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いつもとちょっとだけ違う

 自分の部屋で浴衣に着替えた稜秩(いち)は、居間に置いてある姿見で乱れたところがないかを確認する。紺色の浴衣はピンと張っていて、乱れはない。


稜秩(いち)、様になっとるのう」

「だろ?」


 感心する八保喜(やほき)に自信満々の表情を見せる。


「にしても稜秩(いち)、身長伸びたか? 前より高く感じるんじゃが」

「え? いや、198cmのままだけど」

「……」


 二人は無言のまま見つめ合う。


「……もしかして、わしの身長が縮んだ……?」

「そうかもしれないな」

「嘘じゃろ……!? まだ三十代なのに……!」


 八保喜(やほき)は頭を抱えてショックを露わにする。

 そんな彼を目の前に、稜秩(いち)はどう反応するべきか迷った。視線を彷徨わせて言葉を探す。


「身長って成人後も伸びることがあるらしいから、あんまり悲観しなくていいと思うぞ」

「そうだといいのじゃが……」

「きっと大丈夫だ」


 何度か小さく頷き、励ましの言葉をかける。それが精一杯だった。

 そんな折。


「いっちー、見て見て!」


 別の部屋で浴衣に着替えていた咲季(さき)の弾んだ声が居間に響いた。声の主を視界に入れる。途端、稜秩(いち)の目は大きく開かれた。

 白地に青色や紺色のコスモスが散りばめられた浴衣を身につけた彼女は、いつもより輝いて見える。


「お母さんと珠紀(たまき)さんが髪を編み込んでくれたの!」


 嬉しそうに話す咲季(さき)が近くに寄ってきて、髪を見せてきた。両サイドに編み込まれた髪は左右対称で、カチューシャのようになっている。後ろで纏められた髪の左側の襟足辺りには、ピンク色のコスモスの大きなヘアーアクセサリーが飾られている。

 初めて見る髪型は稜秩(いち)の胸を高鳴らせた。何かを言ってほしそうな彼女と向かい合う。


「可愛いし、似合ってる」

「ありがとう! いっちーもカッコいいよ!」

「お、おう。ありがとう」


 飛び切り明るい笑顔で発せられた言葉が稜秩(いち)の心を満たした。思わず笑みが溢れる。八保喜(やほき)にも褒められ、上機嫌になっている咲季(さき)を微笑ましく見つめる。


 すると、咲季(さき)の浴衣の着付けや髪のアレンジを施した珠紀(たまき)歩乃(あゆの)も居間に入ってきた。


「あら、稜秩(いち)くんのも素敵な浴衣ね。カッコいいじゃない」

「ありがとうございます」


 歩乃(あゆの)に声をかけられ、稜秩(いち)は身を引き締める。幼い頃から自分を知っているとはいえ、咲季(さき)の家族にもこういう時はカッコよく見せたいのだ。


「じゃあそろそろ行くね」

「楽しんでらっしゃい」

「スイカを用意しておくから、帰ってきたら食べましょう」

「うん!」


 二人が祭りに行っている間に、両家の面々はこの家に集まることになっている。そして祭りから帰ってくる頃には夕食の時間が始まっているはずだ。

 学生は学生で、大人は大人で祭りの日を楽しむらしい。


「いってきます」

「いってらっしゃい」


 二人の母と八保喜(やほき)に見送られながら、稜秩(いち)咲季(さき)は家を出た。


 稜秩(いち)は隣を歩く咲季(さき)に視線を向ける。浴衣姿は毎年見ているが、今年はいつもより大人っぽく感じた。髪型の影響もあるのかと考えてしまう。

 じっと見ていると、咲季(さき)と視線がぶつかった。ニコッと笑う表情は、普段と変わらない。


「今日は晴れてよかったね!」

「そうだな。途中で雨が降る心配もないしな」

「うん!」


 二人は上を向く。日が傾き始めた空は、雲一つない快晴だった。絶好の祭り日和だ。


 その後も他愛のない話をしながら、二人は祭り会場である広い公園へ足を運んだ。舗装された道に沿って、金魚掬いやたこ焼きなどの様々な屋台が並んでいる。


咲季(さき)はチョコバナナ食べたいんだっけ?」

「うん!」


 目当ての屋台を探しながら歩く。思いの外、すぐに見つかった。

 稜秩(いち)は少し離れた場所で咲季(さき)の様子を見つめる。その中で、屋台のおじさんと言葉を交わしたり、お金を払ったりする一つ一つの動作から、どこかお淑やかさを感じた。


咲季(さき)だって、いつまでも〝女の子〟ってわけじゃないもんな……)


 そう意識すると何故か緊張がやってきた。それを追い出すように、賑わう周囲を見回す。すると、二つ隣にある屋台が目に入った。輪投げの屋台だ。

 稜秩(いち)の足は、自然とそこへ向かう。


「いらっしゃい」


 五十代くらいの店主に声をかけられ、稜秩(いち)は会釈する。台の上には、駄菓子やおもちゃなど小物が置かれていた。景品を一つ一つ見ていると、見知ったキャラクターのマスコットが目に入った。

 それは、咲季(さき)が最近ハマっている『ぼくたちの村』という育成ゲームに登場する黒うさぎだ。


「いっちー輪投げやるの?」


 チョコバナナを手にした咲季(さき)が隣に並んで、景品を覗き込むように見る。その瞳が、黒うさぎを発見した。


「あ、ラッキーだ!」

「そう。それを獲ろうと思ってさ」


 稜秩(いち)はお金を払い、店主から輪投げの輪を三本もらった。早速輪を投げる準備をし、マスコットに狙いを定める。

 一本目の輪は景品を飛び越え、二本目は景品を掠めていった。


「惜しかったね」

「次で獲る」


 意気込みを言葉にも込め、最後の輪に全神経を集中させる。

 タイミングを見計らって投げると、弧を描いた輪は景品をしっかりと捕らえた。

 同時に隣から拍手が聞こえる。


「いっちーすごい!」

「ありがとう」


 稜秩(いち)は喜びを表情に浮かべながら店主から景品を受け取り、それを咲季(さき)に差し出す。


「ん」

「え? くれるの?」

「そのために獲ったんだ」

「ありがとう!」


 咲季(さき)の満面の笑みは、稜秩(いち)の胸を温かくさせた。


「これ、部屋に飾るね!」

「ああ」


 持っていた巾着の中にマスコットをそっとしまう様子を見ている稜秩(いち)は、終始微笑んでいた。そして、咲季(さき)の手を引いて幸せを噛み締めるように歩き出す。


 何軒か屋台を回って食べ物などを買った二人は、それらを持ってベンチに座った。横に並んで各々好きなものに手を伸ばす。

 稜秩(いち)は焼きそばが入ったケースを膝の上に置き、何気なく咲季(さき)を見た。チョコバナナを美味しそうに食べている姿が目に映る。その口元に、チョコレートが付いていることにも気付いた。


「チョコ付いてるぞ」


 稜秩(いち)はそれを優しく親指で拭う。


「ありがとう」

「……」


 口元が綺麗になった彼女は、少し恥ずかしげに笑った。その表情が稜秩(いち)を無意識に動かす。吸い寄せられるように咲季(さき)の顔に自身の顔をゆっくりと近づけた。

 しかし理性が働き、動きを止める。


(……こんな人混みの中で何しようとしてんだ……)


 稜秩(いち)は静かに座り直し、焼きそばを食べようとする。

 その前に、親指に付いたチョコレートを舐めとった。


(甘い……)


 そして苦手な味を薄めるように、焼きそばを掻き込んだ。

 頬をほんのりと赤く染めた咲季(さき)が、チラチラと視線を送っていることには気付かずに。




 祭りを存分に楽しんだ二人は、家路についていた。

 城神(とがみ)()の石段を咲季(さき)が軽やかに上り、追いかけるように稜秩(いち)がついて行く。


 不意に、咲季(さき)が立ち止まって振り返った。


「いっちー、ちょっとだけしゃがんで」

「……こうか?」


 稜秩(いち)は言われるままに少しだけ屈んだ。

 すると、両肩に咲季(さき)の手が置かれ、背伸びをした彼女が顔を近づけてくる。

 これから何が起こるのか。理解したと同時に、二人の唇が重なった。


「……」


 肩に置かれた咲季(さき)の両手や唇が小さく震えている。それを感じたのも束の間、唇は離れていった。大きな瞳と目が合う。


 咲季(さき)は頬を赤く染めて控えめに笑い、石段を駆け上がっていった。

 その後ろ姿を見つめながら、稜秩(いち)は自分の肩に触れた。少し強めに掴まれた感触がまだ残っている。それは、頑張って背伸びをしていた証拠でもあった。

 熱を持った顔を右手で隠すように覆う。


(可愛すぎるだろ……というか、ああいう感じで咲季(さき)がキスしてくるの、初めてな気がする……祭りだからか? 浴衣だからか?)


 突然のことで混乱する稜秩(いち)は、とりあえず冷静になろうと静かに深呼吸をする。


「……よし」


 少し落ち着きを取り戻したところで、家へと続く石段を上る。門を潜って庭に入ると、縁側の辺りには父と母、八保喜(やほき)の他に咲季(さき)の両親の姿もあった。

 咲季(さき)と話す律弥(りつや)を見つけた瞬間、稜秩(いち)は少しだけ気まずい気持ちを抱いた。


(今あったこと、律弥(りつや)さんには気付かれないようにしよ……)


 両家共に認める交際をしているのだからそういう行為を隠す必要はないのだが、何故か咲季(さき)の父である律弥(りつや)にだけは悟られたくなかった。

 姿勢を正し、自然体を装ってみんなのもとへ歩み寄る。


「おかえり」

「おかえりなさい」

「ただいま」


 迎えてくれた家族たちに返事をし、縁側に腰掛ける。そこへ母がやってきた。


「スイカ食べる?」

「あー、俺はもうちょっとあとで。晩飯食べなよ」

「分かったわ。咲季(さき)ちゃんはどうする?」

「あ、あたしもあとで食べる……!」


 咲季(さき)の返答はどこかぎこちなかった。

 その理由を知っている稜秩(いち)は頭を掻き、空を仰いだ。

 大人たちが居間に集まっていくのを感じながら、咲季(さき)が縁側に座るのを横目で見る。少しだけ距離が空いていた。


(自然体。あくまで自然体)


 自分に言い聞かせるように心を落ち着かせ、口を開く。


「楽しかったな」

「うん、楽しかった」


 二人は遠慮がちに顔を見合わせ、言葉を交わす。背後から聞こえる楽しげな声が唯一の救いだった。


 一方、食卓を囲む大人たちは、稜秩(いち)咲季(さき)の間に漂うぎこちない空気を感じていた。しかし、誰もそれを口にすることはなく、賑やかさは続いた。

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