第二章 【復帰】 3.
笑い声の代わりに、口から出たのは、
「オレが……この任務に抜擢されたのは、そういう理由ですか」
という恨みがましい声だった。
「それもある、という程度だ、茅野。たかだか、その場所出身の人間が軍にいたからと言って、これだけ重い任務の要職には就けん」
司令は感情を覗かせない無機質な声で答えた。
「それは確かにそうでしょうね。『たかだか』、あの村出身の人間なんて、国中を探せば何人かは見つかる程度でしょうしね!」
「茅野隊長っ……!」
背後から抑えた声が、オレを諌めるように発せられた。
「気持ちは分かりますが、考えてみて下さい。何故、彼らが『葉前』を指定してきたのか? これは、六年前の事件と無縁な訳はないでしょう?」
「そうだ、茅野。どう考えても、これは偶然ではない」
二人の言い聞かせるような口調が、オレの神経を逆撫でする。
「はっ! 彼らが、いつ作られた地図を見たか知りませんが、欲しかったのは、周りに何もない場所だったんじゃないですか? あそこは今や一面の荒野だ。見晴らしもいい。お互いに信用できない相手と会見するには、絶好の場所じゃないですか?」
「何もない場所なら他に幾つもある。その中から、わざわざ境界線からも離れたあそこを選んできたのだ。理由は必ずあると私は思っている」
箍の外れた相手に、辛抱強く司令は言った。
それでも、オレが奥歯を噛みしめて床を見ていると、低いぼそりとした声が聞こえてきた。
「お前は、悔しくないのか……?」
強い声音と内容に思わず顔を上げると、司令はオレを底光りのする眼で睨んでいた。
まだこの人が一線にいた時に見た覚えのある、無頼の人間を視線だけで跳ね返した時の眼だった。
「私は悔しいぞ。茅野、お前の父親には、私だって何度か会ったことがある。立派な人だった、優れた政治家だった。少なくとも、あんな最期を遂げるような人じゃなかった!」
オレは爪が喰い込むくらい、きつく手を握って司令の言葉に耐える。
「あの時、お前が事件を追及しようとするのを止めたのは、私だ」
当時、この人は司令どころか、まだ一介の中佐だった。
「いつか時が来るまで忘れろ、と言った言葉を、お前は私の逃げに取った。それを承知で、私はお前に言い聞かせた。お前を死なせる訳にも、狂わせる訳にもいかなかったからだ」
六年前、士官学校を卒業し、首府勤務になっていたオレは、当然のことながら住処を首府に持っていて、『葉前』にある実家へは正月に顔を見せる程度だった。
そろそろ冬支度をしようかという頃だった。当時、オレが勤務していた参謀本部まで、鴻上中佐が駆け込んできたのは。
『緊急事態だ、茅野少尉。今すぐ私と一緒に来い!』
いつも冷静な第四隊大隊長の、らしくない狼狽ぶりを訝しく思いながらも、オレは車に乗った。
だが、何事か起こっているという故郷には、途中までしか近づけなかった。
『大規模な爆発です。原因が分からない以上、どのような影響があるか分からないのでこの先一帯は封鎖しました』
皆、何が起こっているのか、全く分からなかった。村に大掛かりな工場はない。発電施設からもかなり離れていた。
結局、状況分析から、テロ事件との判断が濃厚になった。
そうなると、何を、誰を狙ったのかが問題となり……その時、里にいたであろう人間の中で、そんなものの対象になりそうなのは一人しかいなかった。休暇を取って、故郷に戻っていたオレの父親だ。
国はほぼ二分したままで、大掛かりな反政府組織はなかった。それでも裏に回れば、政治が『周芳』と『石背』のどちらかが奪い合う現状を、気に入らない連中は、幾らもいただろう。
爆発は『葉前』を中心に、他三つの村を巻き込んだ。石も焼け残らなかった大地に、生存者がいる訳はなかった。
必然的に、標的の息子に対する、世論の目は厳しかった。
この件に関しては、政府も軍も、一貫してオレを被害者の中に割り振る方針に決めたようだった。その演出のおかげで、表には出ないで済んだ。
ただ、『周芳』と『石背』の間で、どんな取引があったかは分からない。石背の半ば強引な事情聴取の後、オレはしばらくの間、鴻上中佐の預かりになった。
そのまま、しばらくオレは心神喪失状態になっていたらしい。
記憶の半分にフタをすることで、ようやくまともに頭と体が働くようになったころには、事件から半年過ぎていた。
世間的な騒ぎも収まっており、オレは何食わぬ顔をして軍に復帰した。また、この件の取り調べの経緯か、オレはおおっぴらに石背に疎まれるようになった。
にもかかわらず、それからの出世が可能だったのは、皮肉なことに、以来あまり命に執着しなくなったオレの、ギリギリの作戦遂行能力と、目前の人物の引きがあったからだ。
「あの時の処理で、私が後悔したのは、お前のことだけだ」
オレを見ている司令の目を見ないようにして、オレは言った。
「鴻上さんには感謝しています……」
語尾を攫うように、司令が口を開いた。
「……今のお前も、お前だと思う。それは否定しない。だが、人生を半ば放り出したようなお前を見ているのは、昔のお前を知っている人間には、結構辛いんだ」
後ろで、軍に入った当初、遡れば士官学校時代のオレも知っている、生島がどんな顔をしているか分かる気がした。綾部がいても、同じだっただろう。
『昔の自分』がどんな風だったか、なんて覚えてない。ましてや、他人からどう見えていたかなんて。
だったら、どうしたらいいんだ、とか、あの時のオレに、他に選択肢があったかよ、とか、言葉は出てくる。
(自分の問題だけで、精一杯だった)
周りを気遣う余裕なんて一切なかった――あの時は、そう言っても、赦される状況だった。だが、今は?
(お前は今日まで何をしてきて、今ここで何をしているんだ?)
……応えられる言葉は、見つからなかった。
「任務は、お受けします」
生島がほっとしたように息を吐いた。
「オレのことは……放っといて下さい。考える課題が、まだ多すぎます」
「分かった」
司令の眼の光や、口調が元に戻った。
「よく考えろ、茅野。この任務からは何も出てこないかも知れない。だが、何か出てくるかも知れない。何かが出てきた時、すぐに対応できるように心を閉ざしておくな」
「できる範囲で承ります」
司令は苦い顔をしたまま笑った。
まだ、三半規管が揺れているような感覚が残っていたオレも、軽口が叩ける程度には復活していた。そうなると、気になっていたことが俄然、思い出されて来る。
司令が机の一番上の引き出しから、折り畳んだ紙を差し出す。開くと、オレの転属に関する指令書だった。一読すると、紙片を元のように折り畳んだ。
「必要な資料は守秘回線β(ベータ)で送る」
「分かりました。生島!」
「はい。すぐに解析します。綾部大尉に協力を仰いでいいですか?」
好きにしろ、と言いかけて、まだ上司の前だという事実に気が付いた。
「この辞令は既に有効ですか?」
日付は確かめていたが、確認しておくに越したことはない。
「そこに書いてある通り明日……いや、もう、今日の零時から有効になっている」
それを聞いて、オレは生島を振り返った。
「向こうの手が空いているようなら使って構わん」
「了解しました」
目礼して出て行く生島を見送った後、オレは再び鴻上司令を振り返った。
「……報告書に書くつもりはありませんが」
オレが前置きすると、司令は無言で頷いた。
「印波は、真っ直ぐオレのいる場所へやってきました」
司令と目を合わせ、オレは続ける。
「オレの新しい赴任地は、機密でも何でもなかったので、軍の関係者だったら誰でも、役所関係でもちょっと上なら調べられます。だから印波が、オレの赴任地を目指した理由は分からないでもありません」
分かりたくはないが。
「ですが先刻、印波はオレの居場所へ――作戦本部とした駐屯地でなく、ですよ? 地図の上で区切って決めた演習場に、いきなり現れたんです。その理由を知りたかったんですが……」
あの時、オレの居場所を正確に知っていたのは、作戦本部にいた南方師団の数人、それに、片山のところの連中だけだ。
中央本部とは無線でやり取りをしたから、傍受は可能だったと思うが、軍用回線を聞くには、特別なコードを解読しなきゃならない。それには一般民間人でも、そこそこ軍の仕組みを知っているだけの下っ端でも無理だ。
単に偶然という見方も、できないでもない。オレがそこへ行くかどうかは別として、演習場へ追い込もうとしていたのは計画内だ。実際、報告書では、そう書くだろう。
だがオレはあまり偶然を信じないタチだし、そこへ持ってきてこの話だ。
「……先程のお話で、かなりの段階まで見えた気がします」
司令はおもむろに口を開いて、数を数えるような調子で言った。
「『隣人』から政府に連絡が入ったのは、七日前。それが軍に降りてきたのは、四日前だ。だが、私の手元に未確認情報として入ってきたのは、政府とほぼ同日で、それは石背側でも同じだったろう」
そんなもんだろうなと、オレは思った。政府と軍部は二つに分かれているが、それは『政治家』と『軍人』でなく、あくまで『石背』と『周芳』だった。
「この件で動かせる人間として、私が思い浮かべたのは、当然のことながらお前だ」
因縁は深いし、冷や飯食ってるし――でか。
「話を通しやすいお前を、それなりの場所に配置して、政府に働きかけることが可能となる。……そう思ったのは、私だけじゃなかったんだろうな」
オレは少し考えてから口を開いた。
「第二大隊の湖南大隊長は、まだ身体が復調していないのですか?」
湖南中佐は石背系の軍人の中でも有望株で、次に功績があれば大佐になり、司令と呼ばれる日も近い人物だった。
今回のような場合、向こうが責任者として推してくるなら、大方、湖南中佐が出張ってくるはずだ。ただ、生憎ここ数年は健康を害している。
「起き上がって出庁しているが、実戦を伴うかもしれない任務に向かないのは、あちらでも分かっているだろう」
……となると、大隊長クラスでは、石背にはオレより上の経歴どころか、対抗させられる士官すら存在しない。実のところ、石背系若手指揮官の人員不足の原因は、三年前の印波事件にあるので、ほとんど自業自得だ。
「だから、オレをやっちまおう――ってのは、少しばかり短絡過ぎませんかねぇ」
同じ軍人として恥かしい限りだ。それほどまでに、正体不明の『隣人』というカードは魅力的だろうか? オレは、もう一つ気になっている疑問点を口に出した。
「その際、情報を流しただけでなく、この時期に印波を逃がしたのも……」
あまりのタイミングの良さに、さっきから胃がチクチクと痛んでいた。こうなると、印波の言っていた台詞も気になってくる。
(てっきり、六年前の事件当時、石背の上層部から、何かを聞いていたのかと思ってたんだが……)
わざわざ六年前の話をしてオレを殺してこいと、印波の鎖を解いたりするだろうか? 印波が誰かの命令で動くとは思わないが、オレに復讐できる機会なら跳び付くだろう。
今回、人的被害はそれほど多くは出ていないものの、それでも何人かは帰らない。それを全部オレのせいだと考えるとかなり堪える。
他人を犠牲にすることに対し、自分のトラウマはまだ深いらしい。
「多分、違うだろうと思う」
全面的に違うと、言い切ってはくれないらしい。
「……ったく。軍人ってのは、自国民の命を護るのが仕事だろうが」
口からぽろっと出たぼやきに、軍最高本部の司令は反応した。
「全くだな……だが、私が彼らだとしたら、同じ行動を採らないとも言えないからな」
「止めてください」
オレは本気で口を挟んだ。
「鴻上司令がそんなことを言い出したら、もう全部どうでもよくなっちゃって、オレがこの任務を滅茶苦茶にしちゃいまいますよ」
勝手な言い草だったが、軍人としてのオレの精神的支柱はこの人だった。容易く折れられたら困る。
司令は薄く笑って、オレを見た。
「そうだな。悪かった、茅野。私が言ってはいけない台詞だった」
オレも少し笑った。
「滅多に聞けない、先輩の愚痴だと思えば貴重です」
オレは背筋を伸ばして踵を合わせた。
「九月十一日〇時〇〇分より、茅野シン、新たな任務に赴きます」
司令は落ち着いた仕草で頷いた。
「成果を期待している」
自分を映している深い色を宿した瞳に軽く頭を下げて、オレは部屋を後にした。




