高校生活最後の文化祭②
体育館から一番近い教室の一角では、ファッションショーに出る男子生徒たちが準備をしていた。
連朱も衣装を身に纏い、解れなどがないかチェックをする。そうしている彼の顔色は優れない。
「先輩、大丈夫ですか?」
一緒に衣装のチェックをしていた瀬輝が心配そうに訊ねる。連朱は力なく笑った。
「大丈夫、ではないかも……緊張で吐き気が……」
「ランウェイで吐くなよ」
「吐かないよ……!」
稜秩の言葉に即座に否定するが、本当にそうなってしまいそうな不安はある。それを紛らわすため、静かにストレッチを始めた。両肩を耳に近づけるように持ち上げ、そのまま数秒キープする。そして、息を吐きながら肩の力を一気に抜いた。
「いきなりどうした」
「緊張を解すためにストレッチしてるだけ」
連朱は答えながら、この方法を教えてくれた神昌とのやりとりを思い出す。
二人でドライブをした時、緊張を解す方法は何かあるかと訊ねた。神昌は深呼吸をしたりストレッチをしたりするといいと教えてくれた。また、口角を上げるだけでも違うと彼は言っていたが、連朱にはあまり効果は得られなかった。
でも、今は少し和らいだ気がする。自分にはこれが合っているのかもしれないと、しばらくストレッチを続けた。
その隣の教室では、同じくファッションショーのモデルを務める女子生徒たちがヘアメイクを施していた。
テーブルの上に置いた折りたたみ式の鏡と向かい合っている咲季もその一人。鏡の周りにはファンデーションやチークなど、メイク道具がいくつもある。
咲季は、ぎこちない手つきでマスカラを睫毛に塗っていた。
「……天夏、こんな感じでいいかな?」
近くで待機していた天夏に振り返って声をかける。彼女と目を合わせると、その表情はパッと明るくなった。
「うん、ばっちり!」
満足そうに頷く天夏は、チークを手にした。ブラシにパウダーを少量つけ、咲季の頬をピンク色に染める。仕上げに、色付きリップを唇に塗っていく。
「出来た!」
天夏の弾んだ声を聞いた咲季は、また鏡と向き合う。いつもとは違う自分がそこにいた。
「……化粧ってちゃんとしたことないから不思議な感じ」
「見慣れないとそうよね。でも、さらに可愛くなってるわ」
「ありがとう」
鏡越しに言われた言葉は、心をくすぐる。それを紛らわすように、メイク道具と一緒に置いていた白色のベレー帽を被った。
椅子から立ち上がり、姿見で改めて自分を映す。チェック柄を中心とした洋服に、デニム生地のスニーカーとそこから少しだけ顔を見せるワインレッドの靴下。それら一つ一つが上手く調和し、『秋』を感じさせる。
鏡に映る衣装を眺めていると、唐突に稜秩の顔が浮かんだ。
「……いっちー、何て言うかな」
咲季は思ったことを口にした。その声が耳に届くと、心が浮き立つ。
すると、その後ろから両肩に手が添えられた。
「もちろん〝可愛い〟でしょ! まあ、私たちがいるところでは言わないかもしれないけどね」
「だといいなぁ」
表情を緩ませ、胸に期待を抱く。
その時、教室のドアが開いた。
「ファッションショーに参加する人は体育館の舞台袖に集合してくださーい!」
実行委員の女子生徒の声を聞き、咲季も教室を出ようと歩き出した。しかし、立ち止まる。
「天夏」
「ん?」
振り返って名前を呼ぶと、きょとんとした顔と目が合った。彼女に満面の笑みを見せる。
「ありがとうね!」
声を弾ませて伝えた言葉はちゃんと届いたようで、明るい笑顔が返ってきた。
「どういたしまして!」
凛とした声を受けた咲季は足取り軽く教室を出る。
体育館に向かおうとした時、前方に金色の髪を揺らしながら歩いている姿が見えた。
「連朱くん!」
呼び止めると、彼が振り向いた。
「あ、待ってた方がよかった?」
「ううん、今教室出たところだから大丈夫」
咲季は連朱に追いつき、一緒に歩き出す。そうしながら、普段見慣れないヘアスタイルに目がいく。
連朱は左サイドの髪を耳に掛け、それを複数のヘアピンで留めていた。
「その髪型いいね!」
「うん。これ、瀬輝がやってくれたんだ。『よりカッコよくなります!』って」
「確かに瀬輝くんらしいやり方だ」
「咲季はメイクしてるんだね」
「そうなの。ちゃんとメイクしたことないから、ほとんど天夏がやってくれたんだんだけどね」
「すごく似合ってるよ、そのメイク」
「ありがとう!」
メイクを褒められた咲季は喜びを表情に表す。そして「いっちーもそう言ってくれるといいな」と思いながら、体育館のステージの舞台袖へと向かった。
ファッションショー開始のアナウンスが流れると同時に、軽快な音楽が流れ出した。
一年生のペアから順に舞台へ向かっていく。
上手の舞台袖で待機する咲季は、コーディネートやデザインの紹介アナウンスと共に聞こえてくる音楽に合わせて、小さく体を揺らす。
何気なく隣に視線を向けると、連朱がゆっくりと深呼吸を繰り返していた。
呟くように声をかける。
「緊張するね」
「うん……でも、ここまで来たら楽しまないと、だね」
「そうだね、楽しもう!」
咲季は明るく笑い、その時を待つ。
それはあっという間に感じた。前の組がランウェイから下手の舞台袖へ向かい始めるのを見て、二人は同時に歩き出す。
スポットライトに照らされると、歓声がより大きくなった。
(連朱くんの効果だろうなぁ。すごい)
咲季は彼の人気ぶりを改めて感じた。
それは、客席で見ている天夏たちも同じだった。
「連朱って本当に人気よね」
「……」
誰も反応しないことを不思議に思い、天夏は隣を見る。稜秩は微動だにせずランウェイの方を見ていた。彼の表情は真剣。
その隣にいる瀬輝は、ランウェイを歩く二人を携帯電話のカメラに収めている。
ファッションショーに夢中になっている姿を目にした天夏は微笑み、またランウェイに顔を向ける。みんなで協力し合って作り上げた衣装を纏った二人は、輝いて見えた。
「あのスカート可愛いよね!」
「めっちゃいいよね! ああいうの好きだわー!」
「湊琉くんがキラキラしてて直視できないんだけど!」
「カッコ良すぎるだろ、あれ」
「俺もあんな風に着こなしてぇわ」
そんな声が周りから聞こえてくる。天夏は、一人一人に向かって「そうでしょ!」と言いたいくらい嬉しかった。心の底から湧き上がってくる気持ちのままに笑い、二人の背中を見送った。
舞台から捌けた咲季と連朱は、裏の出入り口から外へ出た。
「あっという間だったね」
「うん……」
力なく返事をした連朱が、その場にしゃがみ込む。咲季は慌てた。
「連朱くん、大丈夫……!?」
「大丈夫、大丈夫。ただ、急に力が抜けて……」
弱々しくではあるが、笑っている表情にほっとする。
しばらくはこのままでいた方がいいだろうと、咲季も隣にしゃがんだ。
(何かふわふわして、不思議な感覚だなぁ)
体育館から漏れている音楽をぼんやりと聞きながら、ファッションショーの余韻に浸る。何となく見上げた青空には、小さな雲がいくつか浮いていた。
目立った混乱もなく、文化祭は無事に終了した。生徒たちは教室の飾りや小道具などを片付けている。
そんな彼らの様子を見ながら、咲季は廊下を歩いていた。不意に、窓ガラスに映った自身の姿が視界に入る。見慣れた制服に、メイクを落とした顔。いつもの自分がそこにいた。
それがより、ファッションショーが夢のような時間だったと思わせてくれる。
眩しいスポットライトに照らされた衣装を、周りの人は楽しそうに観ていた。歓声に混ざって「可愛い」や「いいな」といった声もあった。聞こえる度に「そうだよね! これ、天夏がデザインしてみんなで作った服なんだよ!」と声にしたいくらい何度も思っていた。
服のデザインを手がけた彼女は、嬉しそうな顔をしてこちらを見ていた。今日のことが、天夏の夢の力に少しでもなれたらいいなと想う。
(そうだ、いっちーにまだちゃんと感想聞いてないから、帰りに聞こう)
「チビッ子、窓の外に何かあるのか?」
かけられた言葉にハッとする。進行方向へ顔を向けると、瀬輝と目が合った。
「ううん、ちょっとぼーっとしてただけ」
「突っ立ってると誰かの邪魔になるぞ」
「それはそうだね。気をつけなきゃ」
「で、どっか行く途中だったのか?」
「うん。展示してた絵を取りに行くところ」
「あー、絵か」
その時、咲季は閃いた。
「瀬輝くんも一緒に来て」
「え? 何で?」
「取りに行った絵を雪村先生に渡しに行くから」
「え、それと俺が一緒に行く意味って?」
「いいから、いいから」
半ば強引に瀬輝を連れ出し、絵を飾っているコモンスペースへ向かう。
そこでは、同じように作品を取りに来ている生徒たちが何人かいた。咲季も自分の絵を壁から取り外す。
「雪村先生って教室に戻ってるかな」
「どうだろ……さっき一緒にゴミ捨てに行って戻る途中で別れたから」
「じゃあ一応教室に行こうか」
咲季は絵を手に持ち、歩き出そうとする。その時、近くの階段を上ってくる雪村の姿が見えた。
「お、丁度いいじゃん」
「何がだ?」
階段を上りきった雪村は不思議そうな顔をしてこちらへ歩み寄って来た。
咲季はそんな彼へ、絵を差し出す。
「先生、これどうぞ」
大きく開いた目が、絵と咲季の顔を交互に見る。
「俺に……?」
「はい。描いてる時から『文化祭が終わったら先生に渡す』って決めていたので」
咲季は微笑んで雪村を見つめる。すると彼は、照れくさそうにしながら絵を受け取ってくれた。
「ありがとう。大切にするよ」
照れの中に誠実さがしっかりとある声は、咲季の全身に響いた。嬉しさがじんわりと広がっていく。
「じゃあ、記念に写真撮ろうぜ!」
瀬輝が自身の携帯電話を見せてニッと笑う。
咲季はそれに頷いた。
「それなら、瀬輝くんも一緒に撮ろう!」
「え、俺も!?」
「そうだよ! ね、先生!」
「まあ、お好きなように」
「マジか。じゃあ自撮りスタイルでいきまーす」
三人はコモンスペースの壁に背を向けて横に並ぶ。
瀬輝は、携帯電話のカメラ機能を起動させた。絵を見せる雪村を真ん中にし、インカメラのレンズを自分たちに向ける。
「こんな感じかな。撮りまーす! 3、2、1!」
カウントダウンの後にシャッター音が鳴った。撮った写真を確認する。雪村は若干ぎこちない笑みだが、咲季と瀬輝は弾ける笑顔をしていた。
「先生ー、表情硬くないですか?」
「こういうのはあまり慣れてないんだよ。ほら、教室に戻るぞ」
「はーい」
二人は同時に返事をし、教室へと向かう。
その後ろをついていく雪村は、咲季の後ろ姿を見つめる。たくさんお世話になっているから何かしたい。そう言った彼女の言葉が脳裏によぎった。気持ちだけでも嬉しいのに、こうして形にしてもらえると倍の喜びになる。
二人の後を歩くその表情は、とても穏やかだった。
日が傾き、辺りが薄暗くなってきた放課後。咲季は、歩き慣れた道を稜秩と歩いていた。
「咲季も部活引退だな」
「うん。何かちょっと寂しい」
「それはあるな」
ひと足先に部活動を引退している稜秩もやはり同じなのだと、咲季は納得した。
(引退した後、どことなく寂しそうだったもんなぁ)
「けど、それを忘れるくらい咲季は就活、俺は専門学校の入試で忙しくなるだろうけどな」
「あ、そうだよね。頑張らなきゃ」
稜秩の夢の力になりたいという想いは、変わらずずっと心にある。それが咲季の気持ちを奮い立たせ、再び気を引き締めさせてくれた。
すると突然、稜秩が足を止めた。何かあったのだろうかと、咲季は後ろを振り返る。真剣な表情と目が合った。
「ファッションショー、良かった」
「えっ?」
「ランウェイを歩いてる咲季から目が離せなくてさ。すごく、可愛かった」
静かだが力強い声を発したその頬は、微かに赤く染まっている。真っ直ぐな瞳に見つめられ、咲季は体に熱が帯びていくのを感じていた。
「え、あっ、ありがとう……!」
唐突な言葉に戸惑う中、お礼を言うのが精一杯だった。咲季は、熱くなった頬を両手で挟む。
(いっちーにそう言ってもらえて嬉しいけど、いきなりはびっくりするよ……!)
「本当はファッションショーが終わった直後に言いたかったけど、周りの目もあったから言いづらくてさ……」
首に手を当て、視線を彷徨わせる稜秩の言葉は、天夏が言ったことを思い出させた。
『私たちがいるところでは言わないかもしれない』
その通りだと、咲季は微笑む。
「……何で笑うんだよ」
「いっちーらしいなぁって思って」
「……」
何も言わず頬を掻く稜秩の姿は愛おしく、抱きしめたいと強く思う。しかし、屋外で人の目があるため、遠慮される可能性が高い。それを分かっている咲季は稜秩のもとへ行き、その左手をそっと握った。
「帰ろ」
「……そうだな」
互いに微笑み、手を握り合う。そして、それぞれの体温を感じながら二人はまた歩き出した。