上
1〜2,3話で完結予定です。
「もう話すことなんて何もないよ」
まったく表情を動かさず、どんな感情の色もその顔にのせず真っ直ぐに俺をみて宣言する。
そんな彼女を俺は知らない。
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俺はごくごく普通の男だ。
特別容姿が優れているわけでもないし、頭が良い訳でもない。かといってものすごく不細工でもないし、それなりに人付き合いは得意だ。
二人の姉の影響か幼いころからおしゃれが好きで、年頃になると洋服や髪形にこだわるようになった。ただ好きだっただけだが、唯一他より秀でていて人から褒められることといえばそのことだけだった。
「別にかっこいい訳じゃないし、あんたって雰囲気イケメンよね」とは三番目の姉の口癖だ。
高校に進学すると、こんな普通な俺でも彼女が出来た。
姉曰く雰囲気イケメンだが、誰とでもオープンに接することが出来る性格もあってかそこそこモテていたと思う。姉が3人いるせいか女友達も多かった。
高校三年の夏休み、当時付き合っていた彼女と別れてフリーになった俺に告白してきたのが春子だった。
春子も普通の女の子だった。美人よりは可愛い系だが、アイドルのように可愛い訳でもなく派手でもないし地味でもない。勉強は俺より出来たが、クラスの中では真ん中より少し上。
俺が春子の告白を受け入れたことで、そんな普通のカップルが一組出来上がった。
「春ちゃんって直人のどこが良いのかなぁ?」春子が俺の家に出入りするようになってしばらくして、心底不思議そうに二番目の姉が聞いていた。
好きな服を着ることが出来るし、髪形だって好きにできるわけだからと安易に考えた俺は、高校卒業後美容学校に進学した。
春子は4年生大学に進学し別々の道へ進んだが、俺たちの付き合いは続いていた。
専門学校では趣味が合う仲間が多く、仲間と集まっているのが楽しかったし、実質課題も多くみんなで協力しなければいけなかった。その分、春子と過ごす時間は減ったが俺はあまり気にしていなかった。
俺があまり連絡しなくても春子は毎朝律儀に「おはよう」というメールを一日一通送ってきたし、約束をドタキャンしても少し拗ねるだけで次に会うときにはにこにこと笑っていたからだ。
2年前、そこそこ有名な美容院に俺が就職してからもそれは変わらず、春子は俺がたまに自分から連絡すれば「嬉しい」と必ず直接伝えてきた。
就職を機に俺は一人暮らしを始めたが、忙しい毎日にほぼ寝に帰るだけになっていた。それでも春子が掃除をしに来ていたので部屋はいつでも清潔に保たれていた。
つい先日、一番上の姉の結婚が決まったというので久々実家に帰った。
母親の手料理を食べ親父と姉の婚約者と酒を飲み、たまには実家もいいと満足していた俺を婚約者を見送って戻ってきた姉がじっと見ていた。
「時すでに遅し、後悔先に立たずってことわざ知ってる?」なんだ急にと見返す俺に、姉は心底かわいそうものを見る目を向けてきた。
長女の言うことはよく聞くべきだと俺が実感したのは、春子が新社会人として働き出した後、春子と一緒に迎える6回目の夏が来る少し前だった。
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「ナオトー?今日飲みに行かない?」
軽く呼ばれる自分の名前になんだかイラついた。俺の名前はどこぞのミュージシャンのようにカタカナではなく、直人という漢字がちゃんとあるんだと訳のわからないことを言いそうになる。
専門学校時代からの友達である由紀はいつもと変わらない口調で電話を掛けてきたのに、今日の俺は、いや最近の俺はどこかおかしい。
「あー今日はやめとくわ」
滅多に誘いを断ることがないからかここ最近誘いを断るたびに、珍しい!と驚かれる。珍しくてもなんでも、どうにも行く気にならないものは仕方ない。
本当に来ないの?と聞いてきた由紀だったが、直人がもう一度行かないといえばあっさりと引き下がり、余計なひと言を残して電話を切った。
「まぁナオトもたまには彼女とゆっくり過ごさないとね〜」
捨てられちゃうよ〜と、由紀の一言に胸の中がざわつく、ゆっくりと春子と1日過ごしたのがいつだったのかなんて覚えていない。
そんな自分になんともいえない強烈な焦りを感じる。
始めは気が付かなかった。それは俺にとって当たり前で、寝て起きたら必ずあるはずだったものだからだ。
朝起きて、顔を洗ってベットに戻り携帯を操作する。毎日「おはよう」から始まる何気ないメールを読んで、歯を磨き髪の毛をセットし服を着替えて出勤する。それが俺の日常だった。
気が付いたのはいつだっただろう。履歴をみると、春子からの最後のメールから一週間以上たっていた。
しかもそのメールは「もういい」とたった一言。
そういえばと記憶を呼び返すと、春子に嫌だとはっきり言われたことを思い出す。
あの日、家で春子が待っていたが仕事終わり先輩に誘われ「少し飲んで帰るから家で待ってて、寝てていいから」と電話をした。いつもなら不満そうにしながらも了承するのに、あの時春子は確かに「いやだ、帰ってきて」と言った。
よく思い返せば泣きそうな声だったように思う。
でも俺は何か言って電話を切ったのだ。なんと言ったのかは覚えていないけれど、その後春子から「12時までには帰ってきて」というメールが届き、それに対して「無理っぽい。寝てていいから」とメールした俺に「もういい」と一言メールが入っている。
結局俺が家に帰った時は12時はとっくに過ぎていて、家に春子の姿はなかった。
帰ったのか、と思った。怒ってるだろうな〜とも。でもそれだけ、思っただけで俺は寝た。数日すればまたいつものように連絡してくるだろうと思って。
その認識の甘さを俺は今痛感している。