小さいおじさんが運んできた幸運
週末。
出掛ける準備をしていた志保は驚愕した。リビングにあるダイニングテーブルの上に、赤いセーターを着た小さいおじさんが座っていたから。
彼は胡座をかき、黒色の毛糸を使ってマフラーを編んでいる。
その近くでは中学生の妹がテレビを観ながら遅めの朝食を食べてるが、小さな存在には気付いていない。
志保は見間違いかと思い、掛けていたメガネを上にずらして目を擦り、メガネを掛け直した。しかし、おじさんはいる。
(え? もしかしてこれって見えないものが見えている感じ……? 私霊感なんてないのに見えちゃってる? 見えちゃってる子ちゃん?)
声には出さず、一人心の中で喋る。そうしていると、おじさんの様子に既視感を覚えた。
さほど時間もかからず、大好きな芸人の顔が浮かんだ。
(律弥さんがラジオで話してたおじさんだ!)
瞬間、話の内容が思い出される。彼がテレビ番組の収録終わりに楽屋に戻ったら、赤いセーターを着たおじさんが黒い毛糸でマフラーを編んでいた、というもの。完全に一致している。
(同じおじさん、だよね……?)
「お姉ちゃん、そろそろバスの時間じゃない?」
「えっ?」
空になった食器を片付ける妹の声に反応し、時計を見る。九時半を回っていた。
「あ、うん! 行ってくる!」
「行ってらっしゃーい」
バッグを持ち、急いで家を出る。
近くにあるバス停まで小走りで向かった。幸い、バスが来るまで少し余裕がある。
息を整え、青い空を仰ぐ。そうしていると、徐々に嬉しさがやってきた。
(律弥さんと同じおじさんを見たなんて最高じゃん。特に怖い感じもなかったし。いい日だなぁ)
人目を憚らず、志保はニヤニヤする。そして、このことを話したい人──咲季の顔が浮かんだ。彼女とはこれから会う予定なので、どこかのタイミングで話題に出そうと考える。
その視界の端に、交差点で信号待ちをしているバスが見えた。
目の前にやってきたバスに乗車し、目的地へ向かう。
しばらくバスに揺られて到着したのは、大型のショッピングモール。
同じバス停で降りた人たちとともに店内に入ると、出入り口近くのベンチに腰掛けている咲季の姿が見えた。小走りで近づく。
「すみません、お待たせしました!」
「大丈夫だよ。集合時間までまだまだだし」
咲季は穏やかに笑い、立ち上がる。
「じゃあ行こっか」
「はい」
歩き出した二人は上りのエスカレーターに乗り、二階へ向かった。雑貨店やCDショップなどが並ぶ通路を通り、目当ての場所へ足を運ぶ。
そこでは、育成ゲーム『ぼくたちの村』のポップアップショップが開かれていた。ゲームのプレイヤーである二人は、目を輝かせる。
「ラッキーだー。可愛い〜」
咲季は、店頭に設けられた棚に並ぶ黒うさぎ──ラッキーのぬいぐるみを手に取る。
志保も同様に、自分が好きなミミルというリスのぬいぐるみを手にした。赤いスカーフを首に巻いた彼女のつぶらな瞳にキュンとしてしまう。
だが、今日は他に買う予定のものがあるため、彼女を元の場所に戻す。隣のコーナーには、食器類が並んでいた。
「お皿とかもあるんですね」
「あ、本当だ! 何か買おうかなー」
咲季は、棚に置かれたコップや皿を手にする。
そんな彼女に志保は控えめな視線を送った。何度見ても可愛いと感じる横顔は、楽しそうにしている。それを見ているだけで心が弾んだ。
店内をゆっくり見て回った二人はそれぞれ商品を購入し、店を後にした。近くにある広場のベンチに腰掛ける。早速、ブラインド商品を開封することにした。一人二つずつ買ったそれには誰が入っているのか、ドキドキする。
「ラッキーとミミルが出てくるといいですね」
「うん」
志保は箱の中に入っていた銀色の袋から、ラバーキーホルダーを取り出す。白ネコが顔を見せた。
「あ、ナッツだ」
「あたしはソラが出てきたよ」
互いに目当てのキーホルダーではなかったが、二人とも落胆する様子はない。むしろ楽しんでいた。
そして、もう一箱開けていく。
「……あ」
小さな声が重なった。志保と咲季は同時に笑って顔を見合わせる。
「ラッキーですよ!」
「ミミルだよ!」
キーホルダーを見せながら同時に発した言葉に、二人は一瞬驚いた。しかし、すぐに笑顔になる。
「えっ、すごいね! こんな偶然あるんだ!」
「びっくりですよね! これはこれで嬉しいです!」
興奮気味に話しながらキーホルダーを交換する。
志保は、咲季が引き当てたミミルをまじまじと見つめた。嬉しさでニヤけてしまう。
そんな中、彼女のトレードマークである赤いスカーフに目が留まった。不意に、今朝見たおじさんの姿が浮かんだ。
(……今、話してみようか)
いきなりではあるが、話を振ろうとする。しかし、何の脈絡もない上に、変に思われるかもしれないという気持ちがほんの少しあった。
(話して引かれないかな……でも、律弥さんは『家族と相方は信じてくれた』ってラジオで言ってたし……)
志保は、一か八かで話してみることにした。静かに深呼吸をする。
「……咲季さん」
「ん?」
「その……小さいおじさんの存在って信じますか……?」
視線を彷徨わせながら咲季に問う。すると、彼女は明るい笑みを見せて頷いた。
「うん! 見たことないけど信じてるよ」
唐突な話を当然のように受け入れてもらえ、志保は全身の力が抜けるほど安心した。
「小さいおじさんなら、お父さんが見たって言ってたし」
「それなんです!」
「え?」
「その、律弥さんが見たっていうおじさんと同じ人を、私も今朝見たんです!」
「えっ、セーターを着てマフラーを編んでいるおじさん?」
大きく見開かれた瞳を見つめながら、志保は何度も頷いた。
「リビングのテーブルの上にいたんです。でも私以外の家族には見えていなくて」
「志保ちゃんのところにも来たんだね。色々な場所に行ってるのかな」
想像している様子の咲季は、どこか楽しそうだった。
「その話、お父さんが聞いたらきっと喜ぶだろうなぁ」
「そうなんですか?」
「お父さんの周りで同じおじさんを見た人っていないから」
その一言に、志保は心を躍らせる。
「……律弥さんにお話し、してみたいかも」
呟きながら、ふと周囲に目を向ける。
少し離れたところにいる人と目が合った。瞬間、心臓が飛び跳ねる。
「うぇあ!?」
自分でも驚くくらい変な声を発してしまった。おかげで隣の咲季が不思議そうな顔をしている。
「どうしたの?」
「えっ……! あの、律弥……さん……」
志保は震える手で前方にいる彼を指差す。
咲季と視線を合わせた律弥が遠慮がちに手を振り、歩み寄ってきた。
「お父さん仕事終わったの?」
「うん。予定よりちょっと早めにね」
「いるなら声かけてくれてよかったのに」
「いやー、二人の邪魔しちゃ悪いかなと思って……」
律弥は苦笑いを浮かべて頭を掻く。そんな仕草を見せる彼から、志保は目が離せなかった。
(待って待って待って! この距離の律弥さんには慣れてない! 心臓止まる! というか何でここにいるんだろう!? お買い物かな!?)
一人で騒いでいると、再び律弥と目が合った。
「ひぎっ……!」
ほとんど声にならない声が勝手に出てしまった。恥ずかしさと緊張で顔が真っ赤になる。
「えっと、七蔵志保ちゃん、だよね?」
「そうですっ!」
志保は反射的に立ち上がった。全身に力が入る。
「わ、私! 小学生の時から律弥さんのことが好きでして、劇場に漫才を観に行ったり、律弥さんが出ているテレビやラジオはちゃんとチェックしています! グッズも買って部屋に飾ってます! それからそれから──」
「ま、まずは落ち着いて……!」
律弥に宥められ、志保はハッとする。小さく「すみません……」と漏らし、静かに座り直した。
(今の絶対引かれた……恥ずかしい……)
顔から火が出てしまいそうなくらい熱さを感じる。両手で頬に触れると実際に熱かった。
すると、咲季が思いついたような顔をする。
「志保ちゃん、さっきの話をお父さんにしてみなよ」
「えっ!?」
「ん? 何の話?」
「えぇっと……」
興味深そうにこちらを見つめる瞳にどぎまぎしつつ、志保はゆっくりと口を開く。
「あの……律弥さんが見たっていう小さなおじさんを、私も見たんです」
話しながら、ちらちらと律弥に視線を送る。すると、彼はその場にしゃがんだ。
「その話、詳しく聴かせてくれないかな」
先ほどより距離が近くなった瞳は、子供のようにキラキラと輝いている。そして、メガネ越しの上目遣いは志保の心を激しく射抜いた。
広場からカフェへと場所を移した三人は、隅の席に座っていた。そこへ、二つのパフェが運ばれてくる。
志保は目の前に置かれたチョコバナナパフェに視線を注ぐ。
(律弥さんとお話ししてパフェまでご馳走になっちゃって……しかも上目遣いまで……! 私、今日一日で一生分の運を使っている気がする)
「さ、遠慮しないで食べて!」
「はい……! いただきます」
正面に座る律弥に促され、志保はスプーンを手にしてパフェを一口食べた。ちらりと、彼の隣に座る咲季に視線を向ける。にっこりと笑った彼女が、自分に続いてフルーツパフェを口にした。
「いやー嬉しいなぁ。俺と同じ小さいおじさんを見た子がいるなんて」
律弥は満面の笑みを浮かべている。
注文したパフェが到着する前に、小さいおじさんの話題に触れた。ことの一部始終を話していると、彼は前のめりで聴いてくれた。真剣に、且つ楽しそうに耳を傾けてくれる姿は、嬉しくもあり少し恥ずかしさもあった。
(律弥さんの笑顔をこんなに間近で見られるなんて幸せだ)
「そういえば、小さいおじさんを目撃したら幸運が訪れるっていう噂もあるみたいだよ」
「幸運……」
呟くと、志保は手を止めた。
「……こうして、律弥さんとお会いしてお話しが出来ていることが、幸運です」
控えめに律弥に視線を送る。
彼は、穏やかな笑顔を見せていた。
「ありがとう」
その瞬間、志保の心臓が暴れ出した。
(カッコいいんだけどぉー!)
心の中で目一杯叫ぶ。まともに正面に目を向けられない。ひと呼吸置いてパフェを口に運ぶ。一つ一つ味わうように、ゆっくりと体の中に入れていく。
そうしている様子を、咲季と律弥が似た微笑みを浮かべて見ていた。
だが、隣の空席であるテーブルの上に、あの小さいおじさんがいることには誰も気付かない。おじさんはマフラーを編む手を止め、三人を一瞥した。無関心そうな表情から一転、優しく笑う。
そして立ち上がり、静かにその場を後にした。