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第一章 【襲来】 6.

 六年前、オレは父親を……というか両親と故郷の村を、原因不明の大爆発で失った。

 周囲の村を幾つも巻き込んだこの爆発の中心にいた人間の中で、一番テロに遭いそうな肩書きを持っていたのが、オレの父親だった。

 お陰で、散々な目に合った当時のオレは、精神のバランスを立て直すために、この件を考えるのを止めた――てっとり早く言えば、忘れた。とりあえずまだ、生きて行かなきゃならないようなので。

 だがそんな、前向きで後ろ向きな決断は、結局なにかのバランスを崩したらしい。以来、オレは周囲から、『変わった』と言われるようになった。自分としては『諦めがよくなった』くらいの自覚だったが。

(不意打ちだ)

 全く予想しないところから来た糾弾に、うっかりと記憶の蓋が開きかけたせいか、強い目まいを感じた。

『弱過ぎる!』と、叱咤しながら奥歯を噛みしめ、汗で滑りそうな柄を握り直す。

 からからに渇いた口を開こうとした時……

「黙れ……!」

 感情を押し殺したような声で怒鳴ったのは、オレでなく綾部だった。

 冷静な外見とは別に、激するところはあったが、オレを押しのけて発言する奴じゃない。振り返ると、全身から焔のようなオーラが見える気がするほど、綾部が目を吊り上げていた。

(うわ珍しい……あぁ、コイツは、親父を知ってたからな)

 場違いに、のんびりしたことを考えたおかげで、動悸が治まったオレは、今にも相手を一刀両断しそうな綾部の腕を抑えることができた。

「落ち着け」

 印波に向けたきつい視線のまま、俺をにらんだ綾部をなだめる。

 綾部は何か言いたげな顔をしたが、もうオレには、あの事件のことで悲嘆する段階は過ぎていた。

「言いたいのは、それだけか?」

 オレが訊くと、印波は歪んだ笑みを浮かべたまま口を開いた。

「……火をつけたぁ……犯人を、知りたくは……ないか?」

「どうでもいい」

 綾部の強い視線を感じたが、もう振り返らなかった。

 本心ではないが、本音だった。今更ここで犯人が分かっても、あの時の絶望感がなくなる訳でも、オレの人間不信が治る訳でもない。

 そもそも、誰であれ罰せることのできる相手なら、あの時に罰せられているし、罰せることのできない相手なら、今でも罰することなどできはしない。

 あの時、父は、この国の首相に次ぐ地位にいたのだ。

「ふん……」と面白くなさそうに鼻を鳴らして、俯き黙った印波を前にして、オレは刀を振り上げた。

「すまんな」

 ……後で綾部にも不審がられたが、オレがこの時、侘びの言葉を口にしたのは、斬ることに対してでなく、印波の好意を無にした気がしたからだ。

 印波なら、再び刑務所で飼い殺しにされるより、此処で斬られるほうを望む気がした。それに対する礼が、『犯人を知りたくはないか?』だったんじゃないかと、勝手に思ったのだ。

(もう、聞きようもないが……)

 オレの刀は正確に印波の頸動脈を断ち切った。確認しようとするオレを制して、綾部が慎重に、倒れた印波の心音を確かめた。

 綾部が頷くのを見て、こちらを遠巻きにしている連中へ手を上げて、「もういいぞ!」と叫んだ。

「うわぁー!」という歓声が上がった。

 走ってきた滝が、オレに向かって「お疲れ様です!」と明るく言ってから、倒れている死体をこわごわ検分する。周囲では、あちこちに散らばっている仲間へ連絡を入れる声が行き交っている。

「起き上がってきませんよね?」

 滝の冗談半分、本気半分の言葉を、オレは笑い飛ばせなかった。

「首と胴体を別々にして葬むるか?」

 滝は首を左右に大きく振った。

「変な怪談になりそうで嫌ですよ。さっさと焼いちまいましょう!」

「全くだ」

 心の底から同意する。

「上から遺体を寄越せとか、言って来る前に焼いてしまえ」

 ふと、己の上着の左肩辺りに、引っ掻いたようなほつれを見つけた。

 刀が掠っていたのだろう。修理できなくもなさそうだが、験が悪いので、脱いで印波の抜け殻に掛けた。代わりと言っては何だが、印波の腰に下げられていた刀の鞘を貰う。

 オレの刀の鞘は、印波に叩き斬られている。抜き身で持っていても危ないので、刀に合わせた鞘を作ってもらうまでの代用品だ。

 遺体をそのまま見下ろす。もうここには、自分を殺そうとしたあの苛烈な魂はないのだと思うと、恐ろしいことに軽い喪失感がした。

 少し反省しながら須賀に柚木司令へ、綾部には中央本部にいる生島へ、印波捕縛の連絡を入れさせる。

 その間にオレは、自分で蹴り飛ばした、印波の刀を探したが、どうも見つからない。周囲が暗くなってきて、足元の草むらはほとんど闇になっている。

 明るくなってから探せばいいかと上半身を起して伸びをすると、ちょうど一台の車がこちらに向かってくるのが見えた。

 二、三〇Mくらいの距離を置いて止まった車から、降りて来たのは、柚木司令のところの三沢少尉だった。

 あまり視界がよくないので、きょろきょろとしていたが、やがて人の集まっているこちらに歩いて来た。オレの前に来ると、踵を合わせて敬礼した。

「茅野中隊長、任務遂行お疲れ様でした」

 三沢少尉の強張った表情は、印波の遺体が目に入ったせいだろう。

「三沢少尉もこんな場所までご苦労さんだな」

「市街の外れで警戒にあたっていたところ、片山曹長と遭遇して印波を逮捕したとの報を聞きました」

 成程。早い訳だ。

「柚木司令からの、伝言をお伝えします」

 オレは姿勢を正した。

「後事は我々で処理しますので、茅野中隊長におかれましては、早急に中央本部に出頭されるように、とのことです」

「中央本部? 首府の?」

 驚いて聞き返したオレを、当り前のことを聞くなという目で、三沢少尉は見た。

「そうです。南方師団の本部へは、戻らずとも良いとのことです」

 別に南方師団に未練がある訳じゃないが、ここまできっぱりと『帰って来るな』と言い切られると、あまり面白くなかった。後始末の必要なモノが何もないのを、見透かされているのも妙に腹が立つ。

(あのジジイ、こうなることを見越して、ろくな仕事を回さなかったんじゃないか?)

 いや十中八九そうだろう。文句はない。文句は全然ないが、どこかやるせない気持ちで悶々としていると、背後から聞き慣れた声がした。

「南方師団の三沢少尉ですね?」

 誰にでも、たとえ自分より階級が下の相手にも丁寧なのが、綾部の……悪いところだ。

 本人には、大した思惑はないのだが、下と見ると威張り散らす連中より、性質が悪く見えるのは何故なんだろう。

「自分は、参謀本部付きの綾部です」

 ぎょっとして、三沢少尉は最敬礼する。参謀本部付きの士官などに会った経験はないのだろう。綾部は端正な顔で微笑み、身も蓋もないことを淡々と言った。

「私もこれより首府に戻るので、貴官の車を徴収します」

 参謀本部の特権は、軍法の第何条だったっけ?

 オレはぼんやり考えながら、目の前の成り行きを見守ることにした。


「茅野中隊長、車の用意ができました。行きましょう」

 約十分後、何事もなかったように、綾部が車の後部座席を開けながらオレに向かって言った。

 三沢少尉は抵抗どころか、首府までの運転手と、燃料の手配までを迅速に行ってくれた。何かに取り憑かれたような必死の形相で。

 参謀本部付きと言っても、綾部にそれ程の権限はまだない。……なんてことは、わざわざ教える必要もあまり感じないので黙っていた。

「滝、須賀、後は任せるぞ!」

 車に乗り込む前に、遠くに見える影へ向かって呼びかけた。

「はい!」

「お気をつけて!」

 返事に頷きながら、オレが車に乗ると続いて綾部が乗ってきてドアを閉めた。

「出して下さい」

「はい!」

 運転席にいる軍曹が出す緊張した声と、くぐもったエンジン音が被る。

 少々荒い発進にひやっとしたが、車はすぐに第一演習場を抜け市街地へと向かう。各地方と中央を結ぶ幹線に出てしまえば、後の道は平坦なはずだ。

 細い道を抜けた所で、オレは「ふう……」と目を閉じて、後部座席のシートに背を預けた。

「お疲れ……ですよね」

 綾部の静かな声が落ちてきた。

「まぁな。実質、二日寝てない程度だが。短期決戦で良かったよ」

「どんなに策を練っても、結局最後が一騎打ちになる経緯は、見えていましたよね? 結果論ですが、たっぷり寝ておくべきでしたね」

 言葉は非難だが、口調は本の朗読のようだ。眠気が倍増されたが、意識が飛ぶ前に聞いておきたいことがあった。

「綾部。お前休暇を取って、周芳郷に帰っていたんじゃなかったのか?」

「実家の用件が、思ったより早く片付いた時点で首府に戻りました」

 実家の用件……ここに、突っ込みを入れるべきかどうか迷っていると、

「母が心配していました。茅野中隊長のこと」

 あと妹もと綾部が、ぼそっと付け加えた。

 綾部は母親似だが、五つ下の妹とはあまり似ていなかった。だが、もう七、八年前に見たきりなので顔つきも変わっているだろう。

「そうか……皆さん、元気か?」

「そこそこに」

 透明な声音にわずかな棘が混じったのが気になって、一応は年長者として釘を刺すことにする。

「あんまり、親父さんを泣かせるなよ」

「安心して下さい。そんなやわな父親じゃありません」

 神経質でプライドの高そうな綾部の父親の横顔を思い出すと、そうかもな――と思わないでもない。

 だが、元々あまりよろしくなかった、綾部家の親子関係に、決定的にひびを入れたのが、六年前の事件だと思うと多少の責任は感じる。

「茅野中隊長が、気にする必要はありません」

 見透かされて苦笑する。

「……結局、綾部議員はオレの弁護に回ってくれたからな」

「『周芳』なら当たり前です。問題はそれ以前です」

 ぴしゃっと言われて、苦笑が深くなる。

「そりゃ、あの時は疑われたって仕方ないだろうよ。オレだって、何が何だか分からなかったんだから……」

 否、今だって、さっぱり分からないが――

「茅野中隊長……?」

 額にやった手を見たのか、綾部が気遣うように尋ねる。

「何でもない……少し寝る」

「はい。首府に着いたら起こします」

「……そうだ。お前に連絡取ったのは、鴻上司令か?」

「はい。ですが印波脱走の知らせは参謀本部でも聞いたので、鴻上司令から連絡が来なくても此方へ来ましたよ」

 ばか。それじゃあ、お前が脱走になるだろうが――、半分うとうとした、眠りかけの頭で罵る。

(まぁ、こいつならどっかに手を回して、正当化くらいできるか。それにしても……)

 ぽつぽつと、六年前の事件を思い出すことが続いた。

 その度に起こす、頭痛やら神経系の疾患を情けなく思いながら、オレは意識を手放した。


 思っていたより、印波との立ち会いで気力を減らしていたらしい。そのまま車中で、ずっと眠っていたオレは、綾部の低い声で目を覚ました。

「茅野中隊長、首府です」

 既に真夜中のはずだが、道路に等間隔で点された灯りは一晩中ずっと、消えることがない。街の中にもまだ幾つもの明かりが残っていた。

 こういうところが、地方とは完全に違うところだ。

「……久しぶりだな」

 思わず感傷的な声になった。たった三ヶ月で、そこそこ懐かしいもんだ――と思い、そういえば、この前綾部と会ったのはいつだったかと疑問が湧いた。

 オレの視線に気づいたのか、綾部は問いたげに顔を向けた。

「お前とは……」

「五ヶ月半ぶりですね」

 即答だったせいか、どこか恨みがましく聞こえた。

 気のせいばかりではないだろう。この件では当分の間、何かにつけチクチクと言われそうだが、よく考えてみれば今のコイツはオレの部下ではない。

 中央本部に着くまでかと思うと、多少なりとも物足りない気分になった。

「時間が空いたら道場へ行かないか? 最近ご無沙汰してるし」

 我ながら、仕事に忙しい父親が子供を懐柔しているようだと思ったが、綾部もそう思ったらしい。微妙にプライドを傷つけられた顔をした。それでも、提案そのものは捨て難かったのだろう。やがて

「お供します」

 と一言、短く返ってきた。


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