第二章 【復帰】 4.
「お疲れ様です、茅野少佐」
執務室を出ると、鴻上司令の副官、隅田中尉が待っていた。新設部隊の本部となる場所を示した紙と、平面図、室内のシステム起動に使う鍵を渡される。
「スペアは、生島曹長に渡してありますので」
カギの入ったビニール袋に貼られた、手書きのラベルをオレは読む。
「0(ゼロ)部隊?」
「はい、暫定的な名称はそうなります」
格好いいんだか、はみ出し者なんだか分からない名前だな、と思ったオレを察したように、隅田中尉は人のよさそうな顔にすまなそうな笑みを浮かべた。
「素直に『十番隊』とすると、申請がいつ降りるか分かりませんので……」
『新設』だと内外が煩いので、『特設』という建前にして処理しているのだろう。よく見れば隅田中尉の目の下には、隈がくっきりと浮かんでいた。
今度はオレのほうが、同情的な気分になる。
「司令は最近、家に帰れているのか?」
「毎日は無理ですが、三日に一度くらいは……」
それを聞いて、左遷されていたとはいえ、自分のこの一ヶ月が天国に思えてきた。
「ちなみに、中尉も?」
確か隅田中尉は、先月の終りに結婚したばかりだったはずだ。
「似たようなものですね」
オレは心の底から詫びを入れた。
「悪かった。少しは楽になるように動くんで、せめて二日に一日は帰ってくれ」
鴻上司令の下で動いている士官の中で、問題が多くとも、とにかく大所帯を受け持っていたオレの離脱により、かなり細かい部分までのしわ寄せがこの司令室に行っているはずだった。
隅田中尉は、どこか緩やかな仕草で手を振った。
「とんでもない。少佐こそ、このたびの昇進及び大隊復帰、おめでとうございます」
「暫定的だがな」
わははははー!と、二人して高らかに笑った。
司令室を出て、一つ階を降りる。それから少し歩いて、角を曲がった突きあたりにある、まだ何のプレートもないドアを開けた。
中は予想に反し、既に機材が運び込まれているだけでなく、何人もの声と気配があり、ほとんど昼間の軍本部だった。
「要るもんは全部、揃ってる筈だ、探せ!」
オレに気づいた生島が、耳にインカムを填めて指示を飛ばしながら歩いてきた。
「現在状況を報告します。鴻上司令に引き取ってもらっていた、元ウチの人間を三人、請け出して来ました。後は隅田中尉から、新しく回してもらった二人。片山のところの連中は、南方での処理が済み次第、こちらに移す算段を付けます。今システム起動の傍ら、使えそうな奴に片っ端から連絡を取らせています」
生島が寄越したファイルをめくりながら、早めに伝えておく。
「余裕できたら、何人かは、鴻上司令のところの雑務処理に回せよ」
「あー、隅田中尉、大分よれてましたね」
「既にナチュラルハイだったぞ。久米は何やってんだ!」
オレの後任に就いた中隊長を呼び捨てにすると、生島が道端の地蔵のような微笑みを浮かべて、異様な明るい声で言った。
「あちらね、まだ片付いてないそうですよ。三ヶ月も経って、隊の通常ルーティンが」
「松本を残してきただろうが?」
久米は地方で長いこと中隊長をやっていたが、中央大隊の経験はない。本部のやり方になれるまでに一苦労あるだろうが、そのために事務処理のエキスパートを一人残してきたのである。
「その松本軍曹からの報告です。『副長と、中隊連中の組み合わせが最悪』だそうです」
「……何やってやがんだ、あそこは」
呑気な話に、思わず力が抜ける。
「『茅野中隊長が復帰されたなら、僕もそっち帰っていいですかぁ?』かっこ涙かっこ閉じる、とのことです」
「オレも、それを結構アテにしてたんだがなぁ」
「オレもです」
「動かす訳にいかんだろうな、それじゃあ」
「久米大尉を激励しに行ったほうが、早そうですね」
嫌いという程ではないが苦手な相手だった。階級と年齢が比例しないのは、軍では珍しくないとはいえ、同じ階級で十も年上なのだ、あちらは。
「後で予定に入れておいてくれ」
嫌な仕事は、事務的に済ますに限る。
「了解しました。任務の資料は、隣室で綾部大尉に引き出してもらってます」
「よし、打ち合わせだ」
生島は頷いて、近くにいた見覚えのある軍曹に幾つかの指示を与えた。
隣の部屋のドアを開けると、六人は優に着ける楕円形のテーブルが目に入ってきた。その端にいた綾部が、見ていた書類から顔を上げる。
成る程シャツ一枚だと目立つなと思いながら、借りていた上着を脱いで綾部に放る。
「返すぞ。助かった」
上着を受け取った綾部が、立ち上がろうとするのを手で制した。
「座ってろ。オレのルールは、前と同じだ」
中隊長と部下でも、大隊長と参謀でも、オレと綾部である限り、変わりようもない。あまり表情の出ない顔で、それでも納得したよう頷いて、綾部は元の作業に戻った。
オレがテーブルを挟んで綾部の前の席に着くと、後から入ってきた生島が手際よくカーテンを閉めて、壁に備え付けのスイッチを押した。
一瞬、ウワァーン……という電子音が耳に響く。
「この部屋だけは徹底して、電波音声の遮断が可能な構造になってます」
これでたとえ盗聴器があったとしても使えない。代わりに電話すら通じないが。
生島がオレの隣の席に着いたのを見て、余計な話抜きに綾部が説明を始める。
「まず、今回の任務内容は、政府と協力して、『隣人』との会見を成功させること。無論、軍としては、これに関する警護に重点が置かれますが、それに付随する他の件に関しても、うちの部隊にかなりの権限が認められそうです」
「破格だな」オレが呟くと、綾部が頷いた。
「そうですね。政府としてもこの先のことより、何が出てくるか分からない不安のほうが強いんでしょう。市民には公開できない性質の会見である以上、政府からの人員は最小限に抑える方向です」
「政治家が動くと目立つからな。軍からは、新設部隊のみか?」
「はい。軍としてはこれまで同様極秘扱いで、他の本部直属九隊の大隊長クラス以下には知らされません。今回、新たに知らされるのは、政府でも軍でもそれほど多くはないでしょう」
バレた後でひと悶着ありそうだな。
「そういや、参謀本部は皆知らされたのか? 隣人のことを」
同じ軍内部とはいえ、参謀職に就く者が知らないままでは、この先不味い気がする。
「オレ含め、今回の任務に参加する尉官には通達されました。つまり……現在、各大隊や地方師団に、参謀として付いている者を抜かした全員です」
成程、と相槌を打ちながら、こっちも後で揉めそうだと思った。
「会見の日時は未定……今、降りて来ている情報は、このくらいです」
「了解した」
綾部は軽く頷くと、手元の端末を操作し始めた。
「では……問題の音声を再生します」
オレと生島はテーブル越しに寄こされた、ヘッドフォンを取って耳にあてた。
ノイズ混じりで、声は切れたりしたが言葉は明瞭だった。
『……現在、我々は「隣人」の国に、いる。行動の規制は、されているが、捕虜的な扱いは、受けていない』
少しのブランク。
『……我々は、この国と、我々の国が、互いに、行き来できることを、願って……る。我々には、ここからの、帰り方は、分からないが、「隣人」は、我々を案内し、返しても、いいと、考えている』
ブランク。
『そこで、どうだろう? これを、機会として、お互いに、話し合うことは、できない、だろうか?』
ブランク。
『おそらく、そちら側に……「否」は、ないと、思う』
ブランク。
『彼らが、我々を、案内しても、良いと、考えている、ポイントを、伝える……』
強引だな、とオレは思った。
『……経七度五分。これは、三六〇年に、首府政府本部が、発行した、地図に、基づく、位置だ……』
何度となく聞いても、腹の立ってくる座標だ。一度これを聞いているのであろう綾部も、既に知っている生島も、全く表情を変えずに聞いていた。
『良い、返事を、期待して、いる。我々……への、連絡周波数は、以前からの、ものを、使ってくれ、との、ことだ。……最後に、呼びかけを、続けて、いてくれた、政府に、感謝する』
高いノイズ。直後に切れた。
一呼吸を置いて、ヘッドフォンを外す。同じようにヘッドフォンを外して、端末を操作し始めた綾部を促した。
「解析結果を聞こう」
「はい」
綾部がキーボードを叩くと、スクリーン上には、自分たちの大陸の輪郭を現した白い地図と、数字の羅列が映し出された。
「境界線を黒の線で、発信位置を赤い点で示します。横に出ている周波数その他は、政府発表のものです」
現れた赤い印は境界線から遠く、『隣人』の領域の真ん中辺りにあった。オレは赤いポイントを含む、彼らの領域全体を眺めた。
「ほとんどが未確認エリアだな」
「はい。あちらの上空には、小型探査機も飛ばせない状態なので、この星に降りる時に撮った写真を、そのまま持ってきています」
「だから、真っ白なのか」
納得した。四~五〇〇年前は、こちら側もまだ雪と氷の世界だ。
「現在では……」と続けた綾部は、淡々とした口調と、スクリーンからの白い光に照らされて、いつも以上に作り物めいて見えた。
「太陽と惑星の位置、それに、こちらの経年気候変動を当て嵌めた、予測データからすれば、人類その他の生命体が棲んでいて、何ら不思議はありません」
綾部の手が動き、スクリーンの画像の上に、『気温の分布図(予測)』が加わる。
「平均して、マイナス三から五度ってところですか。こちら側の人間が、快適に暮らしているようですしね」
生島の声に綾部は頷いたが、少し怪訝そうな声で言い足した。
「ただ、『隣人』がオレたちより先にこの星にいたと仮定するなら、厚い氷の中に住んでいたことになります」
オレはもう一度、じっくり白い地図を見上げた。
「建物があるようには、見えないな」
「ありません」と綾部がきっぱりと言葉を返す。
「この星の上に人工物が見えないとの確認は、ご先祖様たちが墜落する前に、行われています」
「だとすれば、地下かねぇ」
「可能性はあります。こちらも見て下さい」
綾部がスクリーンに別の画像を映す。
未確認部分を濃い緑が埋めている地図だった。こういう地図は、ある意味、かなり見慣れている。小学校にも貼ってある世界地図、それの『境界線の向こう側』クローズアップ・バージョンだ。
「ご存じのように、これが今までのポピュラーなイメージです。当然、境界線上に広がる森からの連想ですが、根拠がないわけじゃありません。こちらに流れてくる大気の濃さから考えた予測です」
画像の横に、また細かい数字――大気の合成表が出てくる。
「酸素が濃すぎます。この場合でも、人類が地上に住むのは極めて難しいでしょう」
だからこそ『隣人』は、お伽噺だったんだ。
「確かに、これだけ緑色じゃ、農耕も牧畜もできんな」
地図を見ながら混ぜっ返すと、生島も少し笑って口を開いた。
「狩猟民族だったら、手強そうですね」
生島の軽口を真剣に考えるように、綾部が目を細めて地図を見遣る。
「どうですかね……全ての秘密を解く鍵が、あの緑――森の中にあるのは間違いないんですが」
この星の上で動けるようになって四百年近く経っているのに、まだ己の住む大陸の半分も分かっていない現実を改めて自覚する。
『入れない』と念を押されている場所を積極的に調査できない程度には、こっちも余裕がなかったから仕方ないが。
「分かった。そっちは置いとくとして、通信内容の信憑性は?」
スクリーンの画像をそのまま放置して、綾部は端末に向き直る。
「はい。まず送られてきた電波が、政府にしか残っていないタイプの通信機で、発せられているのは間違いありません」
「なんだ、それは?」
「使っている電波が特殊な暗号に変換されていて、解析できるのが、首府の宇宙船に残っているデコーダだけなんです」
「新しく作るのは無理か?」
生島が「はい」と、手を挙げた。
「宇宙船内の遺物――特殊な通信機の話なら、専科でオレの指導教官だった梶木先生が、その昔に挑戦して三日で投げたとの話を聞いたことがあります」
「あの先生に無理だったら、この星で作れる人間はおらんな」
オレは素直に認めた。
梶木は上に『ゴッド』か『マッド』が付く科学者で、一応は軍属なのだが、独自の狭く深い見識により、皆階級で呼ばずに『先生』と呼んでいる。
「あの先生が言うには、微妙に狂っている代物だそうで、嵩張るわ、量産は不可能だわ、使い道ないわで、政府の資料館かなんかに押しつけた、と」
「廃物利用だったのか……」
呆れ半分で呟くと、綾部は感心したように頷いた。
「まぁ、連絡用とは言っても、実質森に捨てるようなものですからね」
「そうだな。境界地帯に放置されてあったその骨董品を、こっちの人間が持って行ったという可能性は?」
「これは場所を取らない代わりに、かなり重いタイプだと聞いてます」
成程、野外に置くなら、頑丈で重いほうがいい。
「資料には、大きさはこのくらいで」
綾部が両手を、肩幅より小さいくらいに開いた。
「重さはおよそ六〇キロ。凡そ、成人男性一人分の重さですね」
「持てないこともないでしょうが、おいそれと持ち運べるものじゃないですね」
生島の言葉を綾部が継いだ。
「おまけにあの森の中には、車輪を走らせることはできません」
そんな幅のある道は、境界から向こうには皆無である。
「手で持っての移動には向かないな。最初に置いた時はどう処理したんだ?」
綾部が手持ちの資料をめくった。
「森の前まで車、その後は何人かで運んだようですよ」
えっさほいさと可能な限り遠くまで……政府の、『隣人』対応の人間の苦労話は、聞くたび同情に堪えない。
「あの森の中じゃ、普通に分け入っていくだけで、重労働だったでしょうね」
「そうか。ポータブルラジオをプレゼントした訳じゃなかったんだなぁ……」
オレは頭を掻いた。
「はい。この重い通信機を、しかも迷わず森の奥まで運べるツテがあるとすれば、やはり正体不明の『隣人』だけかと思われます」
「ウエイトも、変なところで役に立ったな」
「本当ですね」と生島が呟いた。綾部は書類から顔を上げ、『他に質問は?』と言いたげな視線を投げてくる。
オレは腕を組んで少し考え、首を振った。
「通信はとりあえず、『本物』として、次に行ってくれ」
綾部が頷いて、再び端末のキーを叩く。
「話していたのは、一人。ですが、その周囲に幾人か、他の人間の吐息らしい音は入っていました。全員が成人男性と思われます」
スクリーンにギザギザした線で、声紋が映し出される。
「現在、行方不明になっている人間で、『境界線越え』をしたと推測できる者は?」
「各地方自治体の定期連絡によれば、昨月末の段階で、三十四人です」
オレは唸った。
「多いか少ないか悩む、微妙な数字だな」
「多めに見積もった数字です。それも、ここ五十年分の記録なので、年齢的に既に亡くなっていそうな者を削除すれば、二十人も残らないでしょう」
「その内の何人かが、『隣人』の土地まで辿り着いたということか。で、スポークスマンを引き受けた……と」
「『隣人』の生態が分からない以上、断言はできませんが、こちら側の言葉を流暢に話していた事実から考えると、ほぼ断定しても良いだろうと思います」
ふと、基本的なことに引っ掛かった。
「『隣人』はなんで、彼らに話させたと思う?」
「こちらの言葉を話せないから、とかですか?」
「いや、質問を間違えた。『隣人』はなんで、こちら側に連絡を寄こしたんだ?」
「友好のため……とは、言ってませんでしたね」
記憶をたどるように、手を額に当てた生島に代わって綾部が答えた。
「原稿を書いたのがどちらかは分かりませんが、一応、こっちの人間を案内してくるついでに話し合いを、ですね」
「だとすると、友好的だな」
「分かりませんよ。こっちの人間を返しに来て、もう金輪際こんな事件が起きないように、念を押しに来るのかも知れないじゃないですか」
「わざわざ、か?」
「ちょろちょろ入って来るから邪魔だ、とか」
「邪魔と言っても、たかだか百年に三十人だろ? その他の連中は、辿り着けずに戻ってきている。それほど邪魔とも思えん」
「溜まってきて、鬱陶しくなったから返そうとした、とか」
「ネズミ捕りのゲージの容量か? だったら、また森に捨てに行けばいいだろ。連中は帰り道が分からんって言ってるんだから」
「自分たちの森の中で遭難されるのは避けたい、とか」
「そういうメンタリティを持った相手なら、有りがたいが」
「そりゃまあ、そうですが……」
生島が肩の力を抜いてぼやく。
「それでは、茅野少佐は向こうの望みが、『友好的な話し合い』だと取るんですか?」
確認をするように訊く綾部に、逆に問い返す。
「参謀本部の見解はどうだ?」
「結論は避けてます」
「だろうな。オレも、何百年も放置しておいて、どうして今頃になって、向こうが態度を軟化させたのかがさっぱり分からん……あぁ、それより、もっと分からない疑問点があったな」
オレは意味ありげに笑った。笑うしかない。




