみない理由に取り乱してしまう。それを気にする素振りを見せない朱李が腰を上げた。
「じゃ、俺これからちすずと初詣に行く約束してるからまた後でねー」
「う、うん」
手をひらひらと振って部屋を出て行く弟の背を見送る。ずっと開いていたドアがパタンと閉まると、室内は静けさに包まれた。
連朱はベッドに座り、仰向けに横たえる。
「……神昌さんの話、いっぱいしちゃった……」
呟いた声が耳に入る。口元が緩んだ。
ずっと手に持っていた神昌の写真集を、天井に向かって掲げる。色気のある瞳をこちらに向ける彼と視線を合わせた。
見つめ合ったまま、夜は何を話そうかとあれこれ考えを巡らせる。とても胸が躍る時間だった。