第三章 【故郷】 3.
その日の夜、オレは乗ってきたトラックの助手席にいた。足をダッシュボードの上に乗せてふんぞり返っていると、綾部がサイドウインドウを叩いた。
「茅野少佐、いいですか?」
フロントグラスの夜空を見上げたまま頷く。
耳にインカムを付けた綾部が、運転席へ上がってきた。
「後発の部隊が先ほど着きました、二十四時に先遣隊と交替し任務に入ります」
「そうか」
「終日、片山曹長に従いて敷地内を回りましたが、大体においては現況で遺漏ないと思います」
「うん」
「あと、自分がチェックしてないのは、建物内の細部だけなんですが」
「上はオレがやるから、お前は下のホールと庭園を徹底させてくれ」
「分かりました」
車に付いている軍用回線に個人端末を繋いで、綾部は運転席でキーボードを叩き始めた。
しばらくの間、規則正しい電子音だけが車内に響いていたが、不意に綾部の低い声が混じった。
「――何か、ありましたか?」
「取り立てては何もないな。それが物足りないなんて言ったら罰が当たるが……」
工事の音も一時間前に止んだ。今は、首府の大隊本部より何倍もの静けさが流れている。半径一〇KMには何もないし、当り前のことかも知れない。
藪や畑や村があった頃は?――曖昧な記憶は、応えてはくれない。一緒に引きずり出される感傷を恐れるように。
「そうですね」と声がして、綾部のキーボードを叩く音が止んだ。
「……此処に来るまでがバタバタしてたんで、深く考えませんでしたが、これってかなり重要な会見なんですよね」
揶揄するような響きのあるそれに、オレも笑った。
「そうだよ、『人類の歴史的な』って奴だ」
母星でも、自分たち以外の星から来た客人を迎えた歴史はまだなかった。少なくともご先祖様方が出てくるまでは。
異星人と遭遇した時用のマニュアルなんかも船のデータバンクにあったが、既に行っているか今さら使えない事項ばかりで、役に立ちそうな情報はなかった。
話の継ぎ目のように「綾部」と呼ぶと、綾部は律儀にこちらを向いた。
「なんですか、茅野少佐」
「今回の件、機密の割にはあっちこっちに情報が漏れてたよな」
「そうですね」
「オレは、それが良いことだった気がするんだよ」
綾部は強い視線を向けたが、黙ったままオレに先を促した。
「もし、機密が機密のまま守られて、ここにいるのがオレたちと政府の一部の人間だけだとしたら……ここに爆弾でも落としちまえば、全部なかったことにできるんじゃないか?」
他に誰もいないのに、綾部の声が心持ち潜められた。
「茅野少佐、それは……」
「誰かが、もし――この場合、個人単位ならもっといいが、秘密裏に『隣人』との会見を持とうとして、それを喜ばない奴がいたとしたら、ホンとに簡単に潰して……消してしまえるんだ」
当時、お伽噺のように思われていた『隣人』との会見……それが、『お伽噺』なんかでなく、本当に実現されていたら?
「……それが、六年前あった事件の真相だと?」
オレは首を振る。
「そんなご大層なもんじゃない。たった数日間、オレが考えただけの現在の懸念だからな」
本当に、親父と『隣人』とに関わりがあったなら、政府がそれを知らない訳がない。
「情報の漏洩……軍のはどうせ、自分ン所だけが漏洩した責任取らされるのが嫌で、他所の分もバラした、ってとこだと思ってたんだが、あの生島の作ったデータ」
会議に出る前、予防線のためきちっと見る羽目になった、情報漏洩ポイントの黒点だらけの分布図。
「あれによると、軍よりもむしろ政府内部の広がり方が、普通じゃなかった」
どう判断すればいいのか……と目を閉じる。少し間を置いて、綾部の声が聞こえてきた。
「お父上は、あの頃、副首相でしたね」
「二人いる内の一人のな。だが、当時もう引退するつもりだったんだよ」
「え? まだお若かったじゃないですか!?」
「ちゃんとした理由は、オレにも分からん。母親の問題があったかも知れんが」
「そういえば、ご病気でこちらに帰られてましたね。当時」
そして、親父と故郷と一緒に逝った。
「あぁ。別に深刻な容態じゃなかったんだが、それでも何か考えるところがあったのか。田舎に……この葉前に隠居して畑でもやるって、あの爆破のあった数日前、首府を発つ時に聞いたんだ」
突然連絡が入り、呼び出されたのは首府の駅だった。
『いきなり、どうしたんだよ?』
『あちらへ帰る前に、お前の軍服姿を見ておこうと思ってな』
士官学校の制服では首府で会ったことも、帰郷したこともあった。だが任官してからは忙しく、軍服で親と会ったことはなかった。
『似合うぞ、少尉』
『ちぇ、せめて大尉になってから、見せに行こうと思ったのに』
照れくさくて、ふてくされたオレに、『楽しみにしてる。自分は、もう引退するがな』と、親父は告げた。
何故かはもちろん訊いた。だが、笑って『ゆっくりしたい』というような御託を言うだけで、具体的な理由は教えなかった。
結局、話を交わしたのは、それが最後になった。
オレは下を向き、小さく息を吐く。
覚悟していたとはいえ、意図的に封じた記憶へのアクセスは、相変わらず精神的・身体的負担が伴っている。
「政庁には、当時のお父上の部下が、まだ残っているんじゃないですか?」
再び響き始めた、キーボードを打つカチカチとした音と綾部の淡々とした声が、不思議に夜と調和して気が静まっていく。
「辞めたり、跳ばされたりしてるかも知れないが、それでも何人かは残ってるかもな」
当時の首相は石背出身だったが、政府の上も軍部と同じで、石背と周芳の勢力は拮抗している。軍にいたオレ同様、親父の部下だったというだけで、周芳出身の人間が理不尽に失職することはないはずだった。
「だとするなら……政府内部の情報の拡散は、そちらからの援護だと思うことにしませんか?」
援護、というにはあまりにも判断材料が足りなかったが。
「……思っていいのかねぇ」
「いいんじゃないですか。良くも悪しくも、あれから六年も経っているんですよ。ほとぼりが冷めるにはいい時間で……」
それでも……と綾部の言葉が続く。
「人を忘れるには早い時間……じゃないですか?」
軽く額を押え、その言葉を反芻する。
六年間、忘れていたのは自分だけで、どこかで誰かがそれを歯がゆく思っていたりしたんだろうか?
『オレは悔しい』という鴻上司令の声が甦る。
『お前は、悔しくないのか……?』
正直、悔しいという感情はまだ戻って来てなかった。だが、今は知りたかった。
自分の父親が、何を考えて、何をしたのかを。
「オレは……そんなことさえ、してなかったのか」
溜息と共に引き出された声に対し、何を?とは、綾部は訊き返さなかった。
フロントグラスに映る、満天の星を見ながら、ふと思い出してシート後方に挟んだ荷物をあさる。
「朝、生島から連絡来るだろうし、今日はここで寝るわ」
目当ての毛布を見つけ出して、ドアを開け、軽くほこりを叩いた。
「分かりました」
「すまんな」
オレがここにいる以上、他所では休めない役割の綾部に一応謝った。だが綾部は、微妙に考え込むような表情を浮かべた。
「宿舎のほうも、中々サバイバルでしたから」
「……そう言えば、滝が何か言ってたな」
「いずれにせよ、もう改善する時間もありません」
「耐えられん程度でなけりゃいい」
オレだって、必要があれば真冬に野宿だってする。
「冬になる前で良かったですね」
真面目な声に、どう切り返そうかと思いながら、オレはいつの間にか眠っていた。




