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いつかそれすらも神話になる日  作者: 干支ピリカ


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第三章 【故郷】 6.

 ――……っ。

 鈍い頭の痛みと共に、意識が戻った。

 痛むのは、殴られた場所だろう。忘れていることを思い出そうとすると痛み出す、六年前からの持病ではなさそうだ。

「気持ち悪ィ……」

 嫌な気分は口にすると、和らぐような気になる。そこで、二日酔いの朝のように、もう一度、呟く。

「頭いてー……」

 すると、応える声があった。

「大丈夫かね? なにぶん加減が分からない連中でね」

 目を開けたが、焦点が合わない。何度か瞬くと、徐々に視界に像が結ばれた。

 見ていたのは黒っぽい床板だ。どうやら、両手を後ろで拘束され転がされているらしい。

 起き上がる気もせず、横たわった体勢のまま、まだ靄の掛かっている頭を少しずつ動かす。すると二~三M先に、椅子に座った足が見えた。

 軍靴、軍服……その上にある顔には見覚えがあった。

「成程。どこか聞き覚えのある声だと思いました」

 こんな状態だというのに、しかも相手は石背の重鎮だというのに、オレは幾らかほっとしていた。

「お久しぶりです、礒辺大佐」

 とりあえず、つい先日生存確認をしたばかりの人物だ。視認できても何の不思議もない。こんな場所にいる理由をおけば……というか、此処は何処だ?

「……たちの悪い夢を見ていたんですがね」

 そうだ、アレは夢だ。指令室の爆破で頭打って、煙の中に幻を見たんだろう。

 礒辺大佐は『ほう』と言った。オレは自然に笑う口元を自覚しつつ、軽く手を動かし、手錠に付いた鎖の音をカチャカチャさせた。

「――んで、大佐。これは夢の続きでしょうか?」

 大佐も口の端を引き上げた。暗い笑顔だな――と、自分を棚に上げて思った。

「永遠に醒めない夢を見ていると思ってくれていい」

「遠慮したいですねぇ、それは」

 少し前ならそれもいいかと思っただろう。だが、今はその前に知りたいことがある。

「まぁ、どうしようもないって言うなら諦めますが、自分がこんな姿勢でいる理由くらい教えていただけないでしょうか?」

「諦めがいいな、少佐。調書には、相当粘り強いとあったが」

 綾部を介してオレが見た参謀本部の調書には、この人こそ『慎重で手堅く、粘り強い』と記してあった。華々しい軍功をあげた後、十数年に渡り涌井元帥の側近を務めた経歴が、評価を裏付けている。

「オレはもうずっと、生きているのが面倒になっているんですよ」

 思った以上に実感のこもった声に己をかえりみていると、負けずにしみじみとした返事が聞こえた。

「それなら、印波に討たれてくれたら良かったんだよ」

 唐突に出された名前に、がつんともう一度頭を殴られたような衝撃を感じた。

 口は無意識に「ご期待に添えませんで……」等と動いていたが、目は礒辺大佐の腰に下げられた刀の柄を凝視していた。

頭の中で何かがカチッとまった。

「……刀は、無事に、お手元に戻ったようですね」

 少し悩んだが言ってしまうと、大佐はどちらかといえば普通の、楽しそうに見える笑顔になり腰にある刀の柄に触れた。

「これかい? 君のところの部下が見つけてくれてね。生憎と、鞘は見つからなかったようだが……」

 オレはごくりと唾を飲み込む。

「その刀の鞘には、今オレの刀が納まっています。印波がオレの鞘を使い物にならなくしてくれたんで、代わりに貰いました」

 大佐は驚きを隠さなかった。

「偶然とは恐ろしいものだな。まるで刀と鞘が呼び合っているようではないか?」

「オレの刀は、此処にはないようですがね」

 当然と言えば当然で、オレの腰に刀はなかった。

「私が責任を持って君に返そう。なんなら鞘も作らせよう」

「オレは、永遠に眠らされるんじゃなかったんですか?」

 不審に思ったオレが聞き返すと、礒辺大佐は元の陰気な顔に戻った。

「『君』には眠ってもらう。我々が欲しいのは『君』でなく、君の『体』だ」

 気味の悪い台詞の意味を測りかねて黙っていると、大佐は粗末な椅子の背もたれに身体を預けた。

「そうだな。私も少々疲れた。ここいらで、誰かに話を聞いてもらうのも悪くないだろう」

 話し相手が、すぐ死ぬ人間なら適任だ――続けた言葉が聞こえるようだった。

 だが「疲れた」との言葉は信憑性があった。大佐は実年齢よりもかなり年嵩に見える。しわがれというより、れた声がオレに届く。

「こんな場所で工事をしてもらった、君らには気の毒だが……『隣人』なんていないんだよ、少佐」

「いない?」

 聞き返すオレに、気の毒そうな視線が返る。

「想像してみたまえ。神出鬼没で結界を持つ異星人――もし本当にそんなものがいたら、我々がこの星でここまで、のうのうと暮らしてこられた訳がないだろう?」

 オレが黙っていると、反論なしと見たのか礒辺大佐は滑らかに続けた。

「『隣人アレ』は、お伽噺だ。誰も知らない土地で暮らしていくために、必要な伝説だよ」

 ここまでは、中等学校の夢のない教師がよくするような話だった。

「だが我々には、現実として『隣人』が必要になった。我々、石背は、『境界線』を自由に行き来可能な……そうだな『物』を作った。そのカモフラージュとして必要になったのだ」

 本当なら、普通に素晴らしい発明だ。

「なぜ、カモフラージュが必要だったんですか?」

「わざわざ聞かれることとは思えんな、少佐。当然、君らに隠しておきたかったからに決まっているだろう」

 一見正しそうな理屈だが、所詮『石背』も『周芳』も基礎は同じなので、技術水準は変わらない。どちらかが辿り着いた場所なら放っておいても、いずれはもう片方も追い付く。その前に恩を売っておいたほうが得だと、オレなんかは思う。

 お伽噺を掘り起こしてまで、技術を独占したかったのは何故だろう?

「『境界線』の先に、何かがあったんですか?」

 単なる資源でなく、直ちに利益に繋がる『何か』があったというなら話は分かる。

「あったといえば、あった」

 歯切れの悪い答えの後、少し間があった。

「……君は勘違いをしているようだが、隠したかったのは境界線の向こうにある物でなく、むしろこちらにあった物だ」

 こちら……国、石背、技術……物? 理屈でなく、非常に嫌な予感が背筋を走った。

「境界線を越えられる『物』……って、何なんですか?」

 オレの耳に、痛いほどの静寂が流れたが、やがてぽつりと礒辺大佐は言った。

「人の形をした――『物』だ」

 ざわっと全身が総毛立った。

「恐れることはない。もう死んだ体だよ、少佐」

 オレへというより、自分自身を宥めているような声だった。

「石背郷の、『境界線』の近くの村には、自然科学の研究施設がある」

 知っている。周芳ウチも『境界線』の研究のために、森に隣接して研究所を置いている。

「時折、そこで出た死体を森に埋めていたらしい」

 政府では死者に対し、火葬を奨励している。だが、施設が近くになかったりする場合には土葬も容認されている。だから、森に埋めても罪ではない――が、大佐の声の響きには拭いようのない、暗いものが含まれていた。

「死体の数はどんどん増えて、近場では間に合わなくなり、研究所の職員は森の奥へ奥へと葬っていった」

 もはや突っ込みたくもない話は、淡々と進んでいった。

「そのうち、自分たちのいる場所はもう『境界線』の外側だと気づいた。だが、『迷信』に対する畏れの無かった、理性的な職員達は作業を続けていった」

 おそらく、人体に関する違法な研究を続けていたと思われる人間に、『隣人』への畏れなど存在しないだろう。

「そんなある日、ふっと気づく。以前に掘った穴が、空になっていることに。併せて森を歩く、薄ぼんやりとした影に」

 オカルトというよりポエムだな。礒辺大佐はいかつい顔に似合わず、ストーリーテラーだ。そのおかげか、寒気は残っていたが気味悪さは消えて軽口が出せた。

「『境界線』のあちらでは、死者が生き返るとでも?」

「選別された者だけだ」

 厳かに告げられた言葉は、多分に宗教的だった。研究所で何の実験をやっていたのかが、おぼろげに分かった気がした。

「それで……『神様』は創れましたか?」

 石背が崇めるものは、ただ一つ。

 無敵で不老の肉体を持つ、移民艦隊の乗組員。自らの遺伝子をいじった、氏族おれたちのご先祖様だ。

「もうすぐだ」

 大佐の憑かれた目は、爛々と輝いていた。

「体は完成した。後はそこに意思……記憶が宿ればいい」

 ――どうやって? の質問はしなかった。おそらく脳の移植だろう。

 生体移植のデータバンクは、母船のメインコンピュータにほぼ無傷で残っている。精密なマニピュレーターが完成するのは、おそらくまだまだ先の話だが、日々実験体の解剖で鍛えた研究員(医者と呼びたくはない)なら、何とかなるのかも知れない。

「今はまだ、脳に埋め込んだチップからの命令を、実行するだけの木偶人形だが、素晴らしいことに森の奥へ行くことができる」

『隣人』からの連絡はそいつらか。騙されたな――ふうっと、溜息が出た。

「それで? オレも実験体候補ってわけですか」

 ろくな死に方はできないと思っていたが、ここまで嫌な死に方というのは、ちょっと想像しなかった。

「印波の体は、惜しいことをした」

 傍らの刀に視線を落とした、礒辺大佐の残念そうな声に、オレの中に僅かに残っていた、印波に対する罪悪感がいっぺんに吹き飛んだ。

「……オレは今、心の底からアイツに、いいことをしてやったんだと思いましたよ」

 大佐は眇めた目で、オレを見た。

「君には、その代わりになってもらう」

「……オレの血は、『石背あなたがた』とは比べられないくらい薄いですよ」

 近親婚を繰り返しているだろう石背が、どこまで血を濃くしたのかは分からないが。少なくとも何代も前から、氏族以外の人間を配偶者に取っているウチなんか、引き合いにも出せないだろう。

「被検体は、氏族の血が濃ければいいと言うものではないらしい」

「『周芳うち』にも、先祖返りは出ますがね」

 不意にオレは、自分が助かる方法を思いついた。しかし、いいんだろうか?

「そこが不思議だった。野放図に婚姻を繰り返している君らと、私たちの先祖返りの比率が、何故同じなのだ」

 公表されているデータは本物だったのか! 意外といえば確かに意外だ。

「君の父上も、残念だった」

 ちくっとした痛みが、こめかみを伝う。

「あんな風に木端微塵にならなければ、使えたものを」

 皮肉な口調ではなかった。自己中心的だが、本心を語っているのだろう。こんな奴は石背には幾らでもいる。

 せっかくだ。オレは体調不良を覚悟して聞いた。

「木端微塵にしたのは誰です? まさか今更、『隣人』とは言いませんよね」

 何か言い逃れるかと思ったが、礒辺大佐はあっさりと応えた。

「あれは不幸な事故だったと聞いている」

「事故……ですか?」

「確かに我々は、茅野副首相が邪魔だった。それというのも、森への死体遺棄についてどこからか聞き及んだらしく、内々に抗議して来たからだ」

 人道にもとる――とあの男は言った、と大佐。親父の言いそうなことだと、オレは納得する。

「実験をすぐに中止しないと、議会に掛けると言ってきた。ようやく、成果が出てきたというのに止められる訳がない」

「だから親父を?」

「脅すだけのつもりだった。村や、奥方を盾にしてな」

 麻痺した感覚でもさすがにカッと頭に血が上ったが、何とか耐えた。その代わり、頭の中で組み立てたえげつない作戦を実行することにした。

「……脅しが、大量虐殺になったのは何故ですか?」

「脅しのつもりで持たせた爆弾が、誤作動を起こした。私が聞いたのはこれだけだ」

 何言ってやがる。

「村が四つ吹っ飛ぶような量の爆弾を、いったいどこで作ってどうやって運んだんですか?」

 親父を脅すためだけというなら、そんな大量の爆弾は必要ない。

だが大佐は平然と「聞いていない」と返してきた。まさかだろ。

「おかしいとは思わなかったんですか?」

「自分の管轄外には疑問は挟まん。軍人とはそういうものだ」

『軍人は』でなく『石背は』の間違いだろう。兵器の出所が気にならない士官なんて、どこにいる。

 呆れる内心を押し隠し、頭を前へ何度か傾がせた。

「そうですか。そうですね……今更だ。オレも気にするのを止めましょう」

「賢明だな。少佐」

「その代わりと言ってはなんですが、命乞いさせてください」

 大佐は眉を顰めた。

「軍人として、見苦しいのではないかね」

「軍人としてのプライドなんて、とうに捨てましたよ。ご存じでしょう?」

 この六年、石背の連中が模範とするような軍人であった記憶など、オレの中に一瞬たりとも存在しない。

「父親のことも、大佐が口にするまで忘れていたくらいです」

 大佐は黙って、顎に手を当てている。

「もちろん、タダでとは言いません。印波の代わりにオレというなら、オレの代わりにもっと貴重な献体を差し出しましょう」

 ひとでなしの提案に、ごく自然に大佐は喰いついた。

「――それは?」

 オレは口の端を意識して引き上げ、気を持たせるように息を吐きゆっくりと言った。

「今の年代で貴重な先祖返り……綾部ユキト大尉では如何ですか?」

 オレを見ていた礒辺大佐の目が、大きく開かれていく。

「ご存じかも知れませんが、綾部大尉はオレの後輩で、現在の任務はオレ付きの参謀です。葉前にも同行しているので、オレが呼べば何の疑いもなく出向いて来るでしょう」

 大佐の表情が驚愕から、抑えきれない歓喜へと色を変える。

 嫌悪感を顔に出さないように気をつけながら、こんな奴の気味の悪い妄想の対象にしたことを胸中で綾部に詫びた。もっともさっきから綾部には謝りっぱなしだが。

「だが、君はそれでいいのかね? 周芳を裏切ることになるぞ」

 オレは鼻で笑った。

「それこそ今更でしょう。周芳がオレに何をしてくれました? 六年前の事件では理不尽に責められ、それからは火中の栗を拾うような任務ばかり押し付けられた。挙句、ついこの間まで、辺境へ左遷されていたんですよ」

 石背がどの程度、周芳の内部事情に詳しいか知らないが、経歴だけを見ればオレがこのくらい言ってもおかしくはないだろう。

「オレはもう絶望するのにも飽きたんですよ、大佐。どうせ死ぬのなら、『隣人』なんてのをぶった切って、右往左往する上の顔を見てからと思っていたんですがね」

 いないって言うしなあ……と、オレはわざとらしく空を見上げる。

「オレに過度の期待をさせた補償の一端として、貴方がたの面白そうな計画に参加させて下さい。オレも『氏族』です。何の力もないくせに生命力の強い、虫けらのような連中に思い知らせてやれそうだ」

 少しだけ高い運動能力、演算力、記憶力。それらと引き換えに『氏族』の寿命は、一般人と比べ、十~二十年程度短い。ハンディキャップを解消しようと血を薄めたのが『周芳』で、完全な体に戻ろうと血を凝縮させたのが『石背』だった。

 だから、おそらく……

「それに周芳の中にも、石背あなた方の実験の恩恵に与りたい人間がいるんじゃないですか?」

 こういう見方も可能だろう。

 滝は、周芳の人間もメンバーにいると匂わせていた。それが純粋に『隣人』の存在を危険だと信じているのか、それとも石背の実験に携わることがメインなのかは分からんが。

「……確かに、延命の法に興味はあるようだな」

 どちらにも解釈できる口調だった。

周芳みうち』の背信者は、後で調べられるだろう。生きていれば。

「石背には、生きた見本がいますからね」

 七十五を超えて、尚も存命の涌井元帥。妖怪と呼ばれるまでの薄ら寒い存在は、研究所の実験成果なんだろうか。

 礒辺大佐の目が、暗い光を帯びる。口元が、おこりのように震えた。

「そうだ……閣下の御為に少しでも完璧な体を」

 ぶつぶつと呟いたかと思うと、大佐はぬっと立ち上がって、オレに告げた。

「君の提案を受けよう、茅野少佐」


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