第一章 【襲来】 2.
軍部の上は、というより、この国の上層部は、二つに分かれている。
印波はその一つ、『石背』の人間で、中でも有力な家系の出身だった。
殺した人間の数や、状況で言えば、生死を問わない逮捕が前提の、重犯罪者に対し、あくまで、『生きたまま』捕縛せよという、命令が出ていたのは、そのためだ。
ちなみに、鴻上司令やオレは、もう一つの陣営、『周芳』の人間である。この区分けには、約五〇〇年前の、この惑星への難破状況が絡んでいる。
この星に辿り着くことができたのは三隻。うち一隻には、出身地が混在した人間が乗船していたが、後の二隻には、『石背』という地域の出身者と、『周芳』という地域の出身者が、固まって乗船していた。
だからといって、国を二つに分けることは、物資面や、これから未知の大地に立つという精神面から考えても、現実的なことではない。そこで、まず最初に降り立った場所を『首府』とし、国の中心としての機能を置く一方、『石背』と『周芳』はそれぞれ、東と西の地に、故郷の地と同じ名前を付け、『郷』とした。
また他の人間も、それぞれ開墾した地に、思いを込めた名を付け、その場所をこの星での故郷と定めた。
表向き、「出身地で処遇が変わるようなことはない」と、最初に取り決めをしたものの、必然的に、国の主導権は、人数の多い二つの出身地の人間が握ることとなった。
その中心にいるのが『氏族』――、移民艦隊の一員として、宇宙を渡るため、強化されたDNAを持つ人間だ。
記憶力、演算能力が高い者や、運動神経が発達している者が多いため、国の上層部に多い。
もともと血筋や階級に関する、考えの違いがあったが、この改造されたDNAに関して、『石背』と『周芳』は、真っ向から意見が食い違った。
『石背』は、改造されたDNAを護ろうとし、『周芳』は、自然の流れに戻そうとした。
国が落ち着くにつれ、お互いに対する競争意識も高まっていく。
仕舞いには、大昔の母星で起こった、良くない因縁までもが、引っ張り出されてきた。
この辺りで、はっきりと、両者の対立の図式は固まってしまったらしい。
何万光年旅しても、人間と言うのは、しょうもない生き物である。
司令室に通じるドアを叩いて、「茅野シン大尉です。入ります」と断って中へ入ると、柚木司令の副官、三沢少尉が席から立ち上がった。
オレを見る、眼鏡越しの視線の険しさから、事情が少尉にまで伝わっていると知った。
「ご苦労様です、茅野中隊長。柚木司令がお待ちです」
丁寧な口調のどこかにトゲを感じるのは、自意識過剰のせいばかりではないだろう。
両陣営の『郷』を守る、東西の師団には、それなりに緊張感もあるが、南北の師団、特に気候温暖なここ南方師団は、中央からは『保養地』とも揶揄される、国で一番温い部署だ。
そんな場所に、危険極まりない脱獄囚を呼び寄せたのだから、どう思われても仕方ない話である。
三沢少尉はオレに背を向け、奥に続くドアを叩く。
「柚木司令、茅野中隊長が見えられました」
待つ程なく、中から入室の許可が下りた。
「どうぞ」と、少尉の開けたドアから中に入り、正面に向かって敬礼する。背後でドアが閉まる音がした。
窓際に佇む、柚木司令は、当年とって五十七歳。
巷の平均寿命が、最近になって、七十近くなったという話は聞いたが、軍人としては長老の域に入る。昔は中央の大隊を率いていたそうだ。
主流ではないが、周芳側の人間で、だからこそ、オレの引き取り先になったに違いない。
「こんな田舎に来てまで、君も大変だねぇ、茅野中隊長」
のほほんと言われて、司令の、開いているのか、閉じているのか分からない目を見た。灰色の髭に覆われた口元は、どうやら笑っている。オレが黙っていると、司令はあっさり言った。
「僕は、ここで静観させてもらうよ」
オレは頷いた。
「はい。どこか、見通しの良い空き地をお借りします」
「印波が捕まるまで演習も中止だ。どこでも好きな場所を使えばいい。どうせ二、三日のことだろう?」
オレは頷いた。並みの逃亡犯なら、どこかへ一時的に身を潜める、という選択肢もあろうが、相手は狂人だ。間違いなく、一直線にオレへ向かってくるだろう。
せめて、オレにたどり着くまで、民間人相手に、刀の試し切りなどしてないことを祈るしかない。
「そうそう」と、司令が思い出したように続けた。
「さっき参謀本部から、中央にいた頃の、つまり、印波捕縛時にいた、君の中隊の人間を何人か、こっちに寄越すとの連絡が入ったよ」
思わず「え?」と声が出た。願ってもないが、随分と掟破りな話だ。
「周芳としては、君がここで返り討ちに遭っても困るし、長引いて、石背が口を出して来るのも避けたい。その辺を、鴻上君がうまく突いて、上から手を回させたんだろうね」
成程。確かに、現状のままならば、『返り討ち』コースが濃厚過ぎる。
「武器はこの基地にもあるけれど、兵隊は使えないだろうとの判断だね」
ついさっき、自分も思っていた懸念をずばり言われて、一瞬うっと、言葉に詰まった。
「そんなことは……」
「変な気を回さなくてもよろしい。ここに元々いる兵士は、切った張ったの経験が少なすぎるし、僕は『ご隠居さん』だからね」
この基地内外で通っている、ご自分のあだ名をさらっと出したが、柚木司令の若い頃は、まだ地方も落ち着かず、国が今よりもざわついていたと聞く。中央にいる時は、相当に活動的な日々を過ごしていたことは、想像に難くない。
「ご迷惑をお掛けします」
オレが頭を下げると、司令は両肘を机に突き、合わせた拳の上に顎を乗せて、ぽつっと言った。
「意外と早かったね。でも、まぁ、ちょっとは休めたか」
話が見えなくて、戸惑っているオレに、司令は面白そうに訊く。
「まさか、ずっと此処にいられるなんて、思ってないだろうね、君?」
一生、ずうーっと、此処で……とまでは、さすがに思っていなかった。とはいえ潜在意識では、ほとんどそのつもりになっていたらしい自分の背中に、どっと汗が出てくる。
「それは、小官の一存では、どうにも……」
つまらない口上には、興味がないらしい。柚木司令は、再び、背後にある窓に視線を向けた。もう出て行っていい、という風に右手が振られる。
敬礼して背を向け、ドアノブに手を掛けた時、言葉が届いた。
「君は、鴻上君からの、預かりもんだと思っているからね。印波を捕まえたら、中央に帰んなさいよ」
思わず振り返ったが、司令は窓の外を見たままだったので、もう一度敬礼して司令室を退去した。
第六中隊のある別棟まで歩く間、オレの頭の中では、柚木司令の言葉が、ぐるぐる回っていた。
南部への異動に、鴻上さんの息が掛かっていたのは、予想の範囲内だ。だが、結局のところ現在のオレの立場は、此処へ配属されるまでにあった、数週間の謹慎期間と、同じようなものなのだろうか?
あるいは単純に、オレがいると色々面倒だから、さっさと余所へ行って欲しい、という意味なのかも知れないが。
まぁ、どちらにせよ、此処に長居はできないらしい。悲しいとか嬉しいとかいう気持ちはないが、妙に気が抜けてくる。中央を出て来る時の、一種の悟りのような境地は何だったのか……と、思ったところで部屋に辿り着いた。
ドアを開けると、まず甲高い電話の音に迎えられた。
鳴りっぱなしの電話を、生島の他、二名の下士官と三名の兵士が、それ程広くない執務室の中を駈け回りながら、代わる代わる取っている。壁際にある文書用の電信機からは、次々に紙が吐き出されているのが見える。
「はい! 近隣への対応は、司令のところで」
「詳しい情報が入り次第、各隊へは……」
悠長なことを考えていたオレと正反対に、中隊の執務室は、既に戦場になっていた。
「……そうだよ、あの印波だよ。じゃなきゃ、わざわざお前に辞令は出ないだろうよ」
受話器片手の生島の声が潜められる。相手は、おそらく前の隊の人間だろう。
「……あぁ、それでいい。後でな」と、言いながら受話器を置いた生島は、向き直ってオレに報告する。
「茅野中隊長、片山曹長が自分の隊をまとめて、夕方までにこちらに来るそうです」
「片山か。あいつの所は今、誰が残ってる?」
「滝軍曹と須賀軍曹が、そのまま残ってます。それと、下の連中も結構、回されてたんじゃないかと」
片山は三ヶ月前までオレの隊で、小隊長を勤めていた。
本来ならば尉官の役職だが、前任者が殉職した時、その下にいた片山を特務少尉に引き上げて隊を任せ、人材不足から、そのままなし崩しにしてしまった人事だった。この処理も、序列を重んじる石背に、オレが嫌われた理由の一つだろう。
オレが失脚した際は、士官学校を出ておらず、訓練校からの叩き上げだったのが却って幸いして、中央から外されただけで、降格とか僻地への左遷とかには、ならなかったはずだ。
片山本人は、保守的でくどく、オレと性格的に合わないところはあったが、腕が立つ奴で、意外と下を纏めるのが上手かった。同じ隊にいた滝と須賀も、使える人材だ。
オレは、ほっと胸を撫で下ろした。
「鴻上司令に感謝だな。これで、受け身じゃない作戦が立てられる」
「やはり、鴻上司令のご指示でしたか」
「あぁ、それと、柚木司令からは、基地内の武器弾薬、及び演習場の使用許可をいただいた」
「少し気分が浮上しました」
「そりゃ、良かった」
冗談めかして言ったが、少しでも士気が上がるなら、それに越したことはない。
「参謀本部の指令と聞いて、もしかしたら綾部中尉が、何か手を回したのかとも思ったんですけどね」
何気なく生島の出した名前に、オレははっとして記憶を探る。
「アイツは多分、今頃は里帰りしてるはずだな……」
綾部は士官学校の一年下で、家同士の付き合いもあったので、子供の頃からの知り合いだが、昔から何故かオレを慕う。
以前はオレの中隊にいたのだが、身体的能力が高く、頭も切れ、ついでに家柄も良いので、自分の下では勿体ないと上に進言して、現在は参謀本部付になっていた。
だが理不尽なことに、この移動で本人に相当恨まれた上に、今度のオレの左遷である。
『自分がいれば、絶対こんな人事にさせませんでした!』
わざわざ謹慎中のオレに、面倒な手続きを踏んで、電話を掛けてきたと思ったら、開口一番の台詞がこれだった。
有り難いというか、頭の痛い後輩である。この時の電話で、簡単にあちらの近況を聞いた時に、実家に用事ができたので折を見て故郷に帰る、という話が出ていた。
これが三ヶ月前の会話なので、もう首府に戻っている可能性もあるが。
「印波の捕縛時には、綾部中尉もいましたから。脱走したことを知っていたら、自分で来そうですよね」
笑いながら言う生島に、その通りだと心の中で深く頷く。
また恨まれそうな気がしたが、石背の要注意人物の捕物に、綾部が間に合わない状況を、頭のどこかで安堵する。
生島にこの近辺の地図の用意を頼んで、此処と同じように、電話の音が鳴り響いている中隊長室に入った。