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第一章 【襲来】 1.

 ……そもそも、せっかくまっさらな星に来て、年号まで改めたんなら、全部を一から新しく始めりゃいいのに、何で母星での因縁を持ち込むかね。

 地方師団用の定時報告書に、日付を入れながら、オレは胸の中でぼやいた。

 常に頭が二つあるという、複雑な体制の折衝が面倒くさくて、軍人になったってのに、結局こっちでも、政治的な事情を考えて、行動しなけりゃならない――もっとも、考えないで行動したから、中央師団から地方、それも南の最果ての部署に飛ばされたわけだが、それは置くとして。

「星歴三七一年の九月……と、えーと、九月十日?」

「九日です」

 開け放たれた扉の向こうから、オレの副官である生島曹長の返事が聞こえた。

「九日? 昨日も九日だった気がするが」

 わざとらしい溜息が聞こえて来たかと思ったら、次いで椅子を引く音が響き、音を立てた本人が姿を現した。

「バカなことをぶつぶつ言ってないで、さっさと報告書を、書いちゃって下さい、茅野中隊長」

 ハンサムというには、いささか愛嬌のあり過ぎる顔をした生島は、手にしていた幾つかの書類の束を、ばさっとオレの机の上に置いた。

「今日の分です」

 書類の厚みを見つめながら、オレは右手で顎を支える。

「謎だよな。此処へ来て、牛が消えただの、魚が釣れないだの、報告書に書くのもはばかられる事件、いや、相談しか受けてないのに、何で毎日、こんなに書類が出る?」

「茅野大尉、軍人の仕事ってのは、ドンパチだけじゃないんですよ」

「そうだったか?」

 思わず聞き返したくなるほど、今までのオレの軍隊生活は、ドンパチで占められている。

 ちなみに、その半分以上を、一緒に行動してきた生島も、同じ境遇のはずなのだが。

 こっちの心を読んだように、生島が口を開く。

「まぁ、オレも中央を出たのは、初めてですがね。数字でいえば、あっちの出動率が異常で、こっちのほうが通常なんですよ」

「まぁ、そうだろうな」

 役割の差だ。

「こっちが『通常』だってんなら、その方がいいさ」

 平和なんて、どうでもいいと思っている。

 そのくせ、すんなりと言葉は口から出た。

 生島は、無言で立っていたが、やがて「茶でも淹れてきます」と断って出て行った。

 ドアの閉まる音がして、部屋の中に静寂が戻る。

 オレは、ぼんやりと、副官の機嫌があまり良くない理由を考え、思い当たったことを、口に出してみた。

「…つまり、あいつも退屈なんだろうな」

 時間がゆっくり流れるというのは、ロクなことじゃない。埒もない疑問を、延々と、考え続けさせられてしまうのだ。

 だから、オレに付き合って、こんな地方の寒署に、飛ばされることはないのにな……と、何度か思った疑問をまた思う。

 しかし、実のところ、あのマメな副官がいなかったら、この部屋は今ごろ、物置と大差ないだろう。

 感謝すべきなんだろうな、とか何とか思った時、自分の机の上にある一台を含め、続き部屋にある電話が一斉に鳴った。


 ジッ…ジリリリリリ―ン!ジッ…ジリリ…


 かなり耳に響く音で、聞くたび替えようと思いながらも、滅多に鳴らないので、すぐ忘れてしまう。

 今度も、覚えていられないだろうなと思いながら、目の前にある黒の受話器に手を伸ばすと、まだ触れない前に音が止んだ。

 顔を上げると、電話の音に紛れて戻って来たらしい。生島がポットを片手に、自分の机にある電話の受話器を取っていた。

「はい、南部第六中隊……はい!……はい、おられます。替わります」

 生島は保留用のボタンを押して、オレを振り向くと、受話器を軽く振って見せた。

 誰だ? と、オレが聞く前に、少しかすれた声が、閑散とした部屋に響いた。

「中央の、鴻上司令です」

 告げられた名前に、オレは眉を顰めた。だが、心の半分は飛び跳ねていた。これで、たとえ一時とはいえ、退屈から解放される。

 オレは目の前の電話の受話器を上げ、控え目な灯りの点ったボタンを押すと、なるべく明るく挨拶した。

「お久しぶりですね、司令」

『嫌味か、茅野』

 耳に響いた美声は、最後に聞いたのが、たった三ヶ月前にも関わらず、既に懐かしく感じた。

「嫌味ですが、事実でしょう? なら、事実が嫌味なんですよ」

『……まぁいい。口で貴様とケンカしようとは思わん』

「オレは、口以外で争うつもりはありませんが」

 刀で決着をつけよう、なんて言われたら困る。何せ相手は、士官学校時代、剣道場で無敗記録を作った大先輩なのだ。

『いいから二、三分、口を閉じてろ』

 はぁ、と言いかけたところで、相手はこちらに構わず続けた。

『印波が脱走した』

 淡々と、ついでの出来事のように言われ、危うく聞き流すところだった。だが、耳から耳へ素通ししてしまうには、あまりに大き過ぎる単語の連なりだった。


 幾つもあった、血塗れの現場が脳裏に蘇る。

 印波――この星の、まだ短い歴史上始まって以来、最強最悪の無差別殺人犯。こいつを捕まえるのに、中央の中隊一つが犠牲になった記憶は、まだまだ新しかった。

 その後、捕縛の任務を受けたオレの隊が、何とか逮捕できたのも、多数の犠牲者による教訓を、生かせたお陰だ。


「……何ですって?」

 オレの声音が変わったのに、気づいたのだろう。湯呑を用意していた生島が訝しげに、オレを見た。

『一昨日、殺人罪で服役中の、印波タケシが、脱走して、現在行方不明だ』

 今度は、一言一句を明確に区切るような声が、オレの耳に届いた。

「冗談じゃないんでしょうね?」

『軍の回線を使って、お前をからかう余裕は、今の私にはない』

「余裕がないと聞いて安心しました。では、本部が故意に、逃がした訳ではないんですね?」

 オレは念を押した。回線の向こう側にいる、司令の苦りきった顔が見えるようだった。

『違う』

 やがて聞こえた声に、オレは内心でかなりほっとして、次の言葉を促した。

「では……終身禁固刑が決定していた印波が、あの厳重な軍刑務所から、如何様(いかよう)にして脱走したか、顛末を教えていただきましょうか」

 オレの言葉を聞いていた生島の表情が、劇的に引きつった。

 目を大きく開き、口元を歪ませて凝視する生島に、オレは奴の電話を指差し、受話器を取って一緒に聞けと指示する。

『……印波は一週間前、軍刑務所から、地方の刑務所に移された』

 凶悪犯用に作られた軍刑務所と、軽犯罪者を扱う、地方の一刑務所では、警備に格段の差がある。

 ざけんな!と、叫びたい衝動を、どうにか抑え、オレは大事なことを聞いた。

「移された場所を、教えていただきましょうか」

『長堀だ』

 予想はしていたが、自分のこめかみが痙攣している気がした。

「ほほう、石背郷長堀ですか。大した温情ですな。どうせ、死ぬまで刑務所を出られないなら、せめて故郷で、ですか?」

『……大体において、お前の読みは、外れていない』

 当っても、全く嬉しくない読みもあったもんだ。オレは抑えた声のままで、最大限の嫌味を放った。

「司令および、上層部のお歴々は、たった二年で、あの狂人が何をしたか、忘れられたようですな」

 今さら、言葉を飾る気にはなれなかった。

 たとえ、あの殺人鬼が、政府のお偉方の子弟であろうとなかろうと、この電話が、誰に盗聴されていても、少しも構わない。

『忘れてはおらん。……おらんよ、茅野』

 静かな声だった。オレに責められるなど、百も承知で掛けてきたのだろう。損な役回りだ。

 だがオレも、ひとこと言わねば、気がすまない。万が一、返り討ちに遭ったら、それっきりで、左遷も懲罰も意味を無くす。

「それは結構! では、奴がこの世で、一番殺したいと思っているのは、おそらくこのオレですが、その次点に、アンタ方の全員が含まれているという、厳然たる事実も、お忘れなきように!」

 オレは言いたい放題をぶちまけて、受話器を本体に叩きつけた。

 静寂が部屋に甦った。

 どうにか息を整えてから振り向くと、生島は青い、というより白い顔で、まだ受話器を耳に当てたまま、オレを凝視していた。

「聞いての通りだ。印波タケシが、ムショからバックレた。石背の連中が背後にいるなら、この場所もバレてる可能性が高い。連絡は既に入っていると思うが、柚木司令には、今からオレから話に行く。だから近隣の村に、厳重警戒警報、できれば外出禁止の通達を……」

「茅野中隊長っー!」

 生島が悲鳴じみた避難の声を上げて、オレの言葉を遮った。

 オレは面倒くさい気分になる。

「なんだよ?」

「何、そんな余裕かましてんですかっ! 印波ですよ、印波! アレを捕まえるのに、いったい何人が犠牲になったか……」

 当時を思い出しているんだろう。表情が、思いっきり暗くなる。

 犠牲者が増える度に、作戦を練り直した。試行錯誤の果て、やっとの思いで捕獲した殺人鬼の、不気味に光る血で染まった赤い眼が、オレの記憶の縁にもこびりついている。

 眼と同じように、血の滴った唇で、『絶対に忘れない』と、ご丁寧に名指しを受けたのは誰あろう、このオレだ。もう二度と会うこともないだろうと、聞き流したが……

「あン時、上から何を言われても、正当防衛に見せかけて、トドメを刺しておくべきだったなぁ」

 いつだって後悔は、先には立たない。

「同感です……」

 この世の終わりのような、暗い声で同意した生島に、後事を頼み、オレは、この基地の責任者、柚木司令へ会いに行くために、部屋を出た。


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