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いつかそれすらも神話になる日  作者: 干支ピリカ


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第三章 【故郷】 7.

 部屋にいたらしき兵士に体を起こされ、手錠を外される。

 一応准尉の階級章を付けているが、顔に見覚えはなかった。石背の奥向きの兵か、あまり表に出る仕事はしていない類の人間だろう。

 大佐に提案が受け入れられてから、オレの扱いは実験材料から客分に変わったようだ。

 用意された椅子に腰かけ、手首の手錠痕さすりながら部屋全体を見回した。おおよそでタテ10M、ヨコ5M、天井は3Mもない。正面の壁に掛けられた時計は、汚れていたが動いているようだ。

 窓は一切なく、正面右端に上へ上がる階段しか見えないから、おそらく地下だろう。

 左端の部屋の隅には木箱が二、三放り投げるように置かれている。あとは長い机が一つに、椅子が六つ。雑然として、動きにくいがまあ何とかなるだろうと踏む。

 インカムを返してもらい、オレはもう一度手錠をはめ直してくれと頼んだ。

「オレが人質になっているという印象を強くつけたいので、手錠は見えるように前ではめて下さい」

「成程――」と、大佐は納得してくれた。

「この場所の位置は?」

「滝軍曹が知っている」

「わかりました」

 まずは綾部へ連絡を入れた。鳴ったと思った瞬間に繋がった。

『無事だ。騒がずこちらへ来てほしい。場所は滝が知っている』

 後ろめたいせいか、電波通して殺気が伝わってくるようだった。言うだけ言ってすぐ切ると、次は滝に繋げた。

『今綾部がそちらへ行く。奴と一緒に、お前が仲間と会っていた地下のアジトへ来い』

 滝が息を飲む様が、インカム越しに聞こえる。

 インカムを切った後で、大佐が厳めしい顔つきで聞いてきた。

「滝軍曹を処断しなかったのは何故かね?」

「軍曹のスパイ行為はオレだけしか知りませんでしたし、先程『隣人』を斬ろうとしたと言ったでしょう? 使えると思ったんですよ、『隣人』を憎んでいるという軍曹は」

 屋根裏の本部を爆破した人間は、滝とオレとの会話をどこまで聞いていたんだろうか。

 大佐が何らかの疑問を持つ前に、オレから尋ねた。

「滝を使って会場に爆弾を仕掛けさせたのは、会談を中止させるためですか?」

「それだけではないが、それもある。何せ『隣人』なんぞはいないのだからな」

 加えて邪魔な身内と、煩い周芳ウチの連中も一掃できればというところだろう。

 大佐がふうっと、溜息をついた。

「失敗したがね。こうなったらあちらから断らせるしかないな」

 あちらとは、つまり『隣人』の元にいるという触れ込みの実験体か。ノイズが多かった理由は通信機の問題だけじゃなかったかと、改めてオレは思った。

「まぁいい。『氏族』の中でも、由緒ある血統の君が我らに協力するなら滝軍曹の失敗など些細なものだ。それに……綾部大尉が手に入る」

 満足そうな大佐の横顔を見ながら、この人は綾部にどんな理想を見ているのだろうと思う。

 幼児期はみすぼらしい姿をした小鳥が、成長するとすっきりとした美しい鳥になるという寓話がある。綾部は、ほぼそんな感じだった。

 初めて会った時、綾部は九歳だったが身体が小さく、せいぜい五歳くらいにしか見えなかった。やたら目がでっかいガリガリに痩せた子供で、既に剣道の腕は周囲をおびやかす程だったが、言葉もろくに話さなかった。

 それが、十二~三の時から背が伸び出して、十七で追いつかれた時には、すれ違った女子が必ず振り向く端正な外見になっていた。

 愛想の無さは変わらなかったが、必要事項を話すようになっただけ一見まともに見える。だから、周芳うちのお偉方の評判も悪くないのだが……

「以前綾部議員にそれとなく、ご長男の体を調べさせてくれと頼んだことがあったが、けんもほろろに断られたよ」

 ……石背の上にまで人気があったとは、今日まで知らなかった事実だ。

「綾部議員には他にも子がいるし、少しくらい協力してもらえるかと思ったのだが」

 おそらくそういう問題じゃあるまい。

 だが、あんな可愛くない息子でも、結構父親から愛されているようで少しほっとした。

「綾部議員は、もともと『氏族われら』の体の研究に興味を持っているようだったから、余計にな」

 それは、自分の息子が『先祖返り』だからだ。数が少なすぎて、寿命一つにしても明確なサンプルがない。気になるのは親として当然だろう。

「印波も、『先祖返り』ですよね?」

 捕獲の際、上から回されてきた資料には、その旨の記載はなかった。だが実際に手合わせしたオレも、綾部もそう断定していた。

「一応そう呼んでいいだけの能力はあったが、知っての通り人格が付随していなかった」

 事実とはいえ、酷い言い草だ。

「調べようにも協力的ではなかったせいで、ろくにデータがとれなかったよ」

 研究材料にされるたび、人格はますます遠ざかったんだろうなとオレは推察した。

「大佐、こちらに近づいて来る車両を確認しました」

 上へ続く階段から、若い士官が降りてきた。こちらも見覚えはないが階級章は少尉である。綾部と滝へ連絡を取って、ほぼ二十分後だった。

「大佐、お付きは二人だけですか?」

 不審そうな目をした大佐に、オレはおこがましく告げた。

「オレが話をしますが、ご存じのとおり綾部大尉は勇猛果敢です。もし言葉が通じなかった場合、二人では取り押えるのは難しいかと」

『先祖返り』の素晴らしさだけでなく、怖さも思い出したのだろう。大佐はさっと顔をひきしめ、少尉に上にいる者もこの場に立ち会うように命じた。

「こんな場所へ誰も来はせん。見張りはいらん」

 少尉が上がり二人の軍曹が下りてきた。うろ覚えだがかすかに見覚えがあった。第二隊の人間だ。

 奥に礒部大佐、その前に兵士は二列で並んだ。まるで賓客を迎えるような規律の取れた行動に、オレは皮肉な気分になった。


 車両の止まる音は聞こえなかったので、地下への入口は、道から外れているのだろう。

 四~五分後に金属を叩く音がして、複数の人間が、階段を降りてくる気配がした。

 大佐がおもむろに立ち上がった。オレも立ち上がり、大佐の斜め後方で身構えた。手首に掛けられた手錠を見下ろす。おそらく一瞬で結果が出る筈だ。

 最初に滝が降りてきて周囲を見回した。目が合ったオレは、声を出さずに『ス、ミ、ニ、イ、ロ』と口を動かし小さく顎をしゃくった。伝わったかどうかは分からないが、滝は表情を一段と引き締め、列に加わらずさりげなく壁際によって立った。

 次に綾部が降りてきた。後ろにはぴったりと、見張りの士官が付いている。

 階段を降り切った綾部が、奥にいる大佐とオレの方を見た。

「ようこそ、綾部大尉」

 愛想のよい大佐の声が部屋に響いた。オレはさりげなく大佐の後ろから出て、両手を胸の前に挙げた。手錠についた鎖の、チャリッとした音が不吉に部屋に響く。

「悪い、綾部。ドジった」

 オレの声を合図にしたように、部屋の空気が凍った……ように感じた。

 まず綾部の後ろにいた少尉が、物も言わずに血を吐いて倒れた。手にしていた拳銃がくるくると床に転がる。

 綾部が正面を向いたまま刀の柄を前後させ、背後にいた人間の胸を突いたのが分かったのは、オレだけだろう。

 そのまま綾部は、前に足を踏み出し刀を抜く。

 何が起こったかは分からないまま、取りあえず綾部を止めようと左右から兵士が大佐の前へ出た。

 だが彼らは刀を抜く間もなく、次々と床に崩れた。

 綾部の白刃には全く血が付いてないように見えるが、三人の士官が倒れた場所からは、血の染みが広がって行く。

 綾部は、まっすぐに大佐へ向かって歩いて来る。

 茫然と立っていた大佐が小刻みに震え出した。顔は蒼白に変わっている。オレは、はっとして声を上げた。

「綾部! まだ殺すな!」

 言ってすぐ、ザクッという重いものを突き刺すような音が間近でして、さすがに肝が冷えた。

「どれくらい……」

 カチっと刀を鞘に戻す音がした後、ドサっと大佐が床にへたりこんだ。右肩の下辺りに、血の染みができている。

「生かしておけばいいんですか? 茅野少佐」

 まだ綾部の視線は倒れた大佐の上だ。うつむく髪で影になっていて目元は見えないが、声が淡々としているのが不気味だった。

 金縛りが解けたように駆けてきた滝が、倒れている士官の懐を探って手錠の鍵を取り出した。

「少なくとも、軍法会議が終るまで駄目だ」

 滝に手錠を外されながら、オレは考えて答えた。

 無言で不満を訴える、綾部からのプレッシャーに流されないように、自由になった両手首を何度か振った。

「軍法会議……掛けられるんですか?」

 滝がおずおずと聞いてきた。綾部をなるべく視線に入れないようにしているが、この惨状を前にすぐ動けるようになっただけ大したものだ。

「掛けるさ。何年も前から石背じゃ人体実験が行われていたらしい。大佐はその生き証人だ」

 滝は不味いものを無理に食べたような顔で、礒辺大佐を窺う。

「まず、『境界線』と隣接している石背の研究所の周囲を掘り返す。そこから出て来る物と、今回集めた『境界線』を越えた後、行方不明となった者のリストを照合すれば、必ず何らかの証拠になる」

 証拠となる物が人体の一部であることを察したのか、滝の顔色が幾らか白くなった。

 礒辺大佐の話からすれば、隠蔽するには骨の数が多過ぎるはずだ。だからこそ、親父をどうにかしようとしたんだろう。

 六年前の爆破の件は黙っていた。

 礒辺大佐の言っていたこと全てが虚構でないにしろ、大佐が当事者でないことははっきりしている。幾ら調べても、裁判に掛けられるだけの証言は取れないだろう。

「人権侵害の罪は重い。証拠が出てくれば、どんな大物相手でも見過ごせる案件じゃない」

 オレは、白目を剥いて気絶している大佐の顔を見下ろした。自分達が理想とする人種に、一番近い男に斬られて満足だろうかと思う。

 他と何倍も違う力を背負わされた人間に、精神だけ『普通』を期待するのは勝手過ぎる話だ。

 数少ない身内が傷つけられると容易く逆上する綾部が、印波のようになっていた可能性は、多分オレが思っているより高い。それに、それを知っていて利用したオレだって、決して『まとも』とは言えないだろう。

「綾部」

 呼ぶと、綾部はようやく顔を上げてオレを見た。まだ少し、奥が光っているような目に目を合わせ、オレは詫びを入れる。

「悪かったな。助かった」

 綾部の作り物めいた面が徐々に歪み、何かを抑えているような、とても悔しそうな表情になった。

「いいかげん……自分を囮にして、物事を片付けようとするのは止めてください」

 地の底から吐き出されたような低い声に、感情表現が豊かになったなぁと的外れに感心した。

「オレだって別に好きで捕まった訳じゃ……」

「ここへ来る途中で滝軍曹から聞きました」

 弁解はぴしゃりとはね付けられる。

「明らかに狙われる可能性があったにもかかわらず、個人行動をしたのは自ら望んで捕まったとしか思えません」

 反射的に滝の方を見ると、弾かれたように直立不動になった滝は急いで頭を下げた。

「も、申し訳ありませんっ、隊長! 呼ばれた場所が場所でしたし、綾部大尉には話しておいた方がいいかと思い……!」

 車の中で綾部と二人きりなら、少し水を向けられただけで聞かれてないことまで話してしまっても無理はない。

「それはいい。綾部にはどうせ話さなきゃならなかったし……」

「――滝軍曹の減免ですか?」

 いつもの無表情に戻った、綾部が口を挟んできた。滝は目を見開いてオレを見た。

「お前は話が早くて助かる」

「テロ行為は罪が重いです。この……」

 綾部は靴の先で、倒れている礒辺大佐の頭を指した。

「特A級犯罪者逮捕に協力したということにして司法取引しても、差し引きゼロにするのは難しいです」

「そうか」

 予想はしていたが少し落ち込んだオレに、綾部はすこぶる軽く提案した。

「だから、ダブルスパイ扱いにしましょう」

 オレは思わず「はあ?」と口にしていたし、滝も困惑した顔になる。

「滝軍曹は茅野少佐の命令で、礒辺大佐のグループに接触していたことにすれば丸く収まります」

 丸く……収まるかあ?――心の声が綾部に聞えた訳はないが、顔に出たのだろう。

「丸くはないかもしれませんが、オレにはそれ以外に、参謀本部や鴻上司令を納得させる理由は思い浮かびません」

 しれっと言われて、『コイツがこう言うんなら、コレしかないんだろう』と、自分を納得させかけた頃、再び綾部の声が響いた。

「滝軍曹、一つ聞いていいですか?」

「は、はいっ!」

 綾部の声も態度もごく普通のものだったが、緊張しながら立っていた滝は跳び上がらんばかりに反応した。

「今回のことは、茅野少佐とオレで処理します。ですが今後茅野少佐に対し、不利益な行為があった時は、軍法会議をとばしてオレがその場で処断します。構いませんか?」

 オレが構う、と言いたい所だが、上を誤魔化すのだからこのくらいの覚悟はしておいてもらっていいかもしれない。

 決して口だけではないのは、実感しているだろう。滝の肩は僅かに震えた。

 それでも滝は一呼吸置くと、敬礼し「はい、構いません」と答えた。

「除隊するという選択肢もあるぞ?」

 何も軍だけが生きる術じゃあない。それに、『復讐』にかけた六年は、決して楽ではなかっただろう。これからも制約の多い兵隊でいるより、落ち着ける仕事はあるはずだ。

 オレの提案に、滝は口の端が少し上った。

「オレが残ることで、茅野隊長の立場がまずくなるなら除隊します」

 バレたらまずいなんてもんじゃ済まないが、その辺は綾部がどうにかすると言っているからいいんだろう。

「分かった。今んとこお前は貴重な戦力だ。使わせてもらう」

「はい」

 滝は、今度ははっきり笑って頷いた。話を聞く約束だったなと思い出して、何か引っかかった。

(滝の、『復讐』の相手は……)

「あれ……そうだ、『隣人』だ」

 ぽろっと口から言葉が出た。

「いきなり何です?」

「いや、礒辺大佐が自慢げに『隣人』は作り物だ、という話をしてくれてな」

「作り物?」

「『石背』の研究所で作ったんだとさ。だから、『隣人』なんていないって……」

「何ですか、それは!」

 滝が目を吊り上げて声を上げる。

「死体を森の中に埋めたら動き出した、とさ。普通だったら正気を疑う話だ」

 また叫び出しそうな滝を制して、綾部が用心深く訊いてきた。

「『普通だったら』ということは、茅野少佐はそれを信じるんですか?」

「話の真偽はともかく、大佐が信じていたのは確かだと思う。だけどそれじゃあ、解けない謎がありすぎる」

 滝が大きく頷いた。綾部は少し考えていたようだが、やがて口を開いた。

「本当のことは、ここにいても分かりません」

 礒辺大佐を起こして訊いても、結果は同じだろう。

「だから、それは置いておくとして――どうしましょう?」

 主語の抜けた問いに、オレは首をかしげて返す。

「何をだ?」

 綾部は世間話の延長のように淡々とオレに告げた。

「『隣人』との式典です。明日ですよ」

 オレと滝は顔を合わせて、「あ」と、間の抜けた声を上げた。


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